「ん……」
朝である。まごうことなき朝である。それでいて実に快晴な朝である。
横溝は寝不足の目を擦りながら周囲を見渡す。直江はまだ夢見心地というほど熟睡しているが、謙信の姿はない。
トントン……トントン……
台所から包丁の快適な音が聞こえる。
(そういや、そろそろ大根を片付けてしまわないと腐ると思ってたんだがな……)
重たい体を起こし、台所へ向かう。
そこには謙信の姿があった。
「……おはよう」
「あ、おはようございます、横溝殿。あ、あああっ、台所に入ってきてはなりません。ここは女のいる場所です」
「…………」
(こいつ、完全に新婚気取りでいやがる……)
昨日、予期せぬ出来事で増えた家人二人。それも片方は2代目上杉謙信で女性。もう片方は家老の直江愛でこちらも女性。
そんな見目麗しき女性二人を信長の気まぐれで褒美として貰ってしまったのだ。横溝の意思とは無関係に。
かといって、やったー両手に華だひゃっほーい、などと浮かれる気はさらさらない。
真紅の銃・クリムゾンがそれを許さないのは分かっていたからだ。
どうせ奴は呪いで俺を苦しめるに決まっている。持ち上げてから落とせば威力は倍だ。できれば甲斐性なしに徹したい。
「もうすぐご飯が炊けますが、この米でよろしかったのでしょうか?」
「玄米がどうかしたか?」
「いえ、わたしはお寺出身なので玄米の存在は知っていましたし何度も食べていますから」
「じゃあいい。炊けたらそのまま盛ってくれ。三人分な」
「はい、分かりました」
「こら、直江、起きないか」
「ん……むむ…………ふわぁ……あ、ああ、す、すいません、横溝殿、私、朝は弱いのです」
「お前たちのせいで急遽布団を二人分用意するはめになったんだぞ。ちゃっちゃと起きて布団を畳め」
「ふぁい……わ、わかりましたぁ……」
頭を揺らしながら、直江が起きる。元は謙信とは幼い頃からの友達であり、時代が時代なら習わしによって梅姫として嫁ぐ筈だったが、今はこの家の一人。英語で言うとルームメイト。
決して愛人ではない。多分。
(信長め、いらん事しやがって……)
その後、井戸水で顔を洗い、髪をとかし、朝日に向かってのびをして、体を整えたところで謙信に呼ばれた。
居間には既に配膳の準備が整っていた。
お膳には玄米ご飯と大根の味噌汁。それと副菜としてこんにゃく、くわい、タケノコを醤油で煮詰めた横溝の特製品である。
「いただきます」
「「いただきます」」
横溝は箸でご飯を口に運ぶ。硬すぎず柔らかすぎず適度なご飯であった。流石自ら台所に立っただけのことはあって、女性の嗜みはそれなりに覚えているようだ。
「横溝殿はいつもこのような質素な物を食べていらっしゃるのですか?」
「俺は大名じゃないんだ。給金だって大したことない。だから贅沢をする気はない。ま、信長にとっては最高の駒だろうがな」
「はあ……」
「だが、せっかくだから二人が来た祝いはしなければな。後で肉屋に鳥を買いに行かせるが、いいな」
「はい、勿論です」
「場所は後で二人に伝える。頼むぞ」
「はいっ!」
そう言い終わると、味噌汁の中の煮えた大根を口に含む。あいにくこの時代、味噌汁にはダシがない。横溝は味噌を作る際に意識して昆布を削ったものを混ぜている。
(……なんか信長の事を口に出したらやっぱむかついてきた。後で岐阜城に行って一言ぐらいは言ってきてやる)
「俺は準備ができ次第岐阜城に行ってくる。後の事は任せる」
「はい、分かりました」
「信長、おはようさん」
「おお横溝か。……何やら眠りが浅そうな顔をしておるな。で、どうじゃ? 昨日の夜は?」
「……いつも通りでした」
ぺしっ
信長に頭をはたかれた。
「阿呆め、儂に嘘をつくとろくなことにならんぞ。ほれほれ、素直に言わんか」
「…………長い夜だった」
嘘は言ってない。
「おお、そうかそうか! お主もやることはやったか! めでたいのう、引き出物は何がいいかのう……」
「…………」
やっぱりこの場でクリムゾンで撃ち殺してやろうかと横溝は思った。
「それにのう、同時にあの二人を守るためでもあるのだぞ」
「……は?」
「横溝よ、何故儂が帰蝶を正室として迎えたか分かるか?」
「そんなもの武家の習わしだろう」
「……阿呆め。帰蝶はな、儂の一番の理解者だからじゃよ」
なんだ、いい年した親父の惚気話でも聞かされるのか、それなら御免だぞ、と言いかける前に信長は話を続けた。
「この乱世の時代、武士の妻とは因果なものよ。子を作らねばならぬ、いつ死ぬとも分からぬ夫を支えねばならぬ、地獄へ寄り添わねばならぬ、やる事は山積みじゃ」
「ふぅん……」
「じゃがな、例え地獄の閻魔を前にしても、私の愛した夫は天道に恥じる行為は一つもしていない、そう答えねばならぬ。その覚悟がある者だけが武士の妻となれるのじゃ」
「あんたじゃ地獄の閻魔も素足で逃げ出すと思うがねえ……」
「褒めてくれるな。戦に出る時も笑顔で送り出し、戻ってきても笑顔で迎え入れる。例え心中は不安でたまらなくても、な。帰蝶はな、それだけの肝が据わった女じゃよ。儂には勿体ない程にな」
「……やっぱり惚気話じゃないか」
「話は最後まで聞け。対して、謙信と直江はどうじゃ? 少なくともその資質はあるまい。
しかも渡人にやりたい放題させていた責任を取れずに自刃して果てることも出来ずにお主の家に転がり込んだ。もはやあやつらは、越後に戻ることも適わんじゃろう」
「…………む」
「じゃから、お主が居場所を作ってやれ。そのくらいの気概なくして、何が男じゃ。渡人じゃ」
信長からは年長者特有の説教臭さはある。だが不思議と悪い気はしなかった。天下を取らんと動いている筈の男が、ただの駒を心配している。背中がむずがゆくなる思いだ。
(……ちっ、言いたいことの一つや二つかましてやろうかと思ったが、クリムゾンの照準のように外してしまったか。流石は、織田信長、ってことか……)
「幸せにしろ、とは言わん。せめて居場所を作れ、それぐらいならお主でもできるじゃろう?」
「あーもう分かったよ。いつ朽ち果てるか分からん身だが、それなりに頑張ってみるよ」
「そうじゃ。それでいい。大切にしてやれ。で、話は戻るが引き出物は何がいいかのう?」
「…………」
やっぱりからかわれるのだった。
(選択肢は『はい』か『イエス』って辛いなあ……)
「おや、横溝殿ではありませんか」
「あ、松永殿。こんちわ」
そろそろ家に戻ろうかと思っていたが、そこで松永久秀に出会った。
「私もそろそろ一旦大和へ帰ろうかと思いましてな。ここで会えるのは僥倖、といったところですかな」
「そんなに大げさなことでもないだろう」
「ふふ、この久秀、横溝殿には多少たりとも恩ができてしまいましたからな。年を取るとどうにも別れが辛くなるのですよ」
「そういうもんかね……」
「ところで横溝殿、越後から上杉謙信と直江愛という、見目麗しき女性を引き入れたと聞きましたが、夜の具合はどうですかな? よければ黄素妙論をお貸ししますが」
「いらないよ!」
やれやれ、今日は信長に続き久秀殿にも茶化されるのか、と横溝は頭痛がしそうな頭を必死に抑えた。
「ですが、同時にあのお二方を守る事にもなりますぞ」
「え……」
「越後は織田家の者と景虎・景勝両名の協議制となりましたが、未だ油断は出来ませぬ。どちらかが、と争ってもおかしくはありません。例え織田の監視があるとしてもです。
関係が悪化すれば上杉側は謙信・直江両名を強引に持ち出して責任を押し付ける可能性とて充分にありまする」
「…………」
信長と同じような事を言うんだな、と横溝は思った。
確かに大名同士、考えは似ているのかもしれない。横溝は政治は分からないからこそ、余計に耳にくる。
「そうなれば行きつく先は、原因不明の病という建前で謀殺されるのが道理。それは横溝殿とて本意ではありますまい」
「あぁ、確かに、な……」
「だから今は二人を守る術は、二人を政から遠ざけるのが一番かと。普通に女性として愛してあげればいいのではないかと、まあ大きなお世話かもしれませんが」
「忠告は感謝するよ。俺のできる範囲で、二人は守ってやるさ」
「それでいいかと。ではこれにて失礼。良ければいずれ大和にもお尋ねください。平蜘蛛でおもてなししますぞ」
「…………」
(年の功ってやつかね……)
横溝は松永の背中を目で追いながら、心の中で、有難う、と一言呟いた。
その後も横溝は岐阜城内にて様々な武将に茶化されたり進言されたりと同じ言葉を繰り返し聞いた。
「…………」
二人は武将であるのか、それともただの女性に過ぎないのか。それは、今はまだ分からない。
あれこれと考えながら横溝は帰路に着いた。
見慣れた家の前には、上杉謙信と直江愛が台八車に大量の食材を上げておろおろと困っていた。
「……おい」
「ああ横溝殿、お帰りなさいませ」
「これは何だ? 俺は鶏を買ってくればいいと言った筈だぞ」
そう、台八車の上には鶏に魚に野菜に惣菜、あらゆる食材がでんと乗せられていた。
「あ、いや……」
「実は……」
お使いに出た二人は、周囲の視線が気になるほどの別嬪さんだった。男なら誰もが振り向くほどの。
(……なあ梅よ、わたしたち、何か見られてないか?)
(仕方ありません謙信様。この街ではわたし達二人は新参。見慣れぬ者を警戒するのは当然です)
(そ、そうか……。ど、どうしようか)
(堂々と歩きましょう。下手に声をかければ警戒されるかもしれません)
それを見ていた町人達。
「はえ~、なんだあの別嬪さんは」
「着ている着物も上等な代物だよな。一体何処から来たお嬢さんなんだ?」
「へっへっへ、俺、知ってるぜ」
「何だって!? おい、詳しく聞かせろ!」
「実はな、昨日の夕方、横溝の旦那が大急ぎで布団を二つ買いに行って戻ってくるところを俺は見たのよ」
「え、じゃあ……」
「俺は気になってこっそり後をつけてみたらな、あの別嬪さん達が旦那の家に入っていくところをしかと見たのよ!」
「そ、それじゃあ」
「おうよ!横溝の旦那、遂に結婚しやがったのよ!」
「何だってー!?」
「多分婚姻の儀は岐阜城で済ませたんじゃねえかなあ。で、もう一人はいわゆる側室ってやつじゃねえかな?」
「そうかそうか。何にしろめでてえ話じゃねえか!」
「おうよ! おまえら間違ってもあの二人に手ぇ出すんじゃねえぞ! 旦那が怒るし、岐阜城から首切り人が来てバッサリだあ!」
「ひええええっ、おっかねええ!」
人の口になんとやら、二人の存在は瞬く間に町人の間に知れ渡ることになるわけだが、それはまた、数日後の話である。
「へい、らっしゃい!」
「横溝殿の使いで来ました。鶏を丸ごと一羽いただけませんか?」
「おお、お客さんはぶりがいいねえ! ……ん、横溝の旦那?」
「え、あの、いけませんか? お金ならここにありますが」
言葉も聞かず、店主は二人をじろじろと見ている。そして横溝の旦那。頭の中をぐるぐると回転させ、やがて一つの結論が出た。
「おお、そうかそうか! 旦那、結婚したんだな。いや~、いい娘さんをもらったもんだ!」
大声で拍手をする。
「え、ええ……!」
「ようし、分かった! こいつに釣りはいらねえ。引き出物代わりだ! ただで持っていきな!」
「そ、そんな……」
「なあに横溝の旦那には日頃から世話になってるからよお! ま、お返しみたいなもんさ」
「なあにぃ? 横溝の旦那が結婚!?」
店の周りは瞬く間に人でいっぱいになった。
「おう、それじゃあおいらも奮発しねえとな。この野菜、持っていってくれ! なあに遠慮はいらねえよ」
「お、てめえやるじゃねえか。じゃあ俺はこの魚を出すぜ。どうせ売れ残って腐って捨てるようなもんだ。持っていってくれ」
「じゃあうちからは椎茸を出すぜ。こいつは上物だぜ」
「それじゃうちからは糠漬けを出そうかねえ」
「あたしからは味噌漬けを出すよ。もっていきな」
まさに食材の大盤振る舞いであった。そして謙信と愛は、突き返すことも出来ずに黙って受け取るしかなかった…。
「とまあ、そういうわけでして……」
「おかげでこのような有様に……」
「…………」
(早とちり? 早合点? どっちを使っていいか分からねえ。あー頭が痛え)
「横溝殿、街では人気者なのですね」
「村八分状態にならないように努めたからな。しかし今回ばかりは完全に裏目に出たな…」
「しかし、どうしましょう? この大量の食材…」
「運び込むしかないだろ」
かくして、横溝の家は食材で溢れんばかりになってしまった。
日持ちがするものは良しとして、問題は肉と魚だ。魚は干物にするという手もあるが、それでも全部は難しい。肉は論外である。あいにくこの時代に冷凍庫はない。
「仕方ない。今晩は鍋にしよう。適当な大きさに肉と魚と野菜を切って味噌を入れれば完成だ」
(来賓用に大きめの鉄鍋を買っておいて良かった。これで夕飯は鍋パーティにしよう)
「そうしましょうか」
「ではその役目はわたしが担いましょう」
謙信はやる気まんまんという表情で台所に行ってしまった。