横溝が岐阜に帰って来てから数週間後。
石山本願寺前……。
「顕如さまがいらっしゃったぞー!」
今日も寺院周りは大盛況だった。
「皆様、今日もお集まりいただき、まことに有難うございます。さあ皆様、唱えましょう、南無阿弥陀仏と。さすれば皆様の魂は極楽浄土に導かれる事でしょう……」
「顕如さまー!」
「ああ、ありがたやありがたや……」
お勤めを終え、寺院内で一息つく本願寺顕如。
「これはまた香りのよいお茶ですね」
「ええ、駿河の方から取り寄せました。新茶でございます」
「うむ、美味い茶には菓子などいりませんな……」
するとそこへ、門番を任せていた者から伝えが。
「失礼します。顕如様、来客が現れました。いかがなさいましょう?」
「来客……? 一体誰でしょう?」
「はあ……男は織田家の渡人、横溝と名乗っておりますが……」
「横溝、ああ、あの面白い御仁ですか。そうですね、何があるか分かりませんが通しても構いませんが……」
「それが、顕如様にちょっと出てきて欲しいというのですが・・・」
「ふむ……」
「お久し振りです、渡人の方。説法でも聞きに参りましたか?」
「おお顕如さん、お勤めでお疲れのところ失礼してるぜ。実は会ってほしい人がいてな、連れてきたんだ」
「ほう……一体どなたでしょう?」
「それが、な」
横溝はわざと一拍置き、
「信長が来てるんだわ」
「がっはっは、わし、織田信長!」
「なっ……!」
さすがの本願寺顕如も絶句した。あれほど『敵』と言い伝えていたはずの男がまさか目の前に現れたのだ。これには従者もぽかんと口を開けて驚いている。
「よう、本願寺顕如、こうして顔を合わせるのは初めてだな、岐阜から遠路はるばる来てみたぞ。あくまで来客としてな。無論、帯刀はしてないぞ」
「あ、いえ、そ、そういう問題では……。横溝殿、私は織田は敵だと伝えて欲しいと言った筈ですが……」
「ああ、伝えたよ。伝えた上で、信長は来たんだ。中に入っていいかな?」
「…………」
しかし従者には露骨に嫌悪感を抱く者がいた。
「顕如様、あの織田信長です。これは討ち取る絶好の好機!」
「今すぐこの場で切り伏せてしまいましょう!」
「……いえ、それはなりません。分かりました。横溝殿、信長殿、我らは来客として振舞いましょう。どうぞ寺院内へ」
「け、顕如様……」
本願寺・寺院内。
「お茶です……」
「あ、どうもお構いなく」
横溝も信長も一切躊躇することなく茶に口をつける。毒が入ってる可能性もあるのに、である。
「信長殿……」
先に口を開いたのは顕如の方だった。
「遠いところをわざわざお越しいただいたのはご苦労な事です。しかし、我々はあなたが出した通告、あれはいかがなものなのか問いたいのですがね」
さてこの辺がややこしいのだが、信長は本願寺に宣戦布告を出していない。
しかし史料『本願寺史』によると、『顕如が発した檄文の中に「信長から確かに本願寺を破却せよ」という通告があったのでそれに対抗する』という旨がある。
その主張で、本願寺顕如は信長と戦うことを決意したようである。しかしこれは今でも本願寺側の主張しか史料が確認されていない。
だが石山本願寺は当時とすれば極めて重要な軍事拠点になるので信長が本願寺を破却しろという主張をした可能性も充分にありえるのだ。
「うむ。その件については心から謝罪する。どうか許して欲しい。この通りだ。頼む」
平身低頭どころではない。信長は間違いなく顕如に対して『土下座』した。
これには顕如も言葉に詰まったどころではなかった。
(わ、私は夢でも見ているのか……? あの、天下を取らんと動いている織田信長が、一介の坊主に過ぎないと見ている筈の私に、土下座……!?)
「あ、頭をお上げください。私もそのような態度を取られては、逆に立つ瀬がありませんので」
「ふむ、では頭を上げるとしよう」
信長は頭を上げ、手元の茶をまた一口ふくんだ。
「あのような文を送ったのは、ひとえに本願寺とそなたが脅威に思えたからよ」
「脅威……ですか」
「うむ。銭は度を超える程にうなり、民草に人気もある。どちらもわしにはないものだ。もしこれを動かされたら、そう思えば儂ですら震えが止まらん」
「……寄付金は皆のご好意の賜物に過ぎません。人気といっても、この戦乱の時代を救世しなければという、私の決意によるものでしかありません」
「儂は武の力で近畿を平定したいと考えておる。無論、行く道は険しかろう。だがやらねばならぬ」
「それは何故でしょう。他に方法はなかったのですか?」
「ないな。それが『武士』という男の生き方だからだ。そなた達寺院の者は『徳』の力で人々を纏め上げればいい。そこで、だ……」
場の雰囲気がピィンと張り付く。顕如も感じた。成る程、ここからが本題ということか、と……。
「取引を、せぬか?」
「取引……ですか」
「うむ。わしは幾多の寺院勢力と布教活動に一切手を出さない。そのかわり、お主達寺院勢力は織田の統治地域で一向一揆の扇動を起こさない、というものだ」
「成る程。しかし、その取引、どう纏めるおつもりで?」
「ここにわしが政に使っている花印がある。そなたも同じものを用意してほしい。その上で書簡を造り、義昭公に預かってもらう」
「ほう……」
「書簡には互いの名も入れる。さすれば手打ちは完了じゃ」
「…………」
顕如は考えた。これはかなり細い綱渡りである。罠、といってもいい。我々石山本願寺といえど、その勢力に対抗せんとする寺院勢力は未だ多い。
だが、仏教と言っても根っこは同じなのだ。そしてなにより、天文の錯乱のような農民・宗派の反乱を二度と起こしてはいけないという事は分かっていた。
今までは一向一揆は戦国大名に対する嫌がらせで行ってきたが、ここらが潮時かもしれない……。
仏陀を眠らせるわけには、どうしてもいかなかった。本願寺のような寺院勢力が一枚岩であればどれほどよかったか……。
この取引はそれを今一度考えるきっかけになるかもしれない。顕如はそう思った。
「……分かりました。その条件、飲みましょう。各地の門下にはきつく言っておきます。一揆を起こさないように、と」
「おお、そうか。それなら一安心だわい」
「ですが、勘違いなさらぬよう。これは石山本願寺と織田家の和睦ということになります。くれぐれもそちらから横紙破りをなさなぬよう」
「元よりそのつもりじゃ。それではさっそく、書類を造り合おう。これが互いの為になるように、な……」
書類には互いの署名と花印を入れ、丸めて書簡とした。後はこれを義昭公に預かってもらえば事は済む。
「これで良し。顕如よ、此度の取引がよいものになることを期待しておるぞ」
「お互いの急所を握り合うような取引ではありますがね」
「うむ。ではわしは帰るとしよう。……おっと、主にもう一つ、伝えておかねばならぬ事があったな」
「なんでしょう?」
「わしは『武』の他に『法事』を民草に伝えることはできまいかと考えておる。そのために寺子屋を開き、子供に読み書きを教え始めるつもりだ」
「なんと……!」
「俺が言ったんだよ。学問は銭の源になる。そこで投資したものは後に何倍にもなって帰って来るから、ってな」
横から横溝が言う。
「主らも真似してみてはどうだ? 『徳』の力だけでは人はついて来ても物を覚えることはできまいて」
「……善処しましょう」
「では、またな」
信長と横溝は去っていった。
「信長も愚かですなあ」
「義昭公が作った信長包囲網はまだ生きているというのに」
「浅井、朝倉が消えたとはいえ、我々本願寺勢力が健在ならまだ信長を追い詰める事はできましょう」
「……そうでもありませんよ」
いささか楽観的な坊主数人に比べ、顕如はあまりいい顔をしていなかった。
「今回の取引、いや、駆け引きでいったら我々の負けでしょう」
「そんな、こんな書簡など、握り潰せばよいではありませんか」
「それをやったら義昭公の面子まで潰すことになるでしょう、信長はその辺は抜け目ない人物ですから」
「うむむ……ですが一向一揆はあくまでその土地で起こる偶然なるものとしては……」
「そこまで話の分かる人物ではありませんよ。とにかく、至急、門下生にお触れを出しなさい。一向一揆を止める様にと。条件を突きつけたらそれに応じるとします」
「そんな……我々はそこまで信用なりませんか?」
「信用してくれるかどうかはこれからの我々の布教活動次第でしょうね。私は明日から畿内を周り、浄土真宗宗派と話し合いの場を設けに行きます」
顕如が気になったのは、信長が『法事』で近畿を纏める、という一文だ。その為に学問の場を設け、人々に伝えると言った。
この先行投資が広まれば確実に我々『徳』の力で勝負している寺院勢力は弱体化する。
(武士である信長がそんな考えを起こす筈はない。だとすればこの案を出したのは、あの『渡人』でしょうね。いやはや、まんまとやられてしまいましたよ)
「やれやれ……横溝殿、あなたは、とんでもない狸だったようですね」
自虐めいた笑みを浮かべる顕如であった。
帰りの馬上。
「……上手くいったようだな」
「本当か? 本当にあれでよかったのだろうな!?」
「問題ないだろう。相手は取引に応じたんだ。応じ続けるならそれでよし、もし破るようなら……」
「ふむ。たしかに合理的でわし好みの案ではある。だが……」
信長は横溝を睨みつけた。
「よくも、わしに、坊主に、土下座をさせたな。この貸しはとてつもなく高くつくぞ!」
「あー。やっぱりそうくるか」
「当たり前だ! わしは昔から根に持つ性格なんじゃ! 大体貴様はなんじゃ!? わしを傀儡のように扱いおって!」
「上手くいったんだからそれでいいだろう。何より打ち合わせどおり演じてくれて俺も感謝してるよ」
「ぐぬぬ……」
横溝の案は、こうだ。
向こうは自分達を権威ある勢力だと思っている。そして自分も権力者だと思っている。それが落とし穴だ。
こちらがわざと下手に出て、褒めて褒めて褒め倒せばコロッと条件に応じるぜ。
基本、これだけである。
しかしこれが石山本願寺という巨大勢力にハマった。顕如は取引に応じたのである。
もし信長がいつも通り慇懃無礼で俺に足を向けて寝るなとばかりに振舞えば本願寺は絶対に首を縦に振らなかったであろう。
頭まで下げ、寺院勢力を脅威とまで持ち上げたからこそ、相手は誠意ある行動とみてくれたのだ。
「ええい! 帰ったら早速飯じゃ飯! その後は利休を叩き起こして茶の湯じゃ! そして風呂に入ってぐっすり寝てやるぞ!」
「俺もお呼ばれしていいかな?」
「ダメに決まっているだろう! おまえ如きに茶の湯が分かるか! わしだって最近覚え始めて間もないのじゃぞ!」
「はいはい……」
信長の寿命が、やっぱり5年ほど減った。
ところで、ミシシッピー殺人事件とプロ野球?殺人事件!ではどちらがクソゲーとして上だろうか。
それから数ヶ月が経過した。
問題となっていた一向一揆は、まるでそこになかったかのようにぱたりと止まった。
本願寺側が迅速に手を回したからだろうが、まさかここまで手が早いとは思わなかった。
そして本願寺顕如は畿内行脚で各寺院勢力に説明に向かった。しばらく本願寺を空けるので皆さんよろしくお願いします。と頼んで。
しかし様々な寺院勢力を歩き渡り、信長の脅威とその対抗策に一向一揆はもはや過去の戦術になるであろうと説明しても、中々良い言葉は受けられなかった。
言いだしっぺはあなたでしょう、と。
しかしここで折れるわけにはいかない。顕如は辛抱強く説得を続けた。
その甲斐あってやっと説得に応じる寺院も現れ始めた。そして今こそ我々浄土真宗宗派は一つにならなければいけないと話しを続けた。
しかしそういった中でも、比叡山延暦寺だけは、寺院内に入ることも許さないほど頑なだった。
顕如はやれやれ、と溜息をつき、延暦寺の説得は難しそうですね。ここは後回しにして他を回りましょう。と、従者達に伝えた。
結果、延暦寺だけが宙ぶらりんの状態になってしまった。
「後は、越前や越後のような遠くの所ですね。あそこは苦しいことになりそうです……」
顕如の行脚は当初の予定より大幅に遅れることになった。
一方で信長は横溝の条件を飲み、城下に寺子屋を幾つか建てさせた。それも学ぶのに金は一切必要なし、飯も岐阜城もちという破格の待遇でだ。
書物はとりあえず中庸に、韓非子の2種類に絞った。勿論紙も硯も買う必要なしだ。
「後は古事記と古今和歌集も欲しいな。岐阜城の方で写本を作れぬか?」
「岐阜城のそれなりに学のある人たちを総動員しても全て行き渡らせるのは難しいでしょう……」
「ならば平仮名で始めるものも入れよ。童にはそこからでもよかろう」
「はっ、承知しました」
お触れを出した途端、希望者は瞬く間に埋まった。教師役は岐阜城から山崎吉家ほか数名が選ばれた。明智光秀や丹羽長秀など各武将も折を見て参加した。
これは信長の策である。幼き子が織田家の武将と出会うなど滅多にないこと。彼らの向上心を高めるためだ。
横溝もなんでもいいから教鞭を取れ、と信長は言った。横溝はなんでもいいんだな、と答え、醤油の造り方を伝授させた。
やがてこれは日ノ本の国の調味料をひっくり返す代物になるからしかと学んでおけ、と教えた。
無論、信長とて最初はいい顔をしなかった。しかし、横溝の優秀な部下が少ないというなら1から人材を作れという意見を受け、渋々納得した。
なにせ織田家の土着の部下が殆どいない実情は現在もあまり変わってはいない。人材不足は目に見えて明らかだった。
もし横溝の「優秀である必要はない。だが城の公務を任せられる人材は今後絶対に必要になってくるぞ」という進言がなければ、信長とて首を縦に振らなかったであろう。
(あやつの言葉は少々腹が立つが、もっともな意見ではあるな……)
なお、遠眼鏡を作る過程で生まれたガラス工芸品は城下で飛ぶような速度で売れており、生産が追いつかないほどだった。
他の地方からも買い付け人が現れるほどである。
しかし信長はあれを戦時道具として使おうという輩は現れないことは承知していた。
(こちらは銭を生んでくれるから良し、と……)
と、なると、あとは軍事的な考えに至る。
(浅井、朝倉は討った。本願寺も一時的に大人しくなった。後は、武田か……。しかし、正直信玄公とは戦はしたくないわい。織田軍と援軍の徳川軍かき集めても倒せるとは思えん。
だが信玄公は必ず天下を取らんと上洛してくるだろう。さて、どうするか……)
「ええい、今は考えても仕方がないわ。利休に茶でも淹れさせよう」
「信長様、随分と難しい顔をしておりますな」
茶席にて千利休は茶をたてながら一言呟いた。
「……分かるのか」
「ふふ……茶の湯は楽しきもの。そう般若の面をもてなしては私もいささか困り果てますゆえ……」
「まったく、おぬしは抜け目ないな。こうただ座っているだけでこちらの心の内まで見透かすように振舞う。悪い癖じゃぞ……」
「申し訳を。ですが、私も業深き者。茶の道を極めんとすればついつい心に血が昇ってしまいます」
「……ふん」
利休が茶をたて終わり、信長の元へ置く。信長は利休を信用している故、毒見役は置かない。
「美味い……」
「ほう、分かりますか」
「そよ風に揺れる草原とそこに立つ大きな一本杉が見えた……と言えば言いすぎか?」
「いえ、そこまで言っていただければ、この利休、無常の喜びであります」
「だがわしは悪戯心が過ぎるからのう、つい菓子が欲しくなるわい」
「ははは、信長様も天邪鬼ですな。良いお茶ならそれだけで甘露ですが、……ふふ、この利休、まだまだ修行が足りないようで」
「はっはっは」
「ところで信長様、信長様は一人の『渡人』を招いていると聞きました」
「ああ、横溝のことか。あやつならわしの機嫌を損ない過ぎたとかでしばらく城には姿を見せんと言うておったわ」
「……その方、お呼びすることはできますでしょうか?」
「あやつをか?」
「ふふ……風の噂では、その方も相当の業を背負いし方と聞きました。この利休の茶席には相応しいかと」
「むう、考えておこう」
「有難うございます」
「よう、お久し振り」
ある日、横溝が信長の元へ現れた。
「またおまえか横溝! わしの機嫌はまだ治ってはおらん。もう少し謹慎しておれ!」
「そういうなよ。実はある人物を連れて来たんだ。お目通りを許してくれないか?」
「……誰じゃ?」
「いや、信長も会った事のある人物だよ。それじゃ、入ってくれ」
襖の置くから信長より老いた人物が現れた。
「お久しゅうございます、大和国大名、
「なっ……!?」
「話によると、寺子屋を開き、人材を育てているとか、そこでこの老体の身なれど、お手伝いができないものかとここまで来ました」
「……横溝よ」
「ん~?」
「こやつがどういう者か分かって連れてきたのだろうな?」
「ん、勿論」
「こやつはたいそうな男よ。将軍を殺し、主君をのっとり、大仏をも焼き払った。天下に名だたる極悪人じゃぞ」
「……はっはっは」
久秀は笑った。
「この横溝殿に出会った時と同じ事を言うのですな」
「いや~、見事な城だね」
「横溝殿、と名乗りましたかな? そなたは信長様の使いで来たのですかな?」
「いや、違うよ。俺の独断で来た」
「……ほう」
「今、岐阜城の方では人材不足を補うために寺子屋を開いて人々を必死に学ばせている最中でな。名だたる武将も参加してるんだ。あなたならよい教師役になれんもんかと思って来たんだよ」
「わたしに教鞭を取れ、と? これは酔狂なことですな。この穢れた身で人に物を教える資格など……」
「あんたが、穢れ? 何を? 冗談はよしてくれ」
「……わたしは将軍義輝公を殺し……」
「あんた永禄の変の時ずっと大和にいたじゃん。むしろ義輝公を支えてきた身じゃん」
「……わたしは主君の立場を乗っ取り……」
「長慶は病死だろ? 長男も弟も同じ時期に失って心労で倒れたんだから。ま、運が悪かったというか因果応報というか……でもお前さんは三好家に忠誠の覚悟を認めた手紙まで書いている。殊勲なことだな」
「……わたしは奈良の大仏を焼き……」
「三好三人衆が大仏殿に立てこもる方が悪いよなあ。それに、その後大仏殿再建のために尽力してるだろ?」
「…………」
「他に何か言いたいことは?」
「……横溝殿、と申しましたか? あなたには何が見えているのですかな?」
「少なくとも信長よりあなたの身の丈は知っているよ。それだけ」
「…………」
「人間、冤罪を墓の中まで持っていくには重過ぎるだろ? 解決できる事は解決していくように努力すればいいんだよ」
「むぅ……」
久秀の眼が少しだけうるんできた。
「もう1度、人の為に働いてみないか?」
「…………ははっ、そこまで悟られては、助力しないわけにはいきませんな」
「はいはい。これで一本釣り完了っと」
「って、事があってね」
「わたしも『渡人』とは『時渡りの人』と聞きましたが、あながち冗談でもなさそうですな」
「ぬぅ……」
「当代きっての文化人が教鞭を取ってくれるんだ、これほどいい話はないだろ?」
「ええい、分かった! 久秀、教師役、頼むぞ! 横溝は此度の働きにより特別に不問にしてやる!」
「サンキュ、信長」
「はっはっは、意外と、信長様も甘いようですな」
「茶化すな久秀! では早速……」
「た、大変です!!」
城内に悲鳴に近い声が響き渡った。
「信長様、大変です!!」
普段は伝令役をやっている男が、ものすごい勢いで部屋に入ってきた。
「なんじゃ、騒々しい。一体、何があった? 詳しく説明せい!」
「はっ! つい数日前、上杉と武田が領土近辺にて一戦交えたようなのですが……」
「上杉と武田が? まああの二人はしょっちゅう小競り合いを繰り返しているらしいが、それで、何があった?」
「…………全滅です」
「は?」
「上杉勢の攻撃により、武田騎馬隊1万5千、全滅!! 信玄公も退却しきれず、討ち死にされたとのことです!!」
「な、何じゃとお!?」
その場にいた信長、横溝、久秀が驚愕した。
「馬鹿な!? 武田の騎馬隊が全滅!? 一体どんな打ち出の小槌を使ったのだ!?」
「さあ、詳しい事は分かりません。ただ……」
「ただ、なんじゃ!?」
「死亡した武田兵と馬には、まるで蜂の巣のような無数の鉄砲で打たれた傷があったそうで……」
「……!!」
(蜂に刺されたような無数の弾痕だと……!?)
横溝は震えだした。
「どうした? 横溝?」
「武田勢がやられた仕掛けに、何か覚えがあるのですかな?」
「……ああ、間違いない。上杉が武田を殺ったのは『渡人』の銃。それも……」
「……ガトリングだ」