「私はね、蜘蛛が苦手なんだ」
原生林狩猟区の端、それがベースキャンプに到着したリアの第一声だった。泉のほとりに設けられたテントに荷物を置いて振り返る。
「……依頼書には『影蜘蛛の影あり』って書いてたよな?」
「書いていたとも。 あのかさかさした細い脚がどうにも苦手でね………」
「いやいやいや、『苦手でね』じゃないだろ」
と言いつつもノイルの声に深刻な色は無い。仮にリアの蜘蛛嫌いが狩猟に支障をきたす程の物なら、彼はきっとこの依頼を一も二もなく断っているだろう。そう思っているが故に心配は無かった。
「で、蜘蛛嫌いがどうしたんだよ」
「いや……どうという訳でもないんだが、嫌いだという話だ」
「怖気付いた……って事じゃないだろうな」
「まさか、その逆だよ」
赤く陽光を反射する太刀を背負ってリアが笑い、辺りを圧迫するような雰囲気が滲み出した。
「克服出来たら良いな、と。 それだけさ」
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原生林とは、バルバレから遠く南東に位置する広大なフィールド一帯の事を指す。年間を通して温暖湿潤な気候と起伏に富んだ地形、豊かな水源や古代の化石などが広く知られ、竜種を含めた多くの生物が生息する事でも有名な地帯だ。
地理上大陸の端に位置する為元々人の行き来はごく僅かとされていたが、バルバレギルドを含む各ギルドによる開拓事業が進行した事、また原生林を東に抜けた『真の大陸の東端』に複数の村や集落が発見された事から交易が始まり、今では小規模とはいえドンドルマやタンジアにまで交易ルートが繋がっている。そんな集落の中には龍人一人と多くのアイルーで構成された村もあるというのだから驚きである。
「…………で、そのアイルーだらけのチコ村を発見したのが、かの『我らの団』だな」
「君は随分とその……『我らの団』が好きなんだな」
「アンタにもあのハンターが下着一丁でダレン・モーランを撃退する瞬間を見せてやりたいよ」
「流石に大き過ぎる尾鰭じゃないか?」
「いいや、バルバレにいるハンターに半分は見たことがある筈だ。
大砂漠から飛び出す豪山龍と、帰還した撃龍船から出てきたインナー姿の男!あれは本当に痺れた!」
狩猟区に入ってからというものの、二人の話題はこの話で持ちきりである。現在地は1番エリア。山岳部から落ちる大量の水が浅く流れる平坦だが特異な土地だ。このような場所は原生林の中でも標高が低く、なおかつ土壌が粘土質で極端に水捌けが悪い地帯に幾つも存在する。ハンターとしての視点で見るならば、流水に脚を取られかねない為に余り良い場所とは言えない。
その証拠に、会話を交わしながらでも二人は背中合わせに立ち周囲を警戒している。それに加えて予めの目的地に向かって進んでもいるので普通なら転げそうな所だが、そこは伊達に依頼をこなしていない。危なげなく、また油断も無かった。
閑話休題。この世界における『遠隔連絡手段』は主に二つある、一つは大陸全体に張り巡らせれた交易・輸送路を利用した郵便システム。バルバレでも手紙や封筒を鞄に一杯に詰めて走り回るアイルーの姿を見る事が出来る。もう一つは『鳥』を利用した伝書。そして、今回原生林で立ち往生したキャラバン隊がファルサに連絡を取った手段もコレだ。そういう訳で飛ばされた伝書には、勿論自分達が何処にいるかも記されている訳で。
「いやー……助かった! 一時はどうなる事かと!」
「遅れてすまない、リア・ロクショウだ」
「ノイル・ウッドベル。 ……アンタらが依頼にあったキャラバン隊で間違いないな?」
「あぁ、儂が一応の隊長という事になる。 申し遅れた、儂はフギオーという。お二人とも、本当にありがとう!」
所変わって第5エリアの端、岩陰に身を潜めていた行商隊一行と無事合流する事が出来た。
そのリーダーと思しき初老の男に倣って、後ろに控えていたメンバー達も口々に礼を述べ頭を下げる。ノイルは困惑気味だが、リアは慣れた口調で確認を継続した。
「怪我人は?」
「二人いるが問題無い、しっかり歩ける」
「……竜車は四台だと聞いていたが」
「三台は蜘蛛野郎にアプトノスごとやられたよ……、残ったのは先頭にいた1号車だけだ」
「分かった、残った荷物はドラグライトとマカライトだけか」と締め括って、リアが少しの間黙考する。この際『何に襲われたのか』という事は大して重要ではない。一先ずは全員を安全な場所まで……つまりキャンプまで送り届ける事が最優先だ。
地形の関係上、崖を直接降りる必要のある第5〜第3エリアのルートは使えない。歩けるとはいえ怪我人を抱えており、そもそも竜車が残っている為、行き道に使った第5〜第4エリアの起伏が激しい道も避けたい。となれば必然的に残るのは第2エリアを経由して第1エリアに戻るルートなのだが、これは比較的起伏が緩やかな代わりに遠回りになる、何より…………。
「そっち側はネルスキュラが出張ってくるかも知れないからな……」
ネルスキュラは洞窟などの薄暗く天井のある場所を好み、そこに巣を作るのが常。原生林に於いても、それは折り重なった樹木が鬱蒼と茂る上層を住処とする事から窺えるだろう。しかし何事にも例外は存在するもので、時折他のエリアに降りてくる事もある。その中でも降りてくる確率の高い場所が、大量に繁茂した蔓草によって二層構造が作られている第2エリアという話だ。
「いや、他に道がある訳でも無し」
リアがかぶりを振ってフギオーに道のりを説明し始める。横で聞いていたノイルも竜車の周りにいた行商隊に声を掛け、出発の準備を整えさせた。結局の所、原生林に生息するモンスターはネルスキュラだけではないのだから、何処を選ぼうが危険性はそう変わらない。それならばさっさと行動した方が良い、というのが全員に共通する思考だろう。
「ノイル」
「どうした」
「もし大型種が出てきたら、私が残って時間を稼ぐ、良いな?」
「……了解、任せてくれ」
迅速に支度を終えたキャラバン隊を横目に、いつも通りに握手を交わす。パッと離した手で互いの胸を小突くとノイルは先頭に、リアは最後尾に向かった。此処からが、
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「アンタら、どうして態々狩猟区を通ろうとしたんだ。 素直に交易路を使えば、こんな事にはならなかっただろう」
「儂らもそうした方が良いと言ったんだがなぁ、何せファルサの奴、こんな美味しい取引を他に晒す訳にはいかないって躍起になりやがって、そしたらこのザマよ。……全く、欲張ると碌な事にならん」
「あの商人か、……アンタらも大変だな」
「アイツは金払いは良いんだが何せ欲張りだ。詳しくは知らんが違法スレスレの取引にも手ェ出してるらしいから、兄ちゃんも気を付けろよ」
名指しでリアに依頼を出した時点で気を付けている、という言葉をノイルは呑み込んだ。キャラバン隊の先頭、竜車に繋がれたアプトノスを引くフギオーと話す内、あのでっぷりと肥えた依頼人に対する悪感情が背中に這い回るのを感じる。そもそもギルドと各国が提携して定めた輸送路を使用せずにこの事態を招いた事も勿論だが、竜車に積み込まれた物がその際たるものだ。
金属と干し草の匂いに混じって僅かに鼻を刺す、間違えようの無い独特な臭気。恐らくは
「欲張り、ね」
捕獲用麻酔薬の製造はハンターですらおいそれと出来る事ではない上に、狩猟時にも厳しい持ち込み制限が課せられる、もし無許可で持ち込みでもすれば、降格処分は勿論、最悪ハンターとしての権利を全て剥奪される事もあり得る程。それだけ『モンスターを生かしたまま捕らえる』事に関して慎重な姿勢が取られていると言う事だ。
故にコレは密輸、立派な違法行為となる。依頼書に明記させた積荷にも麻酔薬云々の事は書かれていなかった為、ほぼ限りなく黒の可能性が高いとノイルは見た。フギオー達は雇われの身だが、口振りから推測してファルサとは付き合いが長い。よって密輸行為に加担している事に気付いているか否かは判断出来ない。
「(今は依頼を完遂する事が先決か)」
一瞬だけ唇を噛んで、ノイルは依頼に集中する事を決めた。今すぐ荷物を暴いて問い詰めたいと思うが、それはバルバレに戻った後で幾らでも出来る。だから今は安全を確保する事が先決だと彼は判断を下したのだ。
「蜘蛛野郎に出会っちまったのが運の尽きだなぁ、だから俺はやめとけって言ったんだが……」
「今更言っても仕方ないだろう。心配すんな、俺はともかくリアは滅茶苦茶強いから、大抵の相手は追い払えるぞ」
「カカカッ! そりゃあ心強い、頼むぜ兄ちゃん達!」
「おう。 とは言っても、出逢わないのが一番だけどな」
そう言って頭を掻いた次の瞬間、最後尾から悲鳴が上がった。
「…………悪い、余計な事言った」
「儂はこのまま進む! 兄ちゃんは後ろを!」
「分かってる、避難してくる奴らを頼む」
抱えていた兜を被ってノイルが最後尾に走る、そこにいたのは行商隊の一人を前脚に捉えんとする異形の姿。紫の皮に同じく紫の棘、その隙間から覗く体表は骨の色で、爛々と光る青い単眼の下に備わった顎がにちゃにちゃと気味の悪い音を立てている。落ち着きなくガサガサと動く多脚、小ぶりな頭に膨れ上がった胴体を持つその姿は、紛れもなく巨大な蜘蛛だ。
湾曲した鋭い前脚を、行商人の前に躍り出たリアが太刀の鞘で横殴りにして逸らす。驚いたように飛び退いた『影蜘蛛』が、身体を持ち上げて金切り声を上げた。体格と不釣り合いな俊敏さといい、毒々しい体色といい、その全ての要素が生理的嫌悪を掻き立て止まない。
「リア!」
「予定通りに! なに、心配するなすぐに追いつく!!」
「……頼んだ」
「あぁ、任せてくれ!」
事前に決めた通り、転げていた男を引き起こしたノイルが他の行商隊も連れて竜車の方向へ走っていく。より多い獲物を狙って影蜘蛛が飛ばした粘着糸の弾丸を、火炎を伴う斬撃が消炭に還した。
「……無視は困るな」
抜き放たれた灼熱色の刃が、僅かに残った糸屑すら焼き尽くす。
「彼らを喰いたいなら私を殺してからにして貰おうか、
発された言葉の意味を、本能しか持ち得ないネルスキュラが理解する筈もない、ただ、彼はその本能によって理解したのだ。コイツは殺さなければならない『敵』だ、と。 ネルスキュラの折れ曲がった腹部から太い糸が伸び、リアのはるか後方に接着する。次の瞬間影蜘蛛の巨体が浮き上がり、恐ろしい程の速度で突っ込んでいく。
次いで激突音、原生林の一角が戦場と化した事を知らせる号砲が辺り一体に鳴り響いた。
お待たせしました。次回でやっと戦闘に入れそうです…………。お気に入り登録してくださった皆様、本当にありがとうございます、今はそれだけがモチベーションの源です。
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