「ふう……」
今日は岐阜城に行って、帰ってきたらこの有様で、さすがの横溝も精神的に疲れた。できればお腹を満たしたら風呂に入りに行ってさっさと寝たい。
「……横溝殿」
「ん、どうした直江」
「横溝殿にご質問が」
「何だい、かしこまって」
「昨夜は何もしませんでしたね。何故ですか?」
火の玉ストレートが飛んできた。
「そ、それは……」
「わたし達に遠慮する必要などありません。この家に来た時点で覚悟はできています。それに……」
「それに?」
「謙信様……銀姫様は横溝殿をお慕いしております」
「そんなエロゲみたいな都合のいい展開……」
「あります」
愛はエロゲという単語は何かは知らないが、多分恋文のようなものだろうと勝手に思った。
「あなた様が岐阜城にて初お見えした時、わたしは銀姫様の表情がぱぁっと明るくなるのを見逃しませんでした。ああ、これは一目惚れだな、と」
「惚れやすいのか、謙信は」
「いえ、あなただからです。……話を続けます。なればこそ、二人は相思相愛の間柄になっていただきたいのです」
横溝は、うわーこんな時代にまさかモテ期が来るとは思わなかったなー誰だよこんな都合のいい展開思いついたの、と思った。
「同時に、わたし達二人を守るためでもあります」
「……」
横溝は信長や久秀が言っていたことを思い出していた。たしか、二人はもはや越後に帰ることはできない。ならばおまえが居場所を作ってやれ、だっただろうか。
「この家に転がり込んで、何時も経っていないことは重々承知しております。ですがわたし達に選択肢はなかった。信長様は我々二人を持て余したのは明白です」
「……だろうな」
「お願いします。わたしはどうなっても構いません。ですが、せめて銀姫様だけは恋人のように接してあげてください。これ以上。あの子の目が曇らないように」
深々と頭を下げられた。
よもや彼女がここまで思い詰めていたとは、さすがに予想外だった。立場的に、自己犠牲を強いてでも尽くしてきたのだろう。
横溝は思った。これでいいのか、人として、男として、ここまで言わせた者の想いを突っぱねることができるのか、と。
答えは、もう横溝の中で出ていた。
「……分かった。謙信は俺の出来る範囲で幸せにしてやる。……結婚は、しないがな」
「有難うございます……」
「それから直江、おまえも、な」
「はい。喜んで、尽くさせていただきます」
それから一刻ほどして、謙信は何とか鍋を完成させた。
当然全てあった食材は入りきらず、後から追加していくことになる。既に魚の一部は開いて干物にして軒先にぶら下げているが。
「「「いただきます」」」
鍋は美味しそうにぐつぐつと煮だっていた。肉、魚、野菜とこれはもう豪華料理である。
3人は鍋に箸をつけた。
「美味いな」
「ええ。横溝殿の使っている味噌はいいものなのですね。香りもいいし、味がにじむように出ています」
「私は猫舌なので、取り皿に入れながら少しずつ食べていきましょう……」
直江愛。意外とぽんこつなのかもしれない。
「俺も熱いのは苦手だ。取り皿を使う。だが味噌汁も飲めよ。出汁が出て美味いぞ」
「はい。……はふっはふっ、うーん。美味しいですね」
「お代わりもありますから。梅、これを3人で全部平らげるのだ。覚悟をしておけよ」
「ははっ、銀姫様、どうぞお手柔らかに」
横溝は煮えた葱や椎茸にかぶりつく。火は通っていて、実に美味しい。
次に肉に手を付ける。こちらもいい味だ。
出汁が出た味噌汁も一口吸う。体が火照り、何度でも味わいたくなる味だった。
(残ったら飯を入れて雑炊にでもするかな……)
などと考えながら魚を口に、だが硬い骨が口に刺さった。
「……謙信よ、できれば骨はちゃんと取り除いてくれ」
「えっ!? まだ残っていましたか!? す、すいません、注意して取り除いたつもりなのですが」
「ははは、横溝殿も不覚を取られましたな」
「茶化すな、梅よ」
「ふふ……」
こういうのもいいな、と横溝は思った。やはり飯はみんなで食う方が美味いのかもな、と。
(大学入ってからもずっと一人暮らしだったからなあ……一応正月は家族の元へ帰郷したけど)
ところで、である。
横溝は、あれ、を切り出すことに決めた。
「謙信よ」
「…はい、何でしょう? お代わりですか」
「いや……今夜、その、やることやるからな。風呂に入って身を清めておけ」
「……!!」
謙信の顔が真っ赤になった。横溝の言わんとしたことが瞬時に理解してしまったからだ。
「わ、わ、分かりました。こんな身でよければ、よ、喜んで」
「銀姫様、そう緊張なさらないでください。わたしも同伴しますゆえ」
「あ、ああ……」
「…………」
(いやー改めて考えると、すっげーこっ恥ずかしいこと言ってるわ、俺)
「あ、お代わり」
「は、はい、どうぞ」
夜は少しづつ更けていった……。
そして何とか大量の食材を鍋という手段で平らげた三人は、夜でもやってるお湯屋に赴き、汗を流した。
更に時は流れて深夜、遂に三人は結ばれ……、
なかった。
その夜、クリムゾンの呪いが発動した。
横溝は全身の血管が浮き出、瞳孔は開き、口の中は瞬時にカラカラになる。激しい痛みと苦しみ。
謙信と愛は押さえつけるように横溝をなだめた。
結局、三人がめでたく結ばれたのはそれから三日後の夜であった。
「クリムゾンめ、覚えてやがれよ……」
「そんな短筒、捨ててしまえばいいではないですか」
「以前肥溜めに落としてやったが、翌日あっさりと戻ってきた」
「……恐ろしい呪いの鉄砲なのですね」
クリムゾンは嘲笑うかのように昼間から紅く輝いていた。
それから数か月が経ち、岐阜城に新年がやってきた。
家臣全員、信長の息子たちが一同に揃い、信長に新年の挨拶をする特別な場である。
「殿、あけましておめでとうございます」
「父上、あけましておめでとうございます」
「うむ、苦しゅうない」
……しかし横溝にとっては、退屈この上ない場でもあった。
信長とはいつも軽口を言い合ってる仲だし、家臣にも改めて挨拶をするのも変な感じがする。結局、息子達に挨拶をして、新年の挨拶は一通り終わった。
年末も差し迫る中、横溝は信長に一つの料理を振舞った。
「天ぷら」である。
作り方は至って簡単。水でといた小麦粉に材料を絡めて高温の油で揚げるだけ。これだけである。
しかし信長はこの天ぷらを随分と気に入った。なにせ作り方が簡単なのでおかずに最適だし、火を通すから腹を下す恐れもない。
横溝はあんまり油を取りすぎると胃がおかしくなるぞ、と口を挟んだが……。
今回の新年でも酒と共に天ぷらは振舞われた。皆で思い思いの材料を油にくぐらせ粗塩を付けて食べるのである。雑煮よりもこちらが主役になってしまったほどだ。
それから更に数日、正月の気の緩みをピシャッと引き締めるべく、信長がある計画を提示してきたのだ。
そういえば、今年はでかいことをやるとか言ってたな、と横溝は思い出していた。
「……して、殿、何をお考えで?」
「うむ。畿内に大きな城を建てるのよ」
「築城……ですか」
「そうじゃ。浅井・朝倉が落ち、越後も我が手に下った。甲斐の武田は虫の息、本願寺も大人しい。で、あればここは新しい城を建立し、儂はそこに移るつもりよ。
なにせ畿内から岐阜はいささか遠いと思っておったからな」
「いい案だと思います」
光秀が我先に声を上げる。
「私はてっきり甲斐に赴き、武田を完全に滅ぼすと思っておりましたがな」
「それは家康に任せようと思う。いい加減奴らにも知行の一つも与えてやらんと反乱の火種になるからの」
「戦国の世では一寝すれば味方が裏切る……嫌な世の中ですな」
「して、殿、一体何処に城を建てるというのですか?」
「なんじゃ猿、分からんか? お前もよく知っている場所じゃぞ」
「え……」
信長は畿内の地図を広げ、ある一点を指さす。
「ここじゃ」
「安土……ですか」
「……残念じゃが、琵琶湖水運は思った通りの成果を出しておらん。風に弱いし、舟も小さな物が多くて大きな物を持ち運べないときてる。それなら陸路を整備した方がましだと思ったわけよ」
「うう……あんなに頑張ったのに……信長様、どうか拙者の失敗は大事にしないでくだされ……」
「ま、誰に任せても似たような結果になったと思うがな。でもまあ、結果は結果じゃ。猿、しばらく謹慎しておれ」
「ははぁー……ねねと小作りにでも励むとするか」
「じゃが拠点にするなら琵琶湖に面したこの位置は強いぞ。飢饉に強く、水に富み、商業の拠点にもなりうる。実によい場所じゃ」
「では、大量の石材と木材、大工など様々な人員と材料を用意する必要がありますな」
「しかし、この位置では本願寺が何というか……」
「くっくっく……その本願寺じゃがな、間者を派遣しておったのだが、ここにきて面白い情報を掴んだのじゃ」
「面白い情報……ですか」
「ふふふ……越前の加賀一向宗の強硬派で知られる七里頼周と穏健派の下間頼照が身内争いを初めて今にも爆発寸前らしい」
「なんと……!」
「加賀一向宗は土着の豪族の集まりじゃ。本願寺の命があっても、はいそうですかとは言えんらしい。そこにきて遂に、というわけじゃよ」
「どこからそんな情報を……いやはや殿の目には千里眼でも付いていらっしゃるのですかな?」
「だが、これは好機に間違いないぞ、ならば七里に勝ってほしいですな。下間が勝ってもこちらにうま味はない」
「うまくいけば一気に本願寺撤去までいけるかもしれませんなあ」
「そういう事じゃ。では家臣一同、本年の命令を与える! しかしと聞くがよい!」
「「「「「「「ははぁー!」」」」」」
織田も騒がしくなってきたようだ。
新年から更に数日、織田家の各々の家臣たちが今年統治する区域を指名され、岐阜城を旅立っていった。
その一方、御所……室町幕府15代将軍・足利義昭公にも新年のご挨拶をする必要があった。
そしてもう一つ、安土の築城のために本願寺にお伺いを立てることもしなければならなかった。
家老佐久間は岐阜城に残り、政務を担当することになった為、選ばれたのは……、
「こうして二人で馬を歩かせるのは初めてだなあ、明智さん」
「そうですなあ、しかし横溝殿も一緒にとは、殿は何を考えているのやら……」
家老・明智光秀だった。そしてもう一人、用心棒役として横溝も参加することになった。
「まずは本願寺だな」
「……手荒なことは止めてくださいね」
「ああ、なんとかな。帯刀しなければ問題ないよ。俺も以前本願寺に行った時はクリムゾンを置いていったものだ」
「成程、我々はあくまでお話をしに来た、と。中々横溝殿も頭が冴えるお方で」
「頭と言えば……明智さん、随分禿げたなあ。もう髷も結えないんじゃないか?」
「私は殿よりずっと年上ですから。戦で死なない限り、先に死ぬのは私でしょうなあ」
「信長にからかわれなかったか?」
「ええ。『今日からお前の名は金柑頭じゃ!』と……」
「……それ、怒ったよな?」
「殿は人にあだ名を付けるのが好きな御方ですが、さすがに……無言の圧力を返しました。そうしたら、そんなに怒ることないじゃろう、と。ふふ……」
「あんたも大変だねぇ……」
「安土、ですか……」
本願寺顕如は信長の畿内進出を聞き、いささか顔を歪めた。
もはや畿内で織田家に対抗できる勢力など、我ら本願寺しかなくなってしまった。しかしここで信長を畿内に固定されれば明らかに不利になる。
かといって、これを止めるとなると、あれこれ考えるがいい案は思いつかなかった。
(もはや、ここまでなのでしょうか……しかし民の平和を考えればあの天魔を畿内に固定されるというのも、癪ですねえ)
「まあ顕如殿、そう難しく考えなさるな。信長様の考えゆる『天下』とは畿内平定の意味が近いのです。何でしたら、互い手を取り合うことだってできましょう」
「そう上手くいくでしょうか。信長が文字通り畿内を平定すれば、更に、西……毛利や九州まで喰らおうとするのでは?」
「それは分かりません。ただ毛利のような大きな勢力は出来れば分断させたいでしょうな」
「そうでしょう。ならば我らは同調する道を取るのは難しいと考えます。確かに本願寺は大きくなりすぎた。信長ならば、その勢力を何とかしよう、はっきり言えば潰すと考えるのが筋では?」
「ですが、武士が僧を相手に戦いを続けるのも、時代錯誤であると私的に思います」
「ふむ……」
お互い、金玉を握り合うような、交渉事である。果たして、天秤はどちらに傾くのか……。
と、いう緊迫した状況の中、空気をあえて読まない男が一人。
「おーい、顕如さん、それから明智さん、話し合いも疲れただろう。せっかくだから面白い料理を作ってきたぜ。寺の台所を借りてな」
横溝は料理を片手に、顕如の前に置く。
「なっ……また天ぷらですか。横溝殿、僧は一応厳しい食事制限が」
「大丈夫。肉も魚も使ってないから」
「いや、そういう問題では……」
「ふむ……これは天ぷら、というのですか?」
「ああ。水でといた小麦粉を手頃な大きさに切った野菜に絡めて高温の油に潜らせただけのものだ。粗塩をかけてお召し上がりを」
「ほう……では、いただきましょうか。あなたなら毒見の必要もなさそうですしね」
サクッ……
「……っ! これは、熱い油に熱され、野菜の旨味が引き立っている。小麦粉の感じも面白い。いやはや、何とも面白い美味でしょう」
「これ、信長に教えたら大絶賛でな。油さえあればいいからおかずがいらないって。顕如さんも是非試してみてくれ」
「はっはっは、毎日これを食べたら臓が焼け崩れてしまいますよ」
「そうか? まあ多量に油を摂るのはお勧めしないが」
「……まったく、横溝殿、あなたは本当に狸ですね」
(笑っている。あの顕如様が、横溝殿に、この二人、案外気が合うのかもしれんな)
「明智殿」
「はっ、なんでしょう」
「安土の築城の件ですが、さすがにこちらからは何も言いませんし、邪魔建てもしません。門弟にもそう伝えておきます。どうぞ、ご勝手に」
「……はっ、有難うございます!」
「しかし、横溝殿も色々しでかしてくれますな」
「そうか? 交渉事ってのは基本こうやるんだよ。美味いもの食って、腹も満たされて、気分がよくなれば、それでよし。昔から皆がやってたことだ」
「まあ天ぷら一つで事が済んだのですから、今回はよし、としておきましょうか」
明智は正直、横溝を内心羨ましくも思っていた。
殿である信長とは傍から見て一番の友人関係にあると思うし、おそらくは粛清の可能性もないと考える。
その自由奔放ぶりはかつてたわけ者と言われた信長を彷彿とさせるのではないか、とすら評価していた。
一方、自分は家老という立場こそあれ一度の失敗で粛清される可能性は充分にある。
明智はそれを恐れていた。しかし本来ならわが身を支えてくれていた煕子は1年前に死んでしまった。
一説では、度重なる重労働で調子を落とした夫・光秀の看病で調子を落とし、そのまま亡くなってしまったと言われている。
倒れた明智の元には信長も見舞いに来たが、正直、痛々しい程やつれていて心配したのだが、何とか復調した。しかし、妻はもうこの世にはいない。
光秀はそれを十分に悔いていた。だが、せめて長男である光慶が元服の儀を終えるまでは死ねないと自分に言い聞かせていた。
明智光秀。その悲壮感の行き場は果たしてあるのか……。
「……明智さん?」
「ん……! ああ、すいません、少々考え事をしていました」
「……? もうすぐ京の都だな」
「ええ。都は賑やかですよ。しかし、義昭公にはくれぐれもご無礼な態度は取らないでください」
「どうだかねえ。あちこちから『悪御所』なんて言われているところだろ? 信長だってあまりいい気はしてない筈だぜ」
「いや、それは……。でも一応殿の上司も同然の御方ですから、くれぐれも……」
「んー、ま、考えておく」
「はあ……」
(……仏よ。願わくばもうしばらく私に猶予をお与えくだされ。私はまだ死ぬわけにはいきません)
「……そういえば明智さん」
「? はい?」
「お前さんは俺と信長が親しいと考えているようだが、それは少し違うぜ」
「……! そ、そうですか。正直、そうは見えませんが」
「今は渡人は戦において重要な価値があるから信長も手元に置いて比較的自由にさせている。だが裏を返せば必ず邪魔になる時が来る。そして、信長は邪魔な男を放っておくほど甘い男ではない」
「……!」
「ま、その間だけの付き合いだがな……」
「…………」
(……横溝殿、それが分かっていながら、あなたはなぜ信長様に仕えておるのですか? 私には分かりません……)
足利将軍は次回登場します。別に焦らしてるわけじゃないんですがね