『白夜』は聴いている。当然だ。隣人が頑張って作った曲だ。そりゃあ聴いているに決まっている。
だから、その曲の雰囲気がどんなものかも知っている。
どちらかと言えばしっとり系だ。若干アップな曲調ではあるが、それに比べて歌詞と歌い方はしんみりとしたものになっている。
そして今、その印象をはっきりと真逆に変える二番が目の前で歌われている。
スタッフの演出で歌詞が表示される形式。それは見ない。善悪の歌っている姿を見る。
エフェクトは要らない。バーチャルで覆い隠してはいけない。俺が見ないといけないのは、確かに今歌っている相手ただ一人。
それは、これまで俺が抱いていた印象をぶち壊すものだ。
一番のなよっとした、じとっとした感じの雰囲気がある歌詞。そして本来の動画の雰囲気とは違って──今歌われている歌詞は、それがひっくり返されるポジティブな歌なのだ。
大きく口を開き、固くマイクを握りしめ、声を腹の底から押し出すために体を大きく動かしながら歌う彼の姿。
それがどうしようもなくなにかに被って、忘れていた記憶が引き出された。
──まるで俺みたいだった。
いつかの俺みたいだった。中学の頃、文化祭で何故か歌っていた俺みたいだった。
いいや、違う。あれは踏ん切りをつけるためだったのだ。
偲ぶため。区切りをつけるため。忘れるため。
過去を過去として埋葬するため。
ああ、そうだ。あれは覚えがある。でも似て非なるものであることは理解している。
俺の自己満足の歌とは違って。
半丁善悪の歌は──たぶん、俺のために歌われているから。
汗だくになって、笑いながら歌う。一番とは全く違う、希望に満ち溢れた歌。
それを綺麗だと呼ぶのならば。
それを正しいことだと呼ぶのならば。
きっと間違っていたのは俺だ。自己中心的な、独りよがりの歌。それが俺の歌なんだから。
まるでお前が間違っていると突きつけられるような歌い口。けれど、それで救われる思いを感じている自分がいるのが答えだった。
そりゃあそうだ。そもそも過去の傷を掘り返すことばかりの人間なんだから。
それで自分を救った気になっている人間なんだから、自分の誤りを突きつけられたところで──いいや。むしろそうされるからこそ、俺は納得できる。自分が間違っていたと納得できるんだ。
「明けない夜を」
最後の一節。
「──ぶっ飛ばせェえええええええええええええええええええッッッ!!」
残った体力のすべてをつぎ込むような、絶叫。まるでスタジオ全体を震撼させるような、そんなシャウト。音が割れることこそなかったが、それでもその前との差は歴然。
伴奏が終わる。そうして顔を上げた彼の顔は、もう真っ赤だ。汗もすごい。ああ、わかる。俺もあのときはそうだった。
ステージに上がる。
配信の画面に俺が映ることはない。邪魔する気はなかったが、このあとのことを考えると誰かが向かっておいたほうがいい。
制止されることはなかったので、そのまま善悪に近づいていく。
「──おっと」
「はい」
「あ、ありがとうございます」
案の定倒れかけた善悪を支えてやる。
顔の汗を拭って、善悪は切らした息を整えながらマイクを口元へ。
「──ありがとうございました。半丁善悪で『白夜』でした」
それでも最後まで、そいつはやり切ったのだ。
「実はですね」
捌けたあと。
椅子に座って、ペットボトルの水を飲んで一息したあとに、善悪は話し出す。
「二番以降の歌詞を書いたの──5日前なんですよね」
「は?」
ってことはつまり──俺と、過去について話した日に書いたってことか。
そんなギリギリに書き上げて、よくもまぁ本番で歌う気になったものだ。
「才能マンめ」
俺の僻みが籠もった言葉に、善悪は「そうだといいんですけどね」と返した。
ペットボトルの雫が落ちる。善悪は、じっとそれを眺めながら、小さく言った。
「やっぱり俺は空っぽですよ。だからこそ、俺自身からなにかを作り出すことはできなかった」
そう言って、顔を上げる。
「天才っていうのはたくさんいる。それこそ俺じゃあ理解の及ばない天才はたくさんだ。ここでは、ソラさんやカイラさんがそれだ。
だから、もしもあの曲に才能なんてものを感じたとしたらそれは俺のものじゃない」
「はっ。お前のじゃなかったら何だって言うんだ」
「あなたと、なふだのですね」
到底素面で言っているとは思わなかった。だが正面をじっと見据える善悪の顔に妙なところはない。まるで心からそうだと信じているような。
それは幻想だ。俺の才能なんて、一切関係ない。
「白夜」善悪がつなげた。「あの夜をモチーフにしてるんです」
「ああ……そういうことか。でもそれだったらますます違うぜ。なふだの方を褒めてやれ」
「同じくらいあなたにも感謝してるんですよ、俺は」
こちらに向かって歩いてくる姿があった。
なふだだ。優しい笑みを貼り付けて、彼女は俺の隣に座る。
そのまま、無言で少しの間ができた。
今歌っているのはノブル。善悪からの流れを汲んで、ロック系の曲を歌っている。
「先輩」
「ん?」
「良かったですよ」
「……ありがとう」
「だから、私も頑張ります」
「おう、頑張れ頑張れ。俺らを釘付けにしてくれよ」
「──やってみせますよ」
そして、彼女は黙る。
「……で、なんでお前は俺に感謝してるんだ?」
「──俺は、あなたの才能を信じてますけどね」
「……………………」
返答にしては随分と妙だ。話が通じていない気もしてきた。
一体、俺のどこに才能があるっていうんだ。そんなのはとっくに錆びついている。
努力をやめた。俺にはそんなのできっこない。する気もない。
ここでやってやろうという気になれる人間こそが、結果を出せるのだろう。
俺は違った。そんなことはできなかった。そんな気は起こらなかった。
だから、俺にはないんだそんなもの。
ない。
ないんだ。
「幻想だよ」
「幻想じゃないですよ」
なふだがすぐに返した。
急に返してくるじゃん。目をそちらに向けると、彼女はなにより真剣な目でこちらを見ていた。
「幻想なわけがないです。ハジメさんはそうやって目を背けるばかりですね。魅力といえば魅力ですし、かわいいですけれど。
──一体なにを恐れてるんですか?」
「恐れてなんか」
「ありますよね」
「ない」
「いえ、あります。あなたは自分のこともよくわからないんでしょう? だったら、私のほうがあなたのことをわかっているってことが言えませんか?」
「言えないだろ」
「そうですか?」
自分の言葉に首を締められた気分だ。彼女の前では語った記憶がないが、きっと聞かれていたのか……あるいは教えてもらったのだろう。
「ハジメさん、今日元気ないですね」
──ああ。確かに。
なんでだろうか。
言われてみればそのとおりだ。今日はどうにも、そういう気分ではない。ぐちゃぐちゃになっている。どうしてだろうか。
情緒不安定か。全くもう、自分自身が嫌になる。
「そうだな」
思い当たる節はない。
一体どうして俺は、こうして沈んでいるのだろうか。
わからない。わからないんだ。わからないことばかりなんだ、いつだって。
「なふだ」
善悪が言った。
「準備しとけ。思いっきりやるには、大事だろ」
「……ああ。わかりました。それでは」
そう言って、去っていく彼女。
もうなにもわからない。
わかろうという気にもならない。
「ハジメさん」
「なに?」
「生理ですか?」
「一族絶やしてやろうか?」
「冗談ですよ、どうしたんですか?」
「わからん」
なにがわからないかも、わからない。そんな現状。
まったく、これで一体なにをどうしろっていうんだ。なにから手をつけようか。無理だ。なんにも手をつけられない。
「間違ってた」
「…………」
「間違ってたんだ。ずっと。ずっとそうだった。
ずーっと、間違い続けてこうなったんだなぁって」
上手に生きることができなかった。
そうだ。不器用だった。俺はずっと不器用で、いつまでも不器用のままだった。それが不利益を生んでもなお不器用だった。
才能が怖い。
それはいつだって、喪失を生むから。
だからこそ俺は他人よりもはるかに喪失を恐れていた。
天才だと持て囃されたこともある。けれど、その気持ちが理解できなかった。むしろこんなものは要らないとすら思っていた。
最初からそうだったわけではない。
ただ、恐れるようになったのは──確か。
妹が死んだときだ。
連理よりも二歳上。
つまり、生まれていたら高校三年になっていただろうそいつ。
たった一年も生きることができなかったそいつ。
名前は
鋼鉄でできたような、なんでもできる父親が初めて俺の前で泣いた日。
その日から、俺は喪うことが怖かった。きっとそれは俺だけではなかった。だからこそ、次に生まれてきてくれた子には法則を付けることはなかった。家族みんなが連理を大事にしようとして。
そして父親は死んだ。
だから止めた。才能を捨てた。持っていることすら怖くなった。
大馬鹿ものだ。自分が恵まれている自覚を持たない。だから、それを放棄する。愚かな所業。犬猫のほうがはるかに思慮深い。
未だに怖がっている。
そして、それこそが間違っていたのだと。
一度は折れたはずの彼らを見て、そう思ったのだ。
「正しいことがわからない」
「そうですか」
善悪は前を見ていた。
「なら、何一つ正しくなんてないんじゃないですか?」
ようやく顔を上げると──そこには、伴奏組を携えたなふだが立っている。
「ゼロから始めましょうよ。最初の一歩くらいは、踏み出せるんじゃないですか?」
俺が俺であるためには一体なにをすればいいだろうか。
いいや、そもそも俺とは一体なんだろうか。
自己の形。自分の形。
アイの形。愛の形。一体それは、どうやって探せばいいのだろうか。
ずっと考えていた。
そして心に繭を作っていた。
傷口にできたそれだ。出たくないという思いでいっぱいだった。出ることすら考えることはなかった。
だから、それを救うのは最終的には『誰か』になるのだろう。
薄情なことだが、俺は他人に対して微塵も興味がなかった。
これまで世話になってきた相手。助けてもらった相手。そんな相手でも、容易く切り捨てることができる人間だった。
究極的なまでの自分本位。周囲への興味が皆無。違うと言おうにも難しい。否定ができない。だから、それが真実なのだ。
それが俺にとっての繭とするならば。
半丁善悪。術楽なふだ。
二人は、傷口を抉って心の中にまで入ってきてしまっている。
だから。
俺のそれをぶっ壊せる人間がいるとしたら──それは二人にほかならないだろう。
そしてそれは善悪には無理だ。彼は優しすぎる。それは空っぽの彼の在り方。とりあえずで愛を齎していた彼は、きっと怒ることができない。
だから。
これは必然だったんだろう。
俺には自分がわからない。
俺にはアイがわからない。
きっと、愛も。なにもかもがわからない。
それは、ずっと目を背けてきたからだ。
見まいとしていたからだ。現実からも逃げて、その果てに今俺がある。
「──だから! 垣根も全部ぶっっ壊して!!」
知っていることと知らないことがある。
知っていることは、術楽なふだがマトモでない人間ということ。
知らないことは、彼女がどれだけの熱情を胸に秘めていたかということ。
「私はあなたの手を取ろう」
愛することが嫌いだ。
それは誰かを殺すから。
愛することが好きだ。
それは俺を殺すから。
愛することが大嫌いだ。
俺に意義がなくなるから。
愛することが大好きだ。
自分の意義を証明する必要がないからだ。
「薄く咲いた博愛の色を」
それは間違っている。
間違っているんだ。
気づくのが遅すぎた。
間違っていたと気づいたときには、もうそれがどこかにいくことはなかった。
だから。
俺はそれを殺すべきなんだ。
「握って歩んでく小さなミライへ」
こころの在り処を探している。
俺の中にはどこにもなかった。
ならどこにあるんだろう。
「ハジメのハジメの、第一歩っ!」
違った。
こころは既にあった。
あったんだ。ずっとそこに。
にっちもさっちも行かなくなって、右も左もわからなくなって、遮二無二取り組むこともなくなって、眉唾ものだとすべてを疑うようになって、両方の足がなくなって、進むためには置いていくしかなかったそれ。
違ったんだ。
捨ててしまったそれは、拾ってくれていた。
俺は。
だから、俺は。
遅すぎたのかもしれない。
けれど。
『ハピコ さんが画像をツイートしました』
愛することが大好きだ。
少なくとも、大好きだったのだ。
「はじめのはじめの第一歩、かなぁ?」
めちゃくちゃぼやかしてる曖昧すぎる最後なのでわからないっていう人はほんとごめんなさい……………………。
バッドマッドラヴサイエンティストがめちゃくちゃ刺さりました
今の時代ってほんとに才能が埋もれるものね
番外編をするとしたら
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