明けぬ夜の宿痾   作:moti-

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いつか白亜の

 走っているときに思うのは、全てとりとめのないこと。

 全力疾走で、どれくらい走っただろう。自宅の周辺に向かう──とはいえ、相当遠い。なんで車で向かわなかった。馬鹿じゃないのか。

 肺がもうぐちゃぐちゃになったような思いだ。痛い。足を止めてしまいたい。足は痛くなりはしないが、それでも体力となれば別だった。

 こんな辛いことに対して向き合っているアスリートたちはすごいと思う。俺にはなれそうにもない。

 

 だからと言って足を止めたりはしない。全力疾走。目が眩むくらい走っている。喉が風で冷やされて冷たい。水分は口から消え去って、喉の奥に溜まる唾が呼吸を妨げる。気道が塞がれている感覚。飲み込もうにも難しい。喉を動かすことですら大変になりそうなのだ。

 

 ああ、疲れた。止まってしまおうか。だが。それでも俺は進むのだろう。

 そこに理由があるのかと言われればある。あるが、それは言葉にしてはいけない感情なのだろう。

 

 夢を見ていた。

 殺人者を殺す夢だ。俺がなるべく惨たらしく殺して、そしてまた誰かに殺される。そういう当然の連鎖。打ち止めにすることは俺にはできないだろう。だから連鎖は続く。いつまでも続く。続かせる。

 大丈夫。十年。その程度だ。

 ぼーっとしていたら勝手に過ぎてしまった程度の期間しかないんだから。

 

 走っている。俺はたしかに走っていた。

 どうして走っているのか。それに意味があるのか。理由はあっても、意味はない。何事にも意味を求めるほうが間違っている。

 なにかに意味があることは当然ではない。なにかに意味を見出すことは簡単だが、それはあくまでも後付された意味でしかない。

 では。

 俺の生きる意味とは。

 

 ない。そんなものはない。

 だから惜しくもない。ここらで一つ捨ててしまおう。それが一番だ。

 間違ってもなく、疑いようもないそれ。俺は俺の意思で自分を殺せる。必要とあれば殺せる。

 俺がこれまで自分を殺さなかったのは、まだ生きる理由があったからだ。

 そして今日それも消え去ってしまう。

 

 

 父親は死んだ。

 一体なんのために死んだ? そこに意味があったのか? 後付するなら簡単だ。だがそれは他者から勝手にもたらされた死だ。そこに意味を付け加えるのは殺した当人。そんなの許せない。そうだろう?

 妹は死んだ。それはあくまでもただの不幸だった。

 その生命に意味があったとするのなら。その死に意味があったとするのなら。

 なんて勝手に意味を付けてはいけない。それは何より、本人を否定している。

 普通に生きていれば死ぬことはない。それが当たり前だ。

 

 そんな当たり前を行うことのできない人間がいること。

 だから、全てのことに意味を求めてはいけないのだ。

 彼らの命が失われることが当然だったみたいじゃないか。

 そうじゃないだろう。うっかり。偶然。

 そういう、救いようのない現実──それこそが、何よりも救いになる。

 人生っていうのはそんなものだから、生きていても大変だ。

 

 

『なんとなくを理由にする以上──なんとなくで返されても、なにも言えないんだよ』

 

 

 なんだ。幻聴か。まるで俺みたいな声だ。

 ああ、幻聴。それでいい。今馬鹿みたいに走って、それで死にかけてるのだ。たぶん。全くもって馬鹿らしい。そしてその幻聴は幻聴で随分と悪趣味だ。

 

 理由と意味は分けろ。それは絶対に違うから。違うものであるはずだから。

 

『違わないよ。どっちも同じ。同じくらいに救いのない』

 

「救いがないからいいんだろうが」

 

『そう? 私はそうは思わないよ』

 

 にゅっ。そんな効果音が似合いそうなくらいにするりと、俺の心臓らしき部分から今の俺の顔が現れた。

 理解が追いつかない。幻覚。ああ、これは幻覚か。はて。それにしてはやけに現実味を帯びているが。そして今、目の前の視界は走り続けているとき特有の何にも意識の行かない状態じゃなくてちゃんと目の前が見えている。

 

「は?」

 

 走りながら目を擦る。それでも目の前の頭がなくなることはなかった。ああくそ、息苦しい。吐く息は既に荒く、もう二度ともとに戻ることはないだろう。

 

『ようやく私を見てくれたね』

 

 そして気づけば幻覚は俺と並走していた。いや違う。違和感。足がないのだ。足がないから、まるで宙を滑るかのように動いていた。

 その顔はこちらに向けられている。ああ、わかった。こいつの目元には険がない。まるで俺が入る前のこの体のようでもある。

 

「ふぅ」

 

『どうしたの? ひょっとして聞こえてない? いや、でもさっき答えてくれたし。無視はよくないんだよ?』

 

 と何事か、俺には似つかぬ口調で話す幻覚。喋り方も少し違う。意識して矯正している響きのある滑舌と発声。俺は幼少期から演劇をしていた影響で特に意識することなく素で滑舌がいいから、ここまで意識的な硬さのある発声はしない。

 

『そういえば、女の子になったからといって普通にしれっと体を洗っちゃえるのはおかしくない? 普通健全な男の子なら興奮とかするよね? 私の体って多少はあれな見た目してるし』

 

 この体に対して思うことなんて普通の女子よりも髪が洗いやすいことくらいしかねぇよ。

 

 というか。これが幻覚となれば。俺はこういう言葉を心の片隅ででも思っていたということだろうか。

 それはなんというか。

 

 しかしながら。この全力疾走という体力の崖っぷち。その最中でこうして出会ったこの幻覚。

 自分が死に近づいているからか。それとも無意識の苦痛の軽減に人の姿を求めているのか。

 そうだとしたら自己愛の塊のようだ。

 

 信じない。

 もしもこいつがどういう理由でこうなったかわからないが、本当にこの体の持ち主だったとして。

 俺のこれまでを知っているとして。

 こうなった理由までわかっているとして。

 

 いいや幻覚だったとしても。俺の忘れたことを知っているような素振りがある。そういう雰囲気がある、から。

 

 怖い。ただ怖い。

 すべてが暴かれるのを今、俺は怖がっていた。

 

 だからこそ信じない。こいつは俺の幻覚だ。それでしかないものだ。そうして定義することで、恐ろしいものは恐ろしくなくなる。

 未知は常に、理解が及ばないから怖いんだ。

 

『むー。私は幻覚なんかじゃないよ。君の幻覚だったら善悪くんと話すこともできないじゃん』

 

 しかし、こいつが幻覚とするならば。どうやら一つ確証を得てしまった。

 

『他の人に見えてた時点で幻覚扱いはおかしくない? それに私には私って言う自我がある。そうだね。あれだよ、昔君が演じていた劇の女の子みたいな。どっちかと言えば村八分にされている人と交流してる子、みたいな?』

 

 俺はとうとう狂ってしまったらしい。

 あるいは、とっくのとうにそうなっていた。

 

 

 

 

 走ったせいで着ている服はびしょびしょだ。こんな時期だというのに汗がすごい。だが頑張った甲斐は有ってどうにか実家までたどり着くことができた。

 兄はここからあまり離れていないはずだ。疲れた体に鞭を打ってまた走り出す。

 

 ケータイの通知音。

 汗で画面がべっとりなそれを、袖で拭って確認。

 どうやらなふだからのグループへの招待のようで、そのまま入ることにする。

 入れば、通話が繋がっていた。夜も始まる頃。連理以外のまだ若い組を除いて、ほとんどみんなが通話している。

 

 そのグループ通話に入って、息を整えながら一言。

 

「もしもし」

 

『あ、ハピコさん! 善悪さん見つけました!?』

 

「まだ」

 

『そうですよね……まったくもう、どこに言ったのやら!』

 

「落ち着けよ」息もそろそろ落ち着いてきた。「理由があってのことだろ」

 

『にしたって、「ごめん」しか残さないのはおかしいでしょう!? 謝るくらいなら最初からするなって話ですよ!』

 

「落ち着けって」

 

『……すみません』

 

「今はどこにいる? グループで分かれてるか?」

 

『分かれてるぞ』

 

 と、今度は座津田からくりの声。

 

『ベルちゃんとスマホの位置情報追跡しようとしたらあいつ持ってねぇでやんの。はっはー、これで虱潰しに探すしかなくなったわけだ』

 

『そもそも探すほどのことなのかっていう気分はあるぞ!』

 

 おそらくは、ノーブル・ベルゾナーだろうか? 『じぐざぐ』の技術者コンビはどうやらリアルでも仲良しらしく、共に探しているようだ。

 そして彼女の疑問には、おそらくその様子を見たらしいなふだが答えた。

 

『探さないと駄目です──じゃないと、たぶん、取り返しのつかないことになる』

 

『なふだちゃん』

 

 この声は……高山ソラのそれだ。彼女も探しているのだろうか。

 

『どんな色だったの?』

 

 数秒の沈黙。

 

『人殺しの色』

 

 なるほど、最悪だ。

 どうしてそんなことになっているのかまったくわからないが。

 いいや、それは嘘だ。一つわかる。

 今日の俺は遠出だ。すぐには帰ってこれない。だからこそ。

 

 通話をミュートにする。そしてまた走り出す。

 走りながら、幻覚に声をかけた。

 

「お前、善悪と話したって言ってたな」

 

『うん。あ、ようやく無視をやめてくれたね?』

 

「質問だ。あいつに、あの男──父さんを殺したやつが出所したこと、話したか?」

 

『うん。すごく動転してた』

 

「覚悟しとけ」俺は言った。「あいつがもしも、取り返しのつかないことをやらかしたら──俺はお前を許さない」

 

 どの視点でものを言っているのか。

 それは果たして、本当に善悪のための言葉だったのだろうか。

 自分がただ復讐したいから。そんな、どす黒く肯定することができないような思いから現れた言葉では──なかっただろうか?

 

 走っている。アテはない。

 それでも、まるで何かに導かれるように。

 俺は走る。

 

『──どの口が』

 

 小さな怨嗟。

 まるで呪いが集まるように。漫画やアニメである、闇落ちのシーンのように。

 幻覚は真っ黒に染まった。それが俺の今の心の色だとするのなら滑稽だ。

 それじゃあまるで、俺が許されてはいけないと思っているような。

 まるで俺自身が俺を否定し続けているみたいじゃないか。

 

『言ってるの?』

 

 次の言葉は、心底疑問と言った様子の声。

 先程までとはまるで違う。

 静かな怒り。まるで刺すような怒り。

 

 それは、まるで青玻璃カイラの怒りと似ていた。

 

『あなたのせいで善悪くんはもうとっくに取り返しのつかないことになってるのに』

 

 無視した。

 聞きたくなかったから。

 それでもこの幻覚は消えてくれない。

 俺の隠したてた欺瞞を暴くように。

 そして、愚かしい俺を糾弾するように。

 

『あなたは善悪くんを許した。悪いのは人を殺すやつだって、そう言い切った。

 でもね。それだと、彼にはなんの救いにもならなかったんだよ?』

 

「知るか」

 

 聞きたくない。それ以上なにも言うな。幻覚に手を振って振り払おうとしたって、立体映像のようにただすり抜けるだけ。どうしても振り払いたくて、更に足を早めた。ただでさえ限界の肺が更に悲鳴をあげる。揺れに腹の奥がきゅっと収縮して、吐き気がせり上げてきた。どうにか抑えながら走る。

 それでも幻覚はついてきた。

 どうしようもないほどに、俺を責め立てていた。

 

『人の手は二つ。全師さんならきっと、人ふたりくらいは簡単に持ち上げれたんだと思う』

 

 つまり、自分がいなければよかったと。そういうことだろう?

 馬鹿じゃねぇの。

 俺はそんなつもりで言ったんじゃない。

 

『だから、善悪くんはね。ずっと殺すつもり。それが贖罪になると思ってた』

 

「んなわけねぇだろ!!」

 

 俺はそんなつもりで言ったわけじゃない。

 ただ、自分を責めてほしくなかっただけだ。

 それなのに、どうして。

 どうしてそんなことになる?

 

「クソ、クソが、くっそぉッッッ!!」

 

 もう、息が苦しい。足もちょっと痛くなってきた。それだけで済んでいるのが奇跡だ。きっと大馬鹿者なのだろう。車を使えばもっと早いはずなのに。

 けれど、これが間違っているとは思わないし。後悔もする気はない。

 

「──何度も何度も、間違えてばっかだけど!」

 

 ほとんど、意識は飛びかけだった。

 その状況で吠えるだなんて、なんて馬鹿なんだろう。けれどおかげで気合は入った。

 まだまだ。これから。

 加速する。

 

 

 別に俺は、自分の吐いた棘のある言葉が誰かに刺さることには、開き直ることだってできる。

 むしろそればかりだ。

 俺のせいにするなと──そうやって切り捨ててしまえる。

 でも、そうじゃない。ただの善意で言った言葉が他人に刺さったとするのなら。

 

 そんなつもりじゃなかった。

 そう、手遅れになってから言うのか?

 それしかできないのか? 俺は。もっと何か、他にできることはないのだろうか。

 

 じゃあ、こうする。

 手遅れにしない。

 

 ──俺は運がいい。

 気づけば、例の道路のすぐ側の裏路地までたどり着いていて。

 そしてそこに探し人が集まっていたのだから。

 

「そこだけは間違えさねぇよ」

 

 善悪に首を締められ、意識も朦朧になっているだろう例の男。

 その姿を認めると、俺はその腕を掴んで振りほどく。

 

 トップスピードでやってきた俺に驚いたのか、振りほどくのは簡単だった。

 地面に倒れた男は既に意識を失っているように見える。しかしまだ死んではいないようだった。

 

「……なんでなんだ」弱々しい声。それが半丁善悪という男の声だと、すぐには結びつけることができず。「どうして邪魔をする」

 

「それだけはやらせねぇよ」

 

「生かしておくだけ無駄だ」

 

「また警察に突き出せばいい」

 

「それでまた手遅れになったら?」

 

「ならないさ。俺がさせない」

 

「無理だろ」

 

 敬語を使わない善悪は、新鮮だった。

 俺に対してここまで敵意をむき出しにするのも、また。

 いいや、初めてだろう。

 つまり、俺は今初めて本当の『半丁善悪』を見た。

 

「出来てねぇだろうが! 俺がいなきゃとっくに手遅れだった!」

 

 と、言って指したのは顔を血で染めて意識を失った兄の姿。

 想像もしてなかった事態に、一瞬動揺する。

 

「やれもしねぇことを、適当に言ってんじゃねぇぞ!」

 

「……それが素か? 結構激情型なのね」

 

「──ッッッ! ふざけるな!」

 

「ふざけてねぇって」指を突き出した。そしてそれを善悪の前に突きつける。「至って本気だ。だからこれ以上、父さんの件で殺すとか殺されるとかやめにしよう」

 

 なんて、俺が言えたことじゃないが。

 

「それでもお前がこいつ──宮地(みやじ)鳶市(とびいち)を殺すっていうのなら、それより前に俺がこいつを殺す」

 

「どうして!?」

 

「俺には正当な理由がある。復讐っていうな。お前はどうだ? そうじゃないだろ。ただ、巻き込まれただけだ。ただの殺人事件になっちまう」

 

「…………ッ、わかってくれよ! 俺は……俺がやらないと! そうして、完全に罪を清算しないと、本気であなたと話すこともできない!!」

 

 その言葉で、もう限界だった。

 自分のことを棚にあげて、俺の口が勝手に隠していた本音を紡ぎ始める。

 

「罪を清算するだぁ!? 馬鹿なこと言ってんじゃねぇ! そもそもお前に一切罪なんざねぇんだよ! 勝手に要らねぇこと抱え込んで、それで勝手に手を汚して、それが清算になると思うか!? なるわけねぇだろうが!」

 

 さらに。

 

「わかってくれだ!? なにを!? 言葉にしなきゃ伝わらねぇんだよ! ちゃんと思ってることがあるなら言えよ!!」

 

「それを──」善悪は、俺に掴みかかって。「それをお前が言うのか!? そっくりそのまま返す! 思ってることがあるなら言えよ! あの時飲み込んだ言葉はなんだ!? 俺に同情したか!? だから気休めでも口にしたか!? 誰がそんなことを頼んだってんだ!」

 

 襟を掴まれ、善悪の目線の高さまで持ち上げられる。

 首が締まって息が口の隙間から溢れた。

 

「言葉にしなきゃ伝わらない! ああそうだねそのとおりだ! そんなふうに最初からちゃんと出来たのなら嬉しくて吐き気がするな!」

 

「ああッ、もうッ、ごちゃごちゃ鬱陶しいな!!」

 

 掴まれた状態で暴れると、善悪を蹴り倒すことになった。

 後ろに倒れた善悪に馬乗りになると、今度は俺のほうから掴みかかる。

 

「言いたいことがあるなら言ってみろ! 俺のほうからも言ってやる!

 これまで溜めてたもん全部吐き出してみやがれ!!」

 

「なんで俺がお前の言うことに従わなきゃいけねぇんだ馬鹿じゃねぇのか!」

 

 振り落とされる。

 

 立ち上がった善悪が髪についた砂利を払いながら、何かを我慢しようとして、それが出来なかった様子で。

 

「……ああ、ああ、わかったよ! この際だ! 全部全部言ってやるよ!!」

 

 汗。

 汗だ。

 走って、叫んで、もう汗だくだ。

 そしてそれは、善悪も同じだった。

 

 まるで絶叫。善悪が吐き出した言葉は、さながら罪の告白だった。

 

「──最初から、全部わかってて近づいたんだ」







 投稿した直後に死人が生き返ってたりしたとんでもない誤字が発覚しましたすみません
 いつも誤字報告してくださる方本当にありがとうございます

番外編をするとしたら

  • 過去編
  • 公式ライブ
  • なふだちゃんお家騒動
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