……よわっ。
戸々乃スイは、思わず口から出かけたその正直な感想を慌てて吸う息で封じ込める。
何が弱かったのかといえば、それは目の前でバテてへたり込んだ茶髪の少年、倫道サチのサッカーの腕前のことである。
自分で言うのもなんだが、自分の運動神経の良さはここいらで有名である。そんなスイに挑んできたのだ、きっと自信があるのだろう。
そんな予想と緊張感を持って受けて立ってみれば、実際のところは見ての通り。きっとこれまでスイと遊んでいた同年代の女子たちの方が遥かに上手。
「……お前、凄いな」
そんなことを考えていると、へたり込んだままサチが掠れた息と共に口を開く。
「いや、えっとね、うーん……」
どう返せば傷付けないで済むか思案するスイ。
その様子を見たサチは苦笑いを浮かべながら続ける。
「あーいや、わかってるよ。俺下手くそだったろ?」
「えっ……まあ、うん」
「だよなあ。実はさ、俺に遊び相手がいないの、これのせいなんだよ。要は下手すぎてつまんないって」
「そっか。……私と真逆だね」
「お前は、強すぎてつまんないって言われたんだっけ」
息を整えながら身体を起こしたサチが尋ねてくる。おそらく先程のスイと友人の会話が聞こえていたのだろう。
スイは諦観を含んだ笑みを浮かべる。
「うん。小さい頃から、身体動かすのだけは得意で、皆褒めてくれて、だからもっと頑張ろうって思ってたんだけどね。……なんか、そんな気分じゃなくなっちゃった」
「えっ」
目を丸くし、素っ頓狂な声を上げるサチ。
何その反応、と言いたげな視線を向けるスイに対し続ける。
「だって特技なんだろ?続ければ良いじゃん、変なこと言うやつなんてほっといて」
「特技、か……」
既に息は整ったらしく軽い口調のサチ。
スイはその無責任とも言える言葉が妙に重く聞こえて、でもそれを認めるとさっきまで悩んでた自分が馬鹿に思える気がして、とりあえず話を変えることにした。
「そういう、えっと……サチにはあるの?特技」
「え、俺?」
「うん」
「んー……ボードゲームとか、トランプとか?その辺は苦手じゃないつもり」
運動は苦手のようだったが、どうやら元々インドア派らしい。
そしてサチの「苦手じゃない」という言葉にはどこか自信のようなものが含まれているようだった。
それに興味が湧き、スイはにやりと笑みを浮かべる。
「ならさ、この後時間ある?サチの家行かせてよ。私もトランプとかは出来るから」
「え、俺は良いけど……。なんで?」
「だって私が得意なことだけで終わりってなんかずるいじゃん。今度はそっちの得意なので勝負ってこと」
「……ん。じゃあやろう」
この数十分後、スイは見事に完敗し、思わず「……つよっ」と溢すことになる。
そしてこの日から倫道サチと戸々乃スイは毎日のように互いの得意分野で交互に勝負をするようになった。
スイがバドミントンで勝てばサチがマンカラで勝ち、スイがかけっこで勝てばサチは大富豪で勝つ。そんな日々の繰り返し。
ついぞどちらかが勝ち越すことはなく、ある日、父親の転勤によりスイが引っ越したことでその日々は終わりを告げた。
サチとキリカは、カードショップ枝垂桜のすぐ近くに建てられた定食屋で昼食をとっていた。
「おお、勧められて来てみれば、本当に美味いな」
キリカが感動の溜め息を交えて呟く。
「戸畑に後で感謝しとかないとな」
サチも味噌汁を飲み込んでから同意。
その後暫く互いに無言で箸を進める。全体の半分程度まで食べ終えたところでふとサチが口を開いた。
「……なぁ、途次」
「んー?」
口を開かず喉だけで返事をするキリカ。
そこで彼女の口にまだものが含まれていることに気付き、その咀嚼の動きが止むのをを待ってから続ける。
「お前さ、ヴァンガード好きだよな」
「え?そりゃあそうだが」
空は青いとかそういうことを聞かれたかのように、一瞬の戸惑いの後に呆れ顔で頷く。
それを確認したサチは、その先を言い淀むような仕草。
「……なんだ。言いたいことがあるなら言ってくれ」
訝しげなキリカの視線に、サチは観念したように今度こそ本題に入る。
「えっと、今日お前機嫌悪い?」
「……なぜそう思う」
「お前ヴァンガード好きだろ。やるのも、それから見るのも。実際俺と並木のファイトだって楽しそうに観戦してたし。……なんで今日に限って、戸畑とのファイト、見ずにどっか行っちゃったのかなって」
「……」
気まずそうな声色ながらも述べられるサチの疑問。
枝垂桜でのサチとナミのファイト。テーブルに向かいいざ始まろうとした時、キリカは突然その場を離れた。サチはずっとそれに違和感を覚えていたのだ。
キリカは最初驚愕の表情を浮かべ、そこから言い訳を思案するように眉をひそめる。そのまま数秒無言を貫いたが、答えを待つサチを一瞥してから諦めを含んだ溜め息を吐いた。
「君は人のことをよく見てるな」
「そう?で、そう言うってことはなんかあるってことか」
「まあ、な。……なあ、君は白銀セイガのことをどう思ってる?」
「え、白銀先輩?」
思ってもみない話題を振られ硬直。しかしすぐ我に返る。
「んー……そうだな、凄いファイターだと思う。デッキは作り込まれてるし、戦い方も洗練されてるって感じ。攻撃は苛烈なのにファイトしてる本人は冷静で、でもいざって時には賭けにも出てきた。だから、是非再戦したいって思ってる」
明らかに熱のこもった様子でサチは語る。
一方、反対にキリカの表情はどこか暗く、気まずげな色を強めている。
「……で、それがどうしたんだよ」
熱くなりすぎた、とばかりに一息ついてからのサチの問いかけ。キリカも意を決したように真っ直ぐサチを見据え口を開く。
「単刀直入に言うと、私は彼が嫌いだ。姿も影も見たくない程にな」
強められた語気、そこに含まれた苛立ちがその言葉の説得力を増す。
「……理由は、この前のあれか」
「ああ。というか、今日カード屋にいるのを見たから、と言うのが正しいな。……あれだけ乱暴な言葉を投げつけて、デッキを押しつけて、三秋さんにあんな顔をさせて、今更どの面を下げてカードを買おうなどとしている?なんで三秋さんがあんな目に遭わなければならなかった?あの場にもし倫道がいなければ、あの人は今もあのデッキと罪悪感を抱え続けていたんだぞ?」
語られるその声色に込められているのは熱と憎悪。最初はそれらを抑えつけるような震え、だが次第に我慢が効かなくなったようで、言い終える頃には捲し立てるような口調へと変わっていた。
「……すまない。君に八つ当たりするものでもないな」
吐き出して頭が冷えたのだろう。申し訳ないと目を伏せる。
「ともかく、だから私は彼が嫌いだ。さっき場を離れたのも近くにいたくなかったから。これで答えになっているかな」
「ああ、うん。悪い、言いにくいこと言わせて」
「構わないさ。むしろ誰かに吐き出せて少し落ち着いた」
明らかに先程までより表情が明るい辺り、ただのフォローではなく本心らしい。
さて、話しているうちに二人の前に置かれた器はすっかり空になっていた。二人は箸を置き軽く手を合わせる。
「君の分奢ろうか?八つ当たりしてしまった詫びに」
「いやそういうわけにはいかないだろ。そもそも話振ったの俺だし」
そんな会話をして、結局お互い普通に自分の分だけ払い店を後にした。
そしてキリカがサチの車椅子を押す形で来た道を戻る。昼食が思いの外長引いたこともあり、枝垂桜に戻ってきた頃には2時を回っていた。
「おや、おかえり」
店に入るとジュンヤが愛想良く笑いかけてくる。
そんな彼に「どうも」と二人会釈をしてファイトテーブルの辺りまで戻ると、今度はそれに気付いた戸畑ナミが手を振ってくる。
「お、やっほ。どうだった?」
「美味しかったよ。教えてくれてありがとう」
サチの感謝の言葉にキリカも頷き同意を示す。
だがそこでサチはふと、目の前の光景に違和感を覚えた。
そしてどうやらキリカも同じことに気付いたらしく、サチより早く口を開く。
「ところで私と対戦した彼女は?いないようだが」
「えっ。あー……」
これが漫画なら「ギクッ」と擬音が添えられていたに違いない。そのくらいあからさまにナミが動揺を見せた。
サチが感じた違和感というのはまさしくこのことで、ナミと一緒にいたベリーショートの少女が今は店内のどこにも見当たらないのだ。
「あの子ならあの後用事が出来たって帰ったけど、それが?」
焦りを隠しきれぬまま答えるナミ。ただ質問しただけのキリカからしてみれば奇妙とも言える動揺っぷりだが、不審がりつつも続ける。
「いや、先程の勝負で名前を聞きそびれたと思ってな。……ああでもそうか、君に聞けばいいか。なあ、彼女はなんというんだ?」
「……あー、名前、かあ」
ますますしどろもどろ。時折サチの方にちらちらと視線をやって、どうしたものかと考えを巡らせる様子を見せ、やがて観念したように肩を落とす。
「……聞きたい?」
「まあ、出来れば」
キリカの即答。それを聞いたナミはもう一度サチに目を向けてから口を開く。
「戸々乃スイ。それがあの子の名前」
「……え?スイ?」
驚愕の声を上げたのは質問の主であるキリカではなく、その隣にいたサチ。
目を見開き呆然とした様子を見せるサチだが、ナミはそんな反応を予想通りだとでもいうように苦笑してみせる。
唯一何の心当たりもないキリカが二人を交互に見るが、それを他所にサチが震え気味の声。
「今、戸々乃スイって言ったか?」
「まあ、うん。……やっぱ、気付いちゃうかあ」
「そう言うってことは、お前知ってるんだな。あいつに聞いた?」
「スイに聞いたわけじゃないよ。私があんたのことを話したらあの子凄いびっくりしてさ、そのまま用事思い出したって帰っちゃったの。……ただ前にさ、あんたとスイが一緒に写ってる写真見ちゃったんだよ。だからそういうことなんだろうなって」
そう事実通りに説明するが、用事というのはおそらく嘘なんだろうとナミにはすぐ理解できた。
サチはナミの言葉を聞き終えると何を言うでもなく俯く。
「なあ、どうしたんだ二人とも。彼女……戸々乃スイに何があるというんだ」
いよいよ自分だけ置いてけぼりであるこの状況に我慢ならなくなったらしいキリカ。
サチにとってはは誤魔化す自信も理由もない。それでも多少躊躇いがあるのか視線を伏せながら重い口を開く。
「……俺は風音に入学するまではここからちょっと離れた小江山って町に住んでたんだ。生まれてからな」
「小江山……。ああ、海の辺りのか」
「ああ。そこの、俺の家の近所に住んでたのがあいつ……スイなんだ」
「なっ……。それじゃあ君と彼女は」
「幼馴染、ってわけね」
キリカが目を丸くする一方、既にそれを知っていたナミは冷静に言葉を紡ぐ。
「……スイとは昔よく一緒に遊んでたんだ。色んな遊びで勝負したりしてさ」
ゆっくりと語り出すサチ。
「あいつは運動が得意だったけど、俺は苦手でむしろトランプとかのが上手かった。だからお互いの得意なことを交互にやって、それでどっちが先に相手の得意な勝負で勝てるかって競ってたんだ」
サチがこのことを他人に話すのは初めてだった。言葉にし慣れていないような辿々しい口調なのもそのためだろう。
「で、結局決着しないままスイが親の都合で引っ越すことになって、それっきり連絡したりはしてない」
「でもそれだけじゃないんでしょ」
やや食い気味にナミが割り込む。その目にどこか疑念の色を含ませて。
「貴方の名前を聞いてあの子、逃げるみたいな勢いで帰ってった。ただの幼馴染相手にする反応じゃないよ」
そしてその視線がサチを射抜く。その目に映っているのは『今日出会ったヴァンガード仲間』ではなく『親友を悲しませた容疑者』としての倫道サチ。
「あんたとスイの間にはなんか、あんまり良くないことがあった。違う?」
「……」
アームサポートの上に置かれたサチの拳が強く握られる。
「それは、ちょっと」
言えない、あるいは言いたくないと口を噤む。
「……ごめん」
「いや、良いよ。スイも無理矢理聞き出されたくはないだろうし」
そう微笑むナミの目には、多少の疑念こそ残っているが敵意はもう浮かんでいなかった。
「助かる。……で、この後どうするかな」
元々はもう少しファイトなり買い物なりをしてから帰る予定だったサチとキリカ。
だが思わぬ流れになってしまった、とサチは二人に意見を求める。
「流石にこの空気でファイトってのもねえ」
「同感だな。しても楽しめないだろう」
ナミは苦笑、キリカは首を横に振ってどちらも当初の予定を否定する。そして問いかけたサチ自身も同じ意見だった。
「んじゃ、今日は帰るか。途次もそれで良い?」
「ああ。戸畑、良ければ戸々乃にまたファイトしたいと伝えておいてくれ」
「りょーかい。またねー」
手を振るナミを残し、サチとキリカは帰路につく。
元来た道を戻り、行きも潜った高架線を逆から。ミアキスの前に辿り着いた頃には日も傾き始めていた。
「それじゃあ君はそっち方面だったな。お疲れ様だ」
「ん。ありがとう、押してくれて」
「……すまなかったな。元はと言えば私が余計なことを言ったから」
「それは言わない約束。こっちだってお前が白銀先輩のこと嫌いだーって無理矢理聞き出したんだからお互い様っていうか」
「それもそうか。ふふっ」
スイの名を聞いて以降笑顔を見せていなかったキリカが、数刻ぶりに頬を緩める。
「じゃあ、また明日学校でな。倫道」
「ん」
車輪に手をかけ、サチは自分の家へと向かう。
それを見送ったキリカは踵を返し逆の方向へ、行こうとしてぴたりとその足を止めた。再びくるりと身体の向きを変え歩き出す、その先はミアキス。
潜り慣れた扉の先、最早家とも呼べる空間に足を今日も踏み入れる。
「あれっ、キリカちゃん。今日は遅かったね」
三秋ララがカウンターから顔を覗かせた。
「どうも……いや、今日は他の店に行っていた帰りだったので」
「へー、キリカちゃんがうち以外に行くなんて珍しい。妬いちゃうなあ」
「う、すみません……」
「いやいや冗談だよ、冗談」
申し訳ないと顔を伏せている辺り、ララにとっては冗談のつもりだった嫉妬を思いの外真剣に受け止めてしまったらしい。
「冗談……なら良かったです」
「そりゃそうでしょー。とはいえ冗談としちゃタチ悪かったかな、お詫びでもしよっか」
「お詫び?」
ララは一度しゃがみ込みカウンターの内側で何かを探すような仕草。お目当てのものを見つけたらしく再び顔を出し、自分の方に来るようジェスチャーする。
「……?」
「これ、新しいメガコロニーのカードなんだけど、どう?」
その言葉と共に差し出されたのは同じイラストが描かれた4枚のカード。
「『怪人紳士ハイクラスモス』……?」
「そ。キリカちゃんのデッキにも合うでしょ?前からカウンターコストが足りないーって困ってたみたいだし」
「えっ……」
キリカが目を丸くしたのは、言葉に出してはいないはずの自分のデッキの悩みを言い当てられたから。
その驚愕が伝わったのだろう、ララは「ちっちっち」と指を立てて見せる。
「キリカちゃんの悩みくらい私にはお見通しなのだ〜、4年間の付き合い甘く見ないでよね」
「いや、でもそれにしたって、そもそもこれ商品じゃあ……」
「そこは安心して、お店じゃなくて私の自腹だから」
「はぁ……」
未だ釈然としない顔ながらもキリカはカードを受け取った。
「ただいまー」
マンションの1階、車椅子でも出来るだけ行き来しやすいようにと両親が選んだその部屋にサチは今日も帰ってきた。
「お、お帰り」
出迎えるのは兄のサツキ。電話中だったのか片手にはスマートフォンが握られている。
「ん。……あ悪い、電話の邪魔だった?」
「いや、もう終わったから大丈夫」
「なら良かった。……なあ兄さん」
「んー?」
「えっと、その……スイって覚えてるか、戸々乃スイ」
数秒思案くらいはするかというサチの予想に反し、サツキは即座に「ああ」と頷く。
「忘れるわけないだろ。よくうちにも遊びに来てたんだから。でもどうしたんだ急に」
「……」
「まさか、会ったのか?」
無言のまま頷くサチ。
「へー、良かったじゃんか。ほら、お前あの子が引っ越しする時見送り出来なかったろ」
「……ああ」
懐かしげな兄の言葉、だが対照的にサチの表情は暗い。そのまま顔を伏せ重々しく相槌を打つ。そして会話を切り上げるように再び車輪に手をかけた。
「じゃあ、俺部屋に戻るから」
「ああ、飯になったら呼びに行く」
去っていく弟を見送ってから自らも部屋に戻る。
ベッドに腰掛け持っていたスマートフォンの電源を付け、再び耳へ。
「あーもしもし、さっきは急に切ってすまん」
『別に気にしないで、サチくん帰ってきたんでしょ?』
受話器の向こうから、お見通しとばかりの半笑いで恋人、江道サイカの声。
「ああ。それでさっきの件だけど……」
『んーわかってる。来週の月曜なら振り替えでうちの大学も休み』
「僕はその日午後授業取ってない。会うならその日で良さそうだな」
『場所は?』
「うちの大学の近くにカラオケがある。そこで」
『りょーかい、そんじゃーねー』
心なしか弾みを増した声色に、ぷつりと通話終了を知らせる音が重なる。
小江山から越してきて数ヶ月、久々に恋人と会える喜びと相手も同じ心持ちである喜び。
それら二つの重なりに幸福感を覚える江道サイカの恋人たる自分がいる一方で、倫道サチの兄たる自分の表情には影が増す。
「……お前は何を考えてるんだろうな」
電話越しの相手とは通じ合ってると自負出来るのに、目の前にいる筈の弟の思いをわかってあげられない自分がいる。
倫道サチ。決して恥ずかしがり屋というわけではないのに常にどこか他人に一歩引いた態度をとる弟。それは彼が歩く足を失う前も後も変わりがない。
「ヴァンガード、か」
自分が飽きてデッキを持て余していたカードゲームを、事故の直後にサチが始めた。これは何かの運命か、あるいは使命なのかもしれない。弟のことを知る最初で最後のチャンスだと。
一つ頷き、サツキはデッキの調整を始めた。