利休の茶席が始まった。
先ほどの喧騒はどこへやら、室内の空気は落ち着いている。
これもまた、横溝の発案で、琴や三味線弾きを招いて音を弾かせているからだ。
「ふむ、よい音色よのぉ……」
信長が三味線の音に耳を傾け、一人浸っていた。
「さあ出来ました。徳川の皆様も茶を飲んでくだされ。茶の湯は楽しきもの。能面をもてなしたとあっては茶が勿体ないですからな」
利休が作った茶が徳川勢の目の前に置かれていく。今回は利休の発案によって、名物などは使っていない。あくまで平等な茶席であれという、利休の考えだ。
「ふむ、では、いただくとしましょう……」
まずは家康が見様見真似で茶器をくるりと回し、少し口に含んでみる。
「ほう、美味いですな」
「そうですか。それでこそ、茶も喜んでいるというものです。おかわりを作りますから、どうぞ遠慮なく」
徳川勢も茶を回される。しかしそこは力が自慢の田舎者。手先もおぼつかないし、苦みに眉間にしわを寄せる者もいた。
「なんじゃ、やはり徳川には酒の方が都合が良かったか?」
「い、いえ、決して、そういうわけでは……」
信長が揶揄う。
「茶菓子を用意するべきだったんじゃないかい? 利休さん」
「ふむ、では団子でよろしいですか? もうすぐ出来上がる頃合いです」
横溝が利休に言う。
「む、しかし……信長様は随分と渡人を買っているのですな」
「うむ。当然じゃ。奴は儂にとって最高の部下になってくれたからな」
「またまた、俺が活躍したって俺の寿命が縮むだけだろうが……」
「渡人か……。まあ徳川にも以前いましたが……あっ!」
「こら、榊原! それは言わないけじめであっただろうが……あっ!」
信長がそのやり取りを見逃す筈がなかった。
「なんじゃ? 徳川にも渡人がおったのか? そりゃ面白いのう。どうして連れて来なかった?」
「そ、それは……その……」
「ふん、部下に聞いても埒が明かぬか。これ、家康、そちが話せ」
「そ、それは、あぁ、いえ、その、むぅ……わ、分かりました」
始まりは遠江の城の近くであった。
男は怪しげな者として捕らえられたが、自分は決して怪しい者ではないと、自分に捕らえられる非はないと、意固地な男であった。
名を聞くと、男は、杉山 智一と答えた。変わった短筒を持つ、短筒使いだった。
もしよろしければ徳川の末席に加わりたいと男は答えた。頑固な三河武士は認めなかったが、家康の一存で家臣に加わった。
だが、男が活躍する場はなかった。時は、武田信玄京へと上洛。つまり、三方ヶ合戦の直前であったからだ。
家康は土足で自分の領地へ行軍する武田勢が許せなかった。その為、意地と三河武士の誇りをかけて信玄に戦いを挑むと決めた。
少し時間が経てば信長様の軍も追いつく。それなら勝機はある、という算段からだった。
だがこの結果は最悪の玉砕という形で結末を終える。家康は渡人を置いて、脱皮の如く逃げ出すしかなかった。
そして智一は武田軍に捕らえられた。
武田軍にも渡人の噂は届いていた。首を斬り落とされても死なない、恐ろしい存在だと。
だから武田軍は、普通に殺すことはなかった。普通にやって死なないなら、そやつの心を折ってしまえ、と。
拷問が始まった。杉山は目を潰され、耳をそがれ、鼻を削られ、歯を一本残らず抜かれた。
四肢を切断され、手足を茹で上がった湯に付け込まれた。手先も足先も残らず切られ、爪は剥がされた。
その一部始終を、同じく捕らえられた徳川兵はずっと見せられるしかなかった。杉山の絶叫と流れ出る血で、拷問の場は血と肉の欠片でまみれた。
杉山の傷はじわじわと再生するからこそ、この生き地獄は続いた。もう止めてくれ。許してくれ。そう言っても、武田軍は聞き入れなかった。
そして一通り拷問が夜明けを跨いで続いたところで、杉山は捕らえられた徳川兵と共に解放された。
武田軍は何故か上京することなく、甲斐へと戻っていった。この時点では、原因は不明だった。なお、この後武田軍は上杉軍との戦いで歴史的惨敗を喫し、信玄公も死亡することとなる。
家康の元へと戻った杉山は、もはや廃人となっており、「あ……あぁ……ぁ……」と喋るだけで、食べる手もおぼつかず、失禁、脱糞が止まらず、結局今は城の牢獄に置かれている。
これが渡人・杉山智一の現在の有様だった。
しかし徳川兵や四天王は元々戦力として計算に置いてなかったからどうでもいいと考え、適当に扱い、今に至るそうだ。
「…………」
「…………」
「…………こ、この、大馬鹿者がぁ!!!!」
激高したのは織田信長だった。
「よくも渡人をただの人柱にしおったな! 家康よ、それが所詮貴様の将としての限界だということよ! 茶席はこれで止めとする! 貴様らはさっさと帰れ! そして甲斐を奪ってこい!」
「そうだな。俺も流石にキレそうだ。武田軍も酷いが、見捨てたあんたらも酷いよ」
横溝が家康たちを睨み付けながら言う。
「おう、当たり前だ。そもそも私は此度の会食は否定的だったのだ」
「我々を都合の良い部下などと扱いおって、我々は家康様こそ天下を取るものと信じて神輿を担いでおる。信長よ、おまえの思い通りにはさせぬぞ!」
「言うたな。ならば同盟は破棄じゃ! 貴様らは必ず引導を渡してくれるわ!」
「あ、あわわっわ、信長様も落ち着いてください。本多、酒井、お主らも興奮し過ぎじゃ。落ち着け! 儂の立場がなくなるではないか!」
「…………」
(やれやれ、大変なことになっちゃったねえ……)
「横溝殿、何処へ?」
「なあに、作りかけの大量の団子を平らげてくるだけよ」
「まったく、奴らめ、あそこまで言われたら儂も後には引けんではないか!」
その日の夜、信長は風呂に浸かっていた。その横には、横溝と利休の姿もある。
「しかし、利休さんの言ったとおりになったねえ」
「いえいえ、流石に私もここまで話がこじれるとは思っていませんでしたよ」
「なんじゃと!? お主ら、裏でこっそり此度の会食に一服盛っていたのか!? 本当にずる賢い奴らじゃわい!」
「いえいえ、私はただ『ぱいなっぷる』をお出ししただけですよ」
「向こうが勝手に自爆したようなものだろ。ボンバーキングは自爆に注意と……」
「うぬぬ……」
信長の怒りはまだ冷めやらないようだ。無理もないが。
「あらら、殿、随分ご立腹のようで。私もご一席よろしいですか?
三人が風呂に浸かっているところに、一人の女性が入ってきた。帰蝶だ。
「おや、濃姫様ではありませんか。信長様のお背中でも流しにこられましたか?」
「こ、これ、帰蝶! 風呂に入るときは儂と二人きりの時にしろと言っておるではないか!」
「いやー、布一枚の艶姿もいいもんですなー」
「こら、横溝! 見るな! 帰れ!」
「あらら、うふふ……」
結局、四人は同じ風呂に入ることになってしまった。信長としてはなんともこっ恥ずかしい。
「しかし、今考えるとあれじゃな、徳川がここまで我が儘とは思わなんだ」
「そりゃあねえ、今は乱世の時代、戦国の時代だ、家臣は誰もが仕える将軍が天下を取るものと思って仕えているわけだしなあ」
「家康様とて腹の内はさらけ出したくはなかったでしょう。が、今回は家臣が先走りましたな」
利休は冷静に今回の会食の場を分析する。本多忠勝の態度といい、徳川家は間違いなく此度の席で『やらかし』たのだ。
「うぬぬ、奴らめ、本気で織田と敵対する気か? 今やれば間違いなくうちが勝つぞ」
「北条家を引きずり込めば分からないけどな。まあ、それは多分ありえないが」
「北条家は身内で完全に土地と家が完成していると聞きます。表立って行動を起こすことはないでしょう」
「うむ、確かに、北条は儂も詳しくは知らんが、あまり天下に興味がない家柄と聞いておる。徳川に手を貸す可能性はないじゃろう」
ならば可能性があるのは残った武田を完全に滅ぼすのではなく、吸収し、軍に加え入れる道だ。
しかし甲斐を取るのであれば、武田は完全にただ働きとなる。果たしてこの条件を武田が飲むだろうか……? そうは思えない。
「殿……」
横から帰蝶が声をかける。
「私は戦国の習わしはよく知りません。ですが、殿の一声が織田の声です。くれぐれも、間違いを犯さないようにしてくださいね」
「む……」
信長は茶を一口飲んだ。風呂の湯で温められて、飲みやすいぬる温になっている。
(……儂は天魔と呼ばれた男じゃ。その一声は敵も殺すし、部下をも亡き者にする。ならば今この状況で放つ一声はなんじゃ……?)
思えば自分は部下の言葉など殆ど耳にしない我が儘な男だった。だからこそ、その一声に失敗は許されない。
(知恵を絞れ、何度も推敲して考えろ、好時魔多しと言うではないか……)
信長は湯に浸かりながら、考えて、考えて、考えて……、のぼせた。
「うっ……うう……」
「あらら殿、湯にあたりましたか」
「しょうがないなあ、利休殿、手を貸してくれ。とりあえず信長を湯から引きずりおろす」
「はっはっは、しょうがありませんなあ」
「…………」
織田信長。今回ばかりは失態だった。
「まったくおまえら、くれぐれも粗相のないようにと言ったではないか! これで織田家を敵に回すことになれば、徳川は早晩滅ぼされるぞ!」
城に戻った後も、家康は機嫌が直らなかった。
此度の会食、信長様はこちらの腹の内を読もうとはしてくるものの、いきなり斬り殺してくることはないと思っていた。
しかし結果はどうだ。部下の激高に信長が反応し、最悪の場を作り上げてしまった。
「し、しかし……」
「しかしも案山子もないわ! いかに精強な三河武士といえど、頭の中まで筋肉が詰まってしまったか!? こういうのは口には出さず、事は静かに進めるものじゃ!」
「ですが、我らの渡人にあそこまで信長が怒り狂うとは思いませんでした。あのような、使えない雑魚を」
「そうじゃな。だが信長様にとって、渡人は天下の為の絶対条件だったのだろう。そのくらいあの男は珍重されていた。ええい、儂の見る目が足りなかったという事か……!」
「で、我々はどうすれば」
「最早一刻の猶予もない。武田を滅ぼし、甲斐を取る! そしてあわよくば戦力の増強を狙う! それしかなかろうて!」
「はっ、承知しました」
「だが、徳川四天王は出向くなよ。この程度の戦力、精鋭が出向かずとも充分と見せつける必要があるからな。甲斐から出奔した武将と連合を組み、速やかに滅ぼすのじゃ。良いな!?」
この時、徳川家康は焦った故に見誤った。
失うもののない少数の軍勢がどれだけ恐ろしいことを……。
それから数ヵ月が経過した。
信長は安土城の建立の動向を一度見ようと現地である安土まで赴いていた。
「ほう……」
途中までとはいえ、信長はその出来栄えに一息が漏れた。安土山に造られた城は天まで届くような高い天守閣を持ち、そこかしこに石垣が掘り込まれている。
城郭の規模も高く、城の出来栄えは現在の日ノ本一と言っていい。居住性も充実しており、部下たちをここで休ませることもできるだろう。
自分の住居は、やはり最上階か……。ここから遠眼鏡で見る琵琶湖はさぞ美しいだろう。
「信長様、いらっしゃいましたか」
「おお、長秀か、総奉行の働き、ご苦労である」
「はっはっは、おかげで久々に苦労のしっ放しですよ。秀吉様は名誉挽回とばかりにはりきっていらっしゃいましてな」
「ふん、猿め、少し締め付けがきつかったか? まあよい。一日も築城を完成させることを願っておる。精進してくれ」
「勿体ないお言葉です。ところで信長様、ここなのですが……」
長秀が設計図の一部を見せる。こういう時こそ、城主となる男の判断が必要になる時だ。
「ふむ、よい案じゃ。儂が許す。大工棟梁の岡部にはそのようにと言っておいてくれ」
「分かりました。万事、そのように」
「…………」
(思い返せば、本来この城は早すぎる築城だった。越前の加賀・一向宗と越後・上杉の牽制、それに石山本願寺の対抗の意味もあった。
だが越前は崩れ、上杉家は我が織田家の所領となり、本願寺も別の道を歩み始めた。順調すぎて怖いくらいじゃ。
ここまで順調なのは、横溝の介入のせいか……? ふん、馬鹿らしい。たった一人の渡人が織田家以上に世の混乱を裁定などできるものか……)
「信長様、いかがなされましたか?」
「……む、いや、何でもない。ああそう、やはり、井戸や石落としなどは大目に作成してくれ。慢心は禁物じゃ。ここも戦乱に巻き込まれる可能性はあるからな」
「分かりました。城内の道も最終的には細長くしましょう。大手門の辺りには障害物を置きたいところですな」
「ああ、そうしてくれ。儂は次は城下を見てくる」
「ふむ、とりあえず城下に大きな混乱はないようだな」
「おお、織田信長様だ!」
「ええっ!? あれが織田信長様なのかい!?」
この時代、テレビも新聞もラジオもない。織田信長という男が何者なのか? 人々に知る手立てはない、筈だった。
そこで信長は、少々こっ恥ずかしいのだが、自画像を絵師に描かせて安土に来る人々に配り歩くよう命じたのだ。
これで誰が織田信長という男なのか? 城下で商いを始めようとする者、暮らそうとする者にはある程度顔が知れるようになった。
「皆の者、安土の城下にお来しいただき、誠に感謝しておる。儂はここでも楽市楽座を奨励し、関所も作らぬつもりじゃ。
遠慮なく商いをしてくれ。米や塩、油もある程度はこちらで工面するからのう」
「おお、太っ腹ですな」
「それじゃあ私は米問屋を開きましょう。飢饉が来ても堺の連中のように値段の釣り上げはいたしませんぞ」
「私はいち早く畑を手に入れましたからな。そこで取れたての野菜を並べましょう」
「俺は……どうするかなぁ?」
「これっ、あんたはいつも優柔不断が過ぎるよ!」
「はっはっは」
(ふむ、皆の顔が明るい。この分では安心じゃな)
「町の周りは鉄柵で囲んで安全の保障もする。戦火を被るようなことは出来る限りさせんからな。重ね重ね言うが、安心して商いをしてくれ」
「おお、さすがだ」
「信長様ばんざーい」
「ばんじゃ~い」
とりあえず信長の顔見世は大成功に終わった。
翌日、信長は岐阜へと戻ると伝えた。
しかし途中大雨に会い、近辺の宿屋で一夜を明かすこととなった。出てきた岩魚の塩焼きは美味かった。横を見ると、川の水が勢いよく下流へと流れていくのを見た。
「まるで尾張じゃなあ。あそこは川だらけで大雨が降るとすぐ増水して河川が氾濫したもんじゃ」
そういえば、横溝の奴が何か言っていたような気がする。ダム? だっただろうか。
川の上流に造る巨大なため池で、これさえあれば川の水は一定で低きに流れ、飢饉で川の水がなくなることもない、だったか。
(要は治水工事じゃな。しかし今の織田家には流石に奴の望むくらいの見事なものは作れまいて。精々川の幅を太くするくらいか……)
「……ままならんものよなぁ」
信長は雨が降りしきる夜の外を見ながら、一人茶を啜るのだった。
数日後、信長は無事岐阜城へと帰ってきた。
城を空けていた頃に、特に問題はなかったらしい。ただ今年は雨の量がやや少ない。飢饉が起こるかもしれない。それだけは伝えられた。
一方、渡人・横溝は新たなものを発明していた。
何でも麦で作った酒らしい。水のようにさらさらとしていて、苦みがあるのが特徴で、ビールというらしいが、信長は下戸なので飲むのは断った。
(ふむ、飢饉の可能性、であるか。確かに尾張のように水だらけの場所ならともかく、畿内は水不足に苦しむ農家が出てもおかしくはないな)
信長は最終的な判断として、兵糧を配る可能性も示唆するとして、会議は終わった。とにかく極力土一揆は出さないよう、領民を諫めるように、と。
(まあここまでが順調に行き過ぎたわけだからな、そろそろ飢饉や疫病の類が問題に上がるとは思っておったわい)
だが数日後、それとは違う大きな問題点が顔を出した。
それは伝令役の男の口から発せられた。
「申し上げます! 徳川勢、信濃及び甲斐に進軍。武田勢の壊滅を目論んでいたようですが……その……失敗に終わったようです」
「はあ?」
「失敗? まことか?」
「あれ程会食の場で啖呵を切っていたにも関わらず、か」
「徳川勢も大したことありませんな」
家中から発せられる罵詈雑言。
「ふん、大方、戦力の逐次投入でもしたんだろうよ。こういうのは主力全部ぶつけてガツンとやらなきゃいけないのにさ」
横溝が横から呆れたような声で感想を述べる。
まったくもって言う通り。徳川勢力を持ってすれば武田勢を討ち取るなど造作もないと思っていた。慢心、過信、油断、増長、表現は色々あるが、どうやら徳川は此度もやらかしたようだ。
「…………」
(家康め、家臣の気持ちどころか自分の目論見すら達成できんとはな)
「それとあと、家康様から書状が届いております」
信長が書状を読む。内容はかいつまんで言うと、以前の会食の無礼は許してほしい。そして武田を叩くために援軍をよこしてほしい。この2点だった。
(あやつめ、なんと面の厚い男か……!)
だが、ここで信長の行く道は決まった。ここまでだな、信長はそう思った。
「おい、徳川の援軍の準備をしろ。ざっと10万以上でな」
「と、殿、本当に徳川の要請に答えるつもりでありますか」
「阿呆が。勿論そんな筈ないだろう」
信長はきっぱりと言った。
「徳川を、殺るぞ」
年内ギリギリ更新間に合いました
皆さま、よいお年を