インホイール・ヴァンガード   作:毒しめじ

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第8話:セイガのヴァンガード

「俺のターン、スタンドアンドドロー」

 

 引いたカードを左手に持ち替え、入れ替わりに手札の1枚を右手で掲げる。

 

「『波乱の強鞭ゲオルゲ』にライド!」

 

 軍服を纏い、鋭利な棘を無数に備えた鞭を構えた青年。

 カードに描かれた顔に浮かぶのは爽やかな微笑だが、セイガがライドしたためにそれとは正反対の無愛想な強面で鋼の巨人達を睨みつける。

 

「イマジナリーギフト、アクセルII。アクセルサークル解放、1枚ドロー。『ゲオルゲ』のスキル、『ブラドブラック』のパワーを-5000!」

 

 振われた鞭が、意思を持っているかのように地を這い巨人の足を絡め取った。

 

「……パワー8000、か」

「更に『マカリオス』と『シメオン』をコール」

 

 先程の退却で空いた穴、そして新たに加えられたアクセルサークルにそれぞれリアガードを呼び出す。

 その圧巻の盤面にサチは思わず息を呑む。ここを耐え切らなければ、自分に勝利はない。

 

「行くぞ、まずは『マカリオス』!」

「ノーガード」

 

 両手に握られた二丁の銃から放たれる弾丸。

 鞭により体制が崩れた巨体はそれを諸に受ける。

 

「次、『ラッコ兵』のブーストで『シメオン』!」

「それもノーガードです。……ゲット、クリティカルトリガー!」

 

 続く斬撃にもまた無抵抗。しかし受けたダメージから得られたトリガーにより『ブラドブラック』の奪われたパワーが補われた。

 

「だが少し遅かったな、俺の残りの列はどっちも18000を超えてる。『バジリア』のブースト、『ゲオルゲ』でアタック!」

「『ダイバトルス』でガード!」

「ツインドライブ。ドロートリガー。1枚ドローしてパワーを『マクシオス』に。セカンドチェック、クリティカルトリガー!効果は全て『マクシオス』に!」

 

 セイガの口角が心なしか持ち上がる。

 そしてサチからすれば絶体絶命。ヴァンガードの攻撃は防ぎ切ったが、次の攻撃がヒットすれば自分の敗北はほぼ決定する。

 

「行くぞ、『ペンギン兵』のブーストで『マクシオス』!」

「『ゴーレスキュー』でガード!『ダイダンパー』でインターセプト!」

 

 トリガーの恩恵を受けた最後の一発。しかし呼び出された2体の装甲が盾となり『ブラドブラック』へと届くことはなかった。

 

「……ターンエンド。防ぎやがったか」

「どうにか、ですけどね」

 

 憎々しげに睨むセイガと、それに苦笑いで返すサチ。

 

「そうかよ。ハ、見た目ナヨナヨしてるくせにまあ随分と勝ちに貪欲なことで」

「……ええ、まあ。この前始めてファイトに勝ったとき、知っちゃいましたから。ファイトは楽しくってやってるだけで熱くなれるけど、勝てたらもっと楽しいって」

 

 目を閉じ、一言一句噛み締めるように呟く。

 

「こう、胸の奥からあったかい感覚が広がってきて、それに持ち上げられて顔が勝手に緩んじゃうような。あの感覚を覚えちゃったら、もっと頑張ろうって思わずにはいられなくなったんです」

 

 キリカに勝利したあの時、文字通り笑顔を抑えることが出来なかった。

 その感覚は、それまでファイト出来れば良いと思ってたサチにとって、あまりにも新鮮で魅惑的なものだったのだ。

 

「……そうかよ。ほら、お前のターンだ。時間ないっつってんだろ」

「あ、そうでした!すみません。スタンドアンドドロー!」

 

 セイガに催促され、慌ててファイトを再開する。

 先程のガードで手札も大幅に減ったがまだ勝てる可能性は残っている。

 引いたカードと手札に残ったカード、そして盤面とを見比べ、大きく深呼吸を一つ。

 

「……いきます。『ダイザウラス』をコール!『ブラドブラック』のスキルで、前列全てのパワー+10000!『シルバード』も再びスキルでパワー+5000、クリティカル+1!」

 

 セイガのダメージは3。生半可な攻撃ならノーガードでやり過ごされるのは目に見えている。

 

「『ブラドブラック』で、ヴァンガードにアタック!」

 

 手にした武器の先に嵌め込まれた水晶から光が放たれ、一振りの刃が形作られる。

 鎌の両の刃を鍔に見立てて、さながら一本の大剣の様な形相と化したそれを天高く掲げる。

 

「……ノーガード」

「ツインドライブ……ヒールトリガー!パワーは『シルバード』に、1枚回復!」

「っ……!」

 

 紫紺の光が束となって振り下ろされ、『ゲオルゲ』を飲み込んだ。

 セイガのダメージゾーンに置かれたカードは『荒潮の水将フリスティナ』。トリガーではない。

 

「『ブラドブラック』のスキル!山札の上から7枚見て、その中のグレード3、『超次元ロボ ダイユーシャ』を手札に加えます!」

 

 加えた1枚以外をデッキに戻してから、手札を2枚ドロップゾーンに置く。

 

「そしてコストを追加で払ったことで、手札の同名以外のグレード3にスペリオルライド出来る!」

 

 振りかざすのは手札に加えたカード。

 群青の鋼を鎧として纏う機械仕掛けの英雄。

 

「『超次元ロボ ダイユーシャ』にスペリオルライド!イマジナリーギフト、フォースI!そして『ブラドブラック』のスキルにより新たにライドしたユニットのパワー+10000、ドライブ-1、『ダイユーシャ』のスキルで自身にクリティカル+1!」

 

 自身のスキルによりクリティカルが増加した『ダイユーシャ』と『シルバード』。

 これでサチの布陣にはクリティカル2のユニットが2枚。

 

「『ダイザウラス』で『シメオン』にアタック!」

「ノーガード、退却する」

 

 『ダイザウラス』の肩、恐竜を模した意匠から放たれた光弾が『シメオン』を貫いた。

 

「アタック終了後『ダイザウラス』のスキル、自身をソウルに移動しヴァンガードにパワー+10000、ドライブ+1!これでヴァンガードにアタック!」

「……パワー53000、それもドライブの枚数まで回復してやがんのか」

 

 セイガは苦々し気に手札を見つめる。

 確かに手札には先程引いたドロートリガー、完全ガードを持つ『翠玉の盾パスカリス』がある。

 だがそれは1枚のみ、対してサチのユニットは2体で両方ともクリティカルが上がっている。

 

「『ダイユーシャ』でヴァンガードにアタック!」

 

 『ゲオルゲ』の頭上に巨大な鋼の刃が迫る。

 この攻撃を受ければダメージ6。セイガは手札の『パスカリス』を右手に取ろうとして、しかしその手をピタリと止める。

 セイガは考える。これを防いでも次の攻撃は止められない。ならここで完全ガードを切るのは得策ではない。

 そして何よりも、目の前の少年と本気の勝負をしてみたかった。出来ることを全てやった上でカード1枚に全てを賭ける、その瞬間こそがヴァンガードの醍醐味であることをセイガは知っているから。

 

「ノーガード!」

「……!」

 

 力強く言い放つセイガ。

 それが彼の挑戦状にも似た宣言であることはサチにもすぐ理解出来た。

 

「ツインドライブ!ファーストチェック!」

 

 『次元ロボ ダイドラゴン』。トリガーではない。

 

「セカンドチェック!……ドロートリガー!パワーは『シルバード』に!」

「ドロートリガー、か……」

 

 喜ぶでも悔しがるでもなく、ただ確認するようにセイガは呟く。

 そして攻撃はヒット。『ダイユーシャ』のクリティカルは変わらず2。即ち2枚のダメージチェック。

 

「ダメージトリガー、ファーストチェック」

 

 捲れたカードは『波乱の強鞭ゲオルゲ』。トリガーではないことを確認し、セイガはそれをダメージゾーンに移す。

 

「セカンドチェック」

 

 ゆっくりと山札に手を掛けるセイガ。サチもまたそれを静かに見守る。

 

「……ゲット、ヒールトリガー!」

 

 『虹色秘薬の医療士官』。

 ヴァンガードファイターにとっての希望の印、『治』のマークを右上に持つそのカードが表に返るとともに、セイガは子供のような笑顔を浮かべ高らかにその名を呼んだ。

 

「ダメージ1回復、パワーはヴァンガードに!」

 

 1枚回復した後に『医療士官』自体がダメージゾーンに置かれ、その合計は未だ5枚。

 

「さあ、勝負はまだついてねえ。どうするよ、倫道」

「……『シルバード』で、『マクシオス』にアタックします」

「ノーガード」

 

 セイガの手札には『パスカリス』が残っている上、ヒールトリガーの恩恵で『ゲオルゲ』のパワーも上がっている。

 どうあれこのターンに決め切ることは不可能、ならばリアガードを叩き次のターンの攻撃を抑えるのが無難。

 

「ターンエンドです」

 

 静かに手番を終える。

 このターンには勝利出来なかったが、サチの闘志は消えてはいない。

 それどころかセイガの姿を、そしてこのファイトのイメージを映し、その目には興奮の熱が激しさを増していた。

 

「俺のターン!」

 

 そんなサチの熱につられ、セイガは勢いよくカードを引く。

 

「『逆浪の水将タナシス』、『波乱の強鞭ゲオルゲ』をコール!『タナシス』のスキル、『ラッコ兵』をレストしてパワー+5000。ヴァンガードの『ゲオルゲ』のスキル、『ダイユーシャ』のパワーを-5000!」

 

 前のターンに削られたリアガードの補充、そして発動できるスキルを全て発動。

 ここで勝負を決さんとするセイガと、それを守り切り次のターンに繋げたいサチ。

 このターンを制した者がファイトを制すると言っても過言ではない。

 そしてセイガが口を開く。

 

「行くぜ、アタックステップ。まずは……」

 

 リアガードの1枚に右手を当て、その手首を動かしかけた。

 セイガの腕の時計が甲高い音を響かせたのは、まさにその瞬間だった。

 

「……もうこんな時間か」

「あの、今のは」

 

 キョロキョロと音の主を探しながら、サチが尋ねる。

 

「ここからバイト先まで15分。だからそれに合わせてタイマー仕掛けてたんだ。……残念だが、ファイトはここまでだ」

 

 淡々と話す傍ら、机に広げたカードを片付け始める。

 

「……わかりました」

 

 サチもまたカードを纏め始める。

 その表情は当然寂しげであった一方で、どこか晴れやかでもあった。

 それに気付いたのだろう、セイガが訝しげに口を開く。

 

「なんでお前は妙に嬉しそうなんだ」

「えっ」

 

 その表情に自分自身でも気付いていなかったらしく、サチは一瞬虚をつかれた顔をする。

 だがすぐそれは微笑みに変わった。

 

「だって、残念だって言ってくれるってことは、白銀先輩もファイトを楽しんでくれてたってことじゃないですか」

 

 今度はセイガの方が不意打ちを付かれたらしく、悔しげ表情を浮かべた顔をふいとサチから逸らす。

 

「言葉の綾だ」

「それでも嬉しいです」

 

 吐き捨てるように突き付けられた反論にもサチは動じない。

 諦めたように聞こえよがしな溜息を一つ吐き、セイガは教室を後にしようとする。

 だが扉を開けたところでぴたりとその動きを止め、藪から棒に再び切り出した。

 

「……『ツイン・オーダー』」

「へ?」

 

 聞き覚えのないその言葉に、サチから間の抜けた声が漏れる。

 

「『ツイン・オーダー』。ディメポのグレ1ユニットだ。ブーストした時、フォースマーカーの数に応じてヴァンガードのパワーを上げる。お前のデッキは元々グレ3が多い上、『ブラドブラック』のスキルのお陰でフォースが得やすい。相性は悪くないだろ」

 

 つらつらと説明を言い切ると、サチの反応も待たずに今度こそ教室を去っていく。

 

「今のって、もしかしてアドバイス……?」

 

 その問いに答える者はいない。

 だが少なくとも今の言葉は参考にして損はない筈だ。

 それに依頼を果たしたのだからその報告もしなければならない。

 まずはミアキスに行くべきだろうと、サチもまた教室を後にした。

 

 

 

 

 

「か、返せた?……それもファイトまでしてもらったあ!?」

 

 ミアキス店内に、ララの声が響き渡った。

 カウンター越しに彼女と向かい合ったサチは、その叫びにビクッと肩を震わせつつも続ける。

 

「は、はい。中断はしちゃいましたんで決着は付いてないんですけど……」

「嘘でしょ……。いや君の言うことを疑うってわけじゃないんだけど……」

「まあ、俺自身が未だに一番信じられないんで。……でも、一つだけ感じたことがあります」

 

 はっきりと確信を込めたその口調に、ララは無言で先を促す。

 

「あの人はきっと、ヴァンガードが好きなんだと思います。そうじゃなきゃ、俺とのファイトなんて断れば良いし、やるにしたって本気でやる必要はない。……それに、ヒールトリガーを引いた時も本当に嬉しそうでした。本当にヴァンガードに飽きてるのなら、あそこで終わっちゃった方が良かったはずなのに」

「……そっか。うん、きっとそうなんだと思う」

 

 ゆっくりと頷くララ。

 そして上げられた彼女の表情は、いつもの明るいものに戻っていた。

 

「今回はありがとう。本当に助かったよ」

「いえ、俺がやりたくてやったことですから。……ところで」

 

 ふと思い出したようにサチが切り出す。

 

「んー?」

「『ツイン・オーダー』ってユニット、知りませんか?」

「『ツイン・オーダー』?ああ、ディメポの?確かあったと思うけど、買うの?」

「はい。お願いします」

「おっけー、在庫確認してくるからちょっと待ってなよ」

 

 そのまま奥に引っ込むララを見送ると、入れ替わりに後ろから肩を叩かれた。

 

「倫道、お疲れ様だ」

 

 声の主はキリカ。どうやらララとの会話を聞いていたらしい。

 

「私からも礼を言わせてくれ。ありがとう」

「え?あ、ああ……」

 

 そう返しはしたもののサチは首を傾げずにはいられなかった。

 労いの言葉はありがたいが、セイガのヴァンガード事情について彼女が礼を言う理由がどうもよくわからない。

 そんな疑問が顔に出ていたのだろう、キリカはくすりと笑って続ける。

 

「ああ、私が礼を言っているのはな、君のお陰で三秋さんの気苦労が一つ解決したからだ」

 

 言われて先日のことを思い出す。

 無理をさせたくない、三秋さんのためにも頼んだ、というキリカの言葉。

 

「そっか、お前三秋さんのこと心配してたっけ」

「そうそう。だからありがとうと言っているんだ」

「ん、どういたしまして」

 

 そう言われては素直に受け取らない方が失礼と言うものだろう。

 だが、そうなるとサチの脳裏には新たな疑問が浮かぶ。

 

「……お前、やけに気使ってるけどあの人とどういう」

「サチくーん、4枚あったけどどうする?」

 

 サチの疑問の言葉を遮って、ララがレジへと戻ってきた。

 

「え、ああ、なら全部買います」

「はーい、じゃあお会計はこちらになりますっと」

 

 機械が金額を表示し、その通りに料金を払う。

 4枚が纏めて袋に入れられ、サチの手元にポンと置かれた。

 

「はい、お買い上げありがとうございました」

「ありがとうございます」

 

 会釈一つを返してからチラリと時計を見る。

 セイガとのファイトにここに来てからのやり取りもあり、既に良い時間を回っていた。

 窓に目を移すと、夏が近づき多少長くなった日も大分落ちかけている。

 

「それじゃあ、俺はこれで」

 

 言葉と共に車輪に手をかける。

 

「待て倫道、さっき何を言いかけた?」

 

 いざそれを回そうとした時、キリカの声が後ろから投げかけられた。

 正直に答えようかとも思ったが、よく考えたら他人同士の関係性に首を突っ込みすぎるのも良くないのかもしれない。

 それが出会ったばかりの、助けられっぱなしの相手なら尚更だ。

 そう思い直し首を横に振る。

 

「あー、まあ今度でいいや」

「そうか……。わかった、じゃあまた明日」

「ん」

 

 キリカにひらひらと二、三度手を振って店を後にする。

 通りに出て帰路に着く。

 会社帰りや学校帰りの人々の賑わいの中を進んでいると、目の前の交差点は赤信号。

 そして、それが変わるのを待っている見慣れた人影が目に止まった。

 サチのそれとよく似た色の茶髪を、しかし彼とは逆に洒落たショートに纏めた青年。

 

「兄さん、奇遇だな」

「お、サチ。そっちも帰りか」

「ああ」

 

 サチの兄、倫道サツキ。荷物を見るに大学帰りだろう。

 弟の声に気付くと、いつも通りのへらへらとした表情で振り向く。

 

「高校にしちゃ遅いな、どっかで遊んできたとか?」

「まあ、ちょっとな」

 

 サチのその返事がどうやら意外だったようで、サツキはへえと声を漏らす。

 

「ってことはもしかして友達でも出来たか」

「え、あー……」

 

 期待の眼差しと共に向けられた質問に、サチは答えに詰まる。

 最初は出来たと答えようとした。

 実際、友人のように話せる相手は何人か出来たのだから。

 こちらよりも遥かに経験豊富でありながら、対等な相手として接してくれる途次キリカ。

 隣の席のよしみと称して世話を焼いてくれる御蔵リョウジ。

 自分なんかをまるでライバルかのように扱ってくれる並木トオル。

 そして今日、幸運にもファイト相手を引き受けてくれた白銀セイガ。

 だが、どうにも彼らには一方的に助けられている気しかしない。

 それどころか、こちらは自分の約束を果たすために彼らの優しさに甘えている様にすら思える。

 いざ改めて言葉にしようとして、彼らを本当に友人と呼んでいいのか、それがサチにはわからなかった。

 

「……まだ、かな」

 

 自嘲的な笑みを浮かべ答えるサチ。

 

「……そうか」

 

 サツキはそれ以上何も言わず、サチも特に続けることはない。

 数秒、兄弟の間を沈黙が支配した。

 それを破ったのは、鳥の声にも似ている気の抜けた青信号の音。

 

「疲れてるだろ、押すよ」

 

 サツキはサチの後ろに回り込み口を開く。

 

「いや悪いよ、兄さんも疲れてるだろうし」

「僕なら大丈夫だから。ほら車輪から手離せ、信号変わるだろ」

 

 もう一回信号待ちを食らうのは確かにごめんである。サチは渋々その言葉に従った。

 

 

 

 

 同日、既に日は落ちた頃。

 バイトを終えたセイガはいつものように自宅へと帰ってきた。

 

「ただいま」

「お帰りなさい」

「おっかえりー」

 

 母と姉とが出迎える。

 

「そんじゃあ、飯は後で勉強ひと段落してから食うから」

 

 そう言い残して自らの部屋へと引っ込もうとした、その瞬間母がふとそれを呼び止めた。

 

「……ねえ、なんかいいことあった?」

「え?」

 

 予想もしていなかった言葉を投げかけられ、セイガの動きが止まる。

 

「あーそれ私も思ってた。なんか顔がいつもと違うって感じ」

 

 それに続く姉。

 

「姉さんまで……。別に何もねえよ。いつも通り授業受けてバイト行って帰ってきただけだ」

「そ。それならそれでも良いんだけど」

 

 姉は追求を諦めたらしくひらひらと手を振って自室に戻っていった。一方、残った母は未だセイガを凝視したまま。

 

「……なんだよ」

 

 その空気に耐えきれず、セイガが根負けしたように吐き捨てる。

 

「……やりたいことがあったら、いつでもそっちを優先してくれて良いからね。お母さんもあの子も大丈夫だから」

「そうかよ」

 

 無愛想に返すが、その言葉にはどこか笑うような息、喜びの感情が含まれていた。そしてそれはセイガにも自覚出来たことだった。

 だがそれに気付かないフリをして部屋に戻る。

 勉強机には満面の笑みを浮かべた父の写真。いつも見ている筈のその姿が、どこか自分の僅かな変化、ささやかな前進を称えているように見えた。

 とりあえず、ミアキスのバイトはこれからも続けよう。倫道サチとの縁を切るのはなんだか勿体ない気がするし、三秋ララには非礼を詫びなければならない。

 そう心に決め、セイガは勉強に手を付け始めた。

 

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