二日目。
のんべんだらりとしているとあっという間に時間は過ぎていく。すべての時間は有限だ。だからこそ、やらない理由を探すのではなくとにかくやれる理由を探すべきなのである。
そして今この状況下で、やる理由なんてものがあるとしたら明白だ。それ以外にあるわけがない。誰もがわかってしまうようなそれ。それ以外にないのだが、俺は少しばかり言い訳をすることにした。
「心に体が追いつかなくて……」
『どうあがいても寝坊』
『ニキに電話通じなかったってリークされてるんだよなぁ』
『なふだちゃんが寝てたって言ってたぞ』
「あいつら外堀埋めるの上手だよね。キレそう」
つまりはそういうことである。
いやだが待て。今の俺はたしかに寝起きだろう。だが脳みそが煮詰まっていない状態であるとも言える。もそもそと体を動かしてペンタブに手を伸ばしつつ。
つまり今の俺は絵を描くことにたいしてこれ以上ないほど最適化されている存在ということではないだろうか。
構図がとにかく頭に浮かぶ。それを描き出すためにまずは話すこともなくざくざくと形を取っていく。
今回はパーツを丸で捉えるようにした。それを積み重ねて体の形をつくっていく。そして体の正面部に対して目印としてアタリを取る。これに合わせて描いていくのだ。
意外とわかりやすいのではないだろうか。
「……よし、できたな。昨日の反省を活かしてちょっとこの次のラフから色塗りの方法考えておこうか」
『線画の考え方をもっとラフにしてみてもいいんじゃないかなとは思うよ』
『色塗りの勉強とかしてきた?』
「昨日してきましたよーだ」
まぁだからといって完全にものになったかと言えば嘘になるが。
今回は髪型と服装が比較的簡単な
参考資料も多いし。
つまりあんまり足を長くしすぎると破綻するわけであるが、まぁそこらへんはどうにかなるだろうと思っている。
それが自信過剰になることはないだろう。なぜなら俺は昨日学んだからだ。線画と色塗り。ここ以外はあんまりミスもなかったのだ。なので問題はない。
ないのだ。
さくっと自撮りしてから参考資料に国王を用意。
最近の美麗なイラストのように髪型がとても細くなくてよい。こう、なんというか心が温まる絵なのだ。
はむすた絵すき。
「えっ、このラフかわいすぎない? ねっ?」
『わかる』
『かわいい』
『問題はこれが線画で通用するかだな』
『半丁善悪:かわいい』
「だろー? よっし、線画がんばるぞ」
一旦リセットするために飲み物を飲む。
用意したのは炭酸飲料。
コーヒーは嫌いじゃないが、カフェインでの目覚ましはちょっと注意が散漫になるような気がするのであんまり行わない。
刺激の強い強炭酸のほうがいいのだ。
でも女になってから昔より刺激耐性がなくなったのでちょっと涙が滲む。そこだけはマイナスかもしれない。
「ふぅ」
『炭酸音たすかる』
『これは……良いマイクじゃな?』
『歌枠はよ』
「俺がガチで歌ったら周囲に迷惑だぞ」
普段はそうでもないが、歌う時の声量だけはかなり大きめなのだ。意識で声のボリュームが変わるタイプ。
例えば歌を歌う時は滑舌がいい人とか、そういうアレである。
のんびりと線画を進め、とりあえず形が完成した。
拡大してみると粗が目立つが、今のところ非常にいい感じである。
「次は色塗りだな。みてろよ」
今回は偉いので全く新しい塗り方を探求してきた。
まずはグレーで色を塗る。
陰影をつけた後に、その上からオーバーレイで色を付け加えていくのだ。
グリザイユ画法というらしい。元は油絵の下描きなどに使われていた技法だという。デジタルでもこれでかなりうまくいくので、ということでやってみた。
「──あれ、これ結構いいんじゃね?」
少なくとも昨日までとは雲泥の差だ。上を見上げるとまだ遠いが、それでも始めて二日にしてはかなり会心の出来。
『いいと思う』
『かわいい』
『かわいくて……川になっちゃったわ……』
『いいですねッッッ!!!』
『よきよき』
『半丁善悪:寝かしてみましょ』
寝かす。
絵を数日置いて描きあげた充足感を一旦リセットし、フラットな視点で見るということ。
たしかにそのとおりだと思うので、とりあえず保存。
次のイラストに取り掛かる。
「あんまりよくなかったです」
三日目。
たった一日でこんなにも違って見えるのか。少なくとも昨日はすごく良かったと思ったのに。
いろいろなところが目につく。違和感の塊のように思える。
駄目だ。なんなら最初のラフからミスっていたような気もする。等身バランスも狂っているように見えるし、塗り残しも大量にあった。
そして線画の妥協が目に余る。
というか、線画の線が今度はちょっと太いかもしれない。
『昨日はめっちゃよく見えたのになぁ』
『俺たちもずっと一緒に見てたからじゃないかなぁ』
『半丁善悪:ストロークというか線を引くのに迷いがないから逆にこうなった感ある』
なるほど。
たしかに、動画などで見ているよりも俺が線を引く速度は速い。そこの意識の違いがモロに出てきてしまったということだろう。
「むぐぐぐぐ……とりあえず、数こなして慣れるか?」
『半丁善悪:絵柄の模倣して描いてみたらどうでしょうか』
『この話し方は善モード』
『頑張ってる人には優しいニキすき』
『ウルトラマンみたいなやつだなお前』
絵柄の模倣。
たしかに、やっていない。
既存の参照と編纂、再解釈。学問だってそうして完成していく。となれば、イラストもそうだろう。既存の編纂。反映。一から何かを生み出すよりは、一から二を作り出すほうがはるかに楽である。
楽だからといって、余裕とは違う。
人間にはキャパシティがある。訓練次第で増えるものだとしていい。
俺はろくな訓練が出来ていない状態なのだ。そんな状態で、無を有にすることに挑むなどできるものもできなくなるだろう。
「いいな、それ。なら俺はナノン女史を描く」
『メルストぉ……』
『ノンちゃん先生は立ち絵が結構簡単だから実際あり』
『サムズアップすきです』
メルスト絵かなり好きなんだよなぁ。
早速ペンを走らせながら、Twitterでメルストの公式が作成しているモーメントを開く。
その中から、設定資料を発掘。
線をゆっくりと引き始めた。
イラストの模倣というのは意外と難しいものだ。
「あー、なんか絶妙にコレジャナイ感なんだよなぁ……」
描かれた絵は、線画ががたっとしているのは置いておいても元絵とははっきり違う。
輪郭や目の描き方は問題ない。顔は比較的まだできているのだ。
問題は、体の描き方。元絵と違ってかなり太く見える。
そして色。色遣いがまったくわからない問題に直面した。
これは間違いなく課題だろう。
明日もまたやろう。今度はしっかり色塗りのやり方まで気を張って。
そうやって続けていると、ちょっとずつ体のパーツの配置を覚えていく。
『ここはこうなっているのか』という気づきがちょっとずつ見る目を育っていき、どうやったら描けるのかもわかってくるのだ。
これはあくまでも模倣の領域であるし、それでも未だに完璧に描けているとは言えない。
とはいえ、最初から見たらかなりの進歩であることは間違いないのだ。
満足である。
最近は慣れたことしかやってなかったから、こうしていざ慣れてないことに対して挑戦するのは新鮮な気分だった。
動画投稿はこの体になってからが初めてだが、趣味の領域で動画編集はちまちま触っていたし。
これまでの趣味は、昔少し習った覚えのあるものをやってきただけ。
ただ惰性で。
思い出に浸るように、やってきただけ。
だから、この企画はかなり楽しかった。
今日は十四日目。
お絵かき企画の最終日である。まだまだ上は遠いが、それでもなんとか見せられるレベルにはなったと思う。
あとはこれの編集をして。
同時になふだのイラストを描き始めるだけ。
「なふだ」
「なんですか」
「あつい」
「いいじゃないですか。ちょっと人肌恋しい季節なんですから」
「そうか? 俺はそんなに……」
「外出ませんしね。でも認めてくれてもいいじゃないですか、私がしたいんです」
「…………」
まぁいいか。こちらに体重を預けてくるなふだを受け止める。背中がまがるような気分がする。でもそれでいい。それがいい。
体を重ねていると、今を生きているという気分がする。
体温が俺の心をつなぎとめている。
それが危うくか細い糸のようなものだとわかっていても、今だけはそれにすがりたくなった。
なふだもそうなのだろう。なんだ、案外似ているじゃないか。
彼女が弱さを見せるところを、これまでの短いながらも濃い時間の中で初めて見た。いっそ心すら寄りすがるように、彼女の体温が俺に溶けていく。
「ハジメさん」
「なんだ?」
「あなたは、時々泣きたくなることはありますか?」
「あるよ」
泣きたくなることはある。
そりゃあそうだ。誰だってそう。
男だったときは、しんどくても泣くまいと思っていた。意地だけが俺の中に残されていたから。その意地だけでこんなところまで来てしまったから。でも、今となってはどうなのだろう。
わからない。
しんどいときに、今の俺は泣けるのだろうか。
「生きていることがつらいときはありますか?」
「いつもだ」
「ええ。知ってます。そういう色をしてますから」
色。色か。
それは一体、どういったものなのだろうか。ひょっとすると人の色を見れるのかもしれない。
共感覚といったか。そういったものがあることは知っている。少ないながらもある。文字に色がついて見える。音の色がわかる。そういったもののように、俺の心の色まで見てしまうのだろう。
「今は」彼女は言う。「ちょっと、わかる気もします」
「何があった?」
「嫌いな人に会っちゃっただけですよ。心構えができてなかったからクリーンヒット」
「それはつらいな。俺にも嫌いなやつはいる」
「どんな人ですか?」
「完璧超人だった。とっくに死んだよ」
「好きだったんですね」
黙る。
違う。俺は嫌いだった。嫌いじゃないわけがないのだ。そうだ。嫌っていなければ、今こうはなってないだろう。素直に俺もあの人のあとを継ごうとしたはずだ。
でもそうじゃない。そうなることはなかった。
全てはもしものことでしかない。
あの人はなんだって出来た。完璧だった。
完璧すぎたから、きっと死なないことだって出来たのに。
遺言を覚えている。
俺は覚えている。だからそうはなるまいと思っていた。
「嫌いだ。めんどくさい遺言を残しやがって」
「…………」
「大嫌いだよ。何が『独りで生きるな』だとさ。バカバカしい。そうやってなにもかもを許していったから殺されたんだろうが、バカみたい」
「似てますね」
「そりゃあ似てるだろ」
なんせ父親だ。
ああ、思い出してしまった。せっかく封じ込めた記憶の裏側。人の心を勝手に引っ掻き回すだけして死んだ野郎なんて、覚えていてもいいことはないのに。
父親が死んだ後、家はバラバラになった。
いや、違う。そうじゃない。俺だ。俺がぐちゃぐちゃにした。
だから消えた。
あそこにいるべきではないから消えた。
それが間違っているというのなら、だったらどうすればよかったんだ。
糾弾する権利は誰にもある。それで根本的解決になるのなら、どれだけよかったことか。
捻れた心は戻らない。
妹がいなくなったときだって。
あの人がいたから立ち直れたのに。
きっと俺の足は、そのときに片方ちぎれてしまったのだ。それを支えていたあの人がいなくなって、残った足すらなくしてしまった。
それを停滞と呼ぶのなら。
それを過ちというのなら。
なら俺は、どうやって歩けばいい? 這っていけばいいのか? その先にあるのがどうしようもない死だというのに?
「ハジメさん」
「何だ?」
「シンキングタイムです。頭を回してくださいね。
人という文字はお互いが支え合ってできていますか?」
「できていない」
即答できる。
「そんな綺麗なものじゃない。支えてなんかいない。勝手に寄りかかり合っているだけだ。それが奇跡的に噛み合ってるだけでしかないんだ」
「それでも、支えにはなっていますよ」
「何が言いたい」
「今はただ、こうして寄りかからせてください。ハジメさんも寄りかかって大丈夫ですから」
「倒れるぞ」
「なら空が見えますね」
「室内だ」
「上は向けますし、手はつなげます」
「立っててもできる」
「でも下を向いてばかりじゃないですか」
言葉に詰まった。
言い返す言葉が出てこなかった。
まるで言い訳ばかりしている自分に刺さっているようで。
動かない理由ばかり探している自分を、糾弾されているようで。
ああ、わかっている。
わかっているんだ。
本当はもう進める。
足がなくても、背負ってくれる人は二人いるんだ。
いや、違う。もっといる。いた。最初からいたんだ。俺が目を背けただけで。
前に進みたいと言えば、きっと連れて行ってくれた人たちが。
「だから、一緒に寄りかかってみて。転んだら一緒に上を向きましょうよ。
……なんて。私に依存心がないといえば嘘になりますけど」
「やめてくれよ」少し、体重を預けた。「惨めすぎる。惨めすぎるんだよ、そんなの……」
少しだけ上を向く。光が眩しい。でも、そこにたしかにある。そこには光がある。
「惨めすぎるだけなんだ」
手を伸ばしても無駄だからと諦めていた。
本当は手を伸ばしたら届く場所にあった。
そんなの、とっくにわかっていたはず。
だから本当に俺が怖いのは──
「繋いだ手を離されるなんて」
ハジメちゃんは『いつか失われてしまうと怯えることに堪えきれないから自分の手で壊す』っていう子なんです。
難儀ですね。
番外編をするとしたら
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