そして翌日、光秀と滝川は疲れた体を引きずるように春日山城に赴き、事の全てを伝えた。家臣達は泣いていた。無論、上杉謙信も。
早速城下に櫻井戦死の報を知らせる木札が立てられた。同時に捕らえられた女性達は解放するよう伝えられた。人々は皆歓声に沸いた。
そして謙信は、全てのケジメを付ける為、城下の者を集めるようお触れを出した。人々はなんだなんだとすぐに集まった。
まず始めに、謙信は女の身でありながら2代目上杉謙信であることを皆に伝えた。民衆は驚いた。
そして次に、春日山を苦しめていた悪鬼・櫻井は織田の手で葬られたことを改めて伝えた。民衆は2度目の大歓声を上げた。
なおも謙信の言葉は続く。父である上杉謙信は病で急死しており、養女である自分が2代目を継いだ事。それを皆に伝えられなかった事を深く謝罪した。
しかし自分の力不足により民には多大な迷惑を掛けた事を続けて謝罪した。
次に自分は第一線を退き、今後の上杉家は養子である景勝・景虎兄様の二人で二重政策を行うつもりである事。
越後は今後織田の領地となるが領民には決して不自由な暮らしをさせないことを固く誓った。
「…………」
領民はぽかんとしていた。予想外の事が続いて、頭の整理がついていってないようだった。
(……これでいい。民はわたしを糾弾するだろうがそれも身から出た錆……。それを素直に受け入れ、表舞台から退けばよい。
今日をもって上杉謙信は死んだ。後は剃毛して尼となり、織田家に下ればいいのだ。父上。申し訳ありません。やはりわたしでは荷が……)
「なんだ、そんなことだったのかい」
「おかしいなー、と思ってたら先代はもう死んでたってことかい」
「水臭いぜ謙信様。どうせなら早く言ってくれればいいのに。そうしたら墓に献花でもしに行ったってのにさ」
「えっ……」
謙信は驚いた。
「あんただって色々辛かっただろ? なのに一人で抱え込むような真似して、そんなのわたしたちが許さないよ」
「男とか女とか関係ありませんや。あんたは誰が何と言おうと上杉謙信様なんだ。もっと自信持っていいんだぜ」
「そうだそうだ。悪いのは全部あの畜生なんだからよ。それが死んだのならこれほど嬉しいことはねえ。今日は酒で乾杯だな」
「あんたはただ飲みたいだけでしょうが」
予想外の反応である。謙信はてっきり自分に言いたい事の一つでもあると思っていたのだが、まさか受け入れてもらえるとは。
「あ、あの、わたしは……」
「いいんだよ。そりゃ言いたい事の一つや二つあるかもしれないが、それを口に出すのは野暮ってもんでしょうよ」
「謙信様も女なんだ。今度は女の幸せでも見つけてみちゃどうだい」
「そうだな、例えば俺の嫁に……」
「ちょっとあんた、あたしじゃ不足だってのかい!?」
「ひいい、冗談だよ」
民衆はがははと笑った。謙信は必死に涙を堪えた。それを静かに見つめていた人物がいた。直江 愛だった。
(謙信様。今日あなたは、ようやく上杉謙信となりましたね……)
その表情は、どこか嬉しそうだった。
それから数週間が経過し、織田と上杉による合同事後処理がひと段落したところ、謙信と直江は岐阜城に呼ばれることになった。
(謙信様、どうかなさいましたか?)
(直江か、私は思ったのだ。おそらくわたしは二度と越後の地を踏むことは許されないだろうとな)
(そんな……民は謙信様を許したではないですか)
(人の心とはそこまで甘いものではないよ。時間が経てば種火は燃え上がり、はらわたの一つでも煮えくり返るものだ)
(謙信様……)
(だがわたしは悔いはない。わたしでは無理だったが、兄様達と織田の者であれば民が穏やかな日々を過ごせる地になるだろう。わたしの役目は終わったのだ)
(そう、でしょうか……)
(でもな、愛が付いてきてくれればわたしは嬉しい。これからも公私共々よろしく頼む)
(……。はい。分かりました。銀姫様)
(ふふふ、頼むぞ、梅よ……)
「始めまして。父の遺言で2代目を努めさせていただいていた、上杉謙信と申します。銀とお呼びください」
「同じく、父の遺言で家老の座を努めさせていただいていた、直江愛と申します。梅とお呼びください」
「うむ。わしが織田信長である」
(ほう、あれが上杉謙信か……)
(何とも絶世の美女ではないか……)
(……ふん、家臣達が色気付いておるわ。まあ、気持ちは分からんでもないがの)
「此度は上杉に巣食う悪鬼を祓っていただき感謝の次第もございません。本件を持ちまして、越後は織田の傘下の末席に入れていただければこれ以上の喜びはありません」
「離れ小島の佐渡からはよい金が出ることで有名です。信長様も気に入っていただけるかと」
「ほう、金、で、あるか……。では越後のついでに有難く貰っておこう。もっとも、今は越後にどの武将を派遣するかはまだ決めておらんがの」
ここにきて織田家の武将不足が目に見えてきた。畿内の事を考えれば、光秀は論外。秀吉も手元に置いておきたい。
佐久間という手もあるがそれでは筆頭家老の座を降ろさざるをえなくなる。久秀は大和の統治で手一杯だし、勝家もそういうタマじゃない。
(……仕方ない。滝川あたりに行ってもらうか)
「殿、差し出がましい事なのですが……」
「ん、なんじゃ光秀」
「城下の寺子屋で教鞭を取っていたところ、それなりに優秀な人材が3名ほどいました。彼らなら政務の一部を任せてもよろしいかと」
「ほう、光秀、お前の眼に適う者か?」
「はい。後でお目通りを許してはもらえませんか?」
「む、分かった。ではその者に異例の立身出世を許そうではないか」
「有難うございます」
(人材を育てる、か……。渡りに船か、はたまた泥舟か、今は分からんがそういう者が芽吹くとわしも嬉しいがな。と、なると……)
「あー、こほん。ところで謙信と愛よ、そなたらの処遇についてじゃが……」
「殿、この二人を是非わが嫁に!」
「こら、一気食いとは無礼じゃぞ! わしにも一口よこさんか!」
「いやいや、殿、是非私に!」
「やかましいわ貴様ら! いい年した男が猿のように色気付くでないわ!」
(しかし、改めて考えて、どうするか……? 市の件もあるし、もう政略結婚の類はうんざりじゃわい。うーむ…………あ、いるではないか。丁度いい男が!)
「おい、横溝はどうした?」
「横溝殿、でありますか? たしか、昨日の夜は寝付けなかったので下の階で眠っているらしいですが……」
「今すぐ叩き起こしてここに連れて来い!」
「は、はあ……」
「呼んだか、信長?」
まだ眠いのか、目元を擦りながら横溝が部屋に入ってきた。
「おう、よく来たな。今この娘達をどうするか考えていたところなんじゃが……」
「ふーん、で?」
「銀と梅、此度の渡人を屠った褒美として貴様にくれてやる。好きなようにせい」
「はあっ!?」
人殺しを頑張ったら嫁が二人も付いてきた件について。
「何でだよ。何で俺なんだよ。信長、おまえが貰えばいい話だろ。子孫繁栄は戦国武将の慣わしだろうに。そこらじゅうで子供作ってるだろうが」
「いやあわしも最初はそう考えたんじゃがのう。たまには貴様にも飴玉をくれてやらんと謀反を起こすかもしれんからのう。いやあわしも優しいのう」
(うわぁ、滅茶苦茶からかってやがる……!)
「ほう、さては、お主、ひょっとして……女を抱いた事がないな?」
「いきなり何をいい出すやら・・・。あるよ。ススキノのソープで2回、テニス部時代に後輩と1回……」
「ススキノ? なんじゃ、夜鷹にでも行ったか?」
なお夜鷹は江戸時代の造語なのだが笑って許していただきたい。他にいい表現が思いつかなかったんです。
「違うよ。札幌の歓楽街だよ」
「さっぽろ? 何処じゃそこは」
「今でいう、蝦夷だよ」
「蝦夷ぉ!?」
これには家臣達も大騒ぎ。
「何じゃ、お前さんの時代は、蝦夷がそこまで栄えておるのか? あんな僻地に?」
「そうだよ」
「むむむ……時代とは変わるものじゃのう……っと、話がそれたな。とにかく、貰っておけ。嫌だといったらまた首を斬り落とす」
「ふん、そうなったら暴れん坊天狗のように、首がもげても動いてみせるわ」
「照れるな照れるな。いいから、わしの餞別じゃぞ。潔く受け取るがよい」
「勘弁してくれよ。それやったらただの同人誌になっちまう……」
「二人は、異論ないな」
「……わたしは信長様のお考えに異を唱える立場にありません」
「……わたしも同じく。この方に着いて行けというのならそれに応じましょう」
「そうかそうか。それは良かった。横溝、よかったな。結婚するのなら早めに言えよ。引き出物を考えておくからな。がっはっは」
「……(男・横溝由貴。今度こそ本気で謀反を考えたくなったんだがどうよ?)」
で。
「結局こうなるわけね……」
「不束者ですが、よろしくお願いします」
「これでも女の嗜みは覚えておりますのでご安心を」
夜の横溝宅。二人の姫が深々と頭を下げていた。
「……あのさぁ、先に言っておくが、俺はお前達と結婚するつもりはないから」
「ええ、構いませんよ」
「私達は形だけは信長様の命に従っただけですが、あなたであれば異論はありません」
「それとも……わたし達のように穢れきった女では不足ですか?」
「俺は穢れとかそういうのは気にしないよ。ますます優しくしたりして。まあ、二人の事情は一応分かっているからな」
「まあ、そうですか、横溝殿はとてもお優しい方なのですね」
「本当は、あの時信長様に、くれてやると言った時、顔が綻んでましたよね、銀姫様」
「こ、こら梅、それは言うな!」
「まあそれに気付いたのはわたしぐらいなものですけど……ふふ」
これ以上惚気話を聞いてると頭がおかしくなりそうだなと横溝は思った。
確かに二人は美女だ。それを貰った自分は果報者なのだろう。しかしクリムゾンの呪いがそれを許さない。どうせそう長くない身なのだ。
だから素直に喜べなかった。ゲームでもアニメでもなく、生身の女性に惚れられるのがこんなにこっ恥ずかしいとは思わなかった。
(どうすればいいんだろうね、俺・・・・・・どう言えばいいんだろうね、俺……)
「な、なあ梅よ、さっきから横溝殿が何も話さないのだが、わたしたちは気に触ることをしたのだろうか?」
「いいえ、銀姫様。照れているのですよ。顔を見れば分かります」
「んぐっ……おまえらまで俺をからかうか」
横溝は顔をポリポリと掻いた。二人の姫君はニコニコと笑っていた。
「だが、気がかりなのはわたしの腹だ。ひょっとしたらもうあの悪鬼の子を孕んでいるかもしれん」
「その時は、素直に産みましょう。この方なら、それも祝福してくれるでしょうし」
「あ、ああ。そうだな」
「…………」
「…………」
「…………」
ぷちっ。
とうとう間が持たなくなった横溝が立ち上がった。
「…………あーもう、誰が信長の思い通りになってたまるか! 俺は寝る! 朝まで寝てやるからな!」
横溝は布団に潜り込んでしまった。
「あら、意外な方。」
「純情なのか甲斐性なしなのか、本当に変わった方なのですね。ふふ……」
「ふむ、ではわたしは横溝殿の左側で寝るとしよう」
「ではわたしは右側で。銀姫様とで挟み込むとしましょうか」
「くー……くー……」
「すう……すう……」
(眠れねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!)
その日の夜は少し、いや、だいぶ長かった……。
家族が増えたよ。やったね由紀ちゃん!