その日、ガンビーが艦娘用空母寮に帰り着き、自室の寝床に入り込んだのは午後12時を少し回ったところであった。というと酷い就業環境に思えるが、実際にはイメージほど酷くはない。今日は正午進発の対潜哨戒部隊に組み込まれていたため、部屋を出た時刻自体が午前10時すぎだからである。なお、きっかり12時間は働いた模様。休憩込みだからって疲れるものは疲れる。
そんなわけだったので、間宮で遅めのディナーを取り、今日は私用でまだ起きていたらしい羽黒と入渠と言う名のバスタイムを楽しんだガンビーの眠気はMAXだ。場合によっては昼夜逆転で任務ということもざらであるのに、きちんと夜に寝れるというのもそれを助長していた。自室にたどり着いたガンビーが、電気を点けることすらせず導かれるようにベッド一直線だったのも頷ける話である。
ガンビーがベッドの中でウトウトと瞼を閉じた。今日も今日とて大変だったけどお疲れ様、私。ひんやりとした布団の感覚が、お風呂で火照ったプニプニの肌に心地よい。今日は心地よく睡魔に身を委ねられそうである、と最初の頃は緊張で夜も眠れない日だってあったガンビーは得意げだ。そのまま、ちょろちょろとこれまた耳障りの良い水音を聴きつつ、ガンビーの意識がどんどんと深いところへ落ちていった。
…………。
……………………。
「Wait. 水音?」
ガンビーが起き上がった。先述の通り、食事は間宮、お風呂はドックで済まし、帰り着いてからはベッド直行だったので、蛇口を捻った記憶もない。というかここは艦娘寮。自室にそもそも蛇口がない。一応私物のウォータージャグはあるのだが、ぱっと見た限り水が漏れたりはしていなかった。
「Hmmmm……」
ガンビーが唸った。正直寝たい。凄く寝たい。だから電灯なんて今更点けたくなかった。だが一度気になってしまうと、あれだけ心地よかった水音が、今度は耳障りに思えてしょうがないというのもまた事実であった。ガンビーの中で本能と理性がささやかに衝突し、仕方なく理性が勝利した。うーん、と掛け布団の中から手だけ出して電灯の紐を引っ張る。ガンビーの瞼越しに、白色蛍光灯の無機的な明かりが広がった。観念して目を開くと、光の奔流に襲われる。最悪な目覚めである。
ガンビーが平素の彼女ならば見せないだろう不機嫌そのものの視線で部屋を見回した。と言っても、ウォータージャグからはやはり何も漏れていなかったし、記憶にないところでペットボトルかなにかを持ち込んだ記憶もなし。ガンビーが首を傾げ――ぶるりと震えた。季節は春。段々と暖かくなってはいるものの夜は時々寒い。今日、こんなに寒かったっけ、とガンビーがいそいそとエアコンのスイッチを入れる。まず部屋を温めないと、原因探しのモチベーションなど上がるはずもなかった。ガンビーが、エアコンを起動した瞬間に大きくなった水音に辟易しながら早く暖かくなれと念じ――。
…………んん???
ガンビーが飛び上がって目を見開いた。視線の先はもちろんエアコンである。そこでは、文明の利器がガンビーを心地よくしてくれる温風――ではなく水をダバァと滝のように排出していた。疑う余地もなく、水音の原因はこれである。
「ベーーーーーイ!!!!!?????」
悲鳴が空母寮に響き渡った。
第4話 艦娘寮異状なし
「……で、大慌てで艦娘寮の管理部署探したらここだったと」
「ハイ……」
可愛げのある寝間着姿でガンビーがうなずき、今宵の海上護衛総隊夜間当直司令を仰せつかっていた能代が手で顔を覆った。なぜ急に能代が出てきたかと言えば、ここが海上護衛総隊司令室だから。なぜガンビーが司令室まで足を運んだかと言えば――艦娘寮の管理等々を担当しているのもここだから、に他ならない。
一般に、いわゆる兵站業務とは、軍隊の非戦闘部門ほぼ全てを表すことが多い。この点、単純に前線後方補給路の維持運営警備等を指し示す後方支援より、兵站という言葉が内包する業務範囲のほうが遥かに広かった。すなわち、後方支援はもとより、整備、輸送、調達、それから兵士たちの福利厚生……。
その定義から言えば、海上護衛総隊創設と同時に、提督が艦娘寮の細々とした維持管理機能を海上護衛総隊に委譲したのは道理と言えば道理だった。当時はまだ多くの艦娘が海上護衛総隊所属になる予定だったから尚更である。そして、予定が未定に終わった結果、見事司令室の業務に、艦娘の制服調達・管理や給与管理、給食機能に加え、艦娘寮の管理がのしかかったわけである。
とは言え、押し付けられた細々とした庶務のうち、艦娘寮の維持管理というのは基本的に忘れ去られた機能であった。何しろ、艦娘たちは備品の利用という面においては常に模範的――自分たちもかつては兵器という種類の備品だったのだ――だったから、故障なんてまず起きない話だったし、それに寮の建設、備品取り付け、維持管理は工廠部門、すなわち明石&夕張の箱庭であった。あの二人は時折暴走するが、それは機能を付け足そうとするから起きるのであって、手抜きという側面だけはありえない。だからこそ、司令室も艦娘寮なぞ無視できていたわけである。問題は、今日は違う、ということだ。
「でも、今来られても、たぶん何にも対応できないクマよ?」
能代と当直を交代し、無理やり作った時間でこれ幸いと自分の仕事を進めていた球磨が欠伸しながら言った。なお、仕事の内容はこないだの燃料誤配騒動で追加されたチェックリスト、その適正運用の確認であった。その点について、提督から大佐に向けられる信用は無きに等しい、というかゼロである。球磨にとってはいい迷惑であった。
「うちとしても、実際の修理に関しては明石のところか直接メーカーに問い合わせるくらいしか出来ないクマ。んで、今日日24時間のオペレーションセンターなんか維持できるメーカーはねークマし、明石も流石に上がってる時間クマ」
何やら蛍光ペンで不備1、と書き込みながら球磨が断言した。ガンビーが項垂れる。正直、自室の引き出し、その奥底に入っていた『故障かな、と思った時は鎮守府海上護衛総隊司令室:羽黒まで』という紙片を見つけた際、嫌な予感はしていたのである。何しろ、羽黒がそういう業務をやっていると聞いたことも見たことも無かったのだ。
「残念ですが、今日はここの仮眠室で寝てもらうしか無いですかね」
心底気の毒そうにガンビーを見ながら、能代が言う。とは言え、それ以外に他にどうしようもないのもまた事実ではあった。「或いは、司令を叩き起こしてしまう、っていう手もありますが……」
「……Captain、直せるんですか?」
ガンビーの顔が明るくなった。能代がしまった、とばかりに表情を引きつらせるが、時既に遅し。中途半端に希望を見出してしまったガンビー相手にはぐらかすこともできそうにはない。
「ま、まぁ、司令は無駄に色々できる人なのは確かクマ」卒業席次も10番代だったはず、と球磨が続けた。「明石ともよくつるんでたせいで、機械いじりも並以上に出来るし」
「じゃ、じゃあ」
「ただ、ガンビー? あの人いつも残業しまくってるから感覚が麻痺してるのはわかるクマ。けど、今日は定時上がりクマよ?」
「えっ。あっ」
ガンビーが間抜けな声を上げた。やっぱりか、と球磨と能代が顔を見合わせる。様々な帳尻合わせの結果、羽黒と合わせて残業する機会が多い司令官であったから、海上護衛総隊と関わる艦娘たちほぼ全員から、『24時間365日執務机に鎮座ましましてるヌシ』と誤解された経験があるのである。一月に一度程度、夜中の着信で叩き起こされている理由だ。
「まぁ、どうせ起こすんなら明石さんの方がこの手の修理は得意ですしね」能代がほっと胸をなでおろしながら球磨の言葉に便乗した。
「アレを労れ、までは言わないクマ。でも、必要もないのに呼びつける、っていうのはまた違う話だと思うクマ」
「う……す、すみません」
球磨の優しい叱責に、ガンビーが再びしゅんとなった。分かれば良いクマ、と球磨が笑顔を見せる。流石球磨型の長女、と能代が心のなかで思った。
「さ、じゃあ潔く諦めて、今日は仮眠室で寝ちまうクマ。ちゃんと静かにしておくから、そこは安心するクマ」
「仮眠室の鍵持ってきますね」
「あ、ありがとうございます……」
「良いってことクマ。ま、たまには司令の安眠を確保してあげるのも部下の務めクマ。ガンビーももらったと思うけど、間宮券それなりに高いし、クマ」
球磨がうんうんと頷く。この前の騒動で提督の懐は随分と寂しいことになっているはずだった。多摩がホクホク顔だったから間違いない。
「へ? 皆さん、もう貰ってらっしゃるんですか?」
ところが、返ってきた言葉に球磨と能代がガンビーを凝視した。思っていたのと反応がまるで違ったためである。
「……どういうことクマ?」
「え、だって、例の件で船団の方とか、司令室や提督執務室の方とか、訓練部隊のかたとかに間宮券を渡さなきゃだから、申し訳ないけど皆に行き渡るまでちょっと待っていてくれないか、ってCaptainに言われたんですが……」
「……その話、羽黒さん同席でした?」
「い、いえ、ちょうどいらっしゃらなかったみたいで」
球磨と能代が顔を見合わせた。司令が間宮券をばら撒く範囲として、船団や訓練部隊はともかく司令室とか執務室とかはあり得ない、というか球磨も能代も貰っていない。どうも、司令官は鎮守府暗黙の了解――何か大変な目にあった艦娘にはボーナスよろしく間宮券がばら撒かれるという恒例行事を誇張して伝えたらしい。そう言えば、ガンビーは新入りであり、間宮券配布のシステムをよく知らなくてもおかしくない、という事を思い出す。
「球磨さん。これは」
「間違いないクマ。司令、ガンビーが知らないのを良いことに今月の間宮券代ケチったクマ」
球磨が断言した。そのまま、自分と同じく能面を貼り付けたような顔になっている能代を見やる。一応大佐のことを弁護しておくと、今月すっからかんにつき来月のお賃金が出たら即座に間宮券を渡すつもりでは有ったのだが、だからってその辺知らないガンビーに話を持っていった時点で球磨と能代の理解が間違っているとも言えない。二人がゆっくりとうなずきあった。
「司令に緊急事態と電話入れときます」能代が受話器を取った。
「いや、球磨がやるクマ」球磨がそれを制した。能代に何事かささやくと、苦笑いしながらどうぞ、と受話器を差し出される。それを当然のごとく受け取ると、内線番号を入力しながら、ガンビーに笑いかけた。「ガンビー、良かったクマ。司令が飛んでくるように手配するから、たぶん朝までには部屋に帰れると思うクマ」
頭上にはてなマークを浮かべるガンビーの目の前で、能代と球磨が暗い笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――だからといって、流石にこの時間に叩き起こすのは酷くない?」
「S, Sorry……」
「いや、ガンビアに謝られるのも、俺にも非がある以上あれなんだがな……」
申し訳無さそうなガンビーの横で、司令官がバツが悪そうに顔をしかめた。結局、血相を変えて飛び込んできた司令官に作業着と工具箱が渡されたのは、能代が電話をかけてすぐであった。なお、あまりに取り乱した大佐の様子から、何か無茶苦茶な『緊急事態』で呼び出されたと察しはついたのだが、やけにきまりの悪い大佐の顔に、ガンビーはそれが何だったのかと尋ね損ねている。
「まぁ、どうせ起きちまったわけだしもう良いさ。間宮券のこともあるしな。手早く片付けちまおう」
強引に話を変えながら、大佐が空母寮へと足早に進む。ガンビーが慌ててそれに追随した。
夜間の空母寮、正式名称を『国連海軍横須賀艦娘隊舎2号棟(空母)』は、他の艦種の寮に比べて活気というものがあまりない。単純に、空母の大半は夜戦不能で、如何に24時間稼働の鎮守府でも夜間に起きることはまず無いためだ。よって向かうべき空母寮入り口も、明かりが煌々としている他、人影一つ無い。
「じゃ、ガンビー。すまんけど、扉開けてくれ」司令官が扉の前で振り返った。
「? Captainが開ければ良いのでは……?」
「俺は寮の鍵持ってないの」大佐が答えた。首をかしげるガンビーに、ため息を吐きながら答える。「一応俺は男だぞ。実際はともかく、女性にしか見えない艦娘寮の鍵を持ってるのは見てくれが悪すぎるからな」
「……別に、大丈夫では? 海防艦の子だって簡単に制圧できますヨ? Captain人間ですし」
心底不思議そうに言うガンビーに、司令官が苦笑した。事実では有ったが、いかにもオドオドとしたガンビーにそう言われるのは可笑しさがあった。一応これでも、今や何もが歴史に埋もれつつある防衛大学とやらで、体力錬成で遅れを取ったことだけは無かったのだが。
「ま、市民はそうは見てくれない、って奴さ。だからこそ、色々文句があったにせよ、あれが提督になったことを 上はそれなりに歓迎してたはずだしな」大佐が咳払いして頭を振った。「ともかく、本当に鍵は持ってないんだ。エアコンを直してほしいなら、扉を開けるくらいはしてくれよ」
なおもガンビーは納得いかなそうにしていたが、大佐の口ぶりから鍵を持っていないのは事実だと判断したらしい。扉脇のリーダーに身分証をかざす。金属音がした。
「はい、開きましたよ」
ガンビーが司令官の方へと向いた。寮内からの光で、薄暗いせいでよく見えなかった彼の姿がはっきりとわかる。よほど使い古しているのだろう。すっかり薄汚れている作業着が目に入った。と、ガンビーが一箇所を凝視する。顔をそこに近づけた。
「ガンビア?」大佐が怪訝そうに顔をしかめた。
「Captain、この服、ここ破れかけてますよ?」
「えっ、嘘」
司令官が素っ頓狂な声をあげ、ガンビーが凝視していた肩のあたりを確かめた。はぁ、とため息が漏れる。確かに綺麗に穴が空いていた。
「あれー、前回使った時は無かったはずなんだが……」大佐が唇を尖らせた。
「虫食いデスか?」ガンビーが穴をつんつんと突いた。
「いや、これは違うような。前回使ったときも潜り込んで機械いじりとかだったしその辺かも。ところで、ガンビア」
「ハイ?」
「気になるのはわかるが、穴が広がりそうだしやめてほしいんだが」
ガンビーは目をパチクリさせた。それから、大佐の年齢にしてはガタイの良い肩へと顔を近づけ、気安く服に触れている自分を発見する。静かに赤くなったガンビーが、声にならない悲鳴を上げながらワタワタと手をばたつかせた。言い訳しようとして失敗しているらしい。
「別に気にしちゃおらんよ」大佐がガンビーを見つめながら微笑した。それから、ガンビーがきょとんとするのにも構わず、ぶるりと肩を震わせる。「ほら、こんなところで突っ立ってないで、さっさと部屋をエアコンを直しちまおう」
大佐がつかつかと寮へと入っていった。ガンビーがま、待ってください!とあとに続く。見つめられた時に感じたちょっとした違和感――見つめられていたにもかかわらず、何故か自分のことが眼中に無かったような感覚は、そんな慌ただしさの中ですぐに消えてしまった。
「で、これがそのエアコンか。なるほど、盛大にやっちまってるなぁ……」
一応管理を任されていることもあり、すいすいとガンビーの部屋までたどり着いた司令官が、中に入るやいなや表情を引きつらせた。幸いにしてここは一階。下階へ被害が拡大することだけはなさそうだったが、総動員されているタオルと桶を目の前にしてしまうと、ガンビーの苦労の前にこなさなければならない作業の量を数えてしまうのが人情というものである。
「直りそうですか……?」
「うーん、ここまで酷いと何とも言えんなぁ。とりあえず、室外機が変なことになってなきゃ良いんだが」
難しい顔をしながら、大佐が懐中電灯を点けた。遮光カーテンとレースをあける。その後、窓際の家具配置を検めてから、済まなそうにガンビーに声をかけた。
「あー、すまん。室外機の確認にベッドが邪魔でな。乗っても大丈夫か?」
「全然OKです」
ガンビーが即答した。自室が使えるか支えないかの瀬戸際では、乙女の繊細な感情も図太くなるものである。
了解した、と応じた大佐が、いそいそとガンビーのベッドの上へと上がった。そのまま、懐中電灯で室外機を照らす。あぁ、と大佐が声を上げた。
「とりあえず、今日はなんとかなりそうだが」司令官が嘆息した。「明日やっぱり修理だな。たぶんぶっ壊れた気がする」
「ど、どういうことですか!?」
「見てもらったほうが早い。お前さんもベッドに乗ってくれるか?」
ガンビーがコクコクと頷き、司令官の横へといそいそと身を寄せる。官給品の狭いベッドではそうするしか無いのだ。決して質が良いとは言えないシングルベッドの骨組みが、ぎしりと悲鳴を上げた。
「ほら、あそこ。室外機なんだが、見えるか?」大佐が懐中電灯と身振り手振りで窓の外、寮の外壁のあたりを指し示した。
「ど、どこですか?」
が、いかんせんベッドが狭かった。ガンビーが場所を探してオロオロするので、司令官があっちあっちと誘導しようとするも、お互いに狭い場所であたふたやっているからなかなかうまく行かない。ようやっとガンビーが室外機の群れを見つけたころには、何度もした不快な軋む音に、二人共ベッドへのダメージを気にして冷や汗をかくほどであった。
「で、一番下のどれかがこの部屋の室外機なわけなんだが」大佐が額の汗を拭いながら解説した。「たぶん、すぐにどれかわかると思うぞ」
「そ、そう言われても――あっ」
ガンビーが声を上げた。整然と並んでいるはずの室外機、そのうち一番下の一機が、手前に傾き――というかほとんど横転していた。
「原因はあれだな」司令官がため息を吐いた。「あれで結露か何かがそのまま逆流したんだろう。それによく見てもらえばわかるが、地面に昼頃の雨で水たまりまで出来てるな。立て直せばとりあえず水は止まるだろうが、明石たちに言ってエアコンを見る算段をつけんと」
「で、でも、とりあえずこの水は止まるんですね? よ、よかったぁ……」
ガンビーがほっと胸をなでおろした。たゆやかな胸が上下する。大佐がジト目でガンビーを見つめた。
「ときに、ガンビアさんやい」
「はい?」
「近いぞ」
ガンビーが呆けたように大佐を見つめ、一瞬後に飛び退くように離れた。苦笑しながら大佐がベッドから降りた。カーテンを閉める。
「お前さん、小心な割に距離感詰めやすい質だな」大佐がふむふむと唸った。
「わ、わかってたんなら言ってくださいよぉ! カーテンも開けっ放しだったんですし!」
「気にし過ぎだろう。こんな時間に誰か見てるわけもなし。それに、別にやましいこと何か一切してないんだから、誤解するような奴は笑ってやればいいだけさ」
抗議を続けるガンビーをのらりくらりとやり過ごしながら司令官が扉へと向かって歩き出した。「ほら、取り敢えずあれを立て直しちまおう。修理の手配とかは明日やっといてやるからさ」
ガンビーはなおも恨めしそうにしていたが、しばらくするとあきらめたかのように、とてとてと大佐についていった。本気で気にしていない風の大佐に置いて行かれそうになったからであった。
大佐の歩幅に苦労して追いつきながら、ガンビーが唇を少しとがらせた。流石に、先ほど来の司令官のあしらい方に思うところがあるのだった。むろん、ガンビーとしても恋愛対象扱いされなくて不満というわけではない。むしろ、そんな扱いをされていればいちいち大佐に指摘されなくとも瞬時に距離を取っていたであろう。だが、まるで相手にされていないのはそれはそれで何となく面白くないのであった。いやはや人間の面倒くささここに極まれりである。軍艦だけど。
「んじゃ、すまんがそっち持ってくれ」
そんなわけで、倒れかけの室外機の片方を持つよう大佐に促されたとき、ガンビーのご機嫌はナナメ模様であった。幸いにして先日ガンビーが飛ばした標的機、その甲板に対する角度ほどナナメではなかったが、やけに年相応に思えるふくれっ面は隠せるものではない。自然、室外機を持つ手もおざなりになる。
「よーし、合図するから持ち上げてくれ。せーの」
大佐が掛け声とともに腕に力を入れる。ガンビーも、感情の向けどころのないこの虫の悪さを少しでも解消すべく、本人の主観ではほんの少しだけ、乱雑に力を入れる。いくら艦娘と人類の力関係(物理)に開きがあろうとも、このくらい何ということもなく制御できるはずであった。ガサ。
…………ガサ?
ガンビーが不思議そうに自身の横の方、隊舎美化のための植え込みに視線を向けた。
物音というか、人の気配を感じたのであった。自然、ただでさえも適当に入っていた力に向ける注意力が散っていき……。
「ん、ガンビア、待った、ちょっと、待て! 待てぇ!」
「え、あれ? あれ!? わぁ!!??」
ガシャンという衝撃音とともに、大佐の側に室外機が倒れこんだ。結果としてガンビーによって急に高々と持ち上げられた室外機を、大佐が支え損ねたのであった。むろん、大佐は一般人なんかよりよほど筋力はあるのだが、流石にいきなり自分の首より上まで持ち上げられた室外機のバランスを保てるほどではなかった。
「C, Captain!?」
ガンビーが慌てて大佐に駆け寄った。いたた、と大佐が尻をさすっている。幸いにして痛みは尻もちをついたところでしか感じていないらしい。が、ガンビーの血相が変わった。
「I, I’m sorry! お、お怪我は!?」
「大丈夫、大丈夫。少し尻が痛いが、室外機は外れてくれたよ」
大佐がやけに慌てているガンビーを安心させるようにそう手で制した。やはり衰えちまってるよなぁ。年食ったしデスクワークメインだし、とため息を吐く。おかげで、体を動かすたびに生じる違和感に気づくのが遅れた。
「で、でも、作業着思いっきり破けてますよ!?」
「えっ」
大佐が思わず声をあげた。そのまま、視線を下へと持っていく。もともと穴が開くほど弱っていた生地が袈裟切りにあったかのように破けていた。慌てて手でなぞってみるが、痛みもなければ血がべったりというわけでもない。どうやら、室外機の突起がうまく服にだけ引っ掛かりでもしたらしい。一つだけ確かなのは、とてもではないが、縫い直してどうこうということだけである。
どうも大佐が怪我をしているに違いないと決めてかかってパニックに陥りかけているガンビーをなだめつつ、作業着発注しないとな、とため息が漏れ出てきた。提督に理由を問われたとき、深夜にガンビーと室外機を動かそうとしていた、という説明で嫌味を言われるんだろうな、と確信している。ガンビーはいっぱいいっぱいだったし、大佐は暗澹たる未来を回避すべく何とか当てが無いかを検討して必死であった。当然、その発端となった気配のその後など、二人とも気を回せるわけがなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「し、司令官さんの作業服の予備ですか」
翌朝。しょげかえったガンビーと吹っ切れた様子の大佐が、どことなく落ち着きがないように感じられる羽黒に作業着の件を聞くも、返ってきたのはそんな困惑気味の返答のみであった。そりゃ、二人してエアコンを直しに行ったら作業着破けました、じゃあ理解に苦しむだろうな、と大佐が苦笑いした。
「有ったような無かったような……そもそも員数外の備品でしたし」
「お前さんたちの制服置きあたりに無かったっけ? 確か何着か買っといた記憶があるんだが」
「うーん、ごめんなさい。ちょっと夕張ちゃんとか明石さんのつなぎと記憶が曖昧で……」
言いながら、三人して被服倉庫在庫一覧なる題目が書かれた書類を捲る。もはや世界創生時からそうだったと言わんばかりに当然のごとく、これも海上護衛隊業務の一つである。戦艦から海防艦・特務艦まで。ガンビーや妙高型改二、羽黒専用なのであろう未改造妙高型の制服、果ては提督や大佐用の軍服まで、鎮守府で使いそうなあらゆる制服の類が次々に視線上に現れては消えていくが、肝心の作業着らしきものが見当たらない。
「行ってみるしか無いか? これ」大佐が観念したようにため息を吐いた。
「で、ではワタシが行きます!」
ガンビーが手をあげた。思わず大佐と羽黒がぱちくりと目を瞬かせる。二人の知るガンビア・ベイにしてはやけに積極的なのだった。こりゃ、自分のせいだと相当思い詰めてるな、と大佐がかぶりを振った。あの後大佐に怪我が無いとわかっても、ガンビーはむしろ大佐が申し訳なくなるほどに平謝りであった。
「あー、じゃあ俺もついていくよ」大佐がため息を吐きながら書類を置いた。「お前さん一人だと倉庫までで迷われそうだしな」
迷いませんよぉ!と抗議するガンビーをいなしながら、大佐がよっこらせと立ち上がる。迷われてはかなわん、というのはうそ偽りのない事実ではあったが、原因が原因だけに少し後ろめたいのであった。そんな暗い気分を払拭すべく、大佐が羽黒に声をかけようとし――。
「あ、あの!」
その羽黒の大声と、バンと勢いよく叩かれた机の音でかき消された。今度は司令官とガンビーが目をぱちくりさせる。大佐にも、羽黒のこの反応にまるで心当たりがないのであった。
「わ、私がガンビアさんについていきますからっ! 司令官さんはここでじっとしててくださいっ!!」
「い、いや、だけど俺の作業着の話だし、さすがにそこまで羽黒にさせるわけには」
「私がやりますのでっ!」
「お、おぅ」
困惑気味に言い返そうとした大佐が、謎のプレッシャーに気圧されたかのようにすとん、と椅子に腰を下ろした。羽黒のプレッシャーはそれほどまでだった。
「ガンビアさん、行きますよ!」
「は、はいぃ!?」
大佐が押し黙ったのを良いことに、羽黒がガンビーの手を強引に取った。そのまま、あわあわするガンビーを引っ張り、倉庫へと歩き出す。ガンビーに出来るのは、もはや羽黒に歩調を合わせることくらいである。お陰様で、なんか最近こんなことばっか、というガンビーのため息が空気中に霧散する前に、二人は無事に目的地へと到着していた。
「さ、さぁ、それじゃあ早速探しましょうか!」
鼻息荒く倉庫内の電灯を付けた羽黒が何かを誤魔化すように明るい声を出した。いつぞや羽黒と見て回った大型倉庫、その一角へとわざとらしく声を出しながら向かっていく。そこに先ほどまであった切迫感は薄れ、代わりにどことないぎこちなさが残っている。
今日の羽黒さんどうしちゃったんだろう、と首をひねりながらついてくるガンビーを知ってか知らずか、あ、ありましたありました、と羽黒がことさらに大きな声を出して棚を指さした。そこでは、管理番号の下に『制服・服飾系』と書かれたボードが鎮座している。
「普通は、予備の制服なんかは明石さんのところに在庫してるんですけど」羽黒が棚の中の段ボールを確認しながら説明した。「工廠の置き場に置くスペースが無かったり、あんまり交換の頻度が高くない古い改造前の服なんかはこっちに置いてるんですよ。ですから、司令官さんの作業服もここあるはずなんですが」
へぇ、とガンビーが試しに手近にあった段ボールを引っ張り出してみた。段ボール側面の表示を確認してから中を覗くと、果たして表示の通り見知った米軍仲間――コロラドの制服が入っている。そういえばコロラドさん、実戦で制服消耗する機会あんまりないですもんね、とガンビーが割と失礼なことを思った。
「それじゃあ、私はこちらの棚を確認しますので、ガンビアさんは反対側をお願いします」
「R, Roger」
表面上はいつも通り穏やかな羽黒の言葉に、ガンビーがこくこくと頷いて返した。硬い笑顔がガンビーから離れ、段ボール側面の表示を検めていく。が、見れども見れどもあるのは艦娘の服ばかりだ。未改造白露型、未改造球磨型、未改造翔鶴型、エトセトラエトセトラ……。
「羽黒さん、そっちにはありそうですか?」ガンビーが背中越しに尋ねた。
「い、今のところは全く気配が……」羽黒がため息混じりに答えた。「たぶん、司令官さんと提督さんの服はこっち側にあったと思ったんですが。そちらはどうです?」
「み、皆さんの未改造制服ばかりです」
「……ごめんなさい、ガンビアさん。ちょっとタフな探し物になっちゃうかもです」
「あ、あははー」
ガンビーが乾いた笑い声をあげた。倉庫にって持って帰ってくるだけ、という事前想定が思い切り外れたのだからさもありなん。
「あの、羽黒さん」そろそろさっき見たはずの標記しか見つけられなくなったガンビーが、恐る恐る声をかけた。「Captainの作業着、もしかして全く別の箱の中に入り込んじゃってるとか」
「あー……」
羽黒が額に手を当てた。ガンビーの頬がひきつる。どちらかと言えば、否定してもらいたくて話題に上げたのだが、どうやらそうは問屋が卸さないらしい。探してみましょうか、
という羽黒の声に、Yes以外の返答はなかった。
「えーと、この中は……違う。これも――違う。こっちは……、なんで島風さんの服だけこんなにいっぱいなんですか? しかもサイズもより取り見取りですし」
「む、昔、ちょっと発注を失敗しちゃいまして……」
などと初めの方は会話も弾むも、箱を開けて中を確認しては戻し、というのは単純作業なうえ体を動かすわけで地味につらい。しかも終わりが見えないから心労も通常の倍はあった。お陰様で、しまいには会話は途絶えて久しくなり、ただただ衣擦れと段ボールの軽質な音だけがかすかに響くだけである。
『古鷹型未改造制服』――、違う。『金剛型未改造制服』――、違う。『扶桑型未改造制服』――、なぜか白露型の制服が紛れ込んでる。
ガンビーが額の汗をぬぐった。日本人ならば賽の河原の何某かを連想させる徒労顔で、何ら変わり映えのしない次なる段ボールを持ち上げた。そこには、『妙高型未改造制服』と表示がある。
ガンビーが中を開けた。おや、と小首が傾いだ。色味の違う布が一番底に見えたからだった。とはいえ、ガンビーの顔は晴れない。明らかに作業服の色ではないし、先ほどのようになぜかまるで違う型の制服が混入している例だってあったわけで、単純に確認作業が増えただけなのだから当然だった。ため息をつきながら、ガンビーが重ねられた服を取り出し、最下層の一着を確認する。ため息が再び零れ出た。やはり、作業服ではなかったのだ。何の変哲もない、妙高型改二の制服がそこにあった。ガンビーが慣れてしまった手つきで取り出した制服を箱へとしまい、棚の元の位置へと段ボールを戻し――
「ン?」
ガンビーが止まった。慌てて直近の動作を巻き戻し、もう一度箱の奥底を確認する。見間違いではなかった。確かに妙高型改二の制服が一着、そこに収められていた。箱の表示が『妙高型未改造制服』とはいえ、なるほど同じ妙高型の制服なんだから、そこに改二服が紛れ込んでいること自体は有り得る話だったが――問題は、ここは普段使わない制服置き場で、妙高型改二服は絶賛使用中である。たった一名をのぞいて。
ガンビーの理性がたやすく好奇心に押し負けた。いや、そもそも抵抗すらなかったのかもしれない。箱の奥底から改二制服を取り出した。皴一つ無いその制服は、長らく保管されているというよりは、むしろ頻繁な手入れを感じさせられる。そんなものが何故奥底に押しやられているのかという疑問はさておいて、ガンビーが制服のタグを探した。改二服は半オーダーメイド。そのタグには、着用予定の艦娘の名前が――。
「ガンビアさん」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
唐突に掛けられた羽黒の声に、思わずガンビアが飛び上がった。慌てて改二服を背中に隠しながら羽黒の方へと向く。心ここにあらずといった様子で箱を弄っている幕僚長がそこにいた。幸い、ガンビーが何をしていたか気づいていないらしい。
「そ、その」やけに深刻な調子で羽黒が続けた。「お、お聞きしたことが、あるのですが」
「ナ、ナンデスカ?」
ガンビーが極めて怪しげな片言で返答したが、羽黒にそれを気にした様子もない。どうやら、自分のことでいっぱいいっぱいらしい。尤も、それはガンビーも同じこと。改二服をつかむ手がじっとりと汗ばむ。
「あの、その」
羽黒が歯切れ悪く言った。そのまま、それそのものでは意味をなさない言葉で声帯をつっかえさせてから、たっぷり一分は経ってからやっと本題を口にした。
「ガ、ガンビアさん、司令官さんのことって、どう思ってらっしゃいますか……?」
とはいえ、そんな羽黒の言葉を受けてガンビーが浮かべたのはただクエスチョンマークのみだった。Captainをどう思うか、という問いかけは、ガンビーにとってはあまりにも漠然としすぎている。あるいは、盛大な羽黒の自爆と言っても良かったが、逆にそのおかげでガンビーが気づいてすらいないのは不幸中の幸いであった。
「え、えぇと。お、面白い人、ですかね」
ガンビーが言葉を絞り出した。上官に言う言葉ではないが、一言で言い表すとすればそれ以外の言葉は出なかった。羽黒と漫才を繰り広げ、ミスの隠ぺいに失敗して無惨にも仕事を増やす様子は喜劇的としか表現できない。
「ぐ、具体的には」
が、羽黒はと言えば、そんなガンビーの言葉にいっそう深刻さを深めて問い直してきた。本当に今日の羽黒さんどうしちゃったんだろう、とガンビーが首をひねるが、羽黒の雰囲気は有無を言わさないところがあった。
「え、エート、夜中なのに呼んだら慌てて部屋まで来てくれたところ、とか」
あの慌てぶりは凄かったです、とガンビーが頷く。つい昨日のことだから、脳裏に酷く焼き付いているのだった。もちろん、自分が色々と表現を省略していることには気づいていない。
「よ、夜中に、部屋まで」
羽黒がつっかえつつオウム返しに言った。心なしか、背中がわなわなと震えているようにも見える。箱を弄っていた手はとっくに止まっていた。
「……どんな様子でしたか?」羽黒が小声で、かつ鋭く尋ねた?
「どんなって……、一刻も早くたどり着きたかったのか、息は上がってるし服はとりあえず羽織っただけみたいな感じといいますか」
「い、息が上がって、服も羽織っただけ……」
ごくり、と生唾が飲み込まれる音がした。むろん、ガンビーからした音ではない。羽黒の耳が赤くなっているのが見えて、ガンビーが困惑した。
「あ、あの、羽黒さん? 大丈夫ですか?」
「そ、それで!」羽黒が大声を出してガンビーの方を向いた。「司令官さん、ガンビーさんのお部屋で、その、な、な、なにを」
羽黒の顔を見て、ガンビーの頬がひきつった。羽黒の顔が真っ赤になっているのに気付いたからである。どう見てもただならぬ状況であった。が、悲しいかな、暴走を始めた羽黒は普段の引っ込み思案が鳴りを潜めるタイプの女性だった。
「な、何をと言われましても」羽黒から感じる圧力に、ガンビーがしどろもどろになった。何とか、混乱する脳内で言葉をまとめる。「い、一緒にベッドに」
「ベッド!?」
羽黒が悲鳴を上げた。「や、やっぱりあれはそういう……さ、最後のも、お、お外で……」
「は、羽黒さん?」
一人でぶつぶつ言い始めた羽黒に、ガンビーがどうすることもできずただおろおろとした。当然、後ろに隠していたものなどすでに意識から消えている。
「ガンビアさん、正直に答えてください」顔真っ赤の羽黒が、荒い呼吸を強引に鎮めながら尋ねた。「こ、ここ、今回の逢引って、司令官さんが、その、言い出したことなんですか?」
「ア、アイビキ? い、いえ、アイビキ、が何かはわかりませんけど、Captainには部屋があれ以上濡れないように修理を」
「ぬ、濡れ!?」
羽黒がぼふんと爆発した。わなわなと震えだす。そのまま、当惑しきりのガンビーに反応の暇を与えず駆け寄ると、ガシッと両肩をつかんだ。流石は重巡パワー、ガンビーでは抜け出せない。
「えっ? えっ!?」
「ガンビーさん」羽黒が鼻息荒く顔を近づけた。「やっぱり昨日、し、司令官さんと、その、し、しし、しましたよね!?」
「何をですか!?」
ガンビーが思わず叫んだ。自身の置かれた状況が理解できないのだから無理もない。
「だ、だって! 昨日、ベッドの上であんなに激しく動いてたじゃないですか!」
「い、いや、あれは室外機の位置を――待ってください何で知ってるんですか?」
ガンビーがあっと声を上げた。もしかして、昨日の人影って。
「き、昨日ガンビアさんと別れてから何となく寝付けないでいたら、慌てて走っていく司令官さんを見かけて、追いかけてみたらガンビアさんと、ふ、二人きりで、その」
もしかしなくとも羽黒であった。だから見られたら面倒だって言ったのに!とガンビーが目の前の女性を見ながら思った。どの程度誤解されているのかは不明だが、誤解されていることだけは疑う余地が無かった。
「だから、ただエアコンの故障を直してもらってただけですよぉ!」ガンビーが必死で声を張り上げた。
「じゃあ、何で司令官さん、あんなに大慌てで走ってたんですか!?」羽黒が反駁した。
ガンビーが口ごもった。そう言われてしまうと、何も反論のやりようが無いことに気づいたのである。確かにガンビーも血相を変え、何事かを口走りながら部屋に転がり込んできた大佐のことを見てはいたが、それが具体的にどういう呼び出しを食らったからなのかまではまるで想像できなかった。数少ない確実な事実は二つだけ。一つは、球磨と能代に種明かしを受けた大佐がひどく安堵していたということ、それからもう一つは――。
「わ、わかりませんよぉ! Captain、『何で出撃予定も無いのにまた出てるんだ!』とか、『まさかまた先走ったのか』とか、『大破状況はあの時と同じで間違いないな!?』とか、ただ球磨さんたちに捲し立てるだけで――羽黒さん?」
ガンビーがしどろもどろに大佐が駆け込んできた時のことを説明する。正直、自分でも何を言っているかまるでわからなかい物言いに、確実な反論を覚悟したガンビーだったが、拍子抜けする。目の前の羽黒が、一瞬前までの剣幕はどこへやら、呆けたようにガンビーを見つめているのである。
「羽黒さん?」
「ふぇっ!? あ、いえ、そ、そうだったんですね、はい!」
不思議そうなガンビーを尻目に、羽黒が何故だかすべてを理解したかのように頷いた。その顔が先ほどよりもよほど真っ赤で、ガンビーにはもはや何が何やらである。
「そ、そうですか、そんなに、血相を変えてらっしゃったんですか……」
噛み締めるように羽黒が言う。申し訳なさと嬉しさをないまぜにした声だった。ガンビーの頬がひきつる。説明を求めたい自分がいる反面、これ深く突っ込むとまた藪蛇になりそう、という理性が強く自重を要求した結果だった。
「そ、そうですそうです」
結局後者が勝利したらしいガンビーが、話題を終わらせるべく自分に出来る最大限の明るい声で羽黒に言った。「さ、早くCaptainの作業着を探しちゃいましょう! まだ艦娘用の制服しか見つけられてないですし!」
そう言って、ガンビーが片手でつかんでいた制服を掲げた。もちろん、何で持っていたのかは忘却の彼方だ。
「で、ですね」羽黒がこくりとうなずいた。「司令官さんに進捗聞かれて、まだ私の改二制服くらいしか見つけてません、じゃ締まらないですし」
そう言って、二人であははと笑いあう。うん?と違和感に気づいたのはすぐだった。そのまま、背中を滝のように冷や汗が伝い始める。羽黒を見れば、笑顔のまま固まっており――次の瞬間、重巡とは思えぬ瞬発力でガンビーから制服を奪い取っていた。
「が、ががが、がんびあさん、これをどこで」
文字通り自分の制服をひったくった羽黒が、ガンビーに背を向けながら震える声で尋ねた。あまりにも高速かつすさまじい力で引っ張ったためか、どこかに引っ掛かって紐が千切れたらしい。『羽黒改二用』と刻印されたタグが床に転がっていた。
「みょ、妙高型未改造制服って段ボールがあって、そのぉ」
「あ、あぁぁぁ……」
みなまで言う必要もなかった。自嘲と後悔の長苦しいため息が羽黒の口から漏れ出していく。羽黒がへなへなと倉庫の床にへたり込んだ。
「はぁ……こんな風に、だれかと制服庫ひっくり返すなんて思ってもなかったからなぁ……」
そう独り言ちると、改二服を愛おしそうに撫でさする。そのまま、ゆっくりと畳み始めた。
「ガンビアさん、幻滅しましたよね。自分で要らないって言ったのに、こんなの後生大事にしまいこんじゃって」
「あ、いや、その」
「でも、恥を忍んでお願いします。未練がましくこの服を残しちゃってるの、皆さんには、司令官さんには、黙っていて貰えませんか? 勝手な話なのはわかってるんですけど」
羽黒が幸薄然とした笑みを浮かべた。なるほど、言葉に込めた寂寥感そのままの笑みであった。だが、それ以上に言葉通りだったのは。
「え、えーと、羽黒サン」
「ガンビアさん、良いんです。別に、お願いを聞き入れてくれなくとも――」
「ワタシ、その話全く、一切合切知らないんですケド……」
「……えっ」
「えっ」
「えっ……あっ!?」
羽黒が叫び声を挙げた。先ほど来の混乱で、ガンビーが鎮守府における新参者であり――自分が引き起こした騒動のことなど知る由もないことをすっかり忘れていたのだった。
羽黒がきゅう、と真っ赤になった。ただでさえ恥ずかしいところを見られたのに、さらにみっともない情報まで与えてしまったのだからさもありなん。
「き」
「き?」
「き、聞かなかったことにしてくださいぃぃ……」
真っ赤になって俯いてしまった羽黒が漏らす切実なうめき声に、ガンビーがぶんぶんと首を縦に振った。だが、内心では無理だな、と悟っている。別に嘘を吐きたいわけではない。単に、今なお自分の頭の中をぐるぐると渦巻いている思考を考えると、羽黒のお願いだろうと守り続けられる気がしなかったのだ。――羽黒さん、一体全体何があったんですか?と。
なお、こんなあり様だったので、当然大佐の作業着は見つけられなかったとさ。
※この先忙しくなることはあれど暇にはならないので更新時期は未定です……
エタることだけはしないつもりなので見捨てずにご覧いただければ幸いです。