魔法使いは夜明けが見たい   作:あーけろん

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お嬢様と魔法使い、ついで騎空士見習い

––––その日は、冬が明けたばかりの、まだ新芽すら芽吹いていない春先だった。

 

「失礼いたしますわよ!」

 

王都ランドソルの中では珍しい寂れた区画で、多くのゴロツキやチンピラがうろつく場所の一角。花壇に降り積もった雪がポタポタと溶けて石畳に染みを作り、春の訪れを感じさせる。

そんな冷える早朝の大きな窓を構えるそのお店に、一人の少女が声を張り上げて戸を開けた。

 

「……何用かね。こんな朝早くから」

 

お店の中は、はっきり言って雑然としていた。味のある木製のチェストやラックには色々な種類の薬草や瓶が無秩序に並び、隅にある観葉植物らしきものは眩しいほどの黄色の大輪が咲いていて、まるで別世界の様だと少女は感じる。

そんな部屋の主は暖炉の前のソファに座り、静かにマグカップを傾けている。黒目黒髪というとても珍しい風態で、さらにそれらと変わらないほど黒いローブを着ている。突然現れた来客に不躾に視線を向けた彼はマグカップを置くと、スッと立ち上がって少女の前に赴く。

 

「…随分と身なりが良いが、貴族の箱入りお嬢様か?」

「なっ⁉︎私は確かに貴族の生まれですが、別に箱入りという訳ではありませんわ‼︎」

「それは失礼。…ふむ、何処かで観たような–––?」

 

燃え上がるような赤い髪に整った顔立ち。そんな顔をまじまじと魔法使いは眺めると––––「ま、いいか」と踵を返す。

 

「寒かっただろう。そこの暖炉で暖まるといい、今お茶を淹れてくる」

「お気遣いありがとうございます。ですが、それよりも先にお話ししたい事があるのです」

「話があるなら尚更ソファに座るといい。君は見えないかもしれないが、頬が寒さで赤くなってるよ」

「えっ⁉︎」

 

ケラケラと笑った様子の魔法使いに、少女は余計に顔を赤くするが、彼の言う通りソファに座る。

 

「…暖かい」

 

外の寒さを感じたからか、暖炉がより暖かく感じる。けれどそれもそのはず、それは形こそ暖炉そのものだが、その実態は暖炉ではないからだ。

 

「…?これって…」

 

少女もそれに気が付いたのか、身体を起こして暖炉に顔を近づける。すると暖炉で燃えていると思っていたものは赤い石であり、それが暖気を放っている事がわかる。どう言う原理で暖かくなっているのかと思い、それに手を伸ばそうとすると、『危ないよ』と声が掛かる。

 

「えっ?」

 

振り返ると、そこには黒の毛並みの猫が1匹。二本の尻尾をゆらゆらと揺らしていた。

 

『それはご主人が作った魔道具の一種でね。煙突がない家でも気軽に暖炉を楽しめるように作ったんだと。彼も忠実だよね」

「な、な、な…」

『おっと驚かないでね?こんな朝から声をあげたらご近所迷惑だよ?』

 

極めて冷静な指摘に逆に頭が冴えたのか、少女は声を上げる事なく冷静に猫に話しかける。

 

「ね、猫様…とお呼びしても?」

『様はいらないよ。僕はしがない黒猫だからね』

 

喋る猫がしがない訳ない、と喉元まで声が出かかるも、それを抑える事に成功する。

 

「それで、猫さんはあの魔法使いに飼われていますの?」

『いや、一種の雇用契約みたいなものさ。だから飼われてるわけじゃない』

「はぁ…」

「待たせたな、今お茶が–––むっ。黒猫、起きたのか。猫は丸くなってる時間だろうに」

『目が覚めたんだよ。所で、僕も暖かい牛乳が欲しいな』

「しょうがない奴だな、少し待っていろ」

 

お盆とお茶をサイドテーブルに置くと再び厨房へと向かう魔法使い。そんな背中を1匹と一人が眺めると、1匹の方が口を開いた。

 

『君、ウィスタリア家のご令嬢でしょ。確か、アキノ・ウィスタリアさんだよね』

「ご存知でしたの⁉︎魔法使い様が知らないから、てっきり知らないものとばかり…」

『かの豪商ウィスタリア家のお嬢様で、今はギルド、メルクリウス財団のギルドマスターだろう?ここらじゃ有名人だよ』

「それでしたら、どうして魔法使い様は私の事を存じ上げていないのでしょうか…」

『物覚えが悪い訳じゃないんだけどね。世俗に疎いんだよ、彼』

「待たせたな黒猫、ほら、暖かい牛乳だぞ」

 

黒猫に深めの皿に入った牛乳を手渡すと、「冷めるぞ」と少女にお茶を勧める。

 

「頂きますわ–––––あら」

「どうだ、美味いだろう」

 

澄み切った色と豊潤な茶葉の香りが立つティーカップに口を付けると、小さく感嘆を溢す。

自身ありげに胸を張ると、魔法使いはマグカップを傾ける。

 

「えぇ、とても。何処の茶葉をお使いになっていらっしゃるのかしら?」

「それは秘密だ。魔法使いには秘密が付き物だと、お父上からそう教わらなかったのかな、アキノ嬢?」

「私の事をご存知でしたの⁉︎」

「お茶を淹れている時に思い出したんだ。君の父とは少し面識があってな、その時に」

「–––えぇ、存じておりますわ」

「あの時の君のお父上なんか……えっ?」

 

突然神妙な顔立ちになると、姿勢を正して魔法使いへ向き直る。

 

「改めて、アキノ・ウィスタリアです。あの時は父の事を助けて頂き、本当にありがとうございました」

「…別に、感謝されたくてやった訳じゃない。報酬は十分な程に貰った」

『そうそう。十分すぎる金額を貰ったよね』

 

彼女の言葉に魔法使いは飄々とした態度だ。その態度に対し、アキノは言葉を重ねる。

 

「父が言っていましたわ。貴方程の魔法使いは居ないと。あの時、箒に跨った貴方が来なければ生きていないと」

「そう思うなら伝えておいてくれ。目上の者が率先して動くのは感心だが、実験の際は細心の注意を払えと」

 

ウィスタリア家はランドソルの中でも有数の豪商であり、新しい技術も進んで取り入れる画期的な貴族だと言えるだろう。…だからこそ、その事故は起きた。

ウィスタリア家が開発した飛空挺の二次試験。有人飛行による高度1000mを目指したその試験の最中、突如飛空挺にドラゴンが襲来したのだ。

当然迎撃装備は整えていた飛空挺だが、相手はドラゴン。戦闘の衝撃で飛空挺の動力に変調が来たすと、計80名乗せた飛空挺はそのまま地上へと落下を始めた。

大勢の人と名家の当主の事故死。活発に進められている飛空挺開発の流れを一変しかねないその事故が起こる瞬間––––その魔法使いは現れたのだ。

 

「それで、アキノ嬢は何が目的なんだ?まさか、ウィスタリア家を代表しての挨拶などではあるまいな?」

「あら?どうしてそう思いますの?」

「お前の父から君の話は少し聞いている、好奇心が服を着て歩いてるような娘だとな」

『実際、メルクリウス財団は色々新しい事を試しているみたいだしね。ご主人に何か話があったんじゃないの?』

「話が早くて助かりますわ。では、率直に申し上げます。魔法使い様––––貴方が父を助けた時に使った魔法の箒を、私に売ってくださいませんか?」

 

その立ち振る舞いは、気品に満ちていた。言葉の一つ、所作の一つを取ってもけちの付けようの無い気高さ。彼女の顔の良さも相まったそれは、君主による勅命の様な錯覚を起こさせる。

そんな、一種の強制力を伴った言葉。黒猫も小さく目を開いてアキノを見ると、次いで魔法使いを見遣る。そして、正面から言葉を受けた魔法使いは、小さく、けれど、はっきりと宣った。

 

 

 

 

 

「断る。箒で空を飛ぶのは魔法使いの特権だからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________

 

 

 

 

 

 

「–––ですから!そこを押して頼んでいるのです!貴方様の魔法の箒が有れば、この社会はもっと良くなるはずなんです‼︎」

 

そんな、場所は変わってギルド・メルクリウス財団のギルドハウス。見目麗しい少女の頼みを全く聞く耳持たない魔法使いは高級そうなティーカップを傾けて鼻を鳴らす。

 

「魔法というものは特別でなくてはならないんだ。魔法が普遍化した世界は色々と危険過ぎる。こと、この世界でもな」

「今のランドソルでも充分普遍化していると思いますけど…」

「そう。だからこそ危険なんだ。瞬間移動や高速移動系の魔法がない今だからこそ、この街は平和でいられている。魔法の箒ってのは、色々と危険なんだよ」

 

魔法使いの頭の中には一つの世界観が思い起こされていた。魔法が技術として確立され、それが軍事転用されている世界。軍人が空を舞い、鉄の鳥を粉砕し、果ては街すら焼き尽くす。魔法の箒が普及した場合、それと同じ未来がこのランドソルにおいて再現されないと断言はできない。それゆえ、魔法使いは何を言われようとも箒の技術を提供する気は無かった。

…もっとも、それをアキノが理解できるかどうかは別なのだが。

 

「むぅ〜!納得いきませんわ!そもそもずるいです!魔法使い様だけが空を悠々と飛んでいるなんて!」

「ふむ。それなら今度後ろに乗せてやろうか?」

「えっ…?よろしいんですの?」

「あぁ。といっても暇な時にな、今は無理だ」

 

ばぁ、と花が咲いた様に笑みを浮かべると「約束ですわよ!」と魔法使いに詰め寄り、それを「近い近い」と押し除ける。

 

「お前は淑女だろう…。もっと異性と距離を保ちたまえ。そんなだからいつまで経ってもじゃじゃ娘なのだ」

「…別に、誰にでもする訳じゃありませんわ」

「拗ねるな全く………あっ」

 

その瞬間、ふと魔法使いはローブの懐に収めていたとある物の存在を思い出す。

 

「そういえばアキノ。お前を見込んで頼みがあるんだが」

「頼み?魔法使い様が?」

「あぁ、これなんだが」

 

ローブから布に包まれた物を慎重に取り出し、それをアキノに手渡す。アキノはそれを手早く広げると、中に入ってる物を見る。

 

「これは……もしかしてクコの葉ですの?」

「あぁ、この前ちょっとした事情から手に入れてな。量が多いからこっちじゃ捌けないし、そっちで捌いて欲しいんだ」

「量が多いって、これ以外にも?」

「あぁ、束で保管してあるよ」

「クコの葉の束⁉︎ちょっと、それ本当なの⁉︎」

 

さらっと話した魔法使いにおかわりのお茶を淹れにきた金髪の女性––––メルクリウス財団経理担当のユカリが驚きの声を上げる。商い系ギルドの経理担当であり希少品の市場価格を熟知している彼女は、その価値がどれだけのものか瞬時に理解してしまったのだ。

 

「あぁ。ほら、この前の大規模キャラバンが魔物に襲撃された事件があっただろう?その時にな」

「相変わらず凄い事件に関わってるわね〜…。それで、具体的な量はどの位なの?」

 

湯気の経つ紅茶を二人の前に置くと、魔法使いの座るソファの横に腰を下ろす。

 

「正確にはなんとも。後日持ってくるから、その時に正確な計量を頼む」

「わかったわ。それで、クコの葉って証明できる鑑定書も必要なんだけど…あるわけないわよね?」

「鑑定なら俺が出来るが…当事者がやるのは不味いだろう。そっちに任せる」

「それじゃあそれも手配しておくわね…って、アキノさん?そんな顔してどうしたの?」

「私が話していたのにずるいですわ‼︎と言うより、いつのまにかそんなに仲良くなっていらしたの⁉︎」

 

頰を膨らませ不満を露わにするアキノだが、魔法使いはしれっと返す。

 

「この前行きつけの居酒屋で酔っ払って潰れている所を保護しただけだ。大した事はしてない」

「ちょ、それは言わない約束でしょ⁉︎」

 

頰を赤くし魔法使いに抗議するが、魔法使いはどこ吹く風と平然としている。

 

「そんなに大事な事か?お前が酒をこよなく愛しているのは有名だろうに」

「そうだけど!悔しいけど確かにそうだけど!そんな私にも一応女性として良く見られたいって思いがあるの!」

「おかしな事を言う。別に酒が好きだろうが、ユカリが良い女である事に変わりはないだろう」

「えっ」

 

「何を言っているんだか…」と紅茶を傾ける。好みの味なのだろう、上機嫌にカップを置く魔法使いだが、横に座る彼女はそれどころではなかった。

 

「え、えぇと、その…私って、良い女なの?」

「気配りが出来て、常識もあり、仕事もできる。逆に言うが、これだけ揃っていて良い女じゃない訳がない」

「そ、そうなんだ…ふーん…」

 

毛先をくるくると弄り、頰を微かに赤く染めるユカリだが、それと対照的にアキノは頰を膨らませて不満を露わらにし、魔法使いに食って掛かる。

 

「ま、魔法使い様!私は⁉︎私は⁉︎」

「お前はじゃじゃ馬娘だろうに。まぁ、そこらにいる貴族より余程親しみやすいがな」

「…そう言えば、魔法使い様は生粋の貴族嫌いと伺っておりますが、私のことはお嫌いなんですか?」

 

不安そうに口を開くが、「馬鹿馬鹿しい」と魔法使いが鼻を鳴らす。

 

「それなら態々こんな所まで来るものか。お前は知らないと思うがな、普通の貴族と取引する時、殆ど二言三言しか喋らないんだよ」

「それは…つまり?」

「えぇい、言葉にしなければわからんのか。つまりだな、お前の…なんだ、そういう破天荒な所は嫌いではない…ということだ」

「ま、魔法使い様…‼︎」

 

面と向かって話すのが恥ずかしかったのか、魔法使いの頰にも僅かに赤が差す。それを感激したアキノがキラキラとした目で見るものだから、益々居心地が悪くなる。

 

「と、とにかくだ。それでクコの葉の取引は其方がやってくれるのか?」

「勿論ですわ!私の名に懸けて、最も高い金額で捌いて見せます‼︎」

「それはありがたい。仲介料は法律通りで良いからな、金は全額サレンディア救護院まで頼む」

「全額で良いの?研究資材とか、結構掛かってるって聞いたけど…」

「構わない…と言うのも、最近救護院の方で子供達が増えていてな。俺の道楽より、子供の胃袋と寝床の方が大事なのは明白だ」

 

「魔法使いは優先順位を違えないからな」とは彼の言だが、それを二人は微笑んで頷く。子供に甘い所もまた、彼の魅力の一つだからだ。

 

「さて、私はもう行くぞ。この後フィールドワークに勤しまなければならん」

「クコの葉の件は任せて頂戴。こっちでつつがなく進めておくわ」

「魔法使い様も、最近は何かと物騒だと聞きます。どうか、お体にお気をつけてください」

「わかっている。それではな」

 

カップを置いた後に軽く手を振ると、そのまま戸を開いて姿が見えなくなる。彼の姿が消えた後に二人は小さく息を吐くと、互いに向き直る。

 

「相変わらずね、彼も」

「全くですわ。無自覚な人たらしなんですから、手に負えません」

 

ぷんすかと不満をあらわにする。魔法使いが多くの人に好かれているのは周知の事実だが、あの人の良さは甘い毒のような物である……もっとも、ここにいる二人もその毒に浸かり切っているのだが。

 

「はぁ…魔法使い様が私のギルドに入ってくれれば良いのに…」

「サレンさんの所に居る以上引き抜きは厳しいでしょう。彼もあそこを抜けるとは思えないしね」

「だからこそ、私達は彼とビジネスパートナーとしての関係を維持するのです。そうすれば、いつかは私の願いを聞き入れてくださる筈ですわ」

 

強かに微笑むアキノにユカリが苦笑する。ウィスタリアの血がたしかに引き継がれている事を感じると「それじゃ、わたしは手続きを済ませちゃうわね」と告げ、クコの葉の取引の準備を始めるのだった––––。

 

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

『………暇だ』

 

窓から差し込む光に、ゆらりゆらりと二つの影が踊る。心底退屈そうに欠伸をしたその猫はぼんやりと外を眺め、ひらひらと飛び交う蝶々の数を数えていた–––––言うまでもないことだが、魔法使いの黒猫である。

 

『こんな事ならご主人について行けば良かったよ…』

 

好奇心は猫を殺す、とは有名な格言であるが、どうやら退屈もまた猫を苦しめるらしい。魔法使いが家を発ってから早5時間程度。朝日は昼の光へと変わり、もうじき西日へと変わりそうだ。それだけの時間だが、特に変わった出来事はなく、ただ平穏な時間が流れているのみだ。

気まぐれを売りにする猫であるならば悠々と外に出て散歩にでも興じるのであろうが、この黒猫も飼い主…ではなく雇い主と似て律儀な所がある。一度店番を任された以上、役目を放棄する事は良心が咎めるので出来ないのである。

 

『ふぅむ……』

 

しかし、いくら黒猫が叡智に富んだ賢い猫であっても、退屈はその精神を害する。いよいよ痺れを切らした猫がカウンター上に置かれたクッションから立ち上がってぴょんと小さく跳ねた。

そのまま外に繋がる猫用勝手口へと脚を向ける…が、その足を途中で止める。なぜなら、その優れた聴覚がコツコツと石畳を叩く音を掴んだからだ。

 

『…おや?』

 

黒猫はその明晰な頭脳からか、この店を訪れる人間の足音を記憶している。そしてその足音の人物が足繁く此処に通う少女の物だと察すると、再びクッションの上に居住まいを正し、ゆらりと尻尾を揺らす。

そうして、その人物はすぐに扉を開いた。

 

「こんにちはー!魔法使いさん居ますか……って、アレ?」

 

短く揃えられた金髪が微かに揺れ、綺麗な黄金色の瞳がキラキラと輝く。快活で凛々しいけれど、どこか愛らしさを兼ね備えたその少女は元気な声と共に扉を開くが、後ろに行くにつれ窄んでいく。

 

『やぁ、いらっしゃいジータちゃん』

「こんにちは黒猫さん。魔法使いさんは今工房?」

『いや、生憎と出掛けてるよ。今頃はフィールドワークに没頭してると思うけど』

 

ジータと呼ばれた少女はその言葉に「えー⁉︎」と声を上げ残念そうに肩を落とす。

 

「そんなぁ…。飛空挺のアイデアを思いついたから、魔法使いさんに話に来たのに…」

『それは残念だったねぇ。まぁまぁ、座りなよ』

「うん…あ!それとこれ、近くで美味しそうだったから買って来ちゃった!」

 

少女の腕には紙袋が抱えられ、その両手にはたっぷりのクリームと果物が載せられたクレープが鎮座している。ちなみにだが、数は二つである。

 

「せっかく魔法使いさんと食べようと思ったのに…黒猫さん食べる?」

『そんなもの食べたら僕はご主人に看病される羽目になるから、辞めておくよ』

「だよねぇ…、流石に二つ食べたら太っちゃうし、そうなったら魔法使いさんから…‼︎」

 

さめざめと顔を青くする彼女に一つ嘆息する。今でも細過ぎるくらいだと思うんだけど…。

 

『その分いっぱい働いてるんだからいいと思うけど。評判良いみたいだし、君の活動は』

「知ってるの⁉︎」

『勿論さ。僕は情報通だからね』

 

寂れた三番街のこんなお店にも、ジータの噂は届いていた。腕利きで愛想も良く、良心的な金額で依頼を引き受ける可憐な少女の噂だ。

もちろんそれは魔法使いも知っており、その噂を聞くたび鼻を鳴らして当然だと言わんばかりの態度だったが、それを聞いた日は決まって少しお酒を嗜む事を黒猫は知っていた。

 

『とにかく、クレープは二つともジータちゃんが食べて良いと思うよ。どうしても食べたくないんだったら、厨房にある「レイゾウコ」なる冷たい倉庫にでも入れておけば良いと思うし』

「……あむ」

 

まるで大罪を犯そうとしているような思い詰めた顔をしながらも、彼女は二つのクレープにそれぞれ齧り付く。なんだかんだ言って甘いものが好きなのだ、彼女は。

 

『所で、その抱えている紙袋はどうしたんだい?』

「これはシチューの材料だよ。今日は魔法使いさんと一緒に食べようと思って」

『シチューかぁ…。僕も食べれる?』

「勿論!黒猫さん専用のやつを作るからね!」

『ありがたい。ジータちゃんはきっと良いお嫁さんになるね』

「そ、そんな…お嫁さんだなんて…」

 

頰を赤らめる彼女を見て『チョロ過ぎる』と黒猫は危惧を覚える。しかし、ここまでわかりやすい方がご主人の特攻になり得るのか…?とも考えていた。物事を表面のみで捉えない、最も叡智に優れた黒猫の異名は伊達ではないのだ。

 

「所で、黒猫さんはどうしてお留守番をしているの?いつもは魔法使いさんに引っ付いているのに」

『店番を任されたんだよ。全く面倒だよねぇ』

「そうなんだ。けど、大丈夫なの?ほら、ここって色々と貴重なものだってあるし、強盗とか…」

『その点については心配ご無用だね。そもそもここら一帯はご主人によって結界が張られているし…もしもの時はこれがあるしね』

 

そういうと右手で首輪にある小さな結晶を見せる。別段変わりない首輪にジータが疑問符を浮かべると『これはね』と黒猫が口を開く。

 

『言葉を話せる様になるのと同時に、一種の通信魔法装置でもあるのさ。いざという時は、これでご主人の助けを呼べば大丈夫ってわけ』

「はぁ…すごいなぁやっぱり。なんでも作れちゃうんだね」

『けどこれは他言無用でお願いね。ほら、通信魔法関連の技術は規制が厳しいから』

 

事実、魔法使いは極めて高度な技術を持っており、それを惜しげもなく使って様々なものを作っている。それこそ、一度公表すればひと財産を築くことすら可能な物をだ。

…にも関わらず、彼はそれを公表しようとしない。黒猫は当初、俗世に関わるのが嫌いが故の行動だと踏んでいたが、どうにも事情があるらしい。

 

「魔法使いさんは今日は帰ってくるの?」

『間違いなくね。そろそろ僕のお腹が空く頃だから、もうじき帰ってくるはずだよ』

「自分のお腹の空き具合で判断してるんだ…。けど、なんか良いな、そういう信頼関係って」

 

クスっと口元を綻ばせる後、羨望の感情を隠しもせずに言の葉を紡ぐ。

 

『羨ましがるようなものでも無いと思うけどね。ほら、彼って色々面倒だし』

「そうなの?」

『そりゃそうさ。口を開けばやれ悪い魔法使いだの、魔法使いの矜持だの言ってるけど、実際のところは只のお人好しだし、自由にやれば最も楽に生きられるのに変な縛りを自分に課したりするし。他にはね––––』

 

 

 

「––––––ほう、これは珍しい。今日はいつになく機嫌がいいと見えるな、黒猫よ」

 

 

その声を聞いた途端、黒猫は瞬間的に不利を悟った。まずい、気が付かなかった、どうして背後から、玄関から入ってきたんじゃないのか、そんな思考が一瞬にして脳裏を過ぎるが、まず取った行動は一つだった。

 

『…やぁ、ご主人。帰ってきてたのに何も言わないなんて酷いじゃないか』

 

バツの悪そうな笑みを浮かべた黒猫に対し、黒のローブを来た男––––魔法使いは大きく肩を落として嘆息する。

 

「採取してきた薬草をしまう為に裏口の倉庫から帰ってきたんだ。全く、不在のうちに主人を語るとはいい度胸しているな」

『…別に良いじゃないか。だって事実なんだし』

「事実では無い。全く、俺の事をお人好しって吹聴するのは辞めろと、何度も言っているだろうに…」

 

「次やったら当分魚は抜きだからな」と念を押し、小さく振り返ってジータの方を見やると、今度は魔法使いの方がバツの悪い表情を浮かべた。

 

「悪いなジータ。黒猫の面倒を見てくれていたのか」

「い、いえ!むしろ私が話し相手になって貰っていたと言うか…」

「そうか?それなら良かったんだが……ところで」

「はい?」

「ほおに赤いソースが付いているが、クレープでも食べていたのか?」

 

頰に付いた赤いソースを指摘すると、みるみるジータの顔が赤くなって行き、「あ、えぇと、これは…」と視線を泳がせる。

 

『やれやれ、ご主人。そんなにストレートに伝えるなんて紳士としてあるまじき所業だよ。もっとスマートかつユーモアに伝える事はできなかったのかい?』

「無茶を言うな。俺にそんな気遣いができる訳ないだろう…ほら、拭ってやるから動くな」

「だ、大丈夫ですよ!自分で拭けますし!」

「自分じゃよく見えんだろう。すぐ終わるから、あまり動くな」

「ひゃ、ひゃい…」

 

余計頬を赤くして固まったジータの頬をハンカチで拭うと「よし、取れた」と小さく頷く。それを見た黒猫は心の中でジータに黙祷を捧げる。憧れの人に頬を拭ってもらうなんて、心中穏やかじゃ無い事は明らかだ。

 

「それで、ジータはどうして此処に?何か用事でもあったのか?」

「えっと、新しい飛空艇ならアイデアを思いついて、それを伝えに来たんですけど…」

「そうか。なら聞かせてもらおう…といっても、もうこんな時間だ。折角だし、夕飯でも食べながら聞かせて貰うとしよう」

「はい!それだったら私、実はシチューを作ろうと思ってて…」

「シチューか。それだったら良い鶏肉をこの前貰ってだな…」

 

ジータと魔法使いが二人で話し込みながら台所に向かう様を黒猫は眺め、首を傾ける。

 

『あれで悪い魔法使いを語ろうって言うんだから、お笑い種だね』

 

そんな黒猫の一言は、誰の耳にも届かず部屋の中に溶けていくのだった–––––。

 

 

 

 

 

 

 




魔法使い
とんがり帽子がトレードマークの青年。顔つきは若く、年齢は二十代前半とされるが詳細は不明とされる。多くの商家や貴族と魔道具や薬品の取引を行なっており、その人脈はランドソルでも有数。中にはその優秀さに惹かれ手練手管を使い一族に加えようと画策する者もいたが、現在はなりを潜めている。なんでも大商家が睨みを効かせているとかなんとか。

黒猫
夏毛はすっきり、冬毛はもこもこの毛並みを持つ。

飛空挺
ランドソルで使われる移動手段の一つ。専ら貴族の御用達として用いられており、一般庶民では乗る機会すら無いとされる。魔法使いも密かにこれを作っているが、その全貌は明らかになっていない。彼曰く、少女の夢を叶えるのも魔法使いの仕事の一つとの事。



魔法使いへの反応

アキノ・ウィスタリア
「あのお方は、私の事を色眼鏡なく見てくれる数少ないお人です。ウィスタリア家の令嬢としてではなく、一人のアキノ・ウィスタリアとして扱ってくれるのです。たまに意地悪な事を仰る方ではありますけれど…それも、私を思っての事だと信じております。ただ一つ愚痴を溢すのであれば、最近の彼は少し節操無しだと思います。サレンさんだけでも強敵ですのに…」

ユカリ
「最初に会った時は変な格好の人って印象しかなかったけど…何回か付き合う内に、あれは只の趣味で本当は根が優しい人なんだってすぐにわかったわ。…別にお酒を奢ってくれたから良い人扱いする訳じゃないのよ?ほんとよ?」

ジータ
「魔法使いさんは、私の夢と真剣に向き合ってくれる優しい人ですよ。騎空士になるって言う私の夢を聞いて笑う人たちの前で、あの人は言ってくれたんです。その夢は絶対に笑われていいものじゃない、俺がその夢を手伝うって。それからあの人は、私にとって本当に尊敬すべき人です‼︎…まぁ、尊敬以外の感情も、なくはないんですけどね」
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