そして、待ちに待った会食の日がやってきた。
「信長様、此度の会食にお呼びいただきまことに有難うございます」
「うむ、苦しゅうない。頭を上げい」
徳川家康及び徳川四天王ほか甲斐から出奔してきた一部の武将、総勢16名が此度の会食に呼ばれた。
「儂は今でも家康は儂の忠実な部下だと思っておる。此度の会食はそう緊張せず、接待を受けるつもりで受けてもらえれば嬉しい」
「ありがたきお言葉であります」
徳川四天王は信長と家康の会話に目を光らせていたが、流石にいきなり斬りかかるわけにはいかない。
「思えば儂は、天下など気にもしていなかった。畿内を平定できればそれでよいと。それがどういうわけか征夷大将軍になってくれと言われて天下人の座よ。今でも尻がむず痒くなる気分じゃ」
「そうで、ありましたか」
「もっとも、全てが決まったわけではないがな。家康はこの後甲斐を取ってくれれば良いと儂は考えておる」
「ははっ、お任せを」
「ではそろそろ、ゆるりと始めるとするか。立会人、部屋へ」
襖が開き、3人の男が入ってくる。
「此度の会食の全面を取り仕切らせていただく、明智惟任光秀と申します。よろしくお願いします」
「同じく、茶人の千利休と申します。よろしくお願いします」
「渡人の横溝だ。まあ俺の料理に期待していてくれ」
「なっ……渡人ですと!?」
「うん? 家康よ、渡人がどうかしたか?」
「あ、いえ、特に……。しかし渡人をこの場に参加させて、よろしいものなのかと…」
「何を言うか。渡人の持つ発想と技術は素晴らしいものだぞ。儂も大いに参考になった。奴の活躍なくして、織田の活躍はなかったと言っても過言ではないな」
「そんな褒めるなよ。信長」
「お主、こういう場は『様』を付けて話すものじゃぞ…」
(どういう事だ。織田家に渡人がいたことは知っていたが、この信頼関係は一体……)
「では、我々は炊事場へ」
「うむ、光秀よ、くれぐれも腐った食材を使わぬようにな」
「ははっ、お任せください」
三人が出ていくと、家康は改めて思った。
この会食、一筋縄ではいかない、と。
炊事場はまさに芋を洗う様にどったんばったんしていた。
侍女達も額の汗を拭いながら準備の真っ最中である。
「ふむ、この汁物……もう少々塩を足してください」
「はいっ!」
利休が味見をした汁に注文を付ける。
「ひゃーはっはっはっはっ! 俺の油鍋が火を噴くぜ!」
「火を噴いたらダメでしょう、横溝殿」
横溝が天ぷらをガンガン揚げていく横で光秀が突っ込みを入れる。
「そういえば、ルイス・フロイス殿から此度の会食に是非にと、差し入れが届いていたのですが、横溝殿、これが何だか分かりますか?」
「ん? ああ、パイナップルじゃないか。よくこんなもの仕入れてくれたな」
「ぱいなっぷる? どういう食材なのですか?」
「ん、まあこれ、強いて言えば果物だよ。硬い皮を切り、中央の硬い芯を落として、輪切りにして食べる。ちょっと貸してみな」
横溝がパイナップルをまな板に置き、へたと底を切り落とす。次に硬い皮を切り、中央の硬い芯を包丁を縦に入れて落とし、輪切りにしてみせる。
「はい、出来上がり。毒見よろしく」
「ふむ、これは、鮮やかな黄色ですな。見た目からは想像も付かない代物のようで……」
「とにかく、食べてみましょう」
光秀と利休はパイナップルに口を付けてみる。
「ほう……!」
「これは……なんとも水々しい果肉、それでいてこの強烈な香り。これがぱいなっぷるですか……!」
「俺もこれは好きなんだけどね。食べられるところが少ないからついつい加工物を買っちゃうんだよなー」
「ふむ、果物はこれで決まりですな。危険な賭けではありますが……」
それからも焼き物、汁物、飯、野菜と次々に料理が選ばれていく。
なお、横溝作成のバッテラはハコが不足するため、取りやめになった。仕方ないので昼の弁当にすることにしたという。
なにせ、岐阜の八百屋には横溝の案によってキャベツやレタスのような異国渡来の野菜まで売り出されている。導入したのは横溝の案だ。
比較的乾燥に強く、丁寧に虫を取ってやれば素晴らしいものが出来上がるとあって、畑が出来上がるほどである。当然安土近辺にも畑が作られる計画だ。
「まずは前菜というわけかな?」
「そのつもりであります」
会食の場に、まずは前菜が届けられた。
「異国の野菜と白髪ねぎを始めとした『前菜』でございます。ごま油に酢を混ぜたものをかけてお召し上がりください」
「……う、うむ。では、いただこう」
部屋にシャクシャクと野菜を噛み潰す音が響いた。
「これが、異国の野菜ですか。随分と水々しいですな…」
「ふむ、最初に食べるには、まあ、良いのだろう…」
「うむ、美味い。ごま油に酢を混ぜたものが淡白な味に一つ入れ知恵をしてるかのようだ……」
信長も上座にて野菜を頂いている。
「次はなんじゃ?」
「横溝殿の天ぷらに御座います」
「ほほう、あれか……!」
信長の口元がにやりと曲がった。
「信長様、『天ぷら』というのは……」
「まあ見ておれ、家康」
しかし史実がどうなら家康に天ぷらとは何とも皮肉な代物である。
「待たせたな」
襖を開け、横溝と侍女が入ってきた。
「こ、これは、一体……」
家康の前に置かれたのは、本人にとっては何とも風変わりな料理だった。しかも今回は、鯛を使っている。
「白身魚の鯛をすりおろし、小麦粉を水でといた衣で包み、高温の油で一気に揚げた代物で、『天ぷら』と言う。横にある、醤油とだし汁を混ぜたものにつけて、召し上がってくれ」
「し、醤油…? よく分かりませんが、む、これをこうして、こうだな」
はむっ! 家康が天ぷらを口に運ぶ。
「こ、こ、こ、これは、何という美味さじゃ!? 震えが止まらぬ! 皆も冷めないうちに食べるといい、ほれほれ!」
「自分はいりませぬ。三河武士の食べるものは三河のものと決まっておりますゆえ」
「……本多様、それでは流石に失礼にあたりますぞ、殿も言っているのだから皆で食べましょう」
横から松平家忠が言う。
「くくっ、相変わらず三河の武士は窮屈じゃなあ。そんな奴らを一泡吹かせてやるための会食でもあるのだがなあ、家康よ」
「す、すいませぬ。ほれ、本多、早く食わぬか!」
(ふむ、やはり家康はともかく、部下の三河武士達は一筋縄ではいかぬか。飯一つで懐柔されるほど甘い人間ではないぞ、と主張してるかのようじゃ。さて、今度はどうするか…)
「正直なところ、わたしは豪華な料理などいりませぬ。飯一つあれば十分なのです」
「ほう、つまり飯があればいいのじゃな」
「そ、そうです」
「ならあれを出そう、そろそろ焼きあがっているはずじゃ」
「は、はあ……(今、焼くと申したか。信長様は。炊くではなく、焼く……?)」
襖が開き、今度は明智光秀が入ってくる。
「お待ちしました。これより、おにぎりの配膳に入らせていただきます」
「お、おにぎりですと?」
「そうじゃ。おにぎりじゃ。といっても、火を通してある」
「火を?」
「はい。握ったおにぎりを炭火の上に置いた網で両面をじっくり焼き、甘味噌を塗って仕上げました、『焼きおにぎり』です。熱いですので、皿に移してほぐしながら食べてください」
確かに、目の前に置かれたおにぎりには、こんがりと焼き色が付いてある。それにこの香りは確かに焼いた味噌の香りだ。
「む、これは美味い!」
この味には、徳川四天王からも称賛の声が出た。
「どうじゃ? これまで米といえば、乾いた飯や兵糧を鍋で似た粥が殆どじゃった。だが、ここにきて儂達は「飯そのものを焼く」ということを学んだわけじゃな」
「成程。流石は、信長様…」
「いや、これも渡人、横溝の案じゃよ」
「あ、あやつが…」
「奴は日ノ本の遠い未来から来たという。儂は幾度となく奴と話し、あらゆる技術を手にしてきた。その中でも、もっとも手っ取り早く効果がある物が「食べるもの」じゃった」
「なんと……」
「こうしてしまえば、おにぎり一つがご馳走となる。これだけでも人を接待するに値するものが出せる。結果は見ての通りよ」
「む、むう……」
「どうじゃ? 三河武士達よ。おまえらの食いたい『飯』は出したぞ。感想を聞かせてほしいものじゃな」
「…………おいしゅう、ございました……」
「そうかそうか。ならばよい。うむ」
(くっ……おにぎり一つでぐうの音もでなくするとは、やはり織田信長、恐ろしい相手だ!)
(だがこれは確かに美味ではあった。今度城でも作らせよう)
その後も会食は続いた。
魚の骨で出汁を取った『吸い物』、魚から『岩魚の塩焼き』、肉から『鶏の照り焼き』、あらゆる料理が振舞われた。
「ふむ、流石に腹が膨れてきたのう。そろそろ利休に茶をいれさせるか……」
「お呼びですか? 信長様」
「うむ。会食も盛り上がってきたが流石に食いすぎた。宴もここまでにして、茶の準備をしてほしい」
「分かりました。では最後に、果物の配膳をさせていただきます」
「なんじゃ、まだ何かあるのか?」
「ええ。ルイス・フロイス殿からの差し入れ品をご賞味いただきたく……」
「ああ、あの珍妙な形をしたものか。あれは何じゃ? 本当に食べ物か?」
「ええ。横溝殿の話では『ぱいなっぷる』という果物だとか」
「あれが果物じゃと!? ほう、面白い……是非締めに皆で味わってみようではないか」
「有難うございます。それでは、最後の配膳に入らせていただきます」
こうして運ばれてきたのは、確かに変わった黄色の果物だった。
「ほう、これが…」
「異国の果物…!」
これには徳川陣営も興味津々半分、半信半疑半分といったところであった。
「では、いただきます……」
家康が箸を取る。次いで、徳川陣も箸を取り、慎重に口に運ぶ。
だが果肉を一齧りしたところで、ぺっと吐き出した男がいた。本多忠勝だ。
「ぬうううううううううっ! 利休殿、これはどういうことですか!?」
「はて、どういう事とは?」
「この果物とやら、酸味が強すぎます。腐っているのではないですか!? それに味もわけがわからぬ。さては毒を仕込みましたな!?」
「…………」
利休は怒気をはらんで睨み付ける忠勝をじっと見つめる。
「……いえ、腐ってなどおりませぬし、毒を仕込んでもおりませぬ。それがこの果物本来の味なのです」
「嘘を言うなぁ!」
本多忠勝は配膳されたものを立ち上がり、蹴り飛ばした。
「忠勝! 少しは落ち着け!」
しかし家康の言葉も忠勝には届いていないようだ。
「……ならば儂が毒見しよう」
その場を収めたのは、なんと信長だった。
「もしこれが腐っているというのであれば、毒が入っているのであれば、儂が食えばひとたまりもあるまい」
「信長様……」
「しかし本多忠勝よ、此度のおまえの態度、目に余る。もしこれで何事もなかったら……その時は覚悟せいよ」
「っ! ふんっ……!」
信長は怒っていた。それも珍しく本気で怒っていた。普段の信長なら怒声を浴びせて怒っていた。この静かな怒りは、本気の印だった。
そして信長は『ぱいなっぷる』を箸で摘み、口に運ぶ。そして、もぐもぐと咀嚼した。
「…………ほれ見ろ、腐ってもいないし、毒も入っていないではないか。…しかしこれはなんとも水々しい果物じゃな。それでいて香りも強烈ときてる。これが異国の果物か。たまげたわい」
「なっ…………」
「…………」
徳川陣営は唖然としていた。まさか、毒が入ってるかもしれないというものを本当に食べるとは、と。
利休に対して信用がなければできない行為だ。信長様は、そこまで一介の茶人をかっているのか、とも誰もが思った。
「さあ、これで疑惑は晴れた。忠勝よ、覚悟はできているのであろうな?」
「くっ……!」
「お待ちください、信長様」
信長がまさに刀に手をかけようとしたその時、信長を止めようとしたのは他でもない千利休だった。
「なんじゃ利休よ、こやつは貴様の面子を汚した張本人ぞ」
「いえ、此度は疑惑を起こしかねない料理を出した私の責任でもあります。何卒、ご容赦を」
「ふむ、利休よ。お前はそれでよいのか?」
「斬るなら私めにしてください。それでこの場が収まるのなら、この首幾らでも差し上げます」
「言うたな……!」
信長が刀を抜こうとしたとき、その場に転がり込んできた男がいた。横溝だ。
「待ってくれ待ってくれ信長。責任というなら俺にもあるんだ。この首、くれてやるから落ち着いてくれ」
「ふん、お主は首を斬り落としても死なぬ身であろう」
「それはそうだけどさあ、頼むよ。利休殿は俺にとっても良き茶飲み友達でもあるんだ。怒ってるのは分かってる。でも、今回ばかりは気を静めちゃくれないか?」
「むう…………」
「頼む……」
「…………」
「…………」
「ふんっ、そこまで言うなら此度の騒ぎ、全て不問としてやる。利休と横溝は深く反省するように。そして本多忠勝、命を救われたことをありがたく思えよ」
「も、申し訳ありません信長様、此度の件、全ては上の者である、私、家康に責任があります。深く反省させますゆえ。ほれ、忠勝、お前も頭を下げぬか」
「くっ……申し訳ありませぬ…」
「忠勝様、さすがにおいたが過ぎますよ。少しは場の空気というのを読んでください」
「そうだな、おまえは常に頭に血が昇りっぱなしだ。少しは落ち着け」
身内から庇われ、説教を食らい、何とも屈辱的な忠勝であった。