「そういえばふと思ったのだが、横溝よ……」
「ん、何だ?」
「お前が腰に構えているその短筒。『くりむぞん』といったが、それは強いのか?」
「弱いよ」
横溝は即答した。当然である。ファミ通のクロスレビューで13点を取るほどの代物である。強いわけがない。
「浅井を攻めている時、渡人と戦ったが、種子島と刀がなければ負けていた。そのくらい弱い銃だ。持ってみるか?」
横溝はホルスターからクリムゾンを取り出し、信長に手渡してみる。
瞬間、バチィッ!と雷が落ちたような衝撃が走り、信長はクリムゾンを地面に落としてしまった。
「な、なんだこの短筒は!?」
「あーやっぱダメか。流石の信長もクリムゾンを使える資格者ではなかったようだな」
「これは、持ち主を選ぶのか?」
「ああ。こいつを持てるのは100万に一人と言われている。その上照準は合わないし、持ち主の精神を蝕む呪われた銃だ。並みの者には扱えない」
「精神を蝕む? 狂うということか」
「それに近いかな。つまり、俺はこの時代で精神を蝕まれ、最終的に狂い死ぬことになっている……」
「なんだと……!?」
「しかしこんな銃でも頼りにしなければならないのがこの俺の悩みの種だ。ま、その時が来たらさよならだ。骨は拾ってくれ」
「……貴様、正気か?」
「少なくとも、今は、な……」
横溝は手を振り、去っていった。
信長は呆然とした顔で彼を見送っていた。
(いずれ死が確定していると分かって、それでも戦うというのか、あやつめ……!)
信長の横溝への印象が、少しだけ変わった。
それから一ヵ月後、『双眼鏡』の分解作業が終わった。
横には信長と好奇心に連れられた帰蝶の姿もある。
「あらあら、せっかくの『そうがんきょう』が、あられもない姿になってしまって……」
「ふむ、中の造りは、特別難しいものではないようだな。この透明な『甲』を通して『乙』を見れば遠くのものが近くに見えるようになる、そういう仕組みのようだ」
「あいにくこれはプラスチックという素材で出来ている。こればっかりは今の技術では多分どうにもならないぜ」
「代用品は何かないのか?」
「そうだなあ、南蛮人が使ってるガラス……これで代用が出来るかもしれん。なにせ初めて作られたのが今から1500年前の代物だ。それを改良すればあるいは……」
「1500年前ですか。途方もない年月なのですね」
「俺が知ってる知識の中にもガラスの造り方は入ってない。こればかりは、なあ……」
「いや、あるぞ」
信長が濁った眼をギロリとさせてプラスチックのレンズ部分をそっと板上に置いた。
「ルイス・フロイス……」
「フロイス……? ああ、ポルトガルから来たキリスト教の宣教師か」
ルイス・フロイス。日本に渡ってきた、キリスト教の宣教師である。同時に日本の戦国時代を描いた『日本史』が歴史史料として何度も写本されている。
「奴の元へ行くぞ。馬を出せい!」
「おいおい、善は急げというが、幾らなんでも早急しすぎやしないか?」
「良いのだ! これで、のう。がはは」
「おお信長様、遠いところわざわざお伺いとは、まことに有難うございます」
「フロイスよ、今日はそちに頼みがあってきたのだ」
「頼み、と申しますと……?」
「そちの所に透明なガラスはあるか?」
「透明なガラス、ですか? 色をいれていない透明……透明……ああ、それでしたら多少はありますが」
「あるのか! 悪いが譲ってくれ、頼む。褒美はきりすと教の写本五百冊を岐阜の方で作らせる、という条件でどうだ?」
「そ、それでしたら願ってもいないことです! そうだ。ガラスならば作れるものが確かいた筈ですが、いかがなさいましょう」
「まさに渡りに船だわ! その者、貸してくれ」
「はあ、分かりました……」
フロイスはこの時、信長はガラス細工を工芸品として売るのかな、ぐらいにしか思っていなかった。
なにせ現在の日ノ本の国は一向衆が大半を占め、中々宣教師としての務めが果たせない日々だ。だからこそ、有力者に触れ、布教を頼むような真似をせざるをえなかった。
というより、キリスト教自体がこの日ノ本の国では理解し難いものであった。
かつて宣教師としてやってきたザビエルもキリストという『GOD』の布教には手を焼いた。
なにせ日ノ本の国は八百万の神がいるのが普通で、その頂点に『天皇』がいるというのが世の教えだったからだ。
そこでフロイスは信長と出会った時も色んな工芸品や手芸品などの飴玉を送り何とか布教のための足がかりを手にいれようと苦心したものだ。
そうやってようやくフロイスはキリスト教布教の朱印状を信長から貰い、イエズス会の本部を置くことに成功したのだ。
今の活動も苦労の賜物なのである。
もっとも、彼の『日本史』での信長の観察記録はかなり厳しめなのだが。
こうして信長は透明なガラスを手に入れた。ついでにガラス職人も手に入れた。
ガラスは一旦割り、削り、磨き、楕円形にしてみた。ガラスを造る材料のケイ酸塩も運よく手に入る場所があり、それを伊勢湾交易で流通させた。
後は竈と腕に自信がある職人を何人か集めれば準備は整う。
そして急ピッチで遠眼鏡の製作が開発されていく。
短気の信長がじれてくるのをぐっと抑えていたのも全ては『技術』を発展させるためだった。
「渡人」から吸収できるものは何も戦力としてだけではないことに信長はいち早く気付いていた。だからこそ待てた。
ああ、そういえばあの時に食べた「ちぃずむしぱん」とやらは美味かったなあ、と時より思い出しながら。
それから秋が訪れた。横溝は稲刈りのアルバイトに精を出した。
冬が訪れた。横溝はこの時代の屋敷の密封性のなさに苦労しながら寒さに耐えた。
そして冬が終わりに近づき雪解けが始まる直前――遂に『遠眼鏡』は完成した。
使っているのは木製の筒と、『甲』レンズと『乙』レンズのみ。
だが完成した品を覗き込んだ時、配下の者達は一同に戦慄した。
「こ、これはまた、凄いものですなあ」
「いやはや、これは実に素晴らしい品物ですぞ、殿!」
結局、造りをシンプルにするため片眼鏡にしたが、それでも現物の一品たるや、正に一閃の如しであった。
「わしはこれを織田家の者達のみに配る。もし戦闘中に奪われそうになったら、躊躇なく破壊しろ。持って行かれては困る!」
「でしょうな。これで覗き込まれた日には我々の動きも筒抜けになってしまいますからな」
「これを持ち、雪解けを待って春に朝倉を攻める。皆の者、準備をしておけ」
「ははっ!」
「しかし信長、やったもんだなあ。本当に造ってしまうとは、俺も驚きだぜ」
「当然だ。これがあるのとないとでは合戦は天地ほどの差があるわ。人事を尽くして天命を待つのも悪くはないが、万事を尽くして帰結を待つ姿こそ本来だ。
さすれば、勝利はおのずとこちらに転がり込んでくる」
「言うねえ……」
「ともかく、朝倉攻めは近い。おまえも準備しておけ」
「お任せください、殿」
「……。貴様に殿呼ばわりされると苦虫を噛み潰したような顔になるな」
「じゃあ、信長で」
「そうだ。貴様はそれでいい。その道理で結果を出せ。そうすれば後は何も言わん」
かくして、春が訪れ、人々がいよいよ農業に精を出す頃合を見て、織田勢は朝倉に進軍を開始した。
現地近くに到達した信長は、さっそく陣を張った。
「今回も付城でいく。だが、いきなりはダメだな。朝倉勢も必死だ。野戦を挟むことになる。弓矢隊と鉄砲隊は多めに配置せよ。囲んで雨のように降らせるのじゃ」
「はっ!」
「光秀と佐久間は左翼に陣を構えよ。正面の足軽隊は柴田に任せる!」
「はっ、お任せを!」
「それから光秀よ、多少やりにくい相手かもしれんが、戦は迷ったほうが死ぬ。肝に銘じておけ」
「……分かりました。必ずや殿に吉報を!」
ちなみに光秀はかつて朝倉家に仕えていたことがあり、やりにくさを感じていたなら迷いは捨てろときつく命じていた。
今回は秀吉は浅井領地の統治で忙しく戦場に来れなかった。なにせ……、
「えーと……今いる所が長浜で、ここが大溝、坂本は明智殿が協力してくれたから良いとして……、
陸路も整備しなきゃならないし、小船を付けられるような港も作らなきゃならないし、それでここをこうして、ああ、それだとそっちがまずいから……、
……あああああああ! 無理! 無理でござる! 信長様、いくら琵琶湖で水運を作るからって拙者一人では荷が重過ぎるでござる! 第一拙者学がこれっぽっちもないのに……。
せめて丹波殿か明智殿を軸にやってくだされ。信長さまああああああああっ!!」
と、まあこんな調子であった。
手紙を貰ったが、墨俣の時より胃の痛い日々を過ごしているそうな。
「横溝は正面の足軽隊に加われ。刀と種子島を貸す。上手くやれよ」
「ああ、なんとかな」
「そして、家康……」
「はっ!」
今回は徳川軍も同行することになった。
「おまえには右翼を任せる。戦果を期待しておるぞ!」
「お任せを。なにせ浅井攻めでは出番がなかったですからなあ、今回は奉公させてもらいますぞ、信長殿」
片眼鏡のおかげで敵の動きはほぼ丸見えであった。どうやら朝倉勢は正面を厚くして足軽の槍隊と騎馬隊で一気に切り崩す算段とみた。
(ふっ、馬鹿め。朝倉よ、学習能力がないわ。目にものみせてくれるわ)
信長は一人ほくそ笑んだ。