「な、何事か!?」
「敵襲です! 織田がいち早く動き始めました!」
「なんじゃと!? くっ……こうも早く動くか。織田信長……!」
真田の背中に一筋の汗が垂れた。最早ここまでか。開始早々諦めの覚悟をしなければならぬとは、天はやはり残酷なものか、と。
だが、織田軍の動きを見た瞬間、真田は思いがけない好機を手にすることになる。
「あれは……。ど、どういうことだ。何故、徳川と織田が戦っているのだ……!?」
だが迷っている暇はない。真田は至急伝令を出した。
「これより、我が武田軍と織田軍は合同で徳川軍を叩く! 挟撃だ! 挟撃を行うのだ! 早く!」
「は、はい!」
「……これは、僥倖、なのか?」
「徳川軍は精強な軍勢だ。ぬかるなよ!」
「勿論でござる。昇給首をたんまり奪ってくるでござるよ!」
「続け続けー!」
「おらおら、年末の魔物のお通りだ! ダメジャー2でも魔法少女アイ参でも好きに持ってけこの野郎!」
「な、何事か!」
「大変です家康様、織田軍が我が徳川軍に強襲、背後を取られ、我が軍は混乱しております!」
「何だと……!」
「更に武田軍はあっという間に陣形を立て直し、挟撃の態勢を取りました。このままでは危険です!」
「くっ……信長……織田信長ぁぁぁっ!!!!」
戦局は瞬く間に変化した。なにせ織田軍10万が背後から突撃をかけてきたのである。
更に前方には武田勢が態勢を立て直している。完全に挟まれた状態になった。
野戦でもっとも効果の高いのは追撃戦と包囲戦だと言われている。織田は10万の軍勢を持って徳川を囲み始めた。仮にこの包囲が完成すれば、逃げいる隙間はなくなる。
前方を叩けば後方から叩かれ、後方に対応しようとすれば前方の敵から攻撃される。左翼を攻撃すれば右翼から攻撃が来る。その逆も然り。
そして、四方八方に気を配れば四方八方が手薄になる。
徳川勢は完全に戦場から孤立してしまった。
「おのれ、織田め、我々を裏切るとは、この卑怯者があっ……!」
「何を言うか、会食の場で啖呵を切ったのはそもそもお主達ではないか。こうなるとは思わなかったのか?」
「くっ……!」
「腹は切らさぬ。この場で死ぬがよい」
「黙れ! この井伊直政、そう簡単にやられはせぬわ!」
「ならば一個部隊の敵を殲滅した後、奴を殺せ! 貴様には孤独な死がお似合いだ!」
「貴様らああああっ!」
付き添いの足軽を殲滅した後、槍数十本で串刺しにした後、首をはねた。
井伊直政の最期、まずは昇給首を取ったのは滝川一益だった。
「ふふ、久々の戦もいいものだな。安土城の建立をしている丹波殿にもいい土産話が出来そうだ」
赤備えの井伊に鮮血の結末とは実にいい土産話になりそうだ、滝川はそう思った。
しかしここで徳川も負けてはいない。徳川勢である意味最凶の男が出しゃばる。本多以上の戦闘狂、水野勝成が。
「フン、なにが織田だ。俺に言わせれば所詮は烏合の衆よ。徳川に歯向かうのなら俺が全員殺してやる!」
「ほう……なら俺が相手をしよう」
ここで織田の切り札が動く。信長が、万が一奴が動いたらでしゃばるな、とまで言わせた男。渡人・横溝由紀である。
「貴様が織田の渡人か。信長に随分可愛がられているようだが、俺は容赦せんぞ!」
「命令を全く聞かない単細胞だと聞いた……。そんな阿呆が俺の首を取れるかな?」
「ぬかせ!」
水野が間合いを詰める。横溝は激痛に耐えながらクリムゾンで射撃を行う。しかし強い痛みが、クリムゾンの照準をズラす。弾は当たらず、水野を間合いに入れられてしまう。
「馬鹿め! 貴様は終わりだ!」
水野の刃が横溝の左肩口から腹部をバッサリと斬り落とす。
正直、水野は勝った! と思った。しかしここからが本番なのが渡人戦である。
「…………だからどうだというんだ?」
「なっ……!」
そう、渡人はそう簡単に死にはしない。戦場においては無敵の盾である。しかし徳川の渡人のように心を壊されては意味がない。
横溝の持つクリムゾンは持ち主の精神を蝕み、狂わせ、最終的に死に至らせる呪われた銃である。
だからこそ持ち主には絶大な精神力を問われる。どれだけ痛くても、痛いと言ってはいけないほどの。
「戦だけに狂うようじゃ、俺には勝てないなぁ……」
横溝は残った右腕で腰の刀を抜き、お返しとばかりに肩口から腹部までバッサリと斬り落としてやった。
「ぐああっ……がっ……!!」
「中々の手練れだったが、相手が悪かったな…ああ、そうそう。お前に伝えておかなければいけないことがある」
「な、何だと……!?」
「上杉の渡人を殺したときにクリムゾンがまた進化してな、この際だから使ってやるよ。クリムゾン・ボムファイア!」
横溝は片手でクリムゾンの爆弾が仕込まれた弾丸を水野の腹に打ち込む。そしてそれに追撃の一発を放つと、水野の体はしめやかに爆発四散、肉片が飛び散って絶命した。
ゴウランガ! おおゴウランガ!
「横溝殿!」
「大丈夫ですか!?」
負傷兵の手当てをしようと兵たちが集まってきた。
「……あー、やれやれ。……やはり再生速度が落ちてるな。俺も耄碌したもんだ」
本人はいたっていつも通り、和やかに笑っていた。
包囲は着々と完成しつつあった。
織田軍が包囲を行おうとしているのを知った武田軍は挟撃を行うと同時に両翼に軍を展開し始めた。最初は8千という絶望的な数であったが、織田が徳川を食うのであれば問題はない。
「騎馬隊を再編成しろ! 負傷した者は下げてよい!」
「急げ! ここでだらしない恰好を見せては、徳川の次に我々が食われるぞ!」
勝頼と昌幸が伝令を出す。この好機、逃しては勝ち目はない。しかし勝ちの勝率は未だ1分、成る道はまだ先だ。
そして戦場において、好事魔多しとはよく言ったものである。
手薄な武田軍を食い破り、挟撃を破砕しようと、一人の武将が武田軍の前に立ち塞がった。
「随分と苦労しているようだな。武田勝頼」
「っ! おまえは、徳川軍一の武将と讃えられた、本多忠勝!」
「いかにも。おまえ達の思い通りにはさせんと、徳川様から勅命を言い渡されてきたわい」
なお、先日の会食で一番やらかしたのもこの男である。よく信用があったものだ。徳川家康もやけになったか? それともこの状況を打破するなら誰でもよかったのか?
「拙者、本多忠勝がお相手申す。武田勝頼よ、剣をとるがいい」
「……。良かろう。この武田四郎勝頼が相手をしよう」
「勝頼様、いけません! あなたが死んでは武田軍は瞬く間に瓦解します!」
「ここは退いてください。一騎討ちなど御止めくださいませ!」
「いや……、私は、逃れられない。やらせてくれ、皆よ」
「勝頼様……」
確かにここで戦局を一変させかねない一騎討ちなど愚の骨頂ではある。
だが、勝頼は、今、ここで、この男の首を、取らなければいけないと分かっていた。
何故なら、ここで勝たなければ武田はどのみち織田によって滅ぼされるだろう。しかし戦って勝ったのであれば話は別。信長は必ずこの事を評価してくれる筈。勝頼はそう思った。
「あいにく拙者には時間がない。ものの数分で終わらせてくれる」
「どうかな、忠勝殿、増長は死に繋がるぞ」
(……父上、兄上、甲斐の民達よ、私に力を貸してくれ……!)
( 拙者は負けられぬ! 私には徳川の命運が掛かっているのだ!)
「参るぅぅぅぅぅぅっ!」
「はぁあぁぁっぁっ!」
この戦の大一番が始まった。武田勝頼VS本多忠勝。
本多忠勝は性格は別にして鹿の角に見立てた兜を被り、戦場を縦横無尽に暴れぬいたことで知られる稀代の猛将である。
対する勝頼はこの戦が長篠であれば織田と徳川の連合軍に大敗し、歴史の影に埋もれたまま、血みどろになって最期を迎えた悲運と哀愁の武将である。
その背景には大きな差があった。この勝負、誰もが本多有利と思っていた。だが、この不利が覆る大事が起こる。
「勝頼様ー! 頑張ってくだされー!」
「お前、いきなり何を!?」
「いや、この勝負重要なのは何をどれだけ背負っているかだ。我々も勝頼様を鼓舞するぞ!」
「勝頼様ー! 頑張れー!」
「勝頼様ー! 負けるなー!」
「勝頼様ー! 頑張ってくだされー!」
武田軍が大きな声で勝頼を必死に応援する。その声援に答えようと、勝頼の刀を振るう力に魂が乗った。
(有難い……。この声があれば百人力じゃ!)
(おのれ、勝頼め、調子づきおって…!)
激しい攻防が続く。忠勝の槍さばきに苦戦しながらも、勝頼は持っていた張り小手で、一撃の機会を待ちながら攻撃を必死に凌ぐ。
周囲からは勝頼への必死な声援が飛ぶ。この声は、間違いなく周囲の者たちが勝頼を侍大将と認めた証拠である。
そして、遂に、勝頼に好機がやってきた。
態勢を崩しながらも槍で応戦しようとした忠勝の力のない槍を小手で弾き返し、刀の突きが忠勝の喉笛目掛けて迫る。
「くっ……!」
「いけえええっ!」
ザスッと鈍い音がした。勝頼の突きは忠勝の喉笛を深く突いた。
動脈を切られ、喉からおびただしい鮮血を吹き出し、苦しむ忠勝。
「……! ……! …… !!」
忠勝は声帯を切り裂かれ、もはや喋ることも出来なくなっていた。
そして、勝頼に向けて、にやりと笑った。その笑いが何を意味するのか、戦った勝頼のみが知っていた。
「……!! ……! ……!!」
忠勝は暴れるような振る舞いで鎧兜を脱ぎ捨てると、馬から降り、脇差を深々と己の腹へと導いた。
「……本多忠勝、見事也!」
勝頼は忠勝の首を渾身の一撃で刈るように斬った。
それが、猛将本多忠勝の最期であった。
ワアアアアアアアアアアアアアッ!!!!
付近からは勝頼の勝利を讃える声援が沸き起こった。
しかし本人は勝利に酔いしれる余裕はなかった。それだけギリギリの勝負だった。
「お前たち、戦いはまだ終わっておらぬ、さあ、最後の仕上げじゃ!」
「は、はいっ!」
「うぬ、うぬぬぬっ! な、何という事じゃ……! クソッ! クソッ!」
包囲陣が完成し、もはや逃げる隙間など何処にもなくなった戦場の中央で、徳川家康はただひたすら歯ぎしりしていた。
時間が経過するたびに我ら三河の猛将たちが悉く撃ちとらえられていくのを伝令役が報告するたび、もはやどうにもならなくなっていった。
「馬鹿な……! 儂の部下が……! 三河の精鋭部隊達が……! こんなにも……! クソックソッ!」
「家康様、いかがなさいましょう! 我が軍、残りおよそ500、もはや戦闘の続行は出来ません!」
「ふざけるな! 最後の一兵まで奮戦せよ! この徳川家康のために戦えることを、無上の喜びとせよ! さあ、行け! ほら、行け!」
「し、しかし……」
「しかしも案山子もないわ! さあ行け、行って死んで来い!」
「い、嫌です! 自分は死にたくありません! あなたに付いていくのはこれが最後です! 我々は降伏します!」
「貴様らぁ!!」
それが、狸と呼ばれた家康の最後の命令であった。
家康は捕まった。
「無様なものよのぅ、家康」
「織田信長……織田信長ぁ……!」
「おぅおぅ、狸が粗末なちんちんではなく顔を赤らめておるわ。まったく、お主は最後まで醜態を晒しておるのう」
「くそっ……!」
戦場のど真ん中に家康は縄で縛られ座らされていた。家康からすれば屈辱的な姿ではある。
「父上……」
信長の息子、秀忠も信長の側にいた。今日の秀忠は榊原康政、酒井忠次といった徳川四天王を討ち取った獅子奮迅の大活躍であった。
「秀忠よ。よく見ておけ。捕虜がどうなるかをな」
「せ、切腹させろ……! もしくは辞世の句でも読ませろ!」
家康は言う。
「阿呆が、人ならともかく、狸にそんな温情を与えると思うたか。貴様の逝く先は既に決まっておるわ」
「何だと……!?」
「こやつに油をかけい!」
言われるまま、部下は家康に油を塗りたくる。
「貴様には切腹も辞世の句も似合わぬ。生きたまま火葬にしてくれるわ。火を付けろ!」
「信長ぁぁぁぁぁぁっ!」
火が付けられた。家康はその場でのたうち回った。油のせいで、よく燃えた。
「お、覚えておけ信長ぁ! この徳川家康……何百年と続き、織田家に祟ってくれるからなぁ……!」
「かっかっか、この天魔を呪い祟ると申すか! 面白い、楽しみにしておるぞ、家康!」
「信長ぁぁぁぁぁっ!」
これが、徳川家康の最期であった。正史であれば最後に天下を取る筈の男の、あまりにあっけない最期であった。
「しかし信長、おまえさん、本当に火炙りが好きだな」
「かっかっか、横溝、褒めても何も出ないぞ。かっかっか!」
焼き狸