梅雨が明けず、連日雨が降り続く六月の下旬。この俺、白河健二(しらかわけんじ)は自分の生活の拠点であるアパートの一室でとある電話を待っていた。
その報告とは連載会議の報告結果である。
俺は小学校の頃から漫画が大好きで、小学校高学年の頃に漫画を描き始めた。
幸運にも高校一年の時に新人賞に投稿した漫画が編集者に目に留まり、日本を代表する週刊少年誌『週刊少年ジョーク』で連載を勝ち取ることができた。
連載に集中するため高校を中退したのだが、初の連載となる漫画はわずか半年で打ち切りとなり、以降は新たな連載に向けて、ネーム作りを行うもなかなか連載まで漕ぎ付けることが出来ないでいる。
年齢もすでに十九歳となっており、世間的には就職するか大学に進学するのが普通であるが、バイトの傍ら漫画を描く生活を送る羽目になっている。
そろそろ連載を獲得しなければ経済的にも厳しい。すると、机の上に置いていたスマホが『ブルル』と振動した。
恐る恐るスマホを確認すると、発信者は担当者からだった。
「も、もしもし?」
『あー、健二くん? お疲れ様』
透き通るような声が耳に届く。声のトーンからして、落ち込んでいるのか喜んでいるのかはよく分からない。
こ、これはどっちだ……?
「お疲れ様です。どうでしたか?」
「うーん……今回は残念だったかな」
「そ、そうですか……」
今回もまた連載会議に落ちてしまった。担当さん、連載会議に出すときは「絶対に大丈夫!」って自信満々に言っていたのに。
とはいえ、落ちたのは自分の責任だ。担当さんを責めるのはお門違いというものだろう。
「うん。また頑張ろう。明日ちょっと相談したいことがあるんだけど、時間大丈夫?」
「はい。午前中はバイトがあるので、午後二時からであれば」
「了解。それじゃ、いつものファミレスで」
「分かりました」
電話を切り、床に倒れこんだ。頭を真っ白にしてボーと天井を眺める。
くそ……何だってこう、俺は連載会議が通らないんだ。
小学校の頃、日本一の漫画家を目指すと心に決めていた。それなのにこの体たらく。
俺は才能がないのか。もう漫画家なんて諦めるべきなのだろうか。
半ば自暴自棄になりながら、俺は床でそのまま就寝した。
次の日。目を覚ますと、身体のいたるところが痛くなっていた。硬い床の上で寝ればそうなるのも当然だろう。
重たい身体を起こし、冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中には賞味期限ギリギリの豆腐しか入っていない。
俺は冷蔵庫から豆腐を取り出すと皿の上に乗せ、醤油を垂らした。
「いただきます」
橋で豆腐を食べる。これが今日の朝食である。収入も少ないため、毎朝の食事はいつもこんな感じである。
昼食後は髭を剃り、顔を洗ってコンビニのアルバイトへと向かう。
連載が終了直後に始めたバイトであるが、俺は一体いつまでコンビニのアルバイトをしなくてはならないのだろうか。
「おはようございます」
先にシフトに入っているコンビニ『フレンドリーマート』の店長、小坂明梨(こさかあかり)さんに挨拶した。
「おはよう、健二くん」
コンビニ制服に着替え、レジの前に立った。
「健二くん、何だか元気なさそうだね」
明梨さんは心配そうに俺に話しかけてきた。
明梨さんは今年で二十八歳になる若手の店長であり、仕事のスキルも高く、スタッフからの信頼も厚い。
俺は自分が漫画家を志していることも明梨さんに告げている。
「はい……実は昨日連載会議に落ちてしまって」
「あら、そうなの」
連載会議に落ちたことを正直に伝えると、明梨さんは少し申し訳なさそうな表情を見せる。
もしかしたら無駄に気を使わせてしまったかもしれない。
「すみません。変に気を使わせて」
「ううん。落ちたのは残念だったけど、また挑戦するんでしょう?」
また挑戦か……もう三年近く連載会議に通っていないのだ。そろそろここらが潮時なのかもしれない。
親も俺が漫画家を目指すことについて、反対していたが高校一年の時に連載を獲得し、何とか認めてもらった状態である。
連載会議にも通らず、プラプラとフリーターをしている息子など、ただの恥さらしもいいところだろう。
「えっと……そろそろ諦めて就職しようかなとも考えてます」
明梨さんにそう告げると、彼女は『バン』と強く肩を叩いてきた。
「あた!」
「なーに言ってるの! 私、健二くんの漫画読ませてもらっけど、とても面白かったわ。健二くんには絶対に才能があると思う。私が保証する! まぁ、私なんかが保証してもあまり意味ないでしょうけど」
「あ、明梨さん……」
明梨さんに励ましの言葉を掛けられ、何だか不思議と自身がみなぎってきた。
こんなとき……いや、こんなときだからこそ他人からの激励というのは力を貰えるのだろう。
「健二くん。諦めたらそこで試合終了ですよ?」
諦めたらそこで試合終了か……全くもってその通りだ。
「分かりました。俺、もう少し頑張ってみます!」
再び気合を入れ直した俺はバイトに励んだ。
「お疲れ様でした!」
「うん、また次のシフトでね!」
明梨さんに挨拶し、コンビニを後にした。早速、いつも打ち合わせで使用しているファミレスへと向かう。
「いらっしゃいませー」
店に入ると店員が迎えてくれた。店員に「おひとりさまですか?」と聞かれ、「いえ、二名です。待ち合わせしています」と返答し、担当さんの姿を探した。
奥の席に担当さんの姿を確認することができ、そこへと向かう。
「お疲れ様です」
「お疲れ、健二くん」
見た目二十代前半の金髪の女性――俺の担当である相馬千尋(そうまちひろ)さんが挨拶を返した。
千尋さんは今年の四月から新しい担当となり、この前提出した連載用ネームについて、相談していた。
椅子に座り、千尋さんと向かい合う。
「この前の連載ネームは残念だったわね」
千尋さんは明るい口調で嘆いた。
テンションのせいでイマイチ分かりづらいが、なんとなく悔しがっているのが伝わってくる。
「次の連載会議で連載取れるでしょうか?」
「うん! 今回は大御所の作家さんとぶつかったから落ちちゃったけど、次はイケると思う!」
自信満々にそう言い張る千尋さんを見て、少し自信が湧いてきた。しかし、ここで一つ問題があった。
「あの……すみません。実は言いづらいことがあるんですが……今、経済的に厳しい状況に陥っていまして。アシスタントの仕事ってありますか? できれば今のバイトと掛け持ちできるようなところで」
そう、自慢じゃないがすでに俺は住んでいるアパートの家賃を三ヶ月滞納している。
貯金はほとんど底を付き、今年で還暦を迎える大家さんからは「引っ越せ! 引っ越せ! 滞納するなら引っ越せ!」と強く責められていた。
漫画に専念するため、出来るだけバイトの数を減らしていたが、さすがにもう少しバイトを増やすなり、アシスタントするなりしないと生活するのもままならない。
「アシスタントね……そっか」
千尋さんは顎に手を乗せ、なにやら深く考え込んだ。ただ、アシスタントの口を尋ねただけであるが、何か問題でもあっただろうか。
「あの……千尋さん?」
「ああ、ごめん。今日ちょうど健二くんにアシスタントの勧誘をしようと思ってたのよ。ねぇ、健二くん。アシスタントする先生が自分より年下でも大丈夫?」
「年下の先生ですか? はい、大丈夫です」
特に問題はなかった。確かに漫画家を志している人の中にはプライドが許せず、自分より年下の先生のアシスタントはしたくないという人もいるかもしれないが、俺は特にそういったこだわりはない。
「そっか。後、良かったら何だけど、住み込みでアシスタントしてくれないかな?」
「す、住み込みですか……?」
今まで何度かアシスタントをしたことはあるものの、住み込みでアシスタントをするというのは経験がなかった。
「うん。こういっちゃ何だけど、私生活がズボラな子でね。だから、身の回りのことをしてくれる人がいれば助かるって言ってたんだ。住み込みなら家賃はただになるし、どうかな?」
つまり、アシスタントだけでなく家事的なこともする必要があるということか。まぁ、俺も一人暮らしをしているから、家事についてはそこまで苦手ではない。
それに家賃がタダというのは大きなメリットである。
「ええ、いいですよ」
「ありがとう! それじゃ、明日先生のところに挨拶に行ける?」
「はい、明日は特にバイトも入ってないので何時でも大丈夫です」
「分かった。明日の十時に集用社の入り口のところで待っていてくれる?」
「分かりました!」
その後、次の会議で出す連載ネームについて話し合った後、千尋さんを別れた。
アパートに戻り、手元に残っているお金の中から滞納した家賃を大家さんに収めた。
また、アパートを今月でアパートを解約したいという旨を伝えると、予想に反して「そっか。なんだか寂しくなるねぇ」と言われた。
今まで大家さんに散々迷惑を掛けたのにも関わらず、そう言われて少し目頭が熱くなった。
バイト先から買ってきた本日発売のジョークを読むことにした。
表紙には『ロボット・プラネット』の絵が大きく描かれている。
やはりいいな、カギリリス先生の漫画は。
俺は小学高の頃、カギリリス先生の漫画を読んで漫画家を志した。
当時、ジョークに彗星のごとく現れたカギリリス先生は『A.I.バスター』という人類と人工知能との壮絶な描いた漫画の連載を始めた。
初めてカギリリスの先生の漫画を読んだとき、高い画力とストーリーに感激を受けた。それ以来、俺はカギリリス先生のファンとなった。
一度限カギリリス先生に挨拶をしたいと思っているが、連載を獲った直後の新年会という名のパーティではカギリリス先生は出席しておらず、会うことができなかった。
また、連載を勝ち取り、カギリリス先生にキチンと挨拶したいものである。
ジョークを読んだ後、明日に備えて就寝した。