伝説の聖剣に選ばれたのは俺じゃなくて幼なじみの美少女剣士だったので、俺は別の方法で英雄になるべく塔を登る 作:ケツアゴ
この日の事をアンナは覚えている。幾星霜の時が過ぎ、死ぬ時になっても決して忘れないだろう。
普段は飢える事こそ無いが質素な食卓に並んだご馳走。幼い頃に行方不明になった母の分も自分を愛してくれた父親。家族同然に慕っている使用人達。
これは当然の様に続くと思っていた幸せを享受していた日。当たり前みたいに幸福が壊された日の前日。多くの人に訪れるその日が自分とは無関係だと心の何処かで思っていた日の事だった……。
「アンナ、お誕生日おめでとう。ほら、この日の為に仕立てたドレスが届いたよ」
「まあ! 素敵ですわ、お父様!」
アンナが生を受けた国は端的に述べれば腐敗が進んでいた。貴族同士の腹のさぐり合いからの追い落とし、賄賂に脅迫等が横行し、民とは搾取されるのみの存在。唯一成り上がる方法は金で爵位を買う……建て前としては不可能だが、他国の金持ちが自分より年下の貴族の養子になる事も珍しくない。自国の民は弾圧と圧制によって成り上がるのは不可能だったが。
そんな国に生まれ、腐敗するのが貴族と務めとさえ認識されていそうな国にも変わり者は存在する。アンナの父は変人の極みの様な人物で、要するに民を愛する善意の塊であった。
領地は他の場所と違って無計画な開発もせずに自然豊かであり、臣下達も教育が行き届いているので横暴な行いを取らない。だが、アンナの家は貧しかった。善政を敷く伯爵を頼って多くの難民が集まり、一人でも多くが飢えず凍えぬ様に手を尽くした結果の事で、アンナは貧しさを誇りにさえ思っていたのだ。
ご馳走を毎日食べたくない筈も他の家の令嬢の様に頻繁に買い求める宝飾品やドレスで着飾りたいとは思っている。だが、それで良かった。清貧が良かった。何の事はない。善人の娘は善人だったという事だ。
誕生日や特別な日にのみ与えられる新しい服を大切にし、自分が恵まれているという認識も持っている。後は同じくこの国での変わり者の婚約者を探し、父と同様に善政を行うだけ……それを信じて疑わなかった。
幸せは簡単に崩れる。風に砂埃が吹き飛ばされるみたいに、何の予兆もなく呆気ない終わりがやって来るのだ……。
ある日、
そして、遠縁の親戚が領地を乗っ取り、アンナは父よりも年上でこの国の貴族らしい貴族の妾にさせられそうになった。これも珍しくない話だ。
だが、偶々遠出していた臣下やアンナを慕う領民の手助けで国を脱出する事に成功した。
だから彼女はお金を集める事にした。お金で貴族に舞い戻り、父が守ろうとした物を、自らが守りたい者達の為に。その為ならば汚い事もする気で、本当に汚い者達に騙されて命の危機に陥った。
それがアッシュ達との出会いに繋がるという訳だ。そんな彼女は今、アッシュの着替えとして持って来たズボンを履いていた。
さて、話は変わるが『吊り橋効果』と呼ばれる現象が存在する。これは危機によって感じたドキドキを相手への恋慕による物と勘違いしてしまう物だ。
繰り返すがアンナは伯爵令嬢として育った身だ。祖国の貴族は腐敗貴族らしく気に入った平民の娘を陵辱したり妾として囲ったりしていたが、女性の方も少々貞操観念が緩い。だが、淑女として育てられたアンナからすれば無関係な話だった。
婚前交渉等想像さえせず、デートでさえ未経験。身内以外の男の手を挨拶としての握手以外で行った事さえ無いのだ。
そんな彼女が出会ったばかりの男に跨がって胸を掴まれ、あまつさえ下着をはぎ取られた。これで冷静でいられるのなら精神が鋼で出来ているだろうし、アンナの精神は普通だ。
「……もう。これは責任をとって貰わなければなりませんわ」
「何や知らん事にさせて貰うけど、先ずは自分が行った事の責任を取らんとアカンで? ……その頃には落ち着いて我に返っとるやろな」
「えっと、妻としてアッシュ様をお支えするのなら婿ではなく、私を入り嫁として貴族になった方が良いかしら? その前に結婚式を何処で行うか決めませんと」
「……アカン。此奴、脳味噌ピンクの馬鹿や。気張れや、アッシュ。ラキスケの呪いは女難をも引き寄せとるで……」
つまりは面倒な事になったと見張りで残ったルノアが頭を痛くする事に繋がった。ルノアは顔を真っ赤にしながらこっそり持ち込んだ酒豪の徳利に口を付け、一気に流し込んだ。
「ぶふっ!? 料理酒やないけ!」
ロザリーが地面スレスレまで金色に輝く刃が下げた時、剥き出しの土に霜が掛かり、枯れ草が凍り付いてから砕ける。そのまま切っ先を持ち上げるだけで周囲の気温を一気に奪い、不愉快な程の蒸し暑さが肌寒さにさえ変わって行った。
「……アッシュ、競争しよ? 私が右手を倒すからアッシュは左手。私が勝ったらデートして。アッシュが勝ったらご飯奢ってあげるから二人で好きなお店に行こう」
「はっ! 上等だよ。俺の成長を見せてやるぜ」
初めて入る場所での初めて戦うモンスターとの戦い。普段ならミントが慎重になれって五月蝿いんだろうが勝負なら大人しく出来るかってんだよ。呆れ顔のミントを無視して俺はレヴァティンを呼び出して構えれば刃からチョロチョロと青い炎が漏れ出していた。
「……炎出せるの? 成長したね。このままじゃアッシュのお嫁さんにされる日も近そう」
「まあな。てか、ラーヴァティンは冷気なのかよ。噂じゃ能力について伝わらないから知らなかったぜ。……んじゃ、お先!」
試合じゃ何度も負けてるし、活躍だって向こうの方が上だ。にしてもアクアスフィアを倒した後で試しても思った通りに行かなかったのに今日は調子が良いな。別にロザリーとのデートが嫌な訳じゃ無いけど、勝負に負けっぱなしなのは嫌だ。悪いが飯奢って貰うぜ、ロザリー!
「……ん? まあ、良いか!」
何か変な気がしたが気にせず行くか。何せロザリーは俺より格上だし、余計な事を考えて勝てる相手じゃないからな。ハンドラーが突き出して来た指に対し、俺は足を止めず僅かに横に逸れて回避する。真横を鋭利な指先が通り過ぎ、俺は間合いに手の平が入った瞬間に剣を振り上げる。
その時、俺を掴もうと指が曲がった。背後から迫る指。捕まれば強く握り締められるだろう。だから全力でレヴァティンを振り下ろす。
「先手の一撃で決めれば問題無いよな!」
分厚い骨に刃が食い込み突き進む。背中に指が触れて内側に押し込もうとするのを脚を踏ん張って堪えたが、そのせいで僅かに攻撃が鈍った。勢いが落ちて途中で止まりそうになる刃。だが、それがどうした!
「甘いんだよ、骨野郎! 俺を倒したかったらもっと握力を鍛えとくんだったな!」
叫びと共に刃を覆う炎が膨れ上がり、ハンドラーを焼くと同時に炎の噴射が勢いを強める。苦し紛れに指の力が強まるが、そのまま強引に刃を振り下ろしてハンドラーを両断した。
光の粒子になって崩れて行くハンドラー。はっ! ボスモンスターって言ってもこの程度か。こりゃ奢って貰うのは確実……。
「あらら? おい、ミント。ロザリーの方のハンドラーは?」
ロザリーの方を向いた時、既にラーヴァティンを鞘に戻したロザリーが俺を見て拍手していた。いや、お前ももう一体を相手するって話だっただろ?
「そんなのアッシュが指を避けた時にはとっくに倒したわよ? 剣を三回振って、そのまま鞘に納めたらハンドラーに亀裂が入って粉々の氷になって終わり。デート確定ね。……どっちにしろだったけど」
「どっちにしろ? いや、デートは俺が負けた場合だろ?」
「……うん。本当に分かってないなら別に良いわ」
「アッシュ、約束約束。デートデート。……アッシュの好きな所で良いよ? お泊まりだって……」
……また俺の負けか。ロザリーが喜んでる姿は嬉しいが、相変わらず差が大きいよな。まあ、負けたからって腐るのは辞めたんだ。最終的に先に英雄だって認めさせれば俺の勝ちだ。負けた分だってこの先取り返してやるよ。
「んじゃ、行こうぜ!」
気合いを入れ直し、俺は枯れ草を踏みつけながら先に進む。その瞬間、また地面からハンドラーが現れた。……いや、本当に面倒だな。
「まっ、俺が強くなる為の踏み台になって貰うだけだ! 出て来るんだったら、もっと数集めて出て来やがれ! 全部一度に相手してやるよ!」
「ったく、アッシュは相変わらず馬鹿ね。……にしても炎を上手く出せるようになったのは良いけれど急ね。昨日は無理だったのに」
「なぁに。内助の功と言う奴だ。好きになる予定の男を手助けしてやらんとな」
「……何かしたの? 彼奴変にプライド高い所が有るからバレたら面倒よ?」
「貴様は黙っているだろう? おい、アッシュ! 次は私との賭けだ! 勝った方が今晩風呂で背中を流して髪を洗うぞ!」