私のゴーレム   作:ishigami

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 普通ではない少女と、普通ではない男の、普通の日常。




















01 W.

 

 

 

 発動条件は四つ。

 

 戦いによって流した血であること。

 生存の可能性を脅かされていること。

 守るべきもののための戦いであること。

 

 ――「そして、もう一つ」

 ――「あなたにとって、それが倒すべき敵との戦いであることよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私のゴーレム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ほのかな陽光が、寝室に差し込んでいる。

 

 家具が一つ二つしか置かれていない殺風景な空間に、毛布をかぶった小さな山がある。かすかな寝息に合わせて上下しており、隙間からそろそろと細い腕が伸びると、肌触りの好いシルクのシーツをゆっくりと這い、枕元のすぐ近くに在る目覚まし時計を探り当てる。

 

 直後にアラームが鳴り響き、直後にアラームが停止した。

 

 山がのそりと動き、毛布が滑り落ちると、カーテンに遮られた薄暗い部屋に白い肌が浮かび上がる。衣類は何も身に着けておらず、起き上がった人物はじっと静止し、寒さを感じない様子でぼんやりと壁紙を見つめている。

 二次成長期変遷の最中にある乳房は丸く膨らみを帯びていたが、呼吸するたびに皮膚に肋骨の陰影が現れており、背中には大きく目立つ縫合痕が二つある。

 少女は静かに吐息すると、ベッドからそっと足を降ろした。冷たい床に顔をしかめるが、勢いを付けて立ち上がると、弾んだ拍子に二つの枕が落ちそうになる。

 一瞥した少女はそのまま部屋を出、シャワーを浴びた。ドライヤーで肩まである髪を乾かし、戻ってきて手早く下着を身に着けると、ガウンを羽織り、枕を元の位置に直してからリビングに向かう。コーヒーメーカーのスイッチを入れ、作り置きしてあった朝食をラップごと温めると、少女は起伏のない表情で、予定の時間になるまで消音のテレビを眺めていた。

 

「おはよう、つかさ」

 

 徒歩での登校途中、背後から声をかけられる。駆け寄ってきたクラスメイトは鼻を赤くして、首にマフラーを巻いている。「おはよう、エーコ」少女は笑顔を作りながら、一緒に隣り合って再び歩き出す。

 

「昨日のテレビ見た?」

 

「うん」

 

 教室に入ると、少女は付き合いのある女子たちと挨拶を交わした。HRが終わると、一限目が始まるまで教室は他愛のない雑談で溢れ返るようになり、少女もそのなかに混じって話に興じる。

 

 教師が現れると、開口一番に抜き打ちテストの実施を告げられ、至る所から悲鳴が上がった。窓際で一つ前の席であるクラスメイトに「準備なんかしてないよっ」と泣きつかれ、少女は苦笑を返しながら筆記具を用意し、周ってきた問題用紙と向き合う。他の生徒たちと違い、少女の表情に焦りは見られない。解答を記入し終えると、少女の視線はガラスに仕切られた窓へと向けられた。

 青空。雲一つない蒼穹が広がっている。

 

 四限目。クラス合同の体育の授業。長袖長ズボンのジャージ姿に着替えると、少女は学校敷地の周りをのろのろと走りながら、やはり他愛のない雑談を交わしていた。大半の女子は同じようにとろとろ走っていたが、陸上部所属などは真面目に汗を流し、少女たちの集団を追い抜いてゆく。そのなかには以前少女を陸上部に誘った娘もいたが、走ろうとすれば速く走れるはずが本気を出さない少女に視線をくれると、何も言わずに走り去っていった。

 

 陽が暮れつつある。

 

「あそこの通りのケーキ屋さんがさ、雑誌で紹介されたんだって」

 

 放課後になると、少女は行動を共にすることが多い四人で話題の店に押しかけた。色彩豊かな甘味のショーケースを覗き込みながら、財布と相談しつつ見た目を吟味して選んでゆく。店には、その場で飲食可能なスペースも併設されていた。少女たちとは別の学校の生徒もいる。少女は飲み物を注文して腰を落ち着けると、クラスメイトの趣味であるアイドル喫緊の情報を聞きながら、時おり相槌を置きつつ、間食に舌鼓を打った。

 

 帰り際、テイクアウト用に幾つか注文して外に出たところで、少女を冷やかすようにクラスメイトが笑みを浮かべる。

 

「つかさ、まだ食べ足りない感じ? 太るぞお」

 

「太るとわかっていても食べちゃう、げに恐ろしき甘味のゴウ、なんと悲しき人のサガよ。……あとでダイエットしないとなあ」

 

「私って、食べてもあまり太らない体質だから」

 

「なんだとーっ。うらやましすぎる。なにゆえ天は我に三物をお与えにならなかったのか」

 

「三物って、さすがに欲張り過ぎでしょ。そこはせめてひとつにしときなさい」

 

「ケーキとか供えればもらえるかな?」

 

「供えるって、仏壇じゃないんだから」

 

「もうすぐクリスマスなんだしさ、おひげが素敵なお爺さまが煙突からやってきて“ホッホーウ”って言いながらプレゼントしてくれりゃいいのに」

 

「あんたんところ煙突ないでしょ」

 

「今からパパに頼んで作ってもらえば間に合うか……?」

 

「マンションにどうやって作んのよ」

 

「てかサンタの正体ってむしろパパなんだからさ……」

 

「それ以上言ってはいけないっ」

 

「誰に配慮してんの?」

 

「“ホッホーウ”」

 

「“ホッホーウ”」

 

「真似するな。しかも微妙に腹立つ声で」

 

「“ホッホーウ”」

 

「つかさまで!?」

 

「ていうか、つかさってほんとに太んないの? 何か秘密にしてるヒケツとかなあい?」

 

「私だけで食べるわけじゃないし」

 

「ああ、もしかして」

 

「うん。お父さんに」

 

「かーっ、なんて健気な娘だことっ。あちしは感激しますた。心がぽっかぽかするー」

 

「あんたも買えばいいじゃん」

 

「え、やだよ」

 

「急に真顔になるな」

 

「あー、ほら、父の日とかになったらなんかプレゼントするし。……忘れてなかったら」

 

「父の日っていつだっけ?」

 

「さあ?」

 

「影薄いよね、母の日と比べたら。何の花だっけ? カーネーションじゃないよね」

 

「それは母の日」

 

「それよりさ、つかさのお父さんってどんな人?」

 

「あー、うーん。私、会ったことある」

 

「えっ。どうだった? イケメン?」

 

「人の親に対してまず確認するのがイケメンかどうかの判断って、ほんとブレないなあ」

 

「まー、イケメンっちゃイケメンではあったけど……」

 

「なになに? もしかしてヤバイ人?」

 

「うーん、つかさ?」

 

「ヤバくはないです。写真、あるけど」

 

「見たい見たい超みたいっ」

 

 少女が折り畳み携帯の待ち受けを開くと、クラスメイトたちは一斉に画面を覗き込んだ。

 

 声を落とし、ぽつりと、恐る恐る窺うように口にする。

 

「……もしかして、お父さまって、ヤの字のつく方ですか?」

 

「違うってば」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 少女が帰宅すると、既に家には明かりが灯っていた。玄関には男物の靴が綺麗に揃えて並べられており、リビングからは独特の匂いが廊下にまで香っている。

 台所に立つ、背の高い男が振り返った。リムレスタイプのフレーム越しに、斜めに傷痕のある双眸が少女の姿を認める。

 

「おかえり」

 

「ただいま。清司(せいじ)。今晩は、シチュー?」

 

 大鍋のなかでは、とろとろになるまで煮込まれたシチューがふつふつと音を立てている。男は底が焦げ付かないよう、杓子(レードル)を使って掻き混ぜている。

 

「ケーキ、買ってきたの。あとで一緒に食べよ?」

 

 少女は保冷用アイスと別にして冷蔵庫にしまい、部屋に戻って制服を脱ぐと、大皿にクリームシチューをよそった。

 

 向かい合ってテーブルを囲む。

 スプーンで口に運ぶと、少女は頬を綻ばせた。じっくりと火が通っていて柔らかい鶏肉。バターと塩コショウで炒めた玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、ブロッコリー。コーンもルーとしっかり絡んでいる。見た目も鮮やかであり、炊き立ての御飯と合わせた少女の箸は、間食を挟んではいたが止まることはなかった。

 

 男は少女よりも大盛りだったが、さっさと食べ終えてしまうと、グラスに食後酒のコニャックを注いだ。食器のこすれる音。新しくボトルから注がれる音。テレビは点いていたが、食卓では何を喋るでもない。男は少女を見つめ、少女はそれを不快には感じていない慣れた様子で手を進め、皿を空にした。

 

「ごちそうさま。あ、私が洗うから清司は座ってて」

 

 流し台に立った少女は、洗い終えた皿の水気をタオルで拭き取り、てきぱきと順序よく片付けてゆく。男は琥珀色の命の水(アクア・ヴィテ)をちびちびと含むように飲み、視線を宙に放ちながら沈黙を守っている。

 

「お風呂は?」

 

「沸いてる」

 

「映画、一緒に見るの忘れてない?」

 

「ああ」

 

「そ。じゃあ、先にもらうね」

 

 少女が風呂場に向かうと、リビングはいっそう静かになった。

 

 時計の刻む音がしている。男はちらと顔を上げ、サイドテーブルの固定電話のほうを見た。鳴る気配はない。睨むでもなく静かに見据えている。コニャックを飲むたびに、喉に刻まれた縦に長い傷痕がまるで生き物のように動いたが、注ぐペースに変わりはなく、表情や仕草に酔ったような変化も現れていない。

 

 シャンプーの香りを漂わせながら少女が戻ってくると、入れ替わるように男は浴室に消えた。男が戻ってくるまでの間に少女はレンタルしておいたDVDをプレーヤーにセットし、劇場予告や宣伝を流しながら飲み物とスナックを用意すると、脚をぱたぱたさせながら革のソファーにもたれた。

 男が風呂を上がると、少女は自身の隣に座らせ、部屋を暗くして本編を再生した。

 

 アンドレイ・タルコフスキーが監督したSF映画。「惑星ソラリス」。知性を持つ海と雲に覆われた未知の惑星ソラリスを探索中に宇宙ステーションで異常が起き、心理学者である主人公が解決のために派遣されるが、クルーたちの消えたステーションには、何故か地球で死んだはずの主人公の妻が存在していた、というストーリー。

 

 前半では地球での主人公の内面が示唆され、後半のステーションを舞台とした映像では主人公の内面的なものがソラリスによって表出されてゆく。

 生存していた研究者が偽物(コピー)である妻と口論するシーンがあった。おまえは偽物に過ぎないと研究者に言われた妻は、それでも「私は彼を愛している」と答える。「私は人間です」と。そして液体窒素を呷って自殺する。

 

 ソラリスによって浮き彫りになる精神(かこ)が現実を侵食し、ついに地球への帰還を迫られることになる主人公は、最後は自身の帰る場所として故郷の生家を選ぶ。

 

 前半で舟をこいでいた少女は、スタッフロールが流れる頃には、男の膝を枕にして寝入ってしまっていた。

 

 映画が終わると男はテレビを消し、無防備に躰を預けている少女を見下ろした。呼び起こすでもなく、揺り動かすでもなく、ただ見つめている。やがて男は少女は抱きかかえると、音を立てずにベッドに運んだ。

 

 リビングに戻ると、空けたスナックの袋を処理してゆく。時計は頂点をとうに過ぎている。明かりもつけず、完全な暗闇でありながら男はすべてがよく見えているように動き、自身もベッドに入った。

 

 男が入ってきたことに気づいたかのように、眠ったままの少女が男の腕のなかに入ってくる。

 

 男は一度だけ、腕にかすかな力を込めると、目蓋を閉じた。

 

 

 

 二人の息遣いの音だけが、闇のなかで静かに揺れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






















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