―狐崎みすず視点―
彼女が来ない日曜日、それで母もなんとなく察したようだ。
「みすず、かなこちゃんと喧嘩したの?」
「別に、どうでもいいでしょ?お母さんには関係ないわ。」
噓だ、どうでもよくなんかない。彼女は今この時、あの少女たちと遊んでいるのだろうか?考えるだけで胸が痛く、張り裂けそうになる。
「みすず…」
「出て行って、お願い。」
今までにない程悲しそうな母の顔、ひとりっきりになった部屋で涙が溢れる。
「ごめんなさい…」
言えない言葉、だって、彼女は新しい友達を手に入れてしまった。今までは私というひとりしかいなかった友達。それが増えた。きっと彼女も私と他の子を比べて嫌気が差す。こんな性格の悪い私と友達のままでいてくれる訳がない。そうなるのが嫌だったから先手を打った。だけど、後悔しかない。私は知っていた筈。彼女は私と違って、そんな薄情な人間じゃない。だって私と対極の人間だから。それなのに自分でその希望の糸を切ってしまった。
涙が止まり、ベットに蹲ったまま、どれだけの時間が過ぎたのだろう。
「目、赤くなってるわよね…」
こんな顔、誰にも見られたくない。この期に及んで下らない虚栄心が働く。柄にもない自己嫌悪、また涙がせり上がってくる。
「もう、嫌っ…」
それを止めようと躍起になる。
そんな時、コンコン、という音が耳に入る。
「外?」
その音の方向に顔を向ける。息が止まった。窓ガラス、その向こうには本来見える筈の風景は無い。僅かな桟に足を掛け、ガラスをノックする女の子。
「何しに来たのよっ‼」
窓を開けて強い口調で言う。今は見たくなかった。だって心の準備も出来てないのだから。
「すまない、遅くなった。」
丁寧に靴を脱いで窓から入って来る。いつもなら来ている時間をとっくに過ぎている。
「なんでこんなところから来るのよ。」
「遅くなったから、少しでも早くと思って。」
なんで、なんで来るの…
「なんで来たのよ…」
ダメだ、泣いたらダメだ…
「だって今日は遊ぶ日だろう?」
雪を溶かす春の日差し、涙が頬を伝う。
「なんで、なんでよっ!?私あんなこと言ったのに…」
ボロボロと涙が零れ落ちる。
「そりゃあ、喧嘩くらいするだろう。それに私にも落ち度があったのだろう?すまなかった。」
ペコリと頭を下げる。違う、あなたは全く悪くない。悪いのは私。下らない虚栄心を捨てきれず、あなたを切り捨てようとした私。
「ごめん、なさいっ…」
彼女に縋り付き、わんわんと泣く。もう下らない虚栄心も無い。あるのは嬉しさと彼女を手放したくないという思いだけ。
「泣くな。私はもう気にしてない。…まあ、あの時はムッとしたが。」
泣くなと言われても涙が止まらない。そんな私を彼女は優しく抱きしめた。
「落ち着いたか?」
「ええ、私が泣いたこと、誰にも言わないでよね。」
気恥ずかしさと蘇った虚栄心でそう言う。
「ああ、ふたりだけの秘密だ。」
それに笑ってそういう彼女。
「ところであの子と遊ぶんじゃなかったの?」
気になっていたことを尋ねる。場合によっては全力で叩き潰す。それこそ二度と立ち上がれない様に。
「それなら、昨日遊んだぞ。いや、遊びと言っていいのだろうか?」
「なによそれ?」
「…人の悪口ばかりでつまらない。私の友達にまで口出しするので途中で帰った。」
少し言いにくそうにしていたのは、私の悪口大会が開催されていたからだろう。だけど、
「友達って、あなた私しか友達いないじゃない。」
クスリと笑ってしまうと、しまったという顔になる。全くバカね…
「違う、その、違ってだな…」
なんとか言い訳を考えているのだろうそんな姿が嬉しい、
「大丈夫よ。知ってるから。皆私のこと嫌ってるのよ。」
あなた以外ね。
「だから友達をやめるなら今のうちよ。」
前と違って今は笑って言える。だって分かってるから。
「やめる訳がないだろう。次言ったら殴るからな。」
ほらね。
「あら、あなたに殴られたら死んじゃうわね。それは勘弁願いたいから、そうね、ずっと友達でいてくれるかしら?」
初めて素直な言葉が出た。
「当然のことを聞くな。」
顔色ひとつ変えずにそう言い切れるのは大したものね。彼女が男だったら惚れてたかも。
「それじゃあ、なんで遅れたのよ?」
それじゃあなんで今日はいつも通りに来なかったのか?その疑問に行き着く。
「おお、そうだった。狐崎が泣くから忘れていた。」
「五月蠅いわよ。」
思い出してまた恥ずかしくなる。ゴソゴソとズボンのポケットに手を突っ込んだ彼女。
「これをやろうと思って探していたら遅くなったのだ。」
そういって握ったものを私の手に落とす。
「これは…?」
新品同様の黄色いシュシュ。ポケットに突っ込まれていたせいで少し生地が縒れてるけど、簡単に戻せそうだ。
「昔母上がくれたのだ。私は使わないから、代わりに使ってくれ。この前髪を伸ばすと言ってただろう?」
「覚えてたのね…」
やめようと思っていたけど、伸ばさなければならなくなったわね。
「狐崎には似合うと思うぞ。」
ニッコリと笑ってそう言う。
「スケコマシ…」
ぼそりと呟く。なんなのこの子…頬が熱くなる。
「なにか言ったか?」
「バカな子って言ったのよ。」
私なんかの為にお母さんの形見を渡すなんて…
「バかなこだとっ‼母上と同じことを言うなっ‼」
ああ、そういえば、この子のお母さんが言ってたわね。バカかなこ、略して『バかなこ』。
「違うわ。バカ、な子、よ。」
「もっと悪いではないか‼」
その反応にクスクスと笑う。でもいい機会なのかもしれないわね。
「ねえ、『かなこ』。」
名前で呼んでみる。
「…なんだ狐崎?」
「あら、酷いわかなこ。私だけ名前で呼んでたら。私しか友達と思ってないみたいじゃない。それとも私の名前を忘れたのかしら?」
実際にありそうね。
「覚えてる。みすずだ。」
「あなたにしては上出来だわ。かなこ。」
「どういう意味だ。みすず。」
ふふっと笑みが漏れる。有象無象に先を越されたのは気に入らないけど、まあ良しとしましょう。
「バかなこの頭にしては上出来ってことよ。」
「みすずっ‼」
ベットに倒れ込み、じゃれ合う。
「かなこ、私は陰湿だし、性悪だし、根性は腐りきってるわ。」
でも、
「それでもあなただけは裏切らない。約束するわ。」
だって、あなたを失いたくないもの。
「なら、私は、お前が裏切ろうと友達でいる。」
頭は悪いのに、そんな言葉は簡単に紡げるのね。
どんなに離れても、いつまでも友達、そういう約束。それだけで私の不安は消し去った。
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―ミラ・ミハイロビッチ視点―
場所を変え、居酒屋でみすずという女と向かい合って座る。姐さんはそいつの隣に座った。
「おめぇと姐さんが友達だってのは分かった。」
変装を解いて茶髪美人から黒髪の別人となったみすずという女にそう言う。姐さんの反応からして、今が本来の顔、姿ということだろう。その身長や骨格さえ変える変装技術の高さを見るに、武偵としての評価は高そうだな。
「そう、まだなにか聞きたいのかしら?」
心底面倒くさそうに、冷え切った目で俺を見る。こいつも俺のライバルなのか、それとも本当に友達までの関係なのか…そんな考えを察したのか、
「はぁ…あなたと敵対する気も理由もないわ。私はノーマルよ。これでいいかしら『要塞』さん。」
「信じていいのか?もし噓なら…」
分かってるよな。全面戦争だ。
「私、武装弁護士だから、一応武偵でもあるのだけれど。偵の方は自信があるけれど、武の方はからっきしなのよ。正直武偵中のEランク学生にも負ける自信があるわ。」
「だから?」
お前の身の上なんて知ったことじゃねぇ。
「世界最強クラスの傭兵と戦うなんてごめんだわ。それくらいなら、あなたに協力するわよ。」
目を見る。嘘はついていないみたいだ。…嘘はついてないみたいだが…得体の知れない不気味さがある。まるでその申し入れが悪魔との取引の様に感じる。
「手助けなんかいらねぇよ。」
「そう、残念だわ。協力者としてあなたは欲しかったけど仕方ないわね。」
そう言った後、仕事以外で掛かることの無い俺のスマホが振動する。
「一応私の番号よ。気が変わったら連絡して。」
「お前、マジかよ…」
この短時間、それも片手間で俺の番号を引き当てやがった。偵の方は自信があるってのは間違いじゃねぇな。
「そうだわ、かなこ。あなたの携帯を貸しなさい。」
会話の輪に入らず。徳利を数十本空けていた姐さんにそう言う。
「構わんぞ。」
そう言って古い携帯と新型のスマホを卓に並べる。それをみすずが手に取り、両の手で素早く2台を弄る。
「やっぱり、番号が変わってるわね。それに調べられない様にしてる。無理矢理調べようとしたら武検に見つかる様にされてるわ。」
下手に調べなくて正解だった。そう呟く。
「それにこのスマホは何かかしら?全ての履歴が武検に行く様になってるじゃない…」
古い携帯を置き、スマホを弄りながら頭を抱えている。
「武検って日本じゃあ最強クラスの武偵だろ?姐さんがそこの所属なら納得がいくけどな。」
姐さんについてあまり詳しく無い俺は得た情報からそう考える。
「残念ながら、かなこは武検じゃないわ。そもそも組織に属せる様な子じゃないし、なる頭もないもの。」
ああ、姐さんアホの子だったな。あんまり頭には自信のない俺から見てもスゲェアホだと分かる姐さんだ。検事となりゃあ司法試験通らなきゃなんねぇから無理か。俺だって無理だし。
「なにか馬鹿にされてる気がするのだが…」
姐さんが少し不満そうに呟く。
「あら、よく気付いたわね。バかなこにしては上出来よ。」
「バかなこと言うな。」
バカかなことバカな子を掛けてんのか。
「まあ、それは置いておきましましょう。それより、この『冷泉』って武検の冷泉君のことかしら?」
そう言ってスマホの画面を見せる。
「みすずも知り合いなのか?」
姐さんが驚いた様に言う。
「同じ東京武偵高で、更に大学で同じ学部だったのよ。おまけに法廷では何度かやり合ったわ。同じ中学出身なのは調べていたけど、あなたの担当みたいね。」
はぁ、と溜め息をつく。まあ、検事と弁護士、いろいろとあるのだろう。
「まあいいわ。気に入らないし、呼びましょう。」
そう言いながら姐さんのスマホで電話を掛ける。ワンコールで出た様だ。
「残念ながら、かなこじゃないわよ、次席さん。寝ぼけているのかしら?あの事をかなこに言うわよ。随分なご挨拶ね。ええ、かなこと居るのよ。場所は、どうせ位置情報で分かるでしょう。お話をしましょう。来るの?来ないの?別に来なくてもいいけど、その時は…そうよあなたに選択肢はないの。そうね10分よ。それ以上は待たないわ。はぁ?知らないわよ。それじゃあね。」
相手の言葉は分からないが、サディスティックな笑みを浮かべてそんなことを言っている。
「さて、今日は冷泉君の奢りよ。好きなだけ頼みましょ。」
黒い笑顔でメニュー表を眺める。その姿は邪悪の権化と言っても過言ではなかった。
「ところで『要塞』さん、貴女、かなこにアレなのよね?」
「ミラでいい。そうだったら文句でもあんのか?」
「別にないわ。でも覚悟しておきなさい。この子、男殺しで、女殺しでもあるから。しかも天然モノよ。」
ライバルは多いわよ。暗にそう伝えてくる。確かに、姐さんの容姿なら男は腐る程寄ってくるだろう。
「中学の時は大変だったのよ。毎週金曜は校門でかなこが待ってるんだから。」
その言葉に違和感を覚える。
「幼馴染なんだろ?なんで姐さんが校門で待つんだ?」
「私は私立に行ったから。特待でね。」
勝ち誇った様な笑みを浮かべてそう言う。
「全く、経歴は大事、などと言っても別の学校に行くのだからな。」
姐さんがムスッとしてそう言う。よっぽど嫌だったのだろう。
「あら、かなこだって武偵中に行くつもりだったのだからおあいこよ。まあ、あなたはお父さんの反対で行けなかったけど。」
そう言って姐さんを見る。
「だったら一緒の学校でもよかっただろうに…」
「それは悪かったと思ってるわ。だから毎週文句言わずに付き合ってあげたでしょ。」
姐さんは少し不満そうに酒を煽り、その隣で、みすずが口を湿らせる程度にジョッキの中身を口に含む。そこで俺は気になっていたことを聞く。
「みすず、なんでお前オレンジジュース飲んでんだ?」
居酒屋だぞここ。すると、
「ミラは友達じゃないのだから、名前で呼ばないでくれるかしら。そう呼んでいいのはかなこと家族だけよ。どうしても名前で呼びたいなら、私に協力することを誓約書にサインしなさい。」
「孤崎、なんで酒飲まねぇんだ?」
あ、こいつヤバい奴だと確信し、すぐさま言い直す。
「残念ね。…私、アルコール駄目なのよ。」
「タッパもガキみてぇだが中身もガキかよ。」
ここぞとばかりに鬱憤をぶつける。
「あなた基準で語らないでくれるかしら。日本人女性の平均身長は154.5cmで私は平均より3.7cm高いのよ。かなことあなたが高過ぎるのよ。」
俺が168cm、それよりも少し高い姐さんは170cmはあるだろう。
「それに、あなたはこっち側じゃないかしら?」
「どういう意味だ?」
そう尋ねる俺に、孤崎は隣に座る姐さんの胸を鷲掴み、
「はぁ、憎たらしいわね。なんでかなこみたいな女捨てた人間に与えられるのかしら…」
ああ、悲しきかな格差社会。神は生まれながらにして格差を与えるのだ。だがな、俺はお前も認めない。だって俺よりも大きいから。
「おい、私は女を捨ててなどいないぞ。」
胸を掴まれた姐さんが孤崎の顎に手を添え、グイッと顔を向けさせる。
「…化粧をするようになったのだな。」
狐崎の顔を見て姐さんが感慨深そうに言う。
「社会人ですもの。むしろ24にもなってスッピンでいられるあなたがおかしいのよ。」
「やり方が分からぬからな。」
俺でさえ薄っすらと化粧してるのに、姐さんはやり方さえ知らないらしい。
「神様って不公平ね。」
呆れた様に狐崎が呟く。
「私も化粧をすればこんな風に綺麗になるのだろうか。」
狐崎の頬に優しく指を這わせながらそう囁く。俺は何を見せられているのだろう?狐崎は顔を背け、
「ミラ、交代。」
席を立ち、俺を姐さんの隣に追いやろうとする。俯いてよく見えないが、アルコールも取っていないのに赤くなっている。
「お、おい、待てって。」
俺の腕を掴み、無理やり立たせようとする。そして、俺の耳に口を寄せ、
「分かったかしら?あんなことを誰に対しても、息を吐く様にするのよ…あのスケコマシ…」
ああ、中学の時苦労したってのが少し分かる。初心な奴らならコロッと落ちちまうだろうな。正直俺も心の準備が出来ていない。
「安心しなさい。これは貸しにはしないわ。」
そう言って俺を席に押し込む。
「なんだ?席替えか?」
隣にに押し込まれた俺にそう言う。
「ええ、そうよ。かなこ、ミラを見てどう思うかしら?」
「そうだな…」
姐さんが俺の頬に手を添え、向き合う。
それからのことは覚えていない。ただ、最高に幸せで、同じくらい恥ずかしかったのは分かる。
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―冷泉為和視点―
「おのれ、高千穂の奴め…」
佐々木検事がそう言いながら執務室から出てくる。高千穂弁護士とは犬猿の仲なのは武装検事の全員が既知である。
「お疲れ様です。また次の相手は高千穂弁護士なんですか?」
自分の担当する裁判の資料を纏めながらそう尋ねる。正直相手が高千穂弁護士だと決まった時はいつもこうなので慣れてしまっていた。
「ああ、私が担当だと分かった途端にこれだ。新人相手で楽だと思っていたと言うのに。」
そう言いながら、少し楽しそうだ。喧嘩するほど仲がいいとはこういうことなのだろうか?
「新人って誰の予定だったんですか?」
高千穂弁護士法人は最王手の弁護士事務所で、毎年優秀な武装弁護士が入ってくる。特に僕と同級生の彼女なんかはその最たるものだ。
「なに大したことない奴だ。同じ新人でも狐崎が出てきたならば、私も気を引き締め、全力で挑まねばならんがな。」
そう、狐崎みすず弁護士。武偵高、東大と共に同級生で、東大では首席入学、首席卒業した秀才。弁護士の様な、弁舌をする為に生まれてきたような女性。あらゆる情報に精通し、その収集を怠らない。更に、裏の裏まで根回しし、完全な有利な状況を事前に作り上げる手腕もある。実際、新人の身でありながら、圧倒的な勝率を誇り、敗訴の場合でも、実質的な勝ちをもぎ取る。それは、『彼女から戦術的に勝利にするのは可能だが、戦略的勝利を勝ち取ることは不可能だ』とベテランの検事や弁護士に噂される程だ。
確かに優秀な弁護士であり、相手とするのはかなり嫌な相手だが、僕は知っている。何よりも性格が悪い。この間雑誌で特集を組まれていたのを見たけれど、『小悪魔系』なんて書かれていた。なにを言ってるんだ?あの人は『サタン』とか『大魔王』とかの方が適切な表現だ。思わず出版社にクレームを入れてしまいそうになる程度には性格が悪いし、狡猾だ。
「そういえば、冷泉は狐崎弁護士と同級生だったな。」
「ええ、高校と大学が一緒にでしたが。」
「なら、今後戦う機会も多いだろう。負けるなよ。」
そういって僕の肩を叩き、出ていく。それを見届け、
「苦手なんだよなぁ、あの人…」
大学時代に、同じ武偵高出身ということで接近したのが間違いだった。彼女の策略の片鱗を味わい、無様な姿を晒した。そして、それを楽しそうに眺める笑顔は決して忘れないだろう。
これの証拠は…
引き続き、裁判所に提出する書類を纏めている。もう少しで終わるな。定時を過ぎ、これが終わったら帰ろうと考えていた。
デスクに置いていたスマホが遠山さん用の着信音を立て、振動する。
「はい、冷泉です。遠山さんなにかありましたか?」
光よりも速く。そんな勢いで応答する。遠山さんを待たせるなど許されないのだ。
「残念ながら、かなこじゃないわよ、次席さん。」
ああ、僕は疲れているのだろうか?愛しいあの人からの電話なのに、この世で最も恐ろしい女性の声が聞こえる。
「あれ、おかしいな。遠山さんの番号ですよね。遠山さんどうしたんですか?そんな性悪のものまねなんかしないで下さいよ。」
分かってる。この声の主は遠山さんではない。ただ、この残酷な現実から逃げたかった。
「寝ぼけているのかしら?あの事をかなこに言うわよ。」
「分かってますよ‼狐崎さん。この性悪、あんたに人の心はないんですか!?」
あの事、彼女が脅してくるとしたらアレだろうか、いやアレかも…
「随分なご挨拶ね。」
「あなたに対していい思い出なんてありませんから。なんで遠山さんのスマホから掛けてるんですか?はっ!もしかして一緒に…」
「ええ、かなこと居るのよ。場所は、どうせ位置情報で分かるでしょう。お話をしましょう。」
お話…絶対碌なことじゃない。行かない方が得策なのは分かる。しかし、そこに行けば遠山さんに会える…
「来るの?来ないの?別に来なくてもいいけど、その時は…」
ああ、きっと遠山さんに嫌われる様な事を洗いざらいぶちまけられるのだろう。1割の真実と9割の噓で作られた話を…
「行きます…」
「そうよあなたに選択肢はないの。そうね10分よ。それ以上は待たないわ。」
何を言ってるんだろう、位置情報からしても到底10分で辿り着ける所ではない。それに、
「僕、仕事中なんですけど…」
「はぁ?知らないわよ。それじゃあね。」」
ツーッツーッと通話が切れた音が耳に響く。
「あの性悪女ぁっーーーー‼」
上着と財布、スマホを掴み、駆け出す。仕事?そんなもの、今迫る危機の前では些細なもの。あの性悪女なら、本気で10分でペラペラと僕の悪評を垂れ流すだろう。
遠山さん、待ってて下さい。いま、会いにゆきます。
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―狐崎みすず視点―
「姐さん、そういえばiPS細胞というので同性の間でも子供ができるらしいぜ。」
復活したミラはそんな売り込みをしている。そんな遠回しに言っても伝わらないわよ。潔く告白して、振られればいいのに…
「そうか、ならばこれからは男女関係なく強者を探すとしよう。」
「かなこ、あなた8年間なにしてたのよ。」
そう言ってオレンジジュースをチビチビと啜る。甘いわね。次はウーロン茶にしようかしら。
「結婚相手を探していた。」
ああ、なんでこの子は突拍子もないことで8年も放浪するのだろう…いや、そういう子だったわね。
「呆れた、高校行かなかったのね。せっかく勉強教えてあげたのに。」
正直、すぐ寝てしまうので教えても意味は無かったけど。
「落ちたからな。行けなかったのだ。それでふと、母上の言葉を思い出したのだ。」
どうせ、間違った解釈をしたのでしょうね…
「良い人を見つけて結婚しろとな。そこで良い人とはなにかを考えた。」
「あら、無い頭でよく考えられたわね。痛っ‼」
デコピンすることないじゃない。骨にヒビ入ってないわよね。尋常じゃなく痛いんだけど。
「私よりも強い者、その結果に辿り着いた。」
そう、結婚する気が無いのね。よく分かったわ。
「かなこ、そんな下らない理由で8年も私をほったらかしてたのね。」
「下らないとはなんだ‼私にとっては大切なことなのだぞ‼」
「だからといって、連絡ひとつ寄越さなかった言い訳にはならないわ。怒ってるのよ、私。」
ジトッとかなこの目を見る。
「悪かった。埋め合わせはする。」
「ええ、あの時私がした様に、どんな嫌なことでも付き合ってもらうわよ。」
思い出すだけでも吐き気がするあの埋め合わせ、忘れるもんですか。
「狐崎は何やったんだ?」
約束の日の前日、大喧嘩し、遊ぶ事をボイコットした私に課せられた埋め合わせ、それは…
「虫取りよ…あんな地獄、2度とごめんだわ。」
「いや、虫取りくらい…」
「ミラ、あなたなに言ってるのかしら、虫よ。この世で一番見たくない生物、なんであんなものがいるのかしら。生態系に必要なのは分かるけど、私の目に入らない所で生きれないのかしら…」
幸いにして、いなかったが、夏休みの自由研究で昆虫採集を提出する生徒が同じクラスにいたなら、無条件に、全力で排除していただろう。カブトムシやクワガタを有難がる連中が理解出来ない。あんなもの角の生えたゴキじゃない。
「あれは、キンジに頼まれたから仕方なくだな…」
「ええ、知ってるわ。私、今でもキンジのこと許してないもの。」
「大人げねぇ…というより器が小せぇ…」
「なんとでも言いなさい。それくらい許せないのよ。」
ミラがなにか言ってるが、知ったことか。まあ、採集した昆虫たちが中々にいい値で売れたので財布は潤ったが、それとこれとでは話は別。私に虫を見せるだけでなく、触らせようとしたキンジを、私は一生許さない。
「だから、かなこも同じくらいのことをしてもらうわよ。8年分。」
繋いだ手をすり抜けて駆け出してしまったかなこ。あなたを探すのに掛かった時間は取り戻さなければならないのよ。
「それに、高校だって、あなたが中学が別になったことを恨みがましく言うからあなたの志望校だった武偵高に行ったというのに…」
まあ、入学してみたら武偵高という水は合っていた。だって、授業料は安い上に、好き放題に情報を収集して、脅迫したりすることで成績が上がるし、依頼をこなせばお金が貰える。割と天職だと思ったのは内緒にしておきましょう。
「落ちたんだ。仕方ないだろう。」
「開き直らないでよ。あそこに落ちるって大概よ。」
まあ、いろいろと裏事情がありそうだけど。でも学力的にはどっちみち落ちたでしょうね。
「それでもなんやかんやで武偵になれたみたいだし、良かったじゃない。」
「あまり実感はないがな…そうだみすずとコンビを組むのはどうだ?」
それを考えなかった訳じゃないけど。
「私、武装弁護士よ。おまけに最王手の事務所に入って、ゆくゆくはNo.2になるのよ。そんな大切な社会的地位を捨ててまで、なんで独立しなきゃいけないのよ。」
独立しても、上手くやっていく自信はあるけど、それ以上に高千穂弁護士法人の肩書は大きい。…上手いこと乗っ取れないかしら。
「お前はいつもそんなものを有難がるのだな。」
地位とか権力、名誉、そんなものに一切の興味を示さないかなことは、以前そういった議論で大喧嘩したこともある。未だに理解出来ないのだろうけど。
「お生憎様、私は俗物的なのよ。知ってるでしょ。」
私は金と権力が大好きだから。そこは譲れない。
「お前、よく姐さんと友達でいれるな。利益度外視で暴れる姐さんと正反対だぞ。」
「そうね、だけど対極だからこそ一緒にいられるのよ。」
そう、お互いを埋め合っていた。それは自覚している。だからこそ喧嘩も沢山して、離れても、引かれ合う様になっていたの。
「そうだな。しかし、もう少し人に優しくしたらどうだ?」
「あなたが優しい過ぎるのよ。」
ふふ、と笑い合う。
「それ、まだ使っていたのだな。」
ボロボロになった黄色いシュシュ。
「当然でしょ。それよりも、本日の会計係が来たわよ。追加注文しましょう。」
店内に入ってきた冷泉君を見つけ、そう言った。
長くなってごめんなさい。一旦過去編を終わります。以降は所々織り交ぜていく予定ですが、過去編は不要というご意見等御座いましたらコメント等で教えていただければ幸いです。