ワアアアアァァァァァアァァァアアァァッ!!
「な、なんじゃ。何事じゃ!?」
「大変です秀吉様! 西方から援軍と思わしき大軍が襲来中です!」
「はっ……? 一体何処のどちらさんが来たというのじゃ!?」
「今確認してきました。あの十字柄は……島津です!」
「島津じゃとお!?」
「ふっふっふ、織田め、まさか我ら島津が既に九州を平定し、毛利と手を組んでいたとは思うまい」
「ここで秀吉の軍にぶつかれば、相手は脱皮の如く逃げ出していくだろうなあ」
「何が天下だ。征夷大将軍だ。そんな事は我ら島津を倒してから言ってほしいよな」
「さあ、行くぞ、秀吉軍に噛み付きにな!」
「まさか島津が来るとは……毛利が中々織田に従わなかった理由はこれか!」
「いかがなさいましょう? 秀吉様?」
「当然逃げじゃ! 逃げ! 脱皮の如く、東に向かって後退じゃ!」
だがその後退もそう簡単にはいかなかった。島津軍の向こうに、なにやら怪しげな影があった。
それは身の丈12尺はありそうな巨体のトカゲの形に似たからくりだった。
キョエェェエェエエエェエエェェッ!!!!
そのトカゲが、叫んだ。嘘ではない、確かに叫んだのだ。そして、かつてのガトリングに似た、弾丸の連射をしてきたのだ。
ドガガガガガガガガガガッ!!!
「うわあああああああああっ!!」
「た、助けっ……!」
弾丸の台風を浴びた陣営は、瞬く間に死傷者多数。その中には、別所長治の姿もあった。
「別所殿ぉ!!」
荒木が叫ぶ。しかし言葉はもはや届いてはいなかった。
「逃げましょう、荒木様! ここは危険です!」
「……くそっ、別所殿、仇は必ず討ちますぞ……!」
「おーおー、驚いてやがる。まあ、当然か」
「このトカゲがいなきゃ、我々が九州の平定をするのは難しかったからな」
「もっとも、肝心な時に動いてくれなくて苦労してたがな」
「まあよい。こいつで信長の首を取れさえすればいい……」
「さあ、追いかけるぞ。島津のしつこさ、特と味わうがいい!」
島津の進軍が始まった。トカゲは動かなかった。しかし瞬間移動できるらしいので問題はなかった。
そして、トカゲはこう言った……ような気がした。
『クリ……ムゾ……ン、ヲ、トリ……カエ……セ。ヨコミゾ…ユキ、カラ、トリカ…エ…セ…!』
秀吉軍の予期しない、中国大返しが始まった。
備中から慌てて撤退し、備前の沼城に至る。
姫路城にたどり着く頃には大雨で洪水し、河川が氾濫していた。
だが、ここまでくれば一安心かと思いきや、姫路城の城の外には島津軍が同じく強行してきた。秀吉、そんな馬鹿なと思いながら慌てて逃げることを決める。
殿役は荒木村重が引き受けた。荒木は戦いで散るなら本望とだけ語り、最後まで戦って、死んだ。
昼夜の境もなく、人馬も休めず、ただひたすらに走り続け、明石、尼崎まで至る。
もはや秀吉軍は限界だった。
「も、もう歩けぬ……」
「馬も既に限界じゃ。もうこれ以上は走れませぬ」
この強行だけで、秀吉軍、8千の軍を擦り減らす。信長が知ったら首を刎ねられかねない失態だった。
(何故じゃ…? どうしてこうなった? どうしてこうなった……? 本来ならとうに毛利家との交渉の場に付いて和睦の話をしている筈じゃ。それなのに……)
別所も荒木も死んだ。しかし到底喜べるものではなかった。
(儂がバカだったんじゃ。上手くいけば二人纏めて、とか思ってたからバチが当たったんじゃ……)
「報告です!」
明石近辺を探っていた偵察役が戻ってきた。
「島津軍、毛利軍を吸収し、更に東へ。こちらに近づきつつあるようです!!」
「な、なんじゃとおぉ!?」
秀吉もこれには困惑した。これだけ強行すれば兵站も滅茶苦茶、疲労でまともに動けない筈。
「秀吉様!」
黒田官兵衛が秀吉に判断を急がせる。
(何故じゃ……!? 敵ももはやまともに動けぬはず。何故こうまで強行に軍を急がす……!?)
「…………あ、ああああああああああああああっ!」
秀吉が立ち上がった。
「ひ、秀吉様?」
「分かった。あいつらがここまで軍を急がす理由が分かった!」
「そ、それは如何に?」
「京じゃ! あいつら京入りを果たし、御所を抑えるつもりじゃ!」
「なんと、では……」
「やむを得ない。こちらは疲労困憊でまともに動けぬが、やるしかない! 何としてでもここで奴の進行を止めねば!」
「しかし、奴らが止まるでしょうか……? 島津はともかく、毛利まで止めるには兵の数が足りません!」
「くっ……! だが、やるしかない! 奴らを京に上げれば、信長様に合わせる顔がない! やるしか……」
正直、秀吉は自身の最大の危機を迎えていた。逃げてきた兵はおよそ2万程度、うち1万は逃げ遅れておいてきたのだ。
なによりも兵たちは疲労でまともに動ける状態ではない。
「やむを得ない。兵を一人連れてこい」
「秀吉様、私を呼んでどうするのですか?」
ただの一兵に過ぎない者を呼び、秀吉は荒らしく言った。
「おまえに命を授ける! 大至急、信長様にここの状況を伝え、信長様自らお越しくださいと伝えるのだ!」
「……! 秀吉様、しかしそれではあなた様の立場が……!」
横の黒田が困惑する。
「構わん。ここで首を刎ねられるのも、信長様に首を刎ねられるのも一緒よ。頼んだぞ!」
「は、ははぁ! 必ずや安土まで帰還いたします!」
「秀吉様、大変です!」
「どうした、島津が遂に来たか!?」
「い、いえ、違います。明智光秀様が秀吉様に面会を希望しております」
「なんじゃと!? 明智殿が!?」
明智が家老の座を降りたからこそ、自分は家老になれた。しかしその意趣返しとは思えない。では、何故この状況で……?
「やあやあ秀吉殿、お久しゅうございますな」
明智光秀は陣にひょっこりと現れた。心なしか、最後に見た時より老けたように見える。
「細川殿から軍を借りてきました。さあ、これで島津を押し戻しましょう」
「なんですと!? で、では、明智殿は相手の狙いが?」
「ええ。京入りでしょう。それを成し遂げられてはもはや詰んでしまいます。さあ、秀吉殿、もうひと踏ん張りしましょう」
「……! え、あ、ああ。分かった。兵たちに伝えよ。何としてでも島津を押し返す。ここで命を賭して戦え、と」
秀吉はまだ半信半疑だった。何故、明智殿はこちらの状況が分かったのか? 何故細川殿から兵を借りるという大胆なことができたのか?
しかし深く問いただしている時間はなかった。
「全軍、前に出ろ! いいか、勝つ必要はない。負けなければいいのだ。そうすれば信長様の軍が来てくれる」
オオオオオォォォォオォオッ!!
秀吉と光秀は必死に全軍を鼓舞した。
一方、伝軍に出ていた島津側も、織田軍の援軍に驚いていた。
「何と!? 織田に援軍が!? 奴らめ、打ち出の小槌でも振ったというのか?」
「ですが、事実です。率いている武将は分かりませんが、織田の軍で間違いないようです」
「ちっ、ひたすら秀吉の軍を追いかけるついでに京を抑えるという、我らの目論見が見破られたか……」
「しかし援軍はともかく、秀吉軍はもはやまともに動けぬ筈。状況的には五分では?」
「しかしなぁ。あのトカゲの化け物がどこに行ったかさっぱりじゃからなぁ」
その言葉通り、例のトカゲのからくりはかき消すように姿を消していた。いつはぐれたかもわからない。まあ、あいつはこれまでの状況から、突然戦場に現れるのだが。
「今回は奴の力を借りるのは難しいかもしれんな」
「なに、策が敗れても我ら島津は健在。一気に押し潰してしまいましょうぞ」
「そうじゃな。よし、こちらも一気に東へ攻め入る。こちらも総力戦と思えよ!」
かくして、島津&毛利と、秀吉&光秀の織田連合軍の総力戦が始まった。
しかし、この戦い、意外にも織田側に有利に働いた。
天気は雨脚が強く、種子島が使えないことが響いた。ならば足軽を中心に騎馬隊で押し込もうとするが、織田軍の兵も厚い。
秀吉の軍は機能するのがギリギリの状態であったが、何とか食いしばった。
光秀の借りてきた軍も、織田には何の義理もない、と思いきや、細川が明智の統治していた丹後の増領としてきたことで、織田のために戦ってくれた。
そして何よりも決定的だったのが、四国から安土へ報告に向かっていた織田信孝が山崎から強行してきて兵を連れてきたことだ。
「さあ、逆賊を追い詰めるぞ。我に続け!」
「おお、信孝様、感謝いたしますぞ……」
「……(信孝様には無理を行って来てもらったが、どうやら間に合ってくれたようだ。あの方がいれば後の織田も安泰か…いや、止めよう。今は敵を叩くのが先決だ」
そして島津・毛利連合軍にとって、地の利がある織田軍の増援は致命的だった。
「駄目です。兵が押し戻されています」
「くそっ、ここまでだな。これ以上攻めれば兵が逃げる。やむを得ない。一旦退くぞ!」
「ちっ、だが信長、京は必ず我ら島津が頂く。首を洗って待っていろ!」
「兵が逃げていくようです!」
「お、終わった、のか」
秀吉は陣の中でへなへなと崩れた。
「よし、まずは此度の戦は織田の勝ちだな! しかし宴の準備はするなよ」
信孝は部下をしつけ、まずは父上が来るのを待った。
「た、大変です!!」
だが勝ち戦に浮かれる間もなく、突如兵がよくない知らせを持ってきた。
「何事じゃ!?」
「陣の外で指揮をしていた光秀様が、光秀様が……」
「ど、どうしたというのじゃ? 鉛玉でも喰らったか!?」
「い、いえ、そ、それが、く、口から大量の血を流して、倒れるように馬から崩れ落ちました……」
「なんじゃとお!?」
「……!!」
部下の話では、光秀に怪我はなかった。だが、口から吐血して、倒れてしまったらしい。
その時、細川の軍の一人がこう言った。
実は、光秀殿は、終始寝たきりに近い状態であって余命幾ばくもない身体であったという。それでも織田の為に最期の力を振り絞り応援に駆けつけてくれたというのだ。
まさに燃え尽きる直前の蝋燭の如く…。
「……………………」
秀吉も、信孝も、この秘密を聞かされた時は、何も言えなかったという。
その夜。織田信長が自ら陣に現れた。何でも横溝が「秀吉は苦戦するだろうから応援に行ってあげてほしい」と頼みこんだからだという。
伝令からの書状をしかと受け取り、信長は現れた。しかし、信長は気が気でなかった。秀吉のこともあるが、それ以上に……、
「光秀!!」
近くの宿場で寝ていた光秀をたたき起こさなければならなかったからだ。
側にいた医師からは、申し訳ありませんが今夜が峠だと伝えられた。
「お、おお……信長様ではありませんか。お早いお付きで……」
「こ、こ、この、大馬鹿者がぁ!」
「ほっほっほ……、相変わらず手厳しいですなぁ……」
「そこまでしておいて、何故謀反の一つも起こさなかった!?」
「ははは……よしてください。私が信長様に勝てる筈ないでしょう……」
信長は光秀の狂気に満ちる程の忠臣振りに怖くなっていた。本来、そういう男は得てしてその刃を最後は上司に充てる筈だ。なのに……、
「お前という奴は……!」
見れば見るほど、光秀の顔は干からびていた。皺の数も増え、白髪だらけで、しかも顔は薄白く透き通っていた。死ぬ直前の者が見せる顔色だった。
「まったく、私も情けない…。光慶が元服を終えるまで生き長らえて見せると誓ったというのに、この様とは……」
「父上……」
息子・光慶はたまらず部屋から出ていった。
「それは、儂が誓ったから問題なかろう。息子には最大限の加護を与えると」
「信長様を信じていなかったわけではありません。ですが父親として、息子が一人前になるところを見たかった…。それだけを夢に、余生を過ごしていたのですが……」
「お前さんの容態、細川は知っていたのか」
「ええ。ですが、固く口留めをさせていただきました。できれば信長様の耳には入れないでくれ、と……」
「お前さんとは長い付き合いじゃ。だが戦に出られぬ男に織田の家老の座はやれなかった…」
「分かっております。そのくらい……」
そこへ横溝がやってきた。
「信長、秀吉さんやほかの連中の収容、終わったぜ」
「……そうか」
「おお、横溝殿ではありませんか。殿に出獄させてもらいましたか……。良きかな良きかな……」
「光秀さん。俺はあなたとも長い付き合いだった。友達と言っていいくらいだ。ここに信長を連れて来れてよかったよ」
「そうですな。有難うございます。確かに長い付き合いでしたな。あなたの奔放さには手を焼くこともありましたが、今となってはいい思い出です……」
「本当に、死んじまうんだな……」
「……ええ、ここまでかと」
三人の間を、静寂が包んだ。
「そうだ。辞世の句を考えなければいけませんなあ……」
「そ、そ、そうか…」
「なあ信長、辞世の句なんてそう簡単に思いつくものなのか?」
「お前は実質不死だから分からんがな、こういうのは教養と知識がものをいう。まあ、光秀なら大丈夫じゃろう」
「そうは言いますがな、なにせ虫の息です。頭がうまく回らないのですよ…」
「そうか……」
「……」
「……浮かびました」
「申せ」
「心しらぬ 苔むす岩も 清水と 写した安土の 琵琶に流れて」
「……良い句じゃ。この信長、しかと覚えた」
「恐縮です……」
「ああ、煕子。申し訳ない。だが、もうすぐ、お前の元へ……」
目は、覚めなかった。明智惟任光秀は、夜明けを待たずに、息を引き取った。
珍しい世界線