明けぬ夜の宿痾   作:moti-

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割り切り上手には程遠い

 

 

 

 巨大なドア。清潔感のある銀色だ。住んでいるところとは全く違う。広すぎて落ち着かないんじゃないだろうか。と思って連理を見てみるが、まぁいつも通るから慣れているのだろう。特段反応を示さない……というかこれからどうなるかに対して気を巡らせている。

 なるほど、これが価値観の違いか。

 カルチャーショックというやつだろう。ため息一つ。

 

「お邪魔しまーす」

 

「いきなりぃ!?」

 

 無造作に扉を開いた。

 

 そのまま、連理を前に押し出しつつ扉の中に体を滑り込ませる。

 

「た、ただいまー」

 

「おかえり」

 

 連理の言葉に反応した、高めの男性の声。彼はリビングから顔を出して、こちらの姿を認めると少し驚いたようにその目を見開いた。

 謎にエプロンドレスが似合ってるのはなんなんだろう。

 

「連理、お友達?」

 

「あ、うん……っていうか」

 

 と、弟が困ったようにこちらを見ている。どうすればいいのかわからないのだろう。おたおたと手をわずかにさまよわせる動作からテンパっているのはわかった。女子の姿だから特にあわあわしてるように見える。助け舟が必要だろう。

 俺は両手を組んで兄──レイトを見つめる。

 

「お前演劇のこと『女っぽい』とか馬鹿にしてたくせに女装してんのかよウケるな」

 

「わー! わーストップ! 落ち着いて姉ちゃん!」

 

「離せ! 離せよ! それ知ってるのあの馬鹿弟くらいだから!! 俺はあいつを殴らねぇといけないんだ!!」

 

「弟に『姉ちゃん』って呼ばせてるのそういう性癖……? 大丈夫……?」

 

「ちっが──う!!」

 

 鋭い蹴りが俺の顔面にヒット。そのまま後ろに衝撃で倒れ込む。

 あんまり痛くなかった。この体になってから痛みに対して鈍感になったのだろうか。筋肉痛にもならないし、どれだけ歩いても足が痛くならないし、走っても息が全然上がらないこの体。一体どうしてこんなことになっているのだろうか。

 わからない。

 全くもってわからない。真面目になったはずの兄が女装をしていることくらいには。

 

 

 

 

 

 ところかわってリビング。

 俺の部屋にはないふかふかのソファーに座りながら、出された珈琲を飲む。無駄に淹れるのが上手なのが少しイラッとするが、とりあえずそれはいいとして。

 

「久しぶりねぇ、ハジメちゃん。ちょっと女の子らしくなったかしら? ()()()になったのね。役作り?」

 

「もう演劇続けてないんじゃないの? あ、でも演劇やってなかったら金稼ぐのも難しいか。芸名とか?」

 

 母と兄が俺の体が変わってるのに気づかないのがもっと腹立つ。

 なんでだよ。前までの俺は別に女っぽくもなかっただろ。

 

 そりゃあ子供の頃は女役もやったことがあるし、それが十分以上に通用していたから女性的な雰囲気の作り方というのはできなくもない。

 でも普段の生活からそれをやっているやつがあるか。胸まで詰めてるってことになるんだぞ。

 昔はやってたけど。

 

「……まぁ、演劇みたいなものかな」

 

 とはいえ素直に体が女に変わったというのも言いづらかったので助かった。

 折角なのでYouTuberをするために女装しているという(てい)で話を進めよう。

 

 家出で別れたというのに、こんなにも朗らかに受け入れられるとは思っていなかった。それも最後なんか喧嘩別れに近かったのだ。

 それがどうしてこうも普通になってるんだ。

 

「YouTubeで動画投稿して、その広告収益で生活に不自由しないくらいは稼いでるよ」

 

「あー、YouTuberねぇ。連理もやってるわ。

 確かにハジメちゃんには合ってるわ。あなた、いろんなことができるんだもの」

 

「……かな」

 

 それは昔の話だ。今は違う。

 違うけれど、それは黙っておいた。

 別に言うべきことではないのだから。

 むしろ言わないほうがいいことかもしれない。未だに父親のことを引きずっているということは、ひょっとしたら周囲を落ち込ませるかもしれないから。

 

 とりあえず。

 

「動画で使おうと思ってギター取りにきたんだけど。あるかな?」

 

「地下に置いてるよ。弦はないから自分で買えよ?」

 

「了解。……なんの弦使ってたかなぁ」

 

 まぁ、適当に試すか。金はまだあるし。帰りに適当に覗いてみよう。

 ケースも置いてあったはずだ。とりあえずは、それを持っていく。

 

 あとは部屋に置いてあるもので、懐かしいものは少しだけ持っていこうと思う。

 

 家を飛び出したのは、金と少しの着替えとくらいしか持ってないときに出たから。

 たくさんのものが放置されているはずなのだ。

 

「……あ、これハジメじゃない?」

 

「あら、本当。登録者六万……多いのねぇ。連理は何人だったかしら?」

 

「僕は最近八万いったかなぁ。でもこれは企業への期待を込めての登録者だと思うから、比較しちゃ駄目だよ」

 

 俺の場合は企業にすり寄った結果だからなんとも言えない。それで考えれば、連理と条件はそう変わらないはずだ。

 はずなのだ。

 

「そっちは」今度は俺から聞く。「今は何やってんの?」

 

「俺は就職ー。CGとか触ってるよ」

 

「母さんは?」

 

「絵を売ってるわね」

 

「画家?」

 

「そう」

 

「そう……」

 

 いつのまにそんなこと始めたんだ。少なくとも俺が飛び出したときにはやってなかったはず……と思ったが、十二年だ。

 十二年も経てばそりゃあそうもなるか。

 

「いくらで売れたりすんの?」

 

「まちまち。時々高く売れたりするわよ」

 

 だいたいは五十万程度らしい。

 定期的に依頼がくるからそれで稼ぎも間に合うと。

 なんなら他のふたりも自分の食い扶持程度は稼いでいるからそんなに問題なく生活できているというわけだ。

 

 まるで俺とは違う。

 けれど、それでよかった。俺とは違ってちゃんと生活はできているようで。

 不自由がなく暮らせているようで、よかった。

 

 

 

 

 地下に向かう。

 昔からあったから疑問もなかったが、何故我が家には地下室があるのだろう。

 完全防音。音は外には漏れない。そしてそこそこ──レッスン室程度の広さはある。

 子供のときはよくここで演技の練習をしていた。

 懐かしい。

 

 中心に立って、軽く背を伸ばす。

 髪をぐしゃりと手で握っていって、あえてくせっ毛を作り出す。

 柔らかい髪質のおかげで簡単についてくれた。ぼさっとした髪型を作り出すと、小さく息をした。

 

「小さな頃から夢ばかり見ていた」

 

 昔やった劇だ。台本は父が描いた。何度も何度も読んで、ペンのインクでぐちゃぐちゃになった劇の台本。

 俺の初舞台の本。

 今でもわずかに記憶にある、その冒頭。

 

「現実は見えなかった。私には、目の前ことさえぼやけて見えてしまう。

 それに色も……」

 

 昔、親に聞いたことがある。

 

「『空はどんな色をしているの?』『青はどうして青いの?』『火は一体何色なの?』」

 

 私にはわからないのだ。その区別も。すべてがモノクロに消えている。

 だから全てを想像で補うしかなかった。自分の肌の色も、髪の色も、目の色すらわからない。

 

 だから私は、夢にすがったのだ。

 

「雲を泳ぐ。空を歩く! 夢の中には何だってあるの! 絵画の中に入ったり、絵本の世界に潜ったり! そこで私は世にも奇妙な冒険をするの! なんちゃって。

 今のワタシはどこにもいけない。目を開けてても、閉じてても変わらないのにどうして私は起きていないといけないの?」

 

 なんて。

 少し演じてみたりして。

 

「懐かしいなぁ」

 

 次は、置いてあったピアノに触れる。軽く指を走らせると、予想以上にちゃんと弾けた。

 あんまり腕は落ちてないらしい。安心だ。

 スマホのカメラを立てる。俺を側面から取っている形だ。

 スタンドがないから安定しないが、それでもなんとか立てて録画をスタート。

 

「──怖がることはもういーかい 惑わされてくなら 頭でっ価値 ずっとうんと砕いてもっと、

 ……乱してあげて」

 

 わりと記憶頼りに適当に弾いているところがあるから、すこし怖い。でも大体こんな感じだったはず、というのを弾いていく。

 ピアノは嫌いじゃない。鍵盤を叩けば音が出る。ギターもそうだ。弦を弾けば音が出る。体でもそうだ。なんだって、叩くなりなんなりしたら音が出るのだ。

 それは。

 それは、自分自身の音だ。

 そうして鳴り響く音が、俺は嫌いじゃなかった。だからこそここまで楽器に触れることになったのだろう。ただ、音を鳴らすのが楽しくて。

 

「脳みそ達止められない 操れない僕にっ、期待したいんだ」

 

 切り刻まれ、この皮膚に従うほど。

 

「無敵になれた」

 

 そこで区切る。

 撮った動画を見直せば、結構ピアノの音をミスっていることに気づいた。まぁそんなものだ。久しぶりだしそれでいいだろう。

 とりあえず、そこそこ満足したので動画をTwitterに投稿。スマホをポケットにしまい込んでからギターに触れる。

 

 軽く触ってみると、やはりチューニングが狂っているし弦は錆びている。これで下手に触って本体を傷つけるのは嫌だから、さっさとケースに入れることにした。

 そして部屋から出る。

 次に向かうのは自分の部屋。

 

 自分の部屋は、かつてのままで止まっていた。

 まるでここだけ時間が止まっているかのような気分だ。当然そんなことはないので気分だけだが。

 ともかく、必要なものを漁っていく。

 

 机の上の筆立てには、昔よく使っていた万年筆があった。

 父親からもらった、結構高めの木軸の万年筆。とっくにインクは乾いていて、詰まってしまっているだろう。掃除したら使えるだろうか?

 これはとりあえず持って帰ることにした。

 ついでに、使い込んでさわり心地が全然違うシャーペンも持っておく。

 

「……。これも持っていくかな」

 

 そう呟いて、棚にびっしりと並んだ台本たちを手に持った。

 そのどれもに書き込みがある。演じたことがあるのだから当然だ。

 特に懐かしいのは、父親作の一人で老若男女何役もやらされるやつ。嫌な方向で記憶に残っている。

 

 やらされたという点でも、そうなった理由という点でも。

 

 でも、それはそれで思い出だ。少なからずすべてが終わったあとの充足感と満足感。それに全能感は嫌いじゃない。

 

 だから、使い古した台本を袋にしまった。

 スマホを覗けばさっき投稿した動画に対しての反応の通知が。

 フォローしているアカウントからの通知をオンにしているので、埋もれてしまうということはない。

 ロックを解除して反応を確認する。

 

 

『半丁善悪@バーチャル二重人格

 ピアノも弾けるって天才ですか?』

 

『術楽なふだ

 もっとうたってください』

 

 

 返信は……しなくていいか。あとでいいや。

 スマホをポケットにしまいこんで、とりあえず見なかったことにする。

 帰ったらギター弾こうかな、とか思いつつ。

 

「よーっす」

 

 と、そうしていると兄が扉を開いて部屋に入ってくる。

 格好は……エプロンドレスから、ワンピースになっている。

 

「三十歳男のワンピースってキツくないか?」

 

「似合ってるだろ?」

 

「そうだけどさ」

 

 たしかに、驚くくらい似合っている。声はそうでもないのに女性っぽく見えるのは、動作まで徹底しているからか。それとも、顔つきを丁寧に女性に近づけているからか。

 わからないけれど、似合っていることはたしかだ。

 

「YouTube始めたの、結構最近なんだって?」

 

「おう」

 

「それまでどうしてたんだ?」

 

「適当に……就職してたよ。現場系の」

 

「あーね」

 

 レイトはそう言って、先程詰めた台本の山を見た。

 

「なんで劇団員にならなかったんだ?」

 

「別に」俺は答える。だが続きが出てこない。別に……なんだ?「最初からなりたかったわけじゃないし」

 

 やっとの思いで吐いた言葉がそれだった。しかし、それに対してレイトは目を細めてから、俺のベッドの上に座りつつ足を組んで。

 

「嘘だな」

 

「嘘じゃねぇよ」

 

「わかりやすいよな。そりゃああんなことあったら、嫌気が差すのも無理ないけど」

 

「逆に聞くけど」

 

「なに?」

 

「割り切れたの?」

 

「んなわけねぇだろうが。キレるぞ」

 

「だよな。割り切れるわけねぇよな」

 

 俺だけじゃない。

 そうだ。俺だけじゃない。過去に囚われているのは。そりゃあ当然だ。

 

「でも」

 

「なに」

 

「お前と違ってそこそこ吹っ切れてはいるよ」

 

「……どうして?」

 

「さぁな。てめーの頭で考えろ。答えは一つじゃないかもな。でも一つ言えるのは、周囲を見てるかどうかってことじゃねぇの?」

 

 そう言って。

 それだけ言い残して兄は部屋から出ようとして。

 

「そうだ」と、忘れていたかのように。「帰るとき、父さんに挨拶してけよ」

 

「……りょうかぁい」

 

 言いつつ、かき集めた荷物を担ぐ。

 

 父さんの仏壇の前で少しだけ祈っていった。

 それでいいだろう。

 今はそれしかできなかった。

 前はそれすらできなかった。

 

 それを進歩と呼んでもいいのだろうか。

 何一つ変わってなんかないような気持ちに晒されながら、俺は逃げるように家を飛び出した。

 

 

 

 帰り道にギターの弦を買った。

 部屋で張り替えて、軽く弾く。前の弦とは違ったが、これもこれで嫌いじゃない弾き心地と音だ。

 

 音楽系VTuberの曲を、少し弾かせてもらう。

 

「雨の匂いにはもうそろうんざりだ 毎年毎年しつこい奴らだなぁ」

 

 歌詞を歌いだしてみれば、少しだけ気分が晴れた気がする。

 だから人は音楽を求めるのだろう。

 そういうものだ。

 そしてそれは、そういうものでしかなかった。






 曲はずっと真夜中でいいのにさんの低血ボルトとぼっちぼろまるさんのハナサカステップです。

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