私のゴーレム   作:ishigami

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 仮面の男が、血を噴きこぼす。その身体が、“不可視の力”に持ち上げられたように浮かび上がった。

 

「な――」

 

 すかさず仮面の女は飛び退くと、MP5Fを連射した。その寸前に仮面の男の身体が射線上へ移動し、弾雨が殺到する。「ちょっ」慌てて銃口を逸らすも、固定された男の身体は9mmパラベラム弾を避けられない。着弾の衝撃で全身が暴れ、皮一枚で繋がっていた腕が千切れ飛ぶと、そのまま怪力で投げ飛ばされるように仮面の男は柱に激突した。夥しい量の赤色が、穿たれた空洞と断面から噴出する。千切られた左腕が、重たげに床面に跡を作った。

 

「おい」

 

 長髪の男が、よろめきながら半身を起こした。虚ろだった双眸が酷薄に歪む。仮面の女は引き金を強く絞るが、立ち上がった長髪の男が視線を向けると、弾丸は空中で勢いを失いついには静止した。透明な力場(かべ)に押し留められたように数一〇発に及ぶ弾頭が推進力を奪われ、同時に床を冷たく跳ねる。

 

「痛えだろうが」

 

 長髪の男の吐き捨てた反吐に、金属音が混じった。形の潰れた銃弾が、赤く鈍く光っている。

 

 男が手を上げると、女は弾かれたように反応した。握り締める短機関銃の銃身が熱で柔らかくなったようにぐにゃりと歪む。すぐさま暴発しかねない銃をスリングごと手放して横に飛ぶと、銃は不可視の力によって粘土のように折り曲げられ、遠くに放り捨てられた。女は柱に叩きつけられたダメージで動けずにいる仮面の男を横目に、ホルスターから副兵装(サブ)のベレッタM92FSを引き抜くと後退しながら銃弾を撃ち放った。長髪の男の指先が、指揮棒のように揺らめく。それだけで弾丸は例外なく床に転がり落とされ、次いで、男の傍にあるSUVが巨人の手で掴まれたように浮かび上がる。急いで地を蹴る女に向かって、SUVがダイヴした。

 

 間一髪で柱の影に滑り込んだ女は、背後で激突した柱と車の壊音と衝撃と破片とを被りながら、かぶりを振って呻き声をあげた。「〈血界者(スマラグディナ)〉、とか。ふざけないでよ。何が雑魚よ、情報間違ってるじゃないのっ」懐から血色の呪紋の描かれた霊符を汗ばんだ手で取り出すと、「能力持ち相手に流石に今の手持ちじゃ……ああもうっ」意を決したように柱から飛び出した。

 直後に二台目三台目が柱に突き刺さり、歯を噛み締めて転びそうになるのを耐えながら、詠唱を口ずさんでゆく。

 

「【玻璃の(ゆびさき)・獣の(あぎと)・泥の(まなざし)・鋼の慟哭(しらべ)】」

 

 駆ける女の視線の先では、長髪の男が柱にもたれる男の正面に立っていた。手には、仮面の男のものであるSOCOM-Mk23が握られている。

 男は防弾服のおかげでまだ息をしていたが、仮面が割れて素顔を晒してしまっていた。男の眼には、斜めに目立つ古い傷が刻まれている。千切れた腕や頭部からの出血が著しく、対照的に長髪の男は、固有特性である〈血統能力〉を有する強力な吸血鬼に相応しい再生能力で時を巻き戻したように元通りの体積(にんそう)を取り戻している。

 

「【四条(しじょう)(つど)いて破敵を為せ】――【灼凌(しゃくりょう)金切童子(かなきりどうじ)】」

 

 女の手から放たれた呪紋から、四色四種の光が溢れ出す。弾丸よりも遅い速度で、しかし甲高く吼えながら広がって吸血鬼を喰い破らんと奔り迫った。

 

 吸血鬼が軽く手を振るうと、光条は目標の手前で横から殴られたように軌道を変えた。無関係のセダンを轢壊し、秘めていた爆風と光が解き放たれると、眼を細くする。

 

「東洋の魔法か」

 

 呟くや、滞留する粉煙が激しく揺らいだ。視界を邪魔する粉煙が不可視の揺らぐ(・・・)力によって集められ丸い一塊にされると、炎上車へ叩きつけられる。酸素を失った炎は一瞬で消し潰され、偶然にも煙の不自然な動きで長髪の吸血鬼の不可視である〈血統能力〉の一端を垣間見た女は、続けて大型車が“何か”に持ち上げられるのに気づき、慌ててベレッタM92FSで牽制しながら無事な柱を盾にした。衝突音。破片が撒き散らされ、中の鉄骨が露出する。四方に散乱する警報(アラート)の絶叫に耳を塞ぐ暇もなく、女は次なる霊符を手に取り、呪文(いき)を吹き込んだ。

 

「お互い血まみれだな」

 

 女が隠れている辺りへ手近な車を投擲しながら、吸血鬼が男を見下ろして言った。

 仮面を失っている男は、吸血鬼を見上げてはいたが、無表情のままでいる。

 

「痛いよな、穴だらけなんだから。よくわかるぜ、俺も痛えよ。けど俺はもう治りかけてる。不便だよな、こういうとき人間の身体ってのは」

 

 吸血鬼は銃口を定め、指先に力を加えた。遊底が後退し、空薬莢が宙を踊り、男の掌と太腿に大穴が開く。噴き出す飛沫。男は唸るように息を吐いた。「頑丈な奴だ」吸血鬼は嘲笑を浮かべている。

 

「けど俺はおまえらのせいで少し貧血気味だ。吸血鬼が貧血なんて笑い話にもならないからな。まずはおまえの血から、そのあとはおまえの仲間の血で、その次はこのホテルの住民の血で補うことにするよ。俺の計画はだいぶ狂っちまった。大幅に修正しなけりゃならん、気の重い話だ。俺に、何か言うことがあるんじゃないか」

 

 引き金。

 

「【剥流(はくりゅう)朧雪鉄(おぼろしろがね)】」

 

 冷気を発する白刃が、宙を裂いて燐光の尾を引きながら吸血鬼に躍りかかった。地面に霜が生え、空気が凍り付く。吸血鬼は、視線を向けるだけでそれを地面に叩き伏せた。白刃は意志があるかのように跳ね起き、荒波のなかを泳ぐように動き回ってひらりと斬りかかる。だが呆気なく揺らぎ(・・・)の力に掴まると、弾丸と同じように静止し、炎を上げながら元の霊符の姿に戻ってしまった。氷が解けてゆく。「たぶん射程はそんなに長くない、はず……だと思うけど。でもやっぱり今の手持ちじゃ厳しいか……」

 

 わらい声。

 

「泣かせるね。逃げずにおまえを助けようとしてる。それに比べて(じょう)ない奴だ、無口な野郎だよ。悲鳴一つ上げないなんてな。全身に“大きなお口”が増えたのにお喋りはお嫌いか?」

 

 銃声。

 激突/振動。

 

「おまえには、仲間と一緒に死ぬほど苦しんでもらうことにする。文字通りな」

 

 男の膝関節が、不可視の力で布を絞るように捻じ曲げられた。骨の砕ける音。それでも、男は籠った呻き声しか出さない。次は指の関節が順番に逆方向にへし折れたが、やはり悲鳴が上がることはない。

 引き金を引こうとしたところで、吸血鬼は舌を鳴らした。柱と柱の間から放たれる輝く熱閃の呪術を不可視の力で殴り飛ばすと、こそこそ隠れながら攻撃し続ける女に呼びかけた。

 

「鬱陶しいな。出てこい、姿を見せろ。今すぐおまえの仲間が死ぬことになるぞ」

 

 短い静寂。

 

 柱の影で窺っていた、女が小さく呟いた。「……これ以上は無理ね」霊符を握り締めながら。銃を鞘に戻しつつ。

 

 崩れかけた柱の隙間から、女が姿を現した。

 俯き加減に、ぶつぶつ(・・・・)と吸血鬼には聞き取れない音量で呟きながら、吸血鬼に静かに近づいてゆく。脚は、震えていない。迷いのない歩調で。

 

「賢明な判断だな」

 

 車が一斉に浮遊する。「おまえも死ね」

 

 女が顔を上げた。

 

「何言ってるかぜんっぜん分かんないから日本語勉強し直して来いよ、キューケツキ」

 

 手を合わせ、地面を叩きざま叫んだ。

 

 【凝視する方眼・分断する天秤】【足枷・深謀・荒地・しかして沈黙】【左廻りの(さい)を投げよ】

 【思水閉門(しすいへいもん)魂骨留鎖(こんこつりゅうさ)】――

 

 ぶつぶつ(・・・)と詠じていた呪文を完成させる、鬨の声。

 

「【急ぎて律令の如く為せ】――【縛禁(ばっきん)嗤笑菩薩(ししょうぼさつ)】!」

 

 その瞬間、光に劣らない速度で――あるいは初めから其処に存在していたかのように――床に格子状の模様が浮かび上がった。

 黒と白の格子状の升目は女の認識する地下駐車場の平面すべてに表示されており、射出されかけていた浮遊中の車両が、不可視の力を解かれてバンパーから地面に落下した。吸血鬼は、見開いた状態で固まっている。升目を踏む足元から這い伸びた黒白の線が平面の像のまま立体を獲得して網のように全身に絡みつき、引き金に掛けた指を動かすことができず、それでも封じられた不可視の力を発揮しようともがいている。

 女も拘束術式を発動し続けるために、代償としてその場に縫い付けられ躰の一部しか動かせなくなっていた。

 

「時間は、私が稼ぐっ。だから」

 

 怒鳴るように、女が言った。

 

「そいつはあなたが何とかしてっ、セージ(・・・)!」

 

 男が、かすかに口元を歪めた。

 

「……【門より溢れし光のかけら】」

 

 大量に血をこぼしながら。腕を捩じ切られ、脚に穴を空けられながら、砕かれていながらも男がわらったことに、吸血鬼が息を吞んだ。

 

「【天を奔り、地を裂いた】【聖なる断片】【われらが血と肉に宿りしもの】」

 

 瀕死であった筈の、気配が変わる。

 

「こ、……の!」

 

 吸血鬼にまとわりつく格子を振り払おうと、不可視の力が地面を割り、大気を揺るがし、黒白を掻き消してゆく。

 

「【古伝再演・事象展開(みたし・ひらけ)】――」

 

 すべてが掻き消されたとき、男は「言葉」を唱え終えていた。

 

 

「――【清らかと化せ、不淨(ネツィヴ・メラー)】」

 

 

 変化は、男が告げた直後に起こった。

 男の躰の空洞(きず)が、一瞬にして白く結晶化し塞がれてゆく。捻じ曲げられ引き千切られた腕や脚にも広がり、繭のように覆われ、躰にこびりつく血潮と地面に広がる血の海にも変化が及ぶと、更には男の足元で結晶化した塊が槍のような形状を取り、吸血鬼を目掛けて矢のように射出された。

 

 寸前に黒白の網が引き千切られ、引き千切った不可視の力が瞬時に迎撃する。

 

 白い槍に触れた途端、不可視であるはずの力が白く結晶化(・・・・・)し、その“かたち”が明るみになった。

 それは、一〇本の巨大な腕のかたちをしていた。念動力(サイコキネシス)に分類される紛うことなき不可視の強力な〈血統能力〉は、しかし射出された白い槍に貫かれると、一〇本すべてを結晶化され、鏡のように散らばった。

 地面に砕け、光の粒となって虚空に消えてしまう。

 

 貫通した槍は吸血鬼の背後に突き刺さり、へたり込んだ吸血鬼の腹部には大穴が穿たれていた。

 

「な、……に、が」

 

 男の手足の結晶が飛散した。

 

 よろめきながらも、元の形に再生された脚(・・・・・・・・・・)で立ち上がりながら、男が呟いた。

 

「喚かずとも聞こえてる」

 

 

 

 発動条件は四つ。

 

 戦いによって流した血であること。

 生存の可能性を脅かされていること。

 守るべきもののための戦いであること。

 

 ――「そして、もう一つ」

 ――「あなたにとって、それが倒すべき敵との戦いであることよ」

 

 今ではない、かつて。

 ある女が言った。

 

 ――「すべてを満たしたとき、あなたの血潮には意志が宿る」

 ――「その血潮はあなたに従い、血潮(あなた)に触れるものすべてを」

 

 

 ――「塩の柱へと変える(・・・・・・・・)

 

 

 

「おまえは、“俺”の敵だ」

 

 男は穿たれたことで結晶化しつつある吸血鬼に近づくと、奪われていた銃を掴み取った。そして脚同様に、失われた筈の自身の――結晶化して傷が塞がった際に同時に再生されていた――片手で構えると、結晶化した双眸で見上げてくる、もはや言葉も紡げなくなった吸血鬼に照準を定めた。

 

 引き金。

 

 四五口径弾は轟音を伴って結晶化した頭蓋骨を破壊し、吸血鬼の塩の塊と化していた脳漿を吹き飛ばした。きらきらしたものが床に撒き散らされ、その上にかつて吸血鬼であったものが斃れ込む。粉々の白い塊は、急速に透明度を失うと、間もなく跡形もなく消えてしまった。

 

「―――」

 

 吸血鬼の最期を見届けた男は、安全装置を掛けてSOCOM-Mk23をホルスターに戻し、静かに息をついた。

 仮面の女がベレッタM92FSを握りながら近づいてきて、おずおずと訊ねる。

 

「終わった、のよね」

 

 男が頷くと、顔を隠していながらも、げっそりしているのが判るような気配で嘆息した。拳銃を戻し、壊されたMP5Fを回収すると、台風が通った後のような惨状の地下駐車場を見回す。

 引っ繰り返った車。折れて今にも崩れそうになっている鉄骨。弾痕と破片。男の流した血や肉片、千切れて転がっていた腕は、すべて結晶化し、散らばったことで何処にも痕跡を残してはいない。

 

 人狼の死体と、配下の吸血鬼の衣服を一か所にまとめると、女が霊符を重ねて置いた。口に指を当て、口のなかで呪文を呟くと、霊符が煙を上げずに激しく燃え上がる。

 異臭すらも燃やし尽くすと、死体と衣服は灰になっていた。その灰すらも、風に吹かれて消えてしまう。

 

「急ぎましょう。これだけ派手にやったんじゃ、流石に気づかれるかもしれない。……歩けるわよね?」

 

 頷くと、並んで外に出る。

 

「今回の討伐対象が〈血界者(スマラグディナ)〉だったってこと、あなた知ってた?」

 

 裏口から歩いて暫らくしたところに、ツーリングワゴンが停めてあった。

 

 男がかぶりを振って運転席に先に乗り込むと、後部座席で太腿にノートPCを載せた眼鏡の男が顔を上げた。「おつかれさま……」後部ドアが開き、銃器を詰めたショルダーバッグに取り外した仮面を押し込むと、女は助手席に座って乱暴に扉を閉める。

 

「なんか、だいぶボロボロですね。どうでしたか?」

 

「しくじったと思うの」

 

「い、いえ」

 

「きっちり灰にしてやったわよ。ただ」

 

 座席に用意されたスポーツドリンクを一口飲み、ため息をついた。「能力持ちだった」

 

「え」

 

「たぶんどこかの古い血族(ブルーブラッド)ね、まったく。情報室の連中、弛んでるんじゃないの?」黒曜石の瞳が、バックミラー越しに眼鏡の男を睨みつける。「新興組織の雑魚相手だって聞いてたのに。人狼(ライカンスロープ)まで混じってたのよ。私たちじゃなかったら、どうなってたことだか」

 

 エンジンがかかる。

 

「それは、ご愁傷様です」

 

「その使い方ホントにあってるの?」

 

「今は、どこも人材不足ですから。もうすぐ戦争も始まりそうですし」

 

「だからって情報に漏れがあるようじゃ堪んないわ。……あとであのエリートさまの澄ましヅラ、ぶんなぐってやるんだから」

 

「わあ、すごく怒ってる」

 

「当たり前でしょ。現にセージなんて死にかけたんだから」

 

「ええ!? かっ、身体は大丈夫なんですか?」

 

「ああ」

 

「おお、さすがは不死身の男……」

 

 眼鏡の男が感嘆するように言うと、男は視線を外にやった。窓には、かすかに皮肉めいた笑みが映っている。単に死にづらいだけだ。ぼそりと呟くと、眼鏡の男が「なんですか?」と首を傾げた。

 

 男は答えず、車をゆっくりと走らせ始める。

 

 夜のラヂオでは、黒人の歌声が流れていた。スティーヴィー・ワンダー。「迷信(スーパーステイション)」。

 

 周辺の電子機器は原因不明の故障を起こしているため、走り去るこの車が防犯カメラに記録されることはない。

 

 防音防震用の結界が解かれ、気絶させられていた警備員が意識を取り戻して通報したのは、男たちが立ち去ってから三〇分後のことだった。

 

 防犯カメラに犯人たちの手がかりは残されておらず、警察は現場に残されていた薬莢や弾痕から犯罪組織間の抗争によるものとして捜査を開始。何軒かの関係者宅に強制捜査が入る事態にまでなったが、当局が車で夜の街に消え去った男たちに辿り着くことは、ついぞ無かった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 無人の家に、鍵の回る音が響いた。

 

 玄関が開かれ、入って来た背の高い男が靴を脱ぐ。鞄を脇に置き、ネクタイを緩め、黒い皮靴をきちんと揃えてから洗面所に入る。

 水の跳ねる音。顔を上げた男の顔には、眼の辺りに古い傷跡がある。鏡の中の男の喉にも、同様に古い傷跡が刻まれている。

 コーヒーメーカーの電源を入れ、薄暗い部屋のコートラックに上着を掛けると、男はリビングの分厚いガラス窓を開け放った。冷たい風がカーテンを揺らす。

 

 太陽が、そろそろ沈もうとしている。

 

 男はソファーに背を預けると、目蓋を下ろした。眼鏡を外す。体重を受け止めたソファーが沈み込む。深く腰かけている男の瞳は閉ざされており、胸板が大きく上下した。コーヒーのふつふつと沸きあがる音がし始め、細い、男の息遣いの音が静かに響くようになる。

 

 不意に、空気の揺れる気配。

 

「血の匂いがする」

 

 男が目を開くと、制服姿の少女が覗き込んでいた。鼻先が触れ合いそうな距離に、瞳がある。

 

「おかえり、清司」

 

「……ああ。つかさも」

 

「電気、ついてなかったよ。帰ってきてそのまま寝ちゃったの?」

 

 男は身を起こすと、時計を見た。午後六時。陽はすっかり暮れている。男の口から、僅かな嘆息が漏れる。

 

「夕飯」

 

「うん、知ってる。疲れてるみたいだし。座ってて、私が作るから」

 

 男が何か言うよりも先に、少女は冷蔵庫を開けた。

 

「そういえば清司って、苦手なものとかあった?」

 

 テレビをつけると、昨日の未明に都内で発生した犯罪組織の抗争が報道されている。

 

「いいや」

 

 エプロンをしながら少女が作ったのは、サラダとオムレツだった。始めは料理する後ろ姿を眺めていた男も、途中から隣のコンロで簡単なスープを作り始める。

 

「私、やるのに」

 

 じゃっかん呆れながら少女が言う。香ばしい香りがリビングに広がった。

 

 テーブルには胡麻を散らした和風スープも加わり、それほど時間は掛からなかった。

 

「どう?」

 

「美味い」

 

 男の進んでいる箸を見て、少女がくすりと笑った。

 

「そっか」

 

 食事を済ませると、男は少女が風呂に入っている間に食器を片付けた。共にシャワーを終えると、ソファーに身を寄せ合って寛ぐ。パジャマからは、少女の上気した肌が見えている。

 

「今日の映画は」

 

 暗くした部屋で、ワーナーブラザーズのオープニングのあと、本編が流れ出した。

 

 クリント・イーストウッドが主演と監督を務めた西部劇。「許されざる者」。昔は名を馳せた悪党だったが今は妻を亡くし子供たちと貧困に苦しんでいる男が、家族の生活の為に賞金首を仕留めるべく、かつての仲間と共に手放した銃を再び手に取るというストーリー。

 

 中盤までは老いによって腕が衰えていた主人公だったが、映画の終盤近くに差し掛かると、その姿は変わってゆく。

 初めて人を殺してしまった若いカウボーイが、震えながら告白する場面があった。主人公は「殺しは非道なことだ」と言い、カウボーイは「奴らは自業自得だ」と言い返すが、主人公は静かに「俺たちもだぞ」とカウボーイを戒める。

 

 主人公が仲間の仇である保安官を殺害し、賞金を得て街を立ち去ると、やがて風の噂で主人公が商売に成功したというモノローグが語られ、物語の幕が下りた。

 

 二時間を超える作品ではあったが、少女は寝ずに最後まで起きていた。

 

「おもしろかったね」

 

 エンドロールが終わり、画面を消して男が立ち上がると、ぽつりと少女が言った。

 

「かなしくて、でも、素敵な映画だった」

 

 少女が、男を見つめる。

 

 寝室に向かった。

 

 窓とカーテンは閉め切られている。男が枕元のサイドランプを灯すと、少女はパジャマを床に落とした。下着も脱ぎ捨てている。

 

 裸になった少女が、振り返った。

 

「清司も、脱いで」

 

 透徹な眼差し。無言で男がそうする間に、少女は毛布に入った。身一つになると、男はライトを消し、マットレスの下に隠してある銃の所在を確かめてから、ベッドに潜る。皮膚(はだ)呼吸(ねつ)。少女の背中には、大きく目立つ縫合痕が二つある。少女は男に、自分を包み込むように手を回させる。

 

「清司、怪我したんだよね」

 

 そっと男の腕に触れながら、少女が囁くような声で言った。

 

 男は何も言わず、少女に体温を伝え続けている。

 

「ねえ清司」

 

「ああ」

 

「いつか私が、あの人みたいになったら」

 

 男からは、少女の表情を見ることはできない。

 

「……ううん。なんでもない」

 

「つかさ」

 

「おやすみなさい、お父さん」

 

 静寂。

 

 いつしか、寝息だけが聞こえるようになる。

 

「おやすみ」

 

 

 少女の体温と、小さな呼吸を耳にしながら、男もまた、目蓋を閉じた。

 

 

 

 二人の息遣いの音だけが、闇のなかで静かに揺れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 固有名詞がほのめかされるだけで説明もないし背景とかもよくわからないけれど、なんとなくきっと主人公たちには大変な過去があるんだろうなあという雰囲気が伝われば幸いです。



















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