海上護衛総隊の業務、それも重要な業務の一つに燃料の輸送があることは、誰も異論が無いことだろう。むしろ、わざわざそれを提起することすらおかしい話かもしれない。それほどに当たり前のことであった。
が、一言に『燃料』輸送と言っても、その実態はこれほど面倒くさいことはない。
そもそも、燃料とは何なのか。すなわち、燃えてエネルギーになってくれる何物かのことである。つまり、必ずしも液体である必要はなく、固体や気体だって燃料足り得るわけである。
何でわざわざそんなことを言ったのかと言えば、理由は単純。個体と液体と気体は保管方法が異なるからだ。当然である。例えば石炭を気体保管施設に置いておくことほど無駄なことはないだろうし、逆に原油をそのまんま野積みなんてしたら一瞬で流れ出て全て消滅だ。その他、搭載の仕方など、異なる点を上げていけば切りがない。
つまるところ燃料輸送とは、一言でまとめてしまえる行為のハズなのに、実際はまるで異なる輸送行為の総合なのだった。果たして、輸送するのは石油なのか石炭なのか液化ガスなのかバイオマス発電用の木材チップなのか――はたまた木炭用のただの木材なのか。木炭、などと笑うことなかれ。今や日本列島を含め、アジア太平洋圏の公共交通バスの半分は木炭バスなのだ。対深海棲艦戦争中盤、不本意な形で南に吸収された北朝鮮が、その後何故か経済的には復活を果たした理由である。閑話休題。流石にそれは言い過ぎにしても、深海棲艦による攻撃の可能性から稼働不能になった原発、これを代替すべく全力稼働中の火力発電所は基本的に石炭発電だし、そもそも鎮守府だって、天龍型なんかはもともと石炭との混燃機関搭載艦である。謎技術で石油専燃に生まれ変わったものの、やろうと思えば石炭も使えた。
さて、天龍型にも少し触れたが、鎮守府が謎技術を用いてまで用いる『燃料』を石油に絞っているのはそれが大きな理由だった。運んできたものを在庫しておくのに面倒は極力避けたかったのである。全盛期の自動車産業や小売業がやっていたという、あの伝説のかんばん方式をやれるんならばいっそ手を染めたいくらいの有様であった。
尤も、軍事組織として自己完結能力を求められる鎮守府に、極小の在庫だけでやりくりする余裕など与えられるはずがない。敵の攻撃による損耗や、予期せぬ作戦へ備えた予備分。当然、その保管施設は、いくら石油しか使っていないとは言え膨大なものにならざるを得ず――別の問題からそれは更に酷くなる。一口に石油燃料と言っても複数種類あるからだ。
小学校か中学校の理科の教科書を開いて、図示された石油の蒸留について見てもらうまでもない。対深海棲艦戦争勃発からこの方、その大部分が消滅してしまったガソリンスタンドの様子でも思い返してもらえば、その辺を走っている車のためだけにガソリンと軽油の2種類が用意されている光景がすぐに思い浮かぶだろう。おまけに、ガソリンは細かな製法でレギュラーとハイオクに分けられ、挙げ句寒冷地では石油ファンヒーター用の灯油まで追加しておく必要がある。
たかが一般市民の生活でこれである。鎮守府はもっとひどかった。
まず、鎮守府備蓄燃料の主役、重油。ほぼ全ての艦娘が使用するこの燃料は、説明せずとも当然量が必要になることがわかるだろう。だからまず、備蓄用のタンクをどーん。
次に、軽油。え、軽油? 漁船? と驚くことなかれ。潜水艦連中はディーゼル駆動だし、水上艦にしても瑞穂とか大鯨とかあの辺り、ディーゼル機関を採用しているから逆に重油は使えない。おまけに、鎮守府海外艦勢の古株であるドイツ艦隊、今後増勢されそうなヴェテラン勢がディーゼル機関だから、その辺りを考えると備蓄しないわけにいかない。というわけでタンクおかわりどーん。
お次はガソリン。いやいや、車じゃあるまいし船でガソリン? と思ったあなたは正解。ガソリンは艦娘用ではなく、飛行機用である。鎮守府主力のレシプロエンジン機、燃料はガソリンなのだ。しかも、きちんとレギュラーとハイオクが存在している。練習・旧式機用のレギュラーガソリンと、連合国製高性能機だって満足に飛ばせるハイオク――高オクタン価ガソリンの双方が必要なのである。いや、もちろん後者、すなわちハイオクさえあれば全レシプロ機を飛ばせるのだが、国力が衰えた昨今、高度石油精製能力も節約の時代なのである。無駄遣いなど出来るわけがない。というわけで2種類タンクの盛り合わせどーん。
更に、『レシプロ機』とわざわざ明記した時点で嫌な予感がした方は大正解である。ジェット機用のジェット燃料だってもちろん必要だ。こちらは装備数こそ少ないが、ジェットは燃料をバク食いするからいくら有っても困らない、というかいっぱい無いと不安まである。というわけでタンクどーん。
……鎮守府の燃料基地とは、すなわち以上の集合体である。そりゃ、無茶苦茶な大きさにもなろう。
さて、ここまで長々と話を続けてきたが、ここで話を海上護衛総隊に変えると、話はより複雑になる。何しろ海上護衛総隊、鎮守府用の物資以外にも国連や国が要求する物資の輸送も委託されているのだ。
例えば、先程の燃料に関して言えば、規格という社会に必須不可欠のインフラにして、護衛総隊にとっての疫病神を考慮せねばならない。何しろジェット機用の航空燃料は、主に民生用と軍用で規格に違いがあり、挙句の果てにその内部でさらに細かく規格で分かれている。例えば、ジェット戦闘機用の液体燃料と巡航ミサイル用の液体燃料は、一応同じジェット燃料だが規格が異なるのだ。似たような話は軍艦用の燃料でもご同様である。しかも、液体燃料についてもこれなのに、鎮守府外では、先述の通り石炭・木炭と言った固体燃料も現役バリバリである。
というわけで、海上護衛総隊は、その辺りのもろもろを全て考慮した上で、鎮守府の備蓄を維持しつつ、他の軍部隊の活動や国家国民の生活を維持するもろもろを運び込む必要があるのだが、これに関して実務者の見解を聞いてみよう。
「やってられるかこんちきしょう!!」
ですよね。
第3話 燃料輸送異状なし
「司令官さん、YH-03船団、只今無事に出港しましたぁ~」
今日も今日とて終業ギリギリの時間、ふらふらと羽黒が司令室に上がり込むと、へたり込むように自分のデスクへと腰を下ろした。妙高型の制服も皺くちゃである。さもありなん。
「ガンビア見送りついでの積み込み陣頭指揮、お疲れ様」
司令官が書類の山を整理しながら羽黒をねぎらった。羽黒がどれだけ働いたか、痛いほどわかるからである。何しろその書類の山、何割かがそれ関連の代物であった。
「今日は、航空燃料一揃い全部送ったクマ?」
「あ、はい――ってあれ、球磨さん? もうそんな時間でしたっけ?」
羽黒が慌てて時計を見た。だが、まだ交代の時間まで優に1時間以上もある。球磨が早出してまでこなさなければならない仕事も思いつかず、羽黒が小首を傾げた。
「あー、単純に、多摩の奴に叩き起こされただけクマ……」球磨がため息を吐いた。「自分も今日遠征で起きるの辛いからって、姉ちゃんと木曽巻き込むのは酷いクマ」
球磨の言い草に、司令官がニヤニヤ笑った。そう言えば、多摩さん寝起きなのにいつもより元気だったな、と羽黒が思い出す。那珂、五十鈴、鬼怒と同列で鎮守府護衛部隊の軽巡エースをしている多摩だったから、今日も今日とて護衛隊旗艦としてYH-03船団に引っ付いていったのである。
「でもどうせなら、球磨も港に出て羽黒手伝った方が良かったかクマ?」
「いえ、私一人で何とかなりましたから。それに、ガンビアさん積載の航空機以外は、人手が居ると言うか割り振りが面倒なだけですし」
そんなもんクマか、と球磨が頷いた。
YH-03船団、すなわち
というわけで、いきおい船団は大規模になり、タンカーが鎮守府埠頭に列を為す羽目になったわけである。もちろん、護衛部隊のお仕事が、タンカーを横から引っ張って整理する曳船紛いのものになっていたのは言うまでもない。艦娘が輸送船を押したり引いたりしないと時間的に間に合わないほど効率化が進んでいる弊害であった。
ともかく、そんなありさまでの積載作業だったのだが――ここで、先程長々と述べ続けた問題が現実のものになるわけだ。すなわち、航空燃料種類多すぎ問題――。
「単冠湾向けはレギュラーとハイオクで済んだんですけど、千歳の国連軍から結構な量のジェット燃料を要求されちゃいまして」羽黒がんー、と背伸びをした。「民生用、軍用、あと普通の灯油。選り取り見取りでしたよ」
「それ、全部タンカー一隻ずつクマ?」球磨が嫌そうな顔をした。
「まさか、ですよ。タンカー半分だけの量とか、一隻とちょっととか……」羽黒が愚痴った。「昨日、司令官さんと積載の細かいところまで詰めといて良かったです。帰り着いた瞬間にお布団に飛び込むところでした」
羽黒の言葉は疲労感に満ちていたが、それも当然。何しろタンカーは一隻一隻積載量が違うのだ。
深海棲艦との戦争が始まってこの方、特に最近に関しては、全世界で――少なくとも今現在連絡を取り合える人類の間では、建造される船舶の規格はなるべく統一しようというコンセンサスが生じているのだが、つい数年前に艦娘が現れるまで、その規格は各国ごとに分かれていた。その数年前に至っては、戦時標準船なる概念は死蔵されていたのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、実務上の悪夢には変わりない。
もちろん、司令官はなるたけ新しく、各船ごとの差異を考える必要のない最新型のタンカーを要請はするのだが、そんなこと有能だろうと無能だろうと全世界の担当者が同じこと考えているのだから自ずと限界がある。結局、燃料を輸送する際、徴発されたタンカーを一隻ずついちいち検め、最適な積載を考慮してやる必要があり――もはや言うまでもないことだが死ぬほど大変である。
「まぁ、まだ余裕があるようで何より。けど今日は処理する書類ももう無いし、このまま上がっちゃって良いぞ」司令官が苦笑しながら言った。
「い、いえ! さ、最後までお供します!」
「ん? いや、なら別に構わんが……」
尤も、今日に限っては、そんな大変さが日常的であることが功を奏したようだった。要するにいつものこと、と司令官がPC画面に注意を向けていたお陰で、上ずった声はともかく、赤くなった顔については見られずに済んだのだから。
「はぐはぐもはぐはぐだし、司令も司令だクマ……」
「ん、どうした?」
「なんでも無いクマ」
はぁ、と球磨がため息をつく。目の前で甘ったるいものを見せられるこっちの身にもなってくれ、と気晴らしも兼ねてルーチンチェック表に目を落とした。真っ赤な羽黒は取り敢えず無視だ。
そんなわけで、司令室を書類をめくる音、キーボードを打鍵する音、コーヒーを作る音。この3つが支配することに相成った。じっと耳を傾けていると、すぐに時間が経ってしまう錯覚に陥る生活音TOP3である。いや、錯覚ではなかった。やけに時間をかけて――赤い顔を覚ますためだった――コーヒーを淹れてきた羽黒からカップを受け取った司令官が時計を確認する。羽黒が戻ってきてから、既に1時間も経ちそうだった。そろそろ終業の時間だ。
「どぉれ、今日はこのへんにしとくかぁ」
司令官が伸びをした。妙にそわそわしている羽黒が、はい、と笑みを浮かべた。一日の疲れを吹き飛ばしてくれるような笑みだった。そう感じた自分に対し何事かを笑いつつ、司令官が立ち上がり――。
「司令」
球磨の声に固まった。心中を急激に嫌な予感が満たしていく。球磨の声音に、普段なら戦闘時でも聞こえてこないだろう硬さを感じ取ったのだった。
「確認クマ。今日千歳の国連軍向けに送ったジェット燃料、種類これで合ってるかクマ?」
球磨が書類を一枚、司令官に見せつけるように突き出した。内心の動揺を悟られぬようにのんびりと、しかし急いで駆け寄り、しげしげと見つめる。昨日司令官が作り上げた輸送指示書だった。各種様々な燃料が記載された表の中に、蛍光ペンでチェックが付けられたものが有った。どうやらこのことを言っているらしい。アルファベット、ハイフン、アラビア数字からなる燃料規格を素早く記憶と付け合わせた。うん、何も問題ない。
「ん。確かにそれで間違い――」
「えっ、それ末尾の数字違うんじゃ――」
司令官の言葉が、羽黒の怪訝そうな声と被る。お互いに固まり、見つめ合った。
「えっ」
「えっ」
「えっ、だってこれ、7だろ?」
「えっ、いえ、これ、1では?」
言い合って、お互いに固まる。球磨が、すっと提督執務室から転送されてきた輸送指示書を差し出した。なお、執務室で提督印が押されてからの転送自体はメールだったのだが、
「ほら、7じゃないか」
「いえ、1じゃないですか」
「えっ」
「えっ」
「……たぶん、7が正解クマ。でも、FAXで文字潰れかけてて正直球磨にも1に見えたクマ」
思考停止に陥った提督と羽黒に、球磨がため息つきながら解説した。「で、慌ててはぐはぐが作ってた輸送船団への詳細な作業指示書を確認したら、見事に1って書いてあったクマ。司令、羽黒との確認作業、ちょっとおざなりだったみたいクマ?」
「……つまり?」
「教範に載せたいくらい見事な誤配送やらかしてるクマ」
司令官が深呼吸を、2回、3回と繰り返した。それから、狼狽する羽黒の横で、ふっと穏やかな顔になる。そして、叫んだ。
「や、やらかしたぁああああああ!!?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「えー、これより、海上護衛総隊緊急誤配対応会議を行う」
「仰々しすぎるクマ。というか、素直に『どうすれば誤魔化すことが出来るか会議』でいいクマよ……」
「しぃー!」
司令官が球磨をキツくたしなめるが、それで面倒事に巻き込まれた球磨の士気が上がるわけもない。アホ毛が萎びたように左右に揺れている。
「提案クマ。提督に素直にごめんなさいする。これでどうクマ?」
「却下」
「なんでクマ!?」
球磨が机を叩いた。そら、巻き込まれた側とすればそういう反応にもなる。が、司令官はと言えば、さも当然の真理を語るように反論した。
「俺は別に構わんが、そうすると球磨、お前さんも漏れなく事故調査書か再発防止書の作成に参加だぞ」
「うっ」
球磨が口ごもった。つまりはそういうことである。ついでに言えば、再発防止書が書かれる以上、何がしかのチェックリストが追加される可能性が高い。というか本件に関しては確認不足なんだから、可能性が高いと言うか確実である。すると、自然球磨の仕事量も増えるというわけで。
「……わかった、わかったクマ! 悪巧みに参加すれば良いクマね」
「理解力のある部下で嬉しいよ。で、現状だが」
司令官が手元の資料を眺めた。あの後、大慌てでかき集めた本件輸送船団、並びに燃料の仔細が書かれた書類たちだ。一枚取り上げる。
「目下、誤って輸送中の燃料は、無人機・標的機用のジェット燃料。量は、ちょうど国連規格の戦時標準油槽船3型――内航用小型タンカーで一
「それ、こっちは大丈夫クマ?」球磨が眉間にシワを寄せた。
「そう思って使用実績を調べてみた。ここ3年ほど、殆ど使われてない。たまの汲み出しも他の国連軍施設への輸送用だ」司令官が安堵のため息を漏らした。「今回は戻りで積むものも特に無いし、そのまま持ち帰ってきて貰えれば何も問題なさそうだよ」
今度、備蓄リストから外せないか交渉してやる、と司令官。完全に逆恨みである。
「じゃあ、持っていった方はひとまず置いておいて、持っていくべきだったものをどうするか、クマか。……後便で?」
「日付ずらしちゃ流石にバレるだろ」司令官が身震いした。「あと、護衛に使える艦娘も居ない。今回ので北方向けは暫くおしまいのはずだったからな。あ、独航させるとか言い出したら怒るぞ」
「冗談きついクマ。むしろ、司令がんなこと言い出したら真っ先に提督にチクるクマ」
「遵法精神が高くて泣けてくるな。で、他の規格で代用可能か、羽黒に工廠に問い合わせてもらってる最中なんだが」
そう言うと、司令官が彼の幕僚長を見つめた。何やら電話越しに話し込んでいる羽黒が、そうですか、と落ち込んだように項垂れると受話器を置いた。司令官に振り向き、首を横に振る。
「ダメです。夕張ちゃん曰く、持って行っちゃった燃料、要求されてたものと規格が違いすぎて多分無理だろうって」
「こう、二三日だまくらかすとかは」
「送る予定だった方は、高高度偵察機向けのジェット燃料らしいんです。無人機向けじゃ添加物の量とか種類とかが違いすぎて、エンジンが壊れちゃう可能性はもとより、最悪墜落もあり得ると……」
「……墜落なんかさせたら、始末書がダース単位でおまけに付いてくるクマ」
球磨が悪寒にぶるぶると震えた。司令官がため息を吐いた。
「つまり、送った分で誤魔化すのは不可能。何とかして都合をつけ、問題化しない間に本来必要な種類の燃料を送る必要が――それも、うちから別便という形ではなく送る必要がある。この認識で間違いないな?」
「は、はい」
「クマ」
幕僚二人が頷くのを見て、司令官が背もたれに寄りかかった。机をコツンコツンと人差し指で叩き続ける。
「大湊に、その燃料って備蓄されてないですか?」羽黒が藁にもすがるように訊ねた。「うまくすれば、そこで積み替えて――」
「備蓄はされてるクマ。ただ、量が少ないクマ」球磨が書類を渡した。羽黒が二度三度と書類を検める。すぐに肩が落とされた。
「なら、途中で積み直して行くのは厳しいですか……」
「いや、案外いい案かもしれない」
司令官が居住まいを正した。「球磨、単冠湾の方には、その燃料は備蓄されているのか?」
「ん、備蓄はあるクマ。ただ――」
「ただ、大湊と同じ様に、量が足りない?」
球磨が頷いた。確かめさせるように、書類を投げ渡す。が、確かにそれを掴み取った司令官は書類を何度も確認したが、徐々にニンマリと口元をにやけさせていく。それから、怪訝そうに自身を見つめる部下2隻に、勿体ぶるように口を開いた。
「大湊で間違って持っていった燃料を一旦移送、その後例の燃料を積み直したとして、どのくらいのロスが生じる?」
「一隻だけですから、さほど時間は掛からないはずです。目標のタンクの位置にもよりますが、掛かって30分ほどかと」
羽黒が答えた。この戦争の前であれば驚異的な速度であったが、今となっては通常速度である。鎮守府の超技術は何も戦闘・航行の分野に留まらない。むしろ、積載や荷揚げの驚異的な省力・時間短縮の方がよほどオーパーツですらある。でなければ、へとへとになったとは言え羽黒一人奮闘して定刻通り全船への燃料積み込みなど出来ないのだ。そして、それは燃料等に関しても例外ではない。異なる種類の燃料入れ替えですら同様である。
「なら、同じ想定で単冠湾での燃料積み込みにかかる時間は?」
「どうせあそこなら積んでった燃料は全部下ろすから、積む時間だけ想定したとして15分のロス程度クマか?」
「つまり、併せて45分のロスか。大湊への寄り道時間を加えても、掛かって1時間半。許容範囲内だな」
司令官が頷いてみせた。羽黒と球磨が顔を見合わせ、あ、と声を上げた。
「大湊、苫小牧、単冠湾からもう一回苫小牧寄港……」
「まぁ、効率的と言えば効率的なダイヤクマ……でも、船団には苦労かけるクマよ?」
「仕方がない。大湊への寄り道は面倒だが、入港自体は一隻だけ。苫小牧帰り寄港もご同様。かける迷惑は最低限になるはずさ」
「それでも補えきれなければどうするクマ?」
「間宮券」
司令官が伝家の宝刀を抜いたので、羽黒と球磨がため息を吐いた。究極的には、提督以外の全ての問題を解決できる、文字通り魔法のアイテムである。
「それで、異論のある者は?」
司令官が部下たちを眺めた。首が横に振られる。それをしっかりと確認してから、手を叩いて破裂音を響かせ、立ち上がった。
「では諸君、仕事にかかろうじゃないか」
「船団より、苫小牧沖に到着、これより当該燃料の荷揚げを行う、と連絡がありました!」
受話器をおいた羽黒の言葉に、司令官の歓声は無かった。もはやそんな気力もないらしい。ただただぐっとガッツポーズをしてみせるだけである。球磨に代わってこの時間帯の当直将校をやっていた能代が、いたたまれなさそうに拍手するのみである。
「お、おふたりともお疲れさまでした」能代が時計をちらちら眺めながら労いの言葉をかけた。「もう一度、仮眠を取られてもよろしいのでは……? まだ六時ですし」
能代の言葉に、司令官と羽黒が乾いた笑い声をあげた。能代が可愛そうなものを見る目でそれを眺める。彼女が言った通り、現在時刻は0600ちょっと過ぎ。司令官、責任をとって、仮眠していたとは言え執務室から離れなかったのであった。なお、司令官から再三に渡って自室に戻るように言われたものの頑として聞かなかった羽黒もご同様である。まぁ、これに関しては、早々に説得を諦めた球磨と能代の生暖かい目に気づかない司令も司令だが。
「どうせ始業は二時間後だから俺は居座るよ。羽黒は?」司令官が目をこすりながら訊ねた。
「し、司令官さんがそうおっしゃるなら、私も」
「だ、そうだ。それとも、上官が居ると気が散るかい?」
「そ、そんなことありません!」
能代が慌てて席を立ち、司令官に向けて敬礼した。羽黒が非難がましく司令官を見つめた。能代にそういうジョークは通じないし、本心の欠片にもそういうことを思ってないことだけは確かだった。そんな相手にこの物言いだったから、睡眠不足で判断能力が鈍っているのは確からしい。
「なら嬉しいよ」司令官が瞼の上から目を揉んだ。何事か話題をそらせないかと思案してから、口を開く。「あー、羽黒。結局、時間ロスは合計でどのくらいになった?」
「1時間です」司令官の意図を察した羽黒がすぐに答えた。「皆さん、頑張ってくださいました」
司令官が頷いた。羽黒の言葉に反論するいかなる要素も見つけられなかったのだった。結局は、上の失敗を挽回するのはいつだって現場、そういう話である。司令官に出来ることと言えば、間宮券で安月給、そのうちの可処分所得を消滅させることくらいであった。
「この程度では確かに誤差と主張して問題ないですね」能代が安堵の笑みを浮かべた。「これで、後は何事も無ければ問題には――」
「あっ」
羽黒が声をあげた。タイミングがタイミングだったから、司令官と能代がぎょっとして羽黒を見つめた。特に司令官など、みるみるうちに呼吸が浅くなって顔が青くなり始めている。
「あ、い、いえ」が、羽黒はと言えば、そんな様子に慌てて首と手を横に振った。「も、問題って言葉で、忘れてたことを思い出しまして……」
「何」
「や、ほんと大したことじゃないんです」
「何」司令官が羽黒を射抜くように見つめた。事情が事情だけに必死そのものの形相である。
「そ、その、ガンビアさんに、無事に単冠湾での荷降ろし完了したかどうか、聞くの忘れちゃってたなぁと」
失敗に対する羞恥にしてはやけに頬を赤くしながら羽黒が言った。司令官から、露骨に力が抜けていく。
「何だ、びっくりさせないでくれよ……」
「ご、ごめんなさい」羽黒がどこか残念そうに謝った。
「司令、少し警戒しすぎですよ」能代が二人のやり取りに苦笑いを浮かべた。「この期に及んで船団になにかあるとは思えませんし、何か有っても対処可能な戦力が付いてますから」
「そうですよ!」羽黒が励ますように続けた。「それか、考えても見なかった大問題が隠れてた、くらいなことでも無い限り、もう大丈夫ですよ!」
「……そうか。そうだよな」
司令官が気を取り直すように呟いた。羽黒が司令官の背中を擦り、ジト目でそれを見ていた能代が二人分のコーヒーを淹れて、取り敢えず今日は置物としてやり過ごそうかと立ち上がった。護衛総隊の軽巡エース筆頭こと、軽巡那珂が訪れてきたのはそんなときであった。
「はぐはぐにのしろん、おっはよー! あと司令官も」
「あ、おはようございます」
「おい、俺はおまけか」
「の、のしろん……」
三者三様の反応を受け取りつつ、那珂がはいこれ、と能代に書類を渡した。司令官が横から覗き込む。この前の遠征の報告書だった。
「那珂ちゃん、こんな朝早くにどうしたんですか? 今日はお休みのはずですよね」報告書に押す判子を探し始めた能代を眺めつつ、羽黒が訊ねた。
「いや、ちょっと部屋がうるさくなっちゃってさ……叩き起こされた感じかな?」
「あぁ……」羽黒が口ごもった。
「あ、はぐはぐ、多分それ冤罪」
が、那珂は苦笑いしながら首を横に振った。羽黒がきょとん、と首をかしげる。
「川内ちゃんは、この時間は眠気MAXでむしろ静かだもん」那珂が説明した。「煩かったのは神通ちゃんだよ。今日は演習だからって張り切りすぎー」
「そうですよ」
那珂の背後から、眠そうな声がした。司令官と羽黒が怪訝そうな顔になる。あまりここには縁のない艦娘だったからだ。
「陽炎? 何だ、珍しいな」
「事情は那珂さんと同じ感じよ」駆逐艦陽炎が大あくびをした。普段は神通の薫陶よろしきしゃきっとした改二制服も、どこか緩さを感じる着こなしだった。「張り切りすぎて訓練モード入った神通さんに起こされちゃって、どうせ起きちゃったんなら那珂さんと一緒に仕事終わらせちゃおうかなって」
はい、と陽炎が手に持っていた書類を差し出した。羽黒が慌てたようにそれを受け取る。全く予期していなかったのだ。なにせ。
「ん? 演習絡みでそっちが提出しなきゃいけない書類なんかあったか? 燃料利用は事後申請だろ?」
司令官が首をひねったとおりである。基本的に、演習実施に制限をかけないのが横須賀鎮守府の流儀であった。この点については提督、
というわけで、少なくとも
「いや、司令。ジェット燃料だけは備蓄少ないから例外にしてくれって言ったの、そっちじゃない」
「あ、そうか」
が、陽炎の呆れたような物言いにすぐに納得した。陽炎の言う通り、少し使っただけで燃料をバカスカ使う上に、スペースやら何やらの問題で備蓄量が少なめのジェット燃料に関しては、上の数少ない例外であった。最近は空母演習でさえジェットを使わないからすっかり忘れてた、と失敗を悔いていた司令官が、ん?とまた首をひねった。それはそれで違和感があったのである。
「なぁ、陽炎。神通さんが張り切ってるってことは、つまり水上艦演習だよな」
「へ? えぇ、そうだけど?」
「なら何でジェット?」
当然の疑問であった。鎮守府の艦娘に未だガスタービン搭載艦は無いから、ジェット燃料を使う水上艦は存在しない。
「何でって、そりゃ、今回の演習は」
「あああっ!!??」
羽黒が素っ頓狂な声を上げたのはそんなときだった。全員がぎょっとして羽黒を眺める。普段なら、赤くなって縮こまるような視線の集中のはずだった。だが、その羽黒はといえば、蒼白を通り越して黒くなり始めた顔で司令を見つめ、口をぱくぱくと動かしている。
「お、おい、羽黒? いったい」
「し、しし、司令官さ、こ、これ、まず、これ、ほんとにまずい、です」
文字通り泡食っている羽黒が、陽炎から受け取った申請書を指差した。視線が陽炎に集まる。一体何を提出したんだ、という視線だ。
「ちょ、ちょっと、何にもおかしなことなんか書いてないわよ!」陽炎が慌てて弁明した。「ただ、対空演習で国連軍仕様の標的機飛ばすから、それ用のジェット燃料を使う、っていう申請なだけよ?」
「なるほど、無人標的機用の燃料を使うのか。そりゃ、確かに何の問題も――」
司令官がそこまで言って固まった。聞き間違いかと思い、周りを見回す。那珂と陽炎はさて置くとして、能代が青ざめていた。耳は正常らしい。
今度は視覚の正常を確かめるべく、司令官が申請書を奪い取った。確認する。確かに、無人機・標的機用燃料――誤積載した上に、大湊で帰還を待ちわびているジェット燃料の利用が申請されていた。
「か、陽炎」司令官が震える声を制御した。「この演習、何時からだ?」
「
「いや、むしろすっからかん」
「はぁ?」
陽炎が思いっきり顔をしかめたが、もはやそんなことに構う余裕は護衛総隊の面々に存在しない。三人が三人、打ち合わせしたわけでもなく備蓄燃料の内訳を確認し始める。
「だ、ダメです。送っちゃったのでうちの備蓄分全部です……」羽黒が呻いた。
「能代。工廠に連絡して、あの標的機に使えそうなジェット燃料の種類、リストアップしてもらってくれ」司令官が平坦な声で命じた。「陽炎、演習の時間遅らせるとかは……」
「いや、私の一存じゃ無理だからね!? というか、たとえ神通さんでも、既に執務室で決済された演習計画、今更変更は厳しいと思うわよ?」
「ですよねー」
司令官が頭を抱えた。つまりそれは、正攻法で乗り越えることが困難になってきたというのと同じわけで。
「し、司令官さん」羽黒が覚悟を決めた顔で口を開いた。「いっそ、事前調整の不足で、必要な燃料が備蓄されてなかったことを伝えそびれたってことに出来ませんか?」
司令官が唸った。が、それしか無いか、と急速に頭の中で判断が固まっていく。これなら、代替の飛行体さえ用意出来れば演習は恙無く展開でき、こちらの責任を有耶無耶に出来る。一石二鳥にも三鳥にもなるプランだった。――机上の空論だということを除けば。
「司令、明石さんに緊急でリストアップ頼みました。一つ貸し、と伝えといてくれ、と」電話を終えた能代が司令官に声をかけた。また可処分所得が、と嘆く提督に向け、それから、と言葉を続ける。「多分、それ無理ですよ?」
「? うまく行けば、これ以上無い――」
「いえ、ですから。この前、羽黒さんが用事でいらっしゃらなかった時、提督に――」
――――――――――
『時期は未定だが、今度ガンビーの異動絡みのごたごたで延期されてた対空演習をやる。やるんだが、ジェット機とか標的機用の燃料ってまだあったか? あの辺りの細かい奴ら、私ではどうも備蓄の把握が出来てなくてな』
『ああ、あれなら問題ありませんよ。特に使いもせんで溜め込んだのが小型タンク一つ分は残ってます。むしろ、使用期限の問題もありますから、全部使い尽くすくらいの勢いで計画してもらった方が良いですなははは』
『そうか。なら神通と諮って、標的機をじゃぶじゃぶ飛ばす豪勢な演習にしておこう。実施日は追って伝えるから、期待してもらって良いぞはーっはっは』
――――――――――
「――と言う会話をされてましたので、しらばっくれるのは多分厳しいかと」
「司令官さん?」
「ひぃっ」
羽黒がとてもとても良い笑顔になった。具体的には妙高の笑みに似ている。
「ま、待て! 俺だって、その演習が今日だとは知らなかったんだ! あ、そうだ! その線で、まさか今日だとは想定していなかった為に諸事情で備蓄が移動しておりと弁明すればワンチャン」
「無いです! というか、その諸事情とやらを根掘り葉掘り聞かれてどのみち誤配がバレちゃいます!!」
要するに、もはや小手先の弁明やちょっとした輸送経路の変更ではどうしようもない状況に陥ってしまったわけである。何とか誤配を隠し通そうと全力であがいたことが、ここに来て完璧なネックになってしまっていた。早い話が。
「あれ、これ詰んでね?」
司令官の言葉に、その場に居た全員がゆっくりと頷いた。
後編に続く!