「おー、ここが京の都かー」
「相変わらず都は豊かで人も多いですね。これでも幾度となく戦火をこうむってきたのですが」
その京の都が幾度となく荒れ果てても復興してきたのは、ひとえに寺院勢力が頑張ったからだと言われている。寺院は人を集める力を持つ。それが大きな寺院であれば尚更だ。
その畿内筆頭が石山本願寺であり、支援も何度も行ってきたのだが。
「で、御所に行くのはすぐかい?」
「そうですが、飯を食べる時間はあると思いますが、いかがでしょう」
「さすが明智さん、頭が冴える」
「これが、冷麦ですか。水にさらし、冷やして食べるとは」
「俺の時代にもこれはあったぞ。ただ、この場合鰹節や昆布などで出汁を取った黒ずんだ汁に付けながら食べるんだ」
「これは、どちらかと言えば暑い夏に食べたいですな」
「そうだな。冬の新年に食べるものじゃあないなあ。あ、でも味はいいな。麦麦してる」
「そうですね。味はいいです」
「そうだ、すいませーん、熱燗二つ」
「横溝殿、これからご挨拶ですぞ!」
「少しだけならいいだろー」
「……まったく自由な御方だ。信長様は何故にあなたに自由にさせているのか、時々分からない事があります……」
京。室町幕府の御所。天皇を含め、日の本で一番偉い人が集まっている場所である。
その15代将軍、足利義昭は、一時間も正座させるぐらい明智と横溝を待たせておきながら詫びの一つもいれず部屋に入ってきた。
自分も新年ということで公家衆にうんたらかんたら、などと言い訳しながら。そして、眉間にはしわを寄せていた。
「……明智光秀よ。新年のご挨拶ということで遠路はるばるご足労願ったのはありがたい」
「ははっ!」
「じゃが、どうして信長を連れてこなかった!? 織田信長を直接連れてきて挨拶をさせるのが筋というものじゃろう!」
「も、申し訳ありません。あいにく殿も年が明けてからは忙しく……」
「ふん、言い訳はいいわ。つまり、どうあっても信長は来ないというのだな!? 儂に挨拶はないというのだな!?」
「……はい」
「……ちっ、信長の奴め、儂を誰だと思っておるのじゃ!」
(……権力者はこれだから)
「で、そちの横にいる者は何様じゃ!? 何処の者だ!?」
「織田家に力を貸していただいています、渡人の横溝殿です。今回は用心棒役として連れて参りました」
「よろしく。将軍様。趣味はクソゲー蒐集です。好きなクソゲーは里見の謎です」
「……!」
(こいつか、浅井、朝倉を滅ぼすのに一役買ったという人物は。織田め、いよいよ儂の首でも取りに来たか……!?)
「義昭将軍、少し落ち着けよ」
「な、なんじゃと!?」
「いや……室町の威光も地に堕ちたにも関わらず、今なお将軍を続けなければならない可哀想な将軍、とでも言うべきかな」
「にゃ、にぃおぅ……!」
「横溝殿、失礼な態度は取らないと事前に約束したはずですぞ!」
「そ、そうだ、貴様、少し生意気が過ぎるぞ! 儂を誰だと思っている!」
「だから言っただろ。過去の栄光にしがみ付いた将軍だと」
横溝は睨み付けるように将軍・義昭を見つめる。その目には殺意こそないが、どこか軽蔑した眼差しでもあった。
「応仁の乱から何年経っていると思ってる。200年だぞ200年。今の人々に幕府を敬う気持ちなんて残っているものか。武士の台頭、公家の凋落、戦国の世は始まるべくして始まったんだ」
「う、ううう……!」
「その点、13代将軍義輝殿は立派な方だったのだろう。剣豪将軍の名を欲しいままにし、最期は三好に討ち取られるも一歩も退かなかった。あんたなら精々押し入れの中でガタガタ震えるのが関の山だろうな」
「ううう……」
「あんたは信長のおかげで将軍になれた。だが、その信長にあんたは何をした? 俺は全部知っているぞ。あれは個人的な不快感か? それとも嫉妬か?」
「あの、横溝殿、義昭様は信長様に一体何を……」
「悪いが、今は俺の口からは言えないな」
「……………………」
将軍、義昭は横溝の態度に腸を煮え繰り返しながらも、圧倒され、すっかり縮こまってしまった。
その姿は、成程確かに、威光とは程遠い将軍の成れの果て……、そこらの童のようであった。
「やはり、そう思うか…………」
下を向いていた将軍が、ぽつりと呟いた。
「義昭様、落ち着いてください。横溝殿は後で念入りに叱りつけておくので……」
「いや、その必要はない!」
今度は将軍・義昭がぴしゃりと場の空気を変えた。そこにはある決意もあった。
「確かにそなたの言うことももっともじゃ。言い過ぎ、ではあるがな……」
「そんな……」
「先ほども他の公家衆から陰口を言われ戻ってきたところよ。……義昭は見てくれだけのダメ将軍だとな。儂には気づけば周りに仲間や友人さえおらんようになってしまった……」
「将軍様……」
「光秀よ。先ほどの事を話そう。儂は確かに信長の事を好ましく思っていなかった。嫌いじゃった。儂を傀儡のように操り政治も何もかも決めてしまうところがな」
「信長包囲網……」
横溝がぽつりと呟いた。
「ああその通りよ。儂は浅井、朝倉、武田、本願寺に書状を送り、信長を仕留めてもらうつもりじゃった」
「……! 言質は取った、とみてよろしいですかな」
「ああ好きにせい。とにかく、儂は信長を本気で倒すつもりでいたのよ。だが事はことごとく上手くいかなかった。そこの渡人のやらの活躍のせいかのう……」
「俺は特別なことはしていない。信長が頑張った、それだけだ」
「ふふ、家臣でもないくせに、随分と忠義に厚い奴よのう……」
この時、将軍義昭の胸中はどうだっただろう。やけくそだったかもしれないし、疲れていたのかもしれない。全てを投げ出してしまいたかったかもしれない。
だが仮にそうであったとしても、将軍の立場でそれはできない。
義昭公は孤独だった。それだけははっきりしているだろう。
「光秀よ、そちに頼みがある」
「は、なんなりと」
「織田信長に伝えてほしい。儂に代わり征夷大将軍となり、幕府を運営してはくれぬか、と」
「えっ……ええっー!?」
「正直、儂は疲れた…。儂も足利を抹消し、ただの人となって余生を過ごしたい……」
「随分とさっぱりするんだな」
「ああ。これが儂が心の底で思い描いていた未来の儂そのものよ。光秀殿、どうか儂の願いを聞き入れてくれぬか。この通りだ」
将軍義昭は遂に明智光秀に頭を下げた。
「義昭様。義昭様の意向。しかと心に刻みました。岐阜に戻り、必ずこの計画を成立させてみせます」
「おい、明智さん、確約はしない方が……」
「良いのです。何とかしてみせましょう。そうでなければ、将軍様があまりにも可哀想だ」
「そうか……。これで儂もやっと、休めそうだぞ」
「…………」
「そうそう、土産代わりじゃ。そちらには名前をくれてやろう。信長には前右府、光秀殿には惟任じゃ。気に入ってくれると嬉しいぞ」
「なんと、しかと拝領いたします!」
「うむ、うむうむ」
「まさかこんな結果になるとはなあ……」
「横溝殿」
光秀は横溝を睨み付けた。幾ら歯に衣着せぬ物言いをする横溝でも、今回の言動は流石に目に余ると感じたようだ。
「あ、はは、す、すまんとおもうておる……」
「謝っても許しません。本来ならあの場で打ち首にするところです」
(うわあ、明智さん怒ってるよ。でも一つ目標はできたし、って今は何を言っても無駄か)
「あなたの慇懃無礼な態度には私も腸が煮え繰り返るところです。簡単に死なない体であることをよしとしてください」
「うう……申し訳ない。今回ばかりは反省する……」
「ですが、これで岐阜に戻る前に寄るところが出来ましたね」
「……? 何処だよ」
「決まっているでしょう。石山本願寺です」
「なんと! 上様がそんなことを!?」
「嘘ではありますまいな!?」
「間違いありません。この明智光秀、将軍義昭公からしかと伝えられました」
将軍義昭の幕府を終えたいという意向と、織田信長を征夷大将軍にしたいという意向。どちらも本願寺にとっては衝撃的なものだった。
そしてこの発言をもっとも重く受け止めたのが他でもない、本願寺顕如であった。
(上様がそこまで思い詰めていたとは……この顕如、不覚の至りですね)
「して、本題に入りましょう。顕如殿」
「はい……」
「仮にこの話が纏まれば畿内平定を目指す信長様にとって本願寺は目の上のたん瘤となります。しかも半ば強制的に本願寺は解体の疎き目に合うと考えられます」
「……でしょうな。信長がここをいつまでものさばらせておくはずがない」
「すぐにとは申しません。ですが決断の時はやってくるでしょう」
「そうですねえ……絵に描いた餅でいいなら伝えましょう。仮に本願寺が解体されたならば、京のお膝元に移行するか、関東に出向を考えています」
「関東に出向……ですか」
「あちらはまだ一向宗が根付いてませんから。これを機会にと考えておりました」
「ふむ……」
光秀は冷静に顕如の意向を分析していた。
まずは京のお膝元に移行する、という案だ。
確かに京の一向宗派となれば本願寺のような巨大勢力ならその影響力をさほど落とさず信仰を続けていける。
しかしこれは結局単なる引っ越しに過ぎないのではないか? 石山本願寺が京に下ればむしろ織田にとっては不利なのではないか?
もう一つは、関東に出向する、という案だ。
こちらはむしろ万々歳であり、石山本願寺の巨大勢力を纏めて他方に放り投げるも同然となる。少なくとも畿内に本願寺の影響力はなくなるだろう。
だがそうなれば畿内の人々の反旗が問題だ。織田が本願寺を追い出した、そういう様にとらえられれば再び泥沼の一向一揆は避けられなくなる。
現状、やはりあちらが立てばこちらが立たずなのは分かっているのだ。はてさて、どう話を持っていけばいいのか……。
ドタドタドタ……!
「た、大変です!」
一人の坊主が、慌ただしく部屋の中に入ってきた。
「実は……お、とと、すいません、織田の者がいる以上、話すことは……」
「ふーん、顕如殿、なんなら席を外そうか?」
横溝が言う。
「横溝殿、今は黙っていてください。これは織田にとって聞き逃せない報告のようだ」
明智がそれを制する。
「……でしょうね。やむを得ないでしょう。話してください」
本願寺顕如が報告を伝えることを許可する。
「は、はい。実は、越前で加賀一向宗の七里頼周殿が下間頼照殿の寺院を武力で強襲。下間殿は……殺されたとのことです」
「なんですと!?」
「馬鹿な! おのれ七里め、あれほど今は本願寺に従っていろと通達したのに!」
(明智さん、これって……)
(ええ、信長様の言うとおりになりましたね)
「して、七里頼周はその後どうした!?」
「加賀一向宗を率いて旧朝倉領地に侵入。一向一揆を開始しましたが、元朝倉家家老・山崎吉家の活躍により失敗、越前に戻ったとのことです……」
「何という事だ……」
「下間殿……」
「皆さん、落ち着いてください。いや、落ち着けないかもしれませんが今は静かに手を合わせておきましょう」
「顕如様、七里は?」
「決まっているでしょう。破門です。以後彼は我ら本願寺一向衆派の敵として扱います」
一方、越中。旧朝倉領内では、
「皆の者、今回の動き、まことに大義であった。雪を砦に戦いを仕掛ける、という戦術が功を奏したな」
山崎吉家が部下の働きに誠意を込めて感謝していた。
「しかし……信長様からこのような動きがあるので注意されたしと聞いたときは、まさか、と思ったが、現実になるとはな。世の中分からないものだ」
山崎にとっては久方ぶりの一向一揆との戦いであった。しかしこっちは年季が違うのだ。あれ程苦戦していた戦いも今や苦戦しなくなっている。慣れとは怖い。
「以後、加賀一向宗は敵として扱う。雪解けを待って逆賊七里頼周殿を討ち取るものとする。皆、奮起しておけ」
「しかし、妙だな」
横溝が顕如達の話に割って入るように言葉を放った。
「横溝殿、妙、とは?」
「いやね、いくら加賀一向宗といってもさ、さすがに単独で織田に立ち向かうには分が悪すぎると思うんだよ。何処かに後ろ盾があるんじゃないかなって」
「言われてみれば」
「確かに……」
「いえ、じつは……その後ろ盾の正体も、判明しております」
「……何処ですか」
顕如が腸煮えくり返ってるぞ、という面向きで問いただした。
「……比叡山、延暦寺です」
「あ……」
ここにきてあの困りものの名前が出てきた。
「はあ……」
これには顕如もため息をつく他なかった。以前行った時も門前払いで終わってしまったが、よりにもよってこのタイミングで、とは……。
「顕如殿」
すかさず、光秀が攻める。
「我ら織田家と、石山本願寺の間で、信仰の妨げはしないかわりに一向一揆の扇動は行わないという協定が、義昭公の元に預けられていた筈ですが」
「あなたも痛いところを付きますね。知らぬ存ぜぬを貫きたいところですが仏がそれを許しませんね。あれの横紙破りをするのは織田家側だと思ってましたが、まさか我々とは……」
「本件に関しては七里殿が破門になったので不問ということにさせていただきます」
「え……」
「ただ比叡山延暦寺に限ってはどうなるかは分かりません。義昭公に相談して逆賊と見なされれば討つことになるでしょうが」
「いえ、できれば自分の尻は自分で拭いたいものですね。この件に関しては…」
「それも踏まえてよく考えて延暦寺と話し合ってください。それから、義昭公の意向も、しかと胸に刻んで、皆で話し合ってくれると助かります」
「そうですね……一度京を訪ねておきたいと考えております。上様が考え違いとする可能性もあるので」
「では、今日はこの辺で、横溝殿、帰りますよ」
「あ、ああ。それじゃ顕如さん、せっかくだから俺は失礼するぜ」
「よろしいのですか? 話がうますぎますよ」
「いいも悪いも、あの場で加賀一向宗の話が出た時点で我々は先手を打たれたも同然、言わばまな板の鯉、というやつですよ。
しかも明智殿は、何の交換条件も出してこないときてる。あれは横溝殿以上の狸ですね。戦国武将にしておくのが惜しいくらいですよ」
「信長の威光を守りつつ、こちらには無言の圧力をかけてくる。流石は織田家家老に鎮座する男だ。見事な立ち回りで腹も立ちませぬ」
「これは近々石山本願寺皆揃って引っ越しせざるを得ないかもしれませんね。いやはや、年明け早々、困った話ですよ……」
坊主の世界も大変だネ