2話と3話の間の、ちょっとしたお話
赫王の教導
夢を見た、夢を見た。 歪んで捻じ曲がって、狂い果てて、それでも記憶に焼き付いた光景が。
青い空に映える深緑と紫色の姿、拷問器具を彷彿とさせる凶悪な形状の尾が振り抜かれ、眼の前で友人『だったもの』が砕け散る。跪いた状態でそれを眺めているのが、私だった。
びちゃびちゃと耳障りな音を立てて、身体に血と臓物が降りかかる。杖代わりに地面に突き立てる折れた太刀と、千切れ飛んで焼け焦げた自らの左腕が、歪みきった視界の中で鮮明に写る。 必死に吐き気を堪えて立ち上がろうとする私の眼の前に、その飛竜は降り立った。
毒々しくも鮮やかな体色に、発達した翼と尻尾。片目を抉られておきながらも確と大地を踏み締めるその姿は…………
「殺してやる…………ッ、殺してやるぞッ! 紫毒姫!! 殺してやるッ!!!!」
_____あぁ、そんなに叫んでも傷口が開くだけなのに、馬鹿だな、私は。
一方の紫毒姫は、そんな叫び声に応える事はなく、脚を引き摺って後退し始める。
「……おい待て、何処に行くつもりだ……! 待て! 待てよ!」
_____無駄だ、奴はもう私を殺す気なんて無い。
姦しく吠え続ける
「待て……ッ、待てよ…………、ぁあクソ、紫毒姫! 覚えていろ、必ず!!必ず殺してやるッ!!!!」
その背に投げ掛けた叫びは、しかし空に虚しく吸い込まれる。残ったのは血溜まりと肉片、その只中で立ち尽くす私だけ。相棒を喪い、左腕を失い、片目の光を失い、長く連れ添った愛刀すら壊れて、…………今になってようやくその事実を認識したように、頬に熱いものが流れた。
猛火に焼けた左肩が痛い、激毒に侵された右眼が痛い、けれどもそれ以上に、『彼』を喪った心が痛かった。
「………… すまない、アンゼルム、あぁ!痛い!クソ……!」
「私が、必ず……ッ、必ず仇を…………!」
「私が……………………!」
がばり、と毛布を蹴り飛ばして跳ね起きる。熱い朝日が窓から差し込んでいて、少々寝苦しく思った。 上体を起こして思わず溜息を吐く、ここ最近はずっとこう、一時期治まったかと思えば、またすぐに夢を見始めるようになった。
「……痛い」
傷痕が大きく残る肩口を撫でて呟く。視線を横に向ければ、赤い鎧と大太刀が此方を睨み付けるように鎮座していた。嘗て相手取った飛竜の王が宿るそれが、未だ怒りに震えるが如く硬質的な光を反射する。その表面を撫で付けてベッドから降り、棚に掛けたロケットを握り締めた。
「大丈夫、忘れていないから。 私が貴方の仇を討つから……」
独りごちた言葉は、何処か自分自身に言い聞かせるような空虚さを伴って響いて消える。
「だからそれまでは待っていてくれ、アンゼルム。 全てが終わったら、花香石を供えに行く」
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巨大な移動市場であるバルバレの朝は早い。日の登る前から店支度が始まり、朝日が登ると同時に商いが始まれば、日が落ちてもその喧騒は尽きない程。そんな騒がしさが風に乗って届くマーケットの外れ、まだ低い太陽が照りつける中、とある家の庭にノイルとリアの姿があった。
「……アンタ、やっぱり金持ちなんだな」
「そんな事はない、たまたま安売りされていただけさ」
「安売りしてたからって理由で家を買える人間を、世間じゃ金持ちって言うんだよ」
一般的な住宅、況してや自分の借家より一回りも二回りも大きい庭付きの家、それが現在のリアの
「さて、じゃあ……太刀を教えるって事なんだが、まぁ、私から教えられる事は少ない。
取り敢えず、
リアはそう言ってノイルが手に持つ、布に包まれた太刀を指差す。硬く締められた結び目を解くと、濃紺の中から小麦色と水縹のコントラストが美しい鞘が顔を出した。『抜く』のではなく顎門が開くように鞘と刀身が『分離』すれば、刃を挟み込むように牙が並んだ、太刀と言うには余りに荒々しい姿が露わになる。
「また凄い刀だな、それは」
「銘は『一虎刀』。 家で埃被ってたのがこれになるんだから、加工屋ってのは凄えな」
狩猟したティガレックスの牙がそのまま使われたその太刀は一見粗雑に見えるが、その実、刃そのものは鋳溶かした鉱石類を精錬して打ち上げた見事なものだ、ノイルの口振りから推察するに、元々あった太刀を打ち直したものなのかも知れない。太刀そのものの形状を考慮しても、生木を斬る程度なら簡単に出来るだろう。
「(正しく扱えれば、の話だが)」
ノイルが両手で太刀を構え、腰を落として構える。それそのものは訓練所で教わる基本的なものだ。体幹にブレは無く、『練気』というには遠いが、十分な気勢が漲っている。だが……
「ふッ!」
斜に振られた刃は、棒の中程で止まった。
「はァッ!」
二度目、中程で止まる。
「……らァッ!」
三度目、身体ごと捻った一撃はやはり止まる。
最終的に、木の棒は根負けしたように五度目でへし折れた。斬れたのではなく、折れたのだ。僅かに息を荒げるノイルの肩を叩いて、リアが一虎刀を借り受ける。斬れない理由は彼から見れば明白だった。
「ノイル、君は根本的に太刀を扱うのが下手だ、だが改善は出来る。 ……少し話をしようか」
一虎刀で片手間に、それも先程よりも太い木を両断しながらリアは言う。
「まず最初に、太刀と大剣の違いを理解しよう。 大剣と太刀の間にある最も大きな差異は何か、という話だ」
「鋭利さか?」
「いいや、もっと単純なものだ」
「……『重さ』か」
「そう!」リアが食い気味に応える。「それさえ分かっていれば大丈夫」
「大剣は重さを乗せて叩き斬るもの、だが太刀にそこまでの重さは無い。なら力任せに振っても?」
「斬れない、考えてみれば当たり前だな」
「その通り。 さて、ではここで問題が発生する、『重さが無い刃で物を斬るにはどうするか』だ」
刀の切っ先を残った棒に向けてリアはゆるりと身体を引き、あの竜の首を落とした一撃に近い姿勢を取りながら語り続ける。
「答えは簡単、重さを『伝える』んだ」
「伝える……?」
「そう、重さは重心と言い換えても良い。 身体の重さを、預けた重心を刃に伝える事、それが出来れば岩盤だって斬れる」
ごくゆっくりと踏み込んだ彼の身体が、緩慢なモーションで動く。
「右脚で踏み込んだ時、重心は右脚にある。その重さを刀身へと伝達させるんだ。
こんな風に、前に、前に持っていく。前に行き尽くしてこれ以上は倒れると思ったら、今度はその重さが体幹を通って肩に移るイメージで……」
ノイルが喉を鳴らした。スローモーションで動き始めた隻腕が、いや、身体全体が、一つの流動体のように滑らかに駆動していく。最早舞うような優美さ、一抹の艶かしさすら伴って、一虎刀が悠々と空気を裂いていく。
「肩に移った重心は、刃が動くにつれて上腕に、肘に、尺骨と橈骨の隙間を貫いて手首、そして指を伝って刀身、その先に…………」
つぅ、と切っ先が棒の表面を撫でた、刃が完全に振り抜かれると、彼の身体は極端な前傾姿勢で静止する。微かに震えるその全身に、一体どれだけの力が込められているのか想像もつかない。
やがて、細く長い息を吐いて彼は姿勢を直すと、兜の上から頭頂を掻いた。
「その、教えると言ったのは私だが、そうまじまじと見られるとだな……」
「あ、いや、悪い。見惚れてた」
「では早速真似してみようか!」
「本当に早速だな…………」
「最初はゆっくりでいい」と言ったリアに従って、太刀を上段に構える。彼曰く、上から振り下ろした方が『重さを前に伝える』感覚が掴みやすいのだそう。見様見真似だがゆっくりと、何度も、丁寧に繰り返して、時折リアからアドバイスを受ける。そうこうしている内に、太陽は中天に差し掛かっていた。
「うーむ、身体が出来上がっている分呑み込みは早いか、後はひたすら反復練習しかないな」
「やっぱりそうなるか、少しでも速く動こうとするとてんで駄目だからな……」
「ちなみにだが、私はこれを
「ングフ…ッ、げほッ……、じゅ、十年ってアンタ……」
「五つの頃から剣を握って、身体に完全に染み付いたのが十五の時だからな」
さらりととんでもない事を言い出すものだから、思わず水を咽せてしまう。それは道理で難しい訳だ。
「だが、単に『扱う』だけなら一年で出来た。恐らく君なら、一年と経たずにある程度は習得出来ると私は思う。全ては君の努力次第だ」
「努力、ね……。まぁ、折角一振り作ったんだ、やれるだけやるよ」
高いのか低いのかよく分からない評価を頂いた所で、市場の方向から正午を示す大銅鑼の音が届いた。いんいんと残響を残す音に呼応して、突然腹の虫が泣き叫ぶ。
「…………」
「聞かなかった事にしてくれ」
「くふ、ふふ…………っ」
「笑うな」
リアが子供のようにくすくすと笑うと、彼は一冊の本を投げ付けてきた。見慣れない文字で表紙にタイトルが刻まれたそれは、恐らくシキ国の古い文字だろう。
「私と、私の父が鍛錬に使っていた物だ、少し古いが注釈を書き込んである。使うといい」
「良いのか?」
「勿論、私にはもう不要な物だからな。それとコレを」
続いて指が弾いたのは、小さく畳まれた紙幣が二枚。
「奢りだ、コレで何か食べろ」
「……散財の趣味があるのか?」
「私は『金持ち』だからな」
わざと先程と同じような口調でリアは言った。バイザーの奥の眼がにこりと歪む。
「見てろ、いつかアンタより稼いで奢り返してやるよ」
「……それは嬉しいな。 いつか飲みに行こう、美味い店を頼むよ?」
そう宣ったリアがノイルの胸を小突く。先日の事も併せて考えると、機嫌の良い時の癖らしい。特に彼の素顔に興味がある訳でも無かったが、リアとしては兜の有無が一定の『距離感』になっているのだろう。本人は何も言っていないけれど、漠然とそんなイメージを抱く。
「あぁ、幾らでも案内してやる」
だから笑った。喩えそれがいつ叶うか、実現するのか分からない約束だとしても、
空はまだ晴れている、けれど、夜には雨が降るだろう。冷たく湿気を孕んだ重い風が、平原の方角から吹き付け始めていた。