「もうすぐ安土城が見えてきます」
「ほう、そうか」
馬車の中で
「噂ではさぞ美しいものになっているとか。見るのが楽しみですな」
「うむ、楽しみじゃ、楽しみじゃ。信長が新しき城をどのように見たてたのか、それが分かるというものよ」
事実、安土城は政治的な意味合いが強いと言われている。同時に城下はとても賑わい、芝居をやる舞台もあったそうだ。
更に城はお金を払えば誰でも城内を見て回れたとか。
「見えてきました。おお、こ、これは……」
「おお、どれどれ、儂も少し覗き見してみるか」
「では、私も……。お、おお、こ、これは……」
安土城を見た天皇と将軍は感嘆した。成程、確かにこれは素晴らしいものだ。
天主は黄金色で瓦まで金箔が張り巡らされている。だが、やはり驚くのは色より高さだ。
「これは、一体どれだけ高いのじゃ……? 青色、赤色、白色、黒色、と染め上げているから5階建てか? しかし高さまではまったく見当がつかぬ」
「遠くから見てこれでは、実際はどれだけ高いのでしょう。いや、山城ですから高さは予想がついていましたが、これ程とは……」
「無粋な物言いだが、銭がかけられとるなあ。儂らでは逆立ちしても出せない銭が使われてやっと建立できたのだろう」
「ですな…。信長は交易で金を流通させ、街は自由に商いをさせているというから、一体どれだけ銭を徴収できたか分かりません」
「最後に物を言うのは銭、か……。やはり儂らの時代ではないのかものう……」
「天皇様、何もそこまで自己卑下なさらずとも……」
空から降ってきた銭を拾い集めていたのが現在の公家衆の有様だ。それに比べれば武士と商人は金を産みそれで生きながらえてきた。比較にならない。
(武士の時代かと思っていたが違うな……。これからは武士と商人の時代だな)
「ここからは坂になります。ご注意を」
馬車が安土城の1階にあたる平地目指して歩く。そういえばこれまで、山賊が襲い掛からなかったのも奇跡かもしれない。
信長は一応家臣に防衛にあたらせるよう命じたが、天皇側がそれを断った。大丈夫だと。今回は天皇の威光が賊をはねのけたのかもしれない。
「もうじきじゃな」
「ええ……」
かっぽかっぽと馬車が歩く。そして窓からは琵琶湖の美しい景色を見ることができた。
「綺麗じゃのう」
「全くで。これを毎日見れる信長は幸せものですな」
そして遂に……、
「
「着いたか……」
「ここからは公務の時間ですな」
「天皇陛下、将軍義昭公、お待ちいして、おりました。今回お二方のご案内を務めさせていただきます、小姓の森乱丸でござります。(噛んだな……)」
「うむ、苦しゅうない。乱丸殿、よろしくお願いしますぞ」
「勿体なきお言葉です。それでは安土城について軽く説明しますので、ゆるりと聞きながら城内にお入りください」
「座敷は全て金で装飾されておりまして、中には狩野永徳ほか狩野派の絵師達が技量を尽くした風景画が描かれております」
「ほう、これは何とも素晴らしい」
「山あり谷ありと言いますが、田園なども描かれてますなあ」
「そしてこちらが、天皇陛下が安土へお越しいただいた時を考えて作られた『御幸の間』でございます」
「おお、これは何とも雅な……」
「我々がお休みできる部屋を用意するとは、信長もやりますな」
「どうかこちらで、お時間までお休みください。予定では2刻後に、儀式に入らせていただきます」
「ふむ、では、時間まで休ませていただこう。やはり儂も年だな。長旅になったので腰が……」
「私は城外を案内させてもらいたいですなあ。乱丸殿、お願いできますかな?」
「は、はい! では将軍様には石垣や瓦についてお話します」
「ふう……」
御付きの者に水を一杯いただき、天皇陛下は一息付いた。
(何とも美しい部屋だ。信長が天皇という存在をどう思っているかが分かる……奴め、儂のことなど気にもとめてなかったと思っていたのだが、案外気を使っていたのかもな)
思い返せば信長という男は朝廷への献金などは惜しまない男であった。ならばこの部屋の出来にも納得がいく。
「……信長よ、お主は私に見定められるに値する十分な男だったようだな」
「天皇様、どうかしたのですか?」
「あ、いやなに、独り言じゃよ」
(儀式も、滞りなく終わりたいものじゃな)
「失礼します……」
「む、誰かな?」
「遠いところわざわざお伺い有難うございます。私、信長様の元で茶人をしております、利休と申します。この度は天皇陛下に茶を啜っていただきたく、不束者ですが参上いたしました……」
「ほう、茶とな。面白い。利休殿。お願い申し上げますぞ」
「勿体なきお言葉です。では、。今回はこちらをお使いさせていただきます」
そう言うと、利休は茶道具を取り出した。
「こ、これは……!」
「茶壺には『三日月』、茶碗には『白天目』、茶入には『九十九髪茄子』をご用意いたしました」
「三日月か! 利休殿、よくぞこれを手に入れてくれた。義昭も喜ぶだろう」
「その義昭公にも後で拝見させてもらうとしましょう。では、お時間を」
利休の茶が始まった。
実は言うと、此度の茶席に信長の許可は得ていない。利休は天皇陛下に茶を煎れてみたいという『独断』で来たのだ。これも利休が目指す『業』の在り方か。
もう一つ言うと、利休は信長が横溝を捕らえたという話を聞いて、随分委縮してしまった。あの方からはまだまだ学ぶべきことがあった筈なのに、と。
(横溝殿、私はせめてたった一人でも信長様に反抗してみせますぞ。例え首から上をなくすことになろうとも……)
「出来ました。どうぞ」
利休は茶碗をそっと陛下に差し出した。
「うむ、いただこう」
陛下は茶碗をくるりと回し、一口茶を啜った。
「…………美味い」
「ほう、分かりますか」
「うむ。眼福ものの茶器に目が行きがちだが、茶はしかと言葉を紡いでくれる。新たなる時代に相応しい『光』が見えた。今日はまこと、良い日になりそうじゃ」
「有難うございます。陛下にここまで言ってもらえるのであれば、感激の至りでございます」
「うむ、利休殿よ、これからも信長殿に仕え、茶の湯の道を歩んでくだされ。今日のように、内緒で茶を煎じる必要がない時代が来るよう祈っておりますぞ」
「……!」
陛下は全てお見通しだったのだ。何とも恥ずかしい。
「ははっ、これはまた、一本取られましたな……」
「どうも利休殿は猪突猛進のところがありますな。そんなことでは名物が逃げますぞ。はっはっは」
利休は思った。陛下が茶飲み友達になってくれたらどれだけ気が楽になっただろうと、道化である自分をさらけ出せる人が側にいてくれたらと。
(いや、それは詮無きことですな。次は横溝殿のところに参りましょう。獄入りの者に茶を啜らせるのも一興ですな。ふふふ)
その後、義昭公は石垣や瓦積みに関する説明を受けて戻ってきた。瓦は全て安土で地産されたものだったと聞きました、と天皇に報告していた。
正親町天皇はお前がいない間、茶人が来て『三日月』を持ってきてたぞ、と言った。義昭は驚いた。できれば返してほしいと願ったが、天皇は、それはないだろう、とだけ言った。
そして2刻が経過した。お付きの者が準備を促した。義昭は信長に被せる鳥帽子は私のお手製なのですよ、と自慢げに言った。
二人は天主へ上った。
そこには信長がいた。儀式前に顔を見せられなかったことを、信長は詫びた。天皇は、気にしなくてよい、気楽にしておれ、とだけ言った。
将軍宣下は滞りなく始まり、そして終わった。正親町天皇が自ら文書を読み上げ、最後に、織田前右府信長を征夷大将軍に命ずる、とし、信長がそれを
その後、義昭公が自作した鳥帽子を信長に被せ、絵師達が信長の姿を描き上げるのである。
その間、信長はずっとポーズを取らせられ続けた。信長は緊張の間何度も乱丸に汗を拭くように命じた。
その姿を、天皇陛下と義昭公はずっと微笑ましく見ていた。義昭公はこれで将軍ではなくなり、さらに足利を抹消することを決めていたので、これからはただの義昭である。
夕刻が過ぎ、太陽が完全に落ちる頃、信長と天皇と義昭は夕膳を取った。祝いの豪華な食事が山ほど並べられた。
天皇は、全部食べては腹が焼け落ちてしまうなあと零し、少量を頂いた。
「ところで信長よ、実は提案があるのじゃが……」
話の始まりは正親町天皇から申し上げられた。
「何でしょう?」
「実はのう……儂もこのところ体調が優れず公務を休むことも多い。その代わりを
「親王様に天皇の譲位を行いたい、と?」
「随分察しがいいな。その通りなのじゃよ。ついては京に邸宅を作り、儂はそこに隠居したいと考えておる。そこでなのだが…中々言いにくいものじゃなあ」
「いえ、言わずとも分かります。邸宅を建立する資金を出してもらえないか、そういう事ですな」
「う、うむ。だがお主も安土の城を建城したばかり。あまり贅沢なことは言いにくいのだ。しかし、我が願い、叶えてもらえないか?」
「ふむ、分かりました」
信長は即答した。
「不肖信長、天皇陛下の為ならば喜んで身をちぎりましょう。で、おいくら入用なのですかな?」
「そうじゃなあ……銭2万貫程必要になるか、と」
「天皇陛下の見立てがその程度だとすれば、おそらくなんやかんやでその倍はかかるでしょう。つまり、銭4万貫ぐらいにはなるでしょうな。私が安土の城を建てた時もそうでした」
「よ、4万貫……!」
「陛下、元室町の私が言うのも何ですが、私が逆さに降って出せるのは5千貫が限度です」
横の義昭公が言った。
後、願いを出せるのは本願寺くらいなものだ。それでもあそこは現在延暦寺の復興を行っているため多くは出せない。出せたとしても、おそらく1万貫が限界か。
「つまり単純にそろばんを叩いたとして必要な銭はおよそ2万5千貫といったところですか……」
信長は再考した。2万5千貫、出せる自信はある。ただ時間は掛かるかもしれない。
天皇陛下の邸宅となれば、単純な宮大工では話にならない。多分注文が着く度にお金が更に出ていく恰好になるか。
それでも天皇陛下の希望とあれば受けないわけにはいかない。信長はこれを承諾した。
「済まんな、わざわざ安土まで来て、お願い事が銭の工面とは情けない」
「いえ、ご心配には及びません。譲位の事はそちらで済むのであれば、あとは単純な銭金の問題になります。大丈夫です。何とかしてみせますとも」
「そうか、有難い。感謝するぞ。新しき征夷大将軍よ」
「いえいえ……」
信長はそう言うと、天ぷらを口にした。そういえば、天ぷらと言えば横溝だったな。儂はまだ気にしておるのか、あの一介の渡人を。
(横溝よ……儂のことをいくら恨んでも構わぬ。だが、最後には許せ。それがお主の為じゃ)
極めて傲慢なことを望む信長なのであった。
翌日、天皇陛下一行は、朝餉を軽く啜ると、安土城を後にした。これからは日ノ本の国のため公務に励んでくれ、と残した。
そういえば、新たな幕府の名前は考えておるのか、と聞いた。信長は勿論決めている、と答えた。
「天下布武、略して天布幕府です。これからは天を布で包むかのような日ノ本を目指します」
天皇陛下は、お前さんらしいな、とだけ答えた。そして陛下達は去っていった。
「ふう……」
信長は大きく息を吐いた。ここまで緊張のし通しだったからだ。できれば今日は早めに休みたい。
「殿……」
「おお、帰蝶か」
「天皇様は、心優しいお方でしたね」
「そうだな。目下であるはずの儂に頭を垂れてきた。頭でっかちな公家衆とは違うわ」
「天皇様の気品を殿が真似できるとは思えませんわ」
「む、そ、そんなことはないぞ。儂とて年相応の気品の一つぐらい……」
「ふふふ……」
さて、明日からは早速公務が始まる。部下へ息子達、そして遠出に向かっていた家臣達も一度安土へ戻ってくるはずだ。旧朝倉や上杉、武田も……。
(できれば北条家には来てほしいものじゃな。状況次第では逆賊として裁かねばならん。もしくは権力の持たせすぎをかねて分裂させるか、毛利は特に分裂させたいな。やはり中国が肝か)
「信長様!」
門番を任せていた兵が一人昇ってきた。
「どうした?」
「上杉謙信様と直江愛様から、これを、横溝殿へと……」
兵が取り出したのは弁当だった。どうやら二人は毎日のように朝通っては横溝を連れ戻すべく来ているのだとか。
「ちっ、こんなもの……」
「殿、それを捨てては、殿の度量がしれますわ」
「帰蝶まで……ええい、分かった。きちんと渡すから今日は帰れと言って来い」
「では私が直接横溝殿にお渡ししますね」
「いや、帰蝶、お主が行かんでも」
「私、横溝殿の事は嫌いではないのですよ」
帰蝶はにっこりとほほ笑んだ。
「…………」
(この人たらしぶり……やはりあいつは危険じゃ。危険な、筈、なのじゃ)
信長は自分に言い聞かせるようにぽつりと呟いた。
いい国作ろう新幕府