この心に太陽は昇る   作:佐藤 言京

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リハビリ用に書いた小説です。


第一話

 そこは閑静たる世界だった。騒々しい男子生徒や、口煩い教科担当教師のいないこの部屋。一定の間隔で刻まれる秒針と一緒に、木葉がかすかに擦れるような音が反芻し木霊する。その気ままに散歩をするような音は、不規則でありながらも、どこか心地よい感覚を風に乗せて運び込む。ゆったりと、言外に何かをにおわせてリズムが流れる。

 しかし、寂々とした世界はいつだって唐突に終わりを迎えるものだ。

「ポンッ」

 今まで部屋全体を優しく包んでいた、その密やかな雰囲気を切り裂くように声が響く。

まだ幼さが残る少女の声だった。

 声の主の少女は学校指定のセーラー服の短い袖から白い腕を惜しみなく晒して、対面が河に捨てた生牌(ションパイ)の『南』を手繰り寄せた。流局の雰囲気が漂う中での彼女の鳴きはいささか強引に見えたが、その一手が劇的な変化をもたらした。四人で囲んでいた雀卓だけでなく、部室全体の空気までをガラリと変えてみせたのだ。

秒針の音が鋭く鳴り響く。緊迫した空気になった。

 麻雀には流れがあるとは、いったい誰が最初に言い始めたのだろうか。

 本来、麻雀とは金銭が絡んだ殺伐としたゲームであった。富と名誉を求める暗闇の象徴。それなのに、それはいつの間にか「将棋」「囲碁」と並ぶ、日本の知的文化系競技と化してしまっていた。大衆化が図られたのだろう。もしくは、とある有名人が世論を操り、このゲームの秀逸な点を吹聴し回ったのかもしれない。よしんばそうであったとしても、今は昔である。そのようなことは誰も気には留めない。

 この時代には野球選手、サッカー選手と並んで、子供たちが夢抱く職業の一つにプロ雀士が存在する。一流企業がスポンサーとして団体並びに選手たちを支援する真っ当な職業だ。

 少年少女たちは夢を追うために、純粋な雀力の底上げを望んだ。それゆえに、麻雀用語がどこぞの誰かによって決められたのかということなんかを覚えるよりも、そのルールやプロの牌譜、有効杯の確率を頭に叩き込むなどといった理論をおさえる勉強の方が何十倍も得に成りえるだろう。

 しかし、麻雀という競技は、四人で打つものである。つまり、一人で座学に励み、有名な牌譜や打ち筋を血肉化したとしても、打てなければどうにもならないのだ。最近では携帯端末やインターネットで麻雀を打つことができるが、そこにはリアリティーが欠如していた。肌で感じる麻雀というものは、やはり卓を囲むことしかなかったのである。夢を抱いた子供たちは、卓につき牌に触ってようやく長い道のりの第一歩を踏み出すことができるのだ。

 そうしてやっと、各々が気付き始める。この麻雀という競技には、どうしようもない「魔物」なるものが住み着いていることを。

 「○○の魔物」という言葉。これはスポーツ業界ではマスコミがそう名付けて囃子(はやし)たてるために、凄く耳馴染みがある。サッカー、駅伝、バレー等。どんな部類の競技でも魔物などと謳われる人物の特徴は、いかなる状況――それが絶望的な負け試合であっても、たった一人でチーム間に流れる陰湿な雰囲気を快活に満ちたものへと変えてしまえるというものだ。仲間から見ればエース的存在がいるというのは心強いことこの上ないが、相対しているものから見ると、その選手は文字通り魔物である。

 とどのつまり、麻雀は文化系な競技だが「場の流れ」というものが存在した。そして、その流れを変えてしまう魔物もいるのである。それは、異界へと変化したこの部室にも、その膨大な存在感を影に纏わせるようにして端座しているのだった。

 一片の迷いもなく副露(フーロ)した少女は、配牌時から揃っていた『南』二枚を卓に晒して、ドラの四筒を河へと捨てた。稲妻が地を打ったかのような戦慄が卓に走る。

 彼女の行動に他家(ターチャ)の面々は三者三様の反応をした。東家に座る小柄な少女は、その目に挑戦的な炎を燃やして次の摸打(もうた)の動作に移る。西家の少女は、どこか諦めたかのようにして外していた眼鏡をゆっくりとかけ直した。そしてこの局に劇的な変化をもたらすきっかけを与えてしまった南家の少年は、ワックスで整えた髪の毛を気まずそうに弄んでいる。三人は三人とも思うところがあってのリアクションだったのだが、しかし、感じていることは皆が一致していたのだった。

 張り詰めた空気がどこか重苦しい。それは焦りであったのかもしれない。

 この一巡で三人が引っ張ってきたのはどれもヤオ九牌だった。自牌にはなんのかかわりもない無駄自摸(つも)。鳴きを入れてもらおうとしても、他家の有効牌とはかけ離れたところしか切り出せない。鳴いた少女の支配から抗う術もなく一巡した。

 上家の少女が牌をきり終えた途端、卓を囲んでいた対局者が皆、山風に曝されたような感覚に陥った。南駒ヶ岳を仰ぎ見ることができるこの部室なら、それは然程珍しくないことだ。しかし、風の吹きどころは半開している窓からではなかった。三人は一斉に同じところを注視した。北家の彼女だ。

「カンッ」

 一巡前に『南』を攫った彼女は、力強く加(カン)の宣言をしてから、目に消えることのない炎を抱いて王牌(ワンパイ)へと腕を伸ばす。

 見えるものには見えたかもしれない。少女の周りに白百合が咲き乱れ、麗かな春時の風が淡い色を乗せて詳らかに渦巻いている光景を。それは彼女を祝福する舞いを踊っているようで――

「ツモッ!」

 姫巫女を囲む衛兵たちが、主を仇なすものから身を呈して守っているようで――

嶺上開花(リンシャンカイホウ)。3000、6000です」

 それでいて、彼女を檻の外へと出さないように束縛する、呪鎖のようでもあった。

 

 麻雀に住み着く魔物に魅せられた少女たちの、長くも短い青春の高校生活。時には切磋琢磨した友と笑い、時には一人悲しみに打ちひしがれて涙する。そんな彼女たちとは一線離れて、皆を包み込むようにして見守る少女がいた。

 これは、熱く燃えた麻雀部員たちとそれを支える一人の少女の物語。

 

 

 

 別棟で奏でられている吹奏楽部の激しい音楽が、突如として耳に入ってきた。

「わあん! やっぱり咲ちゃんの一人浮きだじょお」

 気が詰まるような卓から、真っ先に抜け出したのは東家の少女だった。彼女にとっては大きめの背もたれに体重を預けて、小さな体躯いっぱいに伸びをした。明るい茶色がかかったセミロングの髪を両サイドで括った彼女は、さっきの雰囲気など露ほど感じさせずに、そのお気楽さを前面に表して不貞腐れている。

東風(トンプウ)戦っていうから、わたしの独壇場って思ってたけど、やっぱり咲ちゃんは化物じみた強さだったじぇ……」

「あ、あははは。ごめんね? 優希ちゃん」

 咲と呼ばれた少女は、前の東ラスであの嶺上開花を和了(アガ)ってみせた彼女である。咲は椅子にかけていた薄い鳶色のカーディガンを羽織り直しながら、乾いた笑みを漏らした。

「あやまる必要なんてないじぇ。手を抜かれたらアノ時ののどちゃんみたいに怒るんだじょ」

 五月の下旬、もう少しで六月に入ろうとする今年の長野の気温は、まだ暖かな春の陽だまりが残っており、新緑の優しさを孕んだ風が屹立した日本アルプスの頂からゆったりと流れてくるため、たいそう過ごしやすいものである。この清澄高校麻雀部部室にも、雲の合間からのっそりと顔を出したお天道さまが恵みの陽光を降らしてくれている。

 そうだというのに、真冬の信州よろしく、たいそう寒そうにして上着の上から腕を摩る咲は、少々以上の異常だった。

「にしても、咲よ。あんさんのうっかりは相も変わらずじゃのお。麻雀を打ち始めりゃ、微塵もそんなこと感じさせんっちゅうのに」

 いかにも残念と言いたそうに、西家に座っていた染谷まこが咲に話しかける。咲にはその独特な広島訛りのイントネーションが、彼女の呆れた様子を助長させているかのように感じた。

「わ、私もなんとかしたいとは思ってるんです……。染谷先輩、これ、カーディガン。ありがとうございます。あの、本当に」

 恥ずかしくて顔全体が真っ赤に上気したことを自覚して俯いてしまった咲は、最近伸びてきた前髪の影に目を隠しながら、もごもごと言葉尻を濁らせた。

「さすが咲ちゃんだじぇ。まさかこの時期に夏服着てくるとは! この完全無欠ヒロインのわたしでもできないことをあっさりとやってのけるじぇ」

「なぁにが完全無欠ヒロインだ。お前はタコスの妖怪ってところがせいぜいだろうに」

 呆れたように口を挟んだのは、南家の男子。百八○程の長身は、女子部員だらけの麻雀部では抜きん出て目立つ。しかし、二枚目の顔立ちと軽い性格が相まって、彼は当たり前のように部に溶け込んでいた。

ちなみに彼、須賀京太郎は清澄高校麻雀部唯一の男子であり、麻雀は初心者だったりする。

「それに、完全無欠だったら、咲みたいな失敗はやらかしたりしないだろうに」

「ドジっ娘属性だじょ」

 脇卓に乗せておいた購買の袋からタコスを取り出しながら、優希はあっけらかんと言葉を放った。

 うむむと一拳分唸った後、ああ、なるほどと納得する京太郎。おそらく彼の脳内では桃色の妄想が膨らんでいたのだろう。

 そんな二人のやり取りを聞いて、咲は若干涙目になりながらも、恥ずかしさを振り切って顔を上げる。いつの間にか彼女たちの話題はトントンと飛躍していたらしく、食べかけのタコスを振り回した優希を京太郎が必死で押さえつけている画が目の前にあった。

 優希と京太郎は高校に入ってからの付き合いなのに、ほんの数日でラジオの波長があったかのように意気投合していた。今では部員の中では、一番長い付き合いの咲と話をするより、彼女と巫山戯あっている時の方が京太郎は生き生きとした表情をしている。

 引っ込み思案で臆病な咲は、すぐに打ち解け合って話をする二人が羨ましかった。それでも、自分が関与しないのだったら、二人のコントのような戯れあいは面白おかしく眺めることができるのだ。それは自分が二人を共に闘っていく仲間だと認め、心を許しているのだろうと咲は思っている。

 そんなことを考えながら、テレビでよく見るお笑いタレントみたいなことをしている二人を尻目に置いて、改めてまこにもう一度礼を言った。

「なんも。元々はわしのじゃったが、今は部室の備品じゃ」

 気にするなとひらひら掌を振ってから、彼女は長めのスカートを翻して席をたち、平然と部に設置されているパソコンに向かった。今の対局結果を記録しに行くのだろう。こういう細々とした仕事というのは、本来ならばマネージャーがするものなのだが、部員数が少ない清澄では、副部長のまこがその役割を担当していた。

「そういえば、部長見かけませんけど。染谷先輩、何か聞いてます?」

 ふと疑問に思った咲は、コテンと小首を傾げて一番詳しそうなまこに問うた。

 清澄の麻雀部員は咲を含めて全部で六人である。放課後のいつものこの時間なら、六人全員が顔を見せているのだが、今部室にいるのは、先程卓を囲んでいた四人だけだった。

 それに二週間後には夏季大会を控えている。それを考えてしまうと、部長がいないというこの状況は小肝な咲を心細く感じさせてしまうのだった。

 そんな様子の咲を感じ取ってか、ウーンと人差し指を額に押し合て考える素振りを見せたまこは、深く茂った林に落としてしまった小物を探している時のような表情で言った。

「そういや学生議会の方に顔出しちょくるっていうてたな。大丈夫じゃろ。直に戻るけん。またろくでもないこと考えとるんじゃ、どーせ」

「ちょっと。ろくでもないことっていうのは酷いんじゃないかしら?」

大胆不敵な笑みを顔に貼りつけながら部室に入ってきたのは、咲が求めていた部長こと竹井久だった。部員が少数にもかかわらず、自動卓やパソコンなどを準備できているのは、部長である久が学生議会の会長であることが要因だった。

 咲も風の噂で聞いた程度なのだが、自信家且つ姉御肌な久が生徒議会で見せる態度というのは、文字で書いた通りの傍若無人っぷりらしい。部活や闘牌の時の雰囲気を探ってみても、なんとなく想像できてしまった咲は、噂を小耳に挟んだときに思わず苦笑いを浮かべてしまったものだ。

「麻雀部主将として、内木君にすこーしだけ頼みごとをしてきただけよ? すこーしだけね」

 黒色の含み笑いを孕んで、繰り返し強調を濃くして久は言った。

 生徒議会長の久と直談判する生徒で「内木」という名の男子なんて、()の副会長しかいないだろう。部室の扉と向かい合うようにして座っていた咲は、正面にいる部長とできるだけ目を合わせないようにしながら、ここにはいない内木先輩に同情と憐れみの念を送った。

「また内木の奴を扱き下ろしたんか。相変わらず容赦ないのぉ」

 まだ入学したばかりなのに、久の生徒議会長としての噂が一年生までまわってきているのと同様に、内木副会長の決して良くはない噂も学校中に知れ渡っていた。

「だから、まこ。そんなこと言わないでよ。皆の為と思って、彼に強引に企画を捩じ込んでもらったわけなんだから」

 少々不穏な言葉が聞こえたが、職権乱用ではないだろう。おそらく。いくら部長でもそんなことはしないはず。ただ普通の方法で申請して、ただ普通の方法で許可が下りたのだろう。

 そうやって自分に言い聞かせた咲は、ふと目にとまった雀卓を見て遠い目をするのだった。そういえば、これ、それにパソコン。暴れた部長がどこかの部費をふんだくって新調したものじゃなかったっけ。

 咲はしばらくの沈黙を決め込むと、ホラー映画の結末が気になってしまう時のような心持ちで趨勢を見守った。

「まぁ、最初は内木君も渋ってたんだけれど。ほら、彼、真性の変態(ロリコン)じゃない。だから、隠し撮りした優希の画像見せれば一発だったわよ」

「じょっ!?」

 京太郎と戯れあっていながらも、部長の言葉はしっかりと優希に届いていたようだった。

 彼女が気味悪さから身を縮こまらせて、奇怪な声をあげるのは致し方ないこと。当面が咲にもあったら、同じように齷齪するかもしれない。いや、恐怖に怯えてしまって奇声のキの文字も口に出ないだろう。

「なんていう先輩だじぇ! おうぼーだじょ! というか、わたしロリじゃないじょ!」

 そんな抗議の声をあげる優希のことなどお構いなしに、久は「この画像よ」などと言って、盗撮をしたであろう彼女の端末をまこに見せている。まこもまこで、「これはまた……きわどいのぉ」とニタニタ揶揄いの笑みを貼り付けて部長に同調してしまっている。

「ほー。優希の隠し撮りねぇ。部長、ちょっと俺にも見せてく――」

「お前はダメだぁあああ! 死ねこの犬!」

「あだっ」

 優希が叫びながら投げたタコスのゴミが、京太郎の額に見事に命中して宙を舞った。

「やーね、冗談よ。優希ったら本気にしすぎ。盗撮もしてないわよ」

「し、信じれないじょ……」

 薄らと頬を紅色に染めながら呟いた優希は、羞恥と憤りを抑えるかのようにジト目で睨む。その視線をさらりと受け流した久は、ほらこのとおりと、まこと見ていた端末を優希に投げて寄越した。

「そんな画像、どこにもないでしょう?」

 京太郎と反して見事にキャッチした優希は、数秒何かの操作をした後、くたびれた表情を湛えて久に頷いた。

「なんかもう、どっと疲れたじょ……」

「あんさんもいい加減慣れが必要じゃの。ほぼ毎日顔を合わせとるけん、そろそろ掴めてきとると思ったんじゃが」

「染谷先輩はどれくらいで慣れたんだ?」

「一年と半年くらいじゃったか」

「そんなの慣れれるわけないじぇ!」 

 ガアーと吼える優希に久はクスクスと笑いをこぼす。

 会話に耳を傾けながら、咲は先局で上がった手牌を崩して、自身の河に並んだ捨て牌と共に中央の落とし穴へと流し込んだ。

 ジャラジャラと牌がぶつかり合って重なり合う音が会話の合間を潜って響く。

幼い頃から咲はこの音が好きだった。一つ一つの牌が自身に何かを語りかけてくる感覚がするのだ。

 自身の姉ともう一人の少女がしきりに麻雀を勧めてきたのが、咲がその声なき声を聴くようになったきっかけだった。当初から麻雀を打ち始めると、どこからともなく囁きかけてきた「それ」が何か解らずに、身の気もよだつ思いをしたものだったが、家族麻雀を繰り返すうちにどういうものかを次第に理解できるようになった。思えば、自分が特殊な打ち筋をするようになったのは、声なき声を信頼し始めてからだったような気がする。

 嶺上開花。これは簡単に言ってしまえば、「カン」をした直後の補充牌で和了る役である。この役で和了れる確率は他のものに比べて極端に低い。その原因は運の要素が強すぎるからだった。

 「カン」というのは鳴きの一種で、同一牌を四つ揃えて槓子(カンツ)を作る行為をいう。百三十六枚の牌のうち、同じ牌はちょうど四枚しか含まれていないことからも、槓材を集めることの難しさが窺える。

 統計上、嶺上開花を和了ることができるのは、千局に三回弱というもの。

 しかし、その偶然性を含まない一つに定められた数値を嘲笑うかのごとく、咲はポンポンと嶺上開花を和了るのである。ある意味、アナログに徹している麻雀打ちに対しては最大限の侮辱だろう。

 咲にしてみれば、牌自身が己に語りかけてくるのだから、和了れないほうがおかしいのだが、チームメイトのあの少女にでもこれを明かしたら怒涛の如く反論してくるのが目に見えている。 

 絹でできたような桃色の髪をしたその彼女は、額に青筋を浮かべて「そんなオカルトありえません!」とか言うに決まっているのだ。

 麻雀を始めた時から、咲の周りには超能力もかくやという打ち手ばかりだった。そんな環境で育ったのだから、それが当たり前になっていたのは致し方ないこと。それ故に、彼女との初対面の時、心抉られることを散々言われてしまった。

 その時、心で思っていたことを正直に吐露すると、咲にとってのオカルトはその少女の胸を占めている超巨大なメロンの存在だったりする。

 広い視野で全国、全世界を見てみると、咲のような訳の分からない打ち手など巨万(ごまん)と存在しているのだ。だけれども、高校一年生であれだけ立派な御胸様を持つ人なんて、数限られてくるのではないのだろうかと咲は思案する。

――そう云えば、原村さんも来てなかったな。

 ふと気づいた咲は、いないと分かっていながらも心中の少女を探すように、ぐるりと部室を一周見回した。

「あの、部長。原村さんは……」

 優希弄りも程々に切り上げていたようで、久はしげしげとまこが記録した牌譜を眺めていた。

「ホーム代表の仕事が当たっちゃってるのかも。この時期から、仕事の一つに生徒議会の補佐が入ってくるから忙しくなるのよね」

「のどちゃんなら、今日はおやすみするって言ってたじょ」

 同じホームに在籍する優希には伝言を残しておいたようだ。

 原村和。無名の清澄高校麻雀部が、全国のマスコミに注目されているのは彼女が原因である。惣別何の変哲もない高校一年生の和には、全国区の高校からもマークされるに足る肩書きがあった。

 その肩書きとは、全国中学生麻雀競技大会優勝者(全中チャンプ)。つまり、今年の一年生の中で、最も強い選手なのだ。

 さらには明るい性格と見目麗しいことも相まって、麻雀関連の雑誌の表紙を飾ったこともあるようだ。もっとも、咲が後から優希に聞いた話によると、マスコミ嫌いを自称する彼女が珍しくも撮影を許可した一枚だったらしい。

 和は、ある意味憧れの人物である。自身を麻雀部に誘ってくれた時には、彼女のあまりの漢らしさに意図せずとくんと胸が弾んだものだが、恋愛感情云々の憧れとは別なのだろうと思っている。

ここで断言できないのは、咲が恋愛というものを経験したことがないからなのだが、今は割愛。

 麻雀に挑む時の心構え。チームメイトを信じる強い心。そしてなにより、リア充であること――恋人がいるのかどうかは定かではない。ここ一二か月で分かった、咲が和に憧れているところだ。

 自分の醜いところは、鏡に映さなくても嫌という程自覚している。見た目が地味なこと。性格も暗根であること。咲は周りの人からの評判が良い和が眩しくて仕方なかった。それに、事情があって長いこと麻雀から離れていた咲には、麻雀打ちとは何ぞやというものを和の振舞いから痛いほど感じられたのだ。

 故の想い。故の憧れ。

 咲が最近読んだニーチェの言葉を借りるならば、咲にとっての和は「超人を目指して飛ぶ一本の矢」なのだ。咲の打ち筋は、机上の数字を超越している。文字通りの化け物クラスの打ち手である。そんな自分に暴言交じりとはいえ、直ぐな気持ちを真摯に伝えてくれた和は、まさしく一本の矢なのだった。

 全中チャンプに対して思うことではないし、ダメダメな自分がそう思うのは自惚れている考えなのかもしれない。

――そう、だけれども。

和が雀士として自分を好敵手(ライバル)と認めてくれている気がするのだ。それでいて身内(チームメイト)だと自分を迎え入れてくれている気がするのだ。そう考えたら、何だか身体の内が感激の嵐で吹き荒れていく感覚がするのだ。

 自分たちはお互いを目指して飛ぶ一箭の矢なのだろう。二本とも憧れの熱意をその後ろ風に色付かせ、乾いた空気を唸りながら引き裂いていく。それはまるで、これから行われる夏季大会において他校を蹴散らしていく様を幻視しているようでもあった。

 ――いや、できたら。できたら、そうでありたいな。

 それでもまだ、及び腰な結論に至ってしまうあたり、気弱な咲はまだ気弱なままなのだった。

「部長、それって大丈夫なんですか? 地方大会もうすぐですし……」

 そう言った京太郎は不安を隠せずにいる様子だった。練習時間が削られることを懸念しているのだろう。

 咲は彼のその気遣いが、和個人に対するものではなく、部員全員に対してのものだというのに気が付いた。

 男女共に、麻雀の大会は個人戦と団体戦があるのが常である。そして清澄高校麻雀部が今ぞ臨もうとしている全国高校生麻雀競技大会にも、それは須らく当てはまる。しかし、清澄の麻雀部員はたったの六名。咲たちが団体戦に出るのにも漸くというばかりなのだ。殊更、男子部員が一人だけというのは必然的に団体戦への挑戦権がないことを意味する。

 それでも、そんなことは関係ない。団体戦に出られない自身よりも、全国制覇を目標に掲げている部長たちをサポートすべきなんだ。という一歩引いた京太郎の態度に、咲は好感を抱くのと同時に、申し訳ない気持ちで一杯になるのだった。

「うーん、そうねぇ。地方大会まで後二週間ってとこだったかしら?」

 五月の中旬あたりに部長とまこが大会申し込みに行ってから、部室の本棚の上に置いてある洒落たカレンダーには、大会までのカウントダウンとして小ぢんまりとした赤い丸印が日付に付けてある。

 咲が席から立ち上がってそれを見てみると、地方大会は久の言った通り丁度二週間後だった。

「何とか先生に取り合ってみるわ。ちょちょいと代役立てれば何とかなるだろうし」

「不正はあかんぞ。不正は……」

お茶らけたように片目を閉じて言った久に、まこは大きなため息を漏らした。彼女たちが悠長に構えていられるのも、既にその実力が全国の猛者たちと渡り合える程なのだからだろう。

 先輩たち二人のふてぶてしいその態度が凄く羨ましい。言い換えると慢心とも言えるのだが、気弱になって出来ることも出来なくなるよりはよっぽどましだと咲は思う。

 カレンダーを見て、大会まで残された日数が少ないことを改めて実感する。そう遠くない未来を想像してしまい、緊張で身体が強張ってしまった。だけれど、未だ時間は残されている。咲は自分がやれるだけのことをやっておきたかった。

「部長」

 咲は静かに口を開いた。

「私……、このままでいいのかなって思うんです。私、ダメダメで臆病者だから部長や皆に迷惑かけてばかりで……。本番でも足を引っ張るお荷物になっちゃうと思うんです」

 それは咲の本心だった。声が震えそうになるのを必死で堪えて、自分の欠点、自分の悪いところを正直に告白した。

 原村さんも、優希ちゃんも、先輩たちも、京ちゃんすらも、咲にとっては地を照らす太陽のようであった。

「今日って何曜日だったかしら」

 久から出た唐突な疑問。それは、咲の必死の告白とは掛け違えたような返答。もしかしたら、咲の想いは部長に届かなかったのかもしれない。婉曲すぎて伝わらなかったのかもしれない。鼻の奥がツンと痛んで、目頭が熱くなった。

 それでも、もしかしたら、部長の問いには意味があるのかもしれない。その後には欲しい答えが返ってくるのかもしれない。

 藁にも縋る思いで先ほど見ていたカレンダーを手に取り、自分でも驚くくらいのか細い声で久に返事をした。今日は金曜日だった。

「ちょうどよかったわ! それなら咲、ちょっとお使い頼まれてくれる? 飯田駅の近くにある雑貨屋さんなの。後で買い物リストと一緒に住所書いたメモ渡すわ」

「おつかい……ですか?」

「まさか、あやつのところか……?」

 まこは苦虫を潰したような表情を浮かべて硬い声を発した。

「その、まさか、よ」

 咲が久からおつかいを頼まれるのは、これが二回目だった。

 前回のおつかいの場所は、まこの家が経営している「Roof-top(ルーフトップ)」という喫茶店兼雀荘であった。なんでも、まこの祖父が始めたものらしく、長い時間と気をかけて培われてきた人脈があるらしい。

 お使いを頼まれたその日、咲は常連客のプロ雀士、藤田靖子と戦うことになった。もちろん、それをセッティングしたのはおつかいを頼んだ久である。久と藤田プロは旧知の仲だそうだ。

 久の計画は、咲の冷めていた麻雀に対する熱を思い出させるのと同時に、硬い岩の中にある慢心した心の帯を粉々にするという荒治療を施すものだったらしい。その思惑が果たされたのかというと、藤田プロに惨敗した彼女が今も麻雀に励んでいるということで推して知るべしということだ。

「そうねぇ。この前は和と行ったでしょ? じゃあ、今回は優希と須賀君にお願いしようかしら。

 咲ってば、群を抜いた方向音痴だから。そのお目付け役よ」

「おぉ! 今回はわたしも一緒か!!」

「俺もですか!? 咲とは構いませんが、優希まで一緒に着いてくると俺だけじゃ手が足りませんって!」

 久のお願いと称した命令に、傍で聞いていた二人は同時に大声を上げた。

「なにおう! プリティーでキュートなわたしと咲ちゃんが両脇について歩くというのに、何を贅沢なこと言っている! スケベイな京太郎が両手に花なんてことは、これから先、滅多にないことなんだじょ」

「おいおい……。というか、俺がこの部にいるって時点で、両手に余るほどの花を抱えてるんですが……」

「え? 須賀君そんなこと考えてたの? もしかしてエロゲーの主人公気分だったりとか」

「絶対にそんなことありませんから!!」

「いやいや、京太郎じゃからあやしいのう」

 みんなのやり取りを聞いて、咲は思わず吹き出してしまいそうになった。あまりにも仲間たちがいつも通りだったからだ。

 太陽から伸びる斜光が、山頂付近の木々の合間を縫って部室へと橙の燈火を届ける。ずいぶんと長い影が咲の後ろに伸びている。薄暗い夕方になった。

 カーディガンを羽織ったままの咲は、もうすぐ沈んでしまう太陽を残念に思ってしまう。この時期の長野の夜はまだ冷え込むのだ。それまでには何とかしておつかいを済ませて帰りたかった。

「京ちゃん、優希ちゃん。お願いしてもいい、かな……?」

「おうよ!」

 儚げに聞いた咲に、二人は異口同音で答えた。

 依然として聞こえてくる吹奏楽部の演奏。それは先ほどとは打って変わって、ホルンが響くなだらかな曲調へと移っていた。

 それを耳にしながら、咲は新しく開いた扉へと足を進める決心をしたのだった。




続けたい。時間的に厳しいかもです……
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