―夾竹桃視点―
「ねぇ、跪いて許しを請うてみるのはどうかしら?夾竹桃さん。」
冷たく情けも容赦もない、恐ろしい程背筋が凍る様な感情の籠っていない声。
「ごめんなさい、冗談よ。…貴女に聞くことなんてない、知りたいことは全て知っているし、会話する気もないわ。でも、最後の情けよ。その格好が死に装束では嫌でしょう?着替え位はさせてあげる。」
―獅堂虎巌視点―
手に負えない。
そう思ったのは最初からだったが、いよいよ限界に近づいて来ている。
俺を筆頭に、常に胃薬と頭痛薬の大親友となった公安0課の上層部は、日々遠山かなこの戦果と共にやって来る始末書と圧力に、今にも逃げ出しそうだった。
そんな現状を知らない若手や式が二桁の連中からは、その圧倒的な戦果と容姿で、女神の様に扱われ、信仰ともとれる信頼と羨望を得ている。
そして、そんな当の本人は、俺たちの気苦労も、慕う者たちの思いも知らずに毎日の様に暴れまわり、始末書の山を築き上げていく。
こんな奴、さっさと追い出してしまいたい。そう思うのだが、公安0課には、いや、世界中を探しても、彼女以上の戦力はいないし、未来永劫出てこないだろう。というより、出てきてもらったら困る。
それ程にまで規格外の戦闘力を誇る遠山かなこが公安0課に入って以来、彼女はあらゆる戦闘任務に参加(自分の担当ではないものにも勝手に参加していた)し、全てを数秒で完遂している。それもあり、これまで何人もの殉職者を出してきたのに、彼女が入って以降、殉職者は出ていないどころか、彼女を恐れ、任務自体が激減している。
そりゃそうだ、あんな規格外の化物が出てくるのが分かっているのに、わざわざ仕掛けて来るのは、よっぽどの馬鹿か、自殺志願者、後は自分の力量が分かってない未熟者だけとなる。
よって、任務が激減するのも当然。そんな奴らに対し、俺たち公安0課が動く事態になる事がほとんどないのだから。…その分書類仕事は増えたが。
「つまらぬぞ、獅堂殿。もっと強い相手はいないのか!?」
俺のデスクにやって来るなり、そう言うそいつに胃が痛くなる。
「強い奴らはいるぜ。…おめぇより強い奴はこの世に存在しねぇだろうがな。」
最初の頃は、俺だって負けてられるか!という負けん気があったが、関われば関わる程、こいつは俺らとは別の世界にいる、絶対に勝てないということが分かって以降、もうそういうもんだと考える様になった。
「なんだと!なら私はここで何をすればよいのだ!」
奴がバン!と手を置いた俺のデスクが消し飛ぶ。知るか!そう叫びそうになるのを抑え、
「俺に聞かれてもな…」
そう言葉を絞り出した俺は、死んだ目をしていたと思う。
「つまらぬ…」
俺の目を見た奴は、少し悲しみの籠った瞳でそう言い残し、姿を消した。
それから数日、一度も姿を現さなかった遠山かなこが退職届を提出したという連絡が入り、得も言われぬ安堵感と、それに勝る不安に胃薬を服用したのだった。
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―狐崎みすず視点―
「あら?仕事じゃなかったの?」
授業が2コマ休講となり、特に校内でやることもないので、自室へと戻って来た。こういう時、近所に住んでいると楽でいい。
そんな誰も居ない筈の部屋でかなこがトレーニング中だった。
「辞めて来た。みすずこそ学校ではないのか?」
残像が見える程の速度で腕立て伏せをしながらかなこがそう言う。
「授業が休講になったのよ。それにしたって貴女、辞めたって言うけど、仕事はそう簡単には辞められないのよ。」
退職は1ヶ月前からの手続きが必要になるし、辞めますと言って直ぐ辞められるものではない。ましてや公安0課という機密に関わる特殊な仕事なら尚更だろう。
そのへんをこのバカは理解しているのかしら…してるわけないわね。
でも丁度いい頃合いだったかしら。私もそろそろ卒業だし、本来の約束であり目的であるふたりの事務所開設、それにへと動き出すのには絶好の機会かもしれない。
ぽっと出の武偵ないし弁護士事務所が軌道に乗るには何かきっかけかインパクトが必要だ。なら、公安が手を出せない、いや、公安が全滅するレベルの圧倒的力を見せるのは最高のインパクトとなるだろう。
「仕方ない子ね。しょうがないから少し計画を早めるとするわ。」
「大学はいいのか?」
腕立て伏せから腹筋へと移っていたかなこがそう言う。
「学生起業は最近では珍しくないわよ。資金も充分だし、かなこが良ければそうするわ。」
腹筋の体勢から跳び上がり、私に抱き着いてくる。
「良いに決まっている!!これで退屈な日々ともおさらばだ!!」
「ちょっと!痛い!痛いわよ!」
馬鹿力で締め上げるかなこにそう言いながらも、ここまで喜ぶとは思ってもみなかった。
「すまん、すまん。」
そう言って力を弱めるが、彼女の胸に抱かれたままだ。不愉快な柔らかさが顔を包んでいる。
「離しなさいよ。無駄に大きいから呼吸がし辛いわ。」
かなこの胸をグッと押しのける。
「好き好んで大きくなったのではないぞ。」
神不平等だわ。解放された私は、
「それじゃあ、手続きをしてくるわ。かなこ、ついて来なさい。」
物件も既に抑えてある。今日からでも始められる。
武偵高を卒業した時点でそうしていた。
貴女の隣にいるのは、私だけでいい。そうよね?かなこ。
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―夾竹桃視点―
「ねえ、狐崎さん。」
「悪いけど、貴女に構っている暇は無いわ。私忙しいのよ。」
そう言って目線すら合わせずに鞄を掴み去って行く。
なんでもない昼休みの時間だというのに、今日はいつも以上につれない。
「なにかあったわね。」
去りゆく彼女の背中を見つめながら、そう呟いた。
「追跡したいけど、その点に関しては彼女の方が上手ね。」
潜入や調査には自信があるが、狐崎はそこに関しては私の上を行く。現にこの3年と半年以上、彼女の部屋には忍び込むどころか、様子さえ窺うことが出来なかった。確認出来たのは、遠山かなこと彼女が同時刻に同じ部屋に居るということだけ。それでさえ、同じマンションに入って行くのを見たというだけだ。
お陰で妄想は捗ったけど。
しかし、知りたい、その欲求は抑えることが出来なかった。
「公安0課…厄介な相手ね。」
でも、あのふたりを相手取るよりは遥かにましね。直接対峙する訳ではないし、彼らを追っていれば、必ず遠山かなこに突き当たる。その確信があった。
その日から、公安0課の動きを見守りながら、新たな原稿に手を入れ始めた。
「まさか、こんなことになっていたなんて…」
ドクドクと鼻血を流しながら、その光景を目に焼き付けていた。
公安に動きがあった。
遠山かなこは、退職届が受理される前に狐崎の開設した武偵事務所へ席を置いたことがきっかけだった。
公安による事務所への襲撃、襲撃自体は成功したと言えるだろう。
睡眠時の完全に無防備な遠山かなこは公安の総攻撃を間違いなく受けた。
しかし、遠山かなこは規格外過ぎた。そして、寝起きの彼女はすこぶる機嫌が悪かった。
こんな圧倒的な力が許されるのか、そう天に問う程の力量差で総攻撃を退けどころか、壊滅的ダメージを与えた。
とはいえ、その圧倒的な戦闘力への驚きはそれ程でもなかった。それは事前に知っていたから。勿論、その情報さえ吹き飛ばされる様な力量に多少は驚いたが…だが、真に警戒すべきはその危機察知能力。
睡眠時という最も無防備なタイミングでさえ、僅かな殺気を感じ取り、目を覚まして即座に迎撃している。
「敵対…考えたくもないわね。」
彼女と対峙する可能性とその際の戦い方を想像してみるが、勝利する可能性は全く見い出せない。
しかし、この根気強い張り込みの成果はあった。彼女たちの居場所が分かった。今まで住んでいたマンションはそのままに、新たに一軒家を借りている。そこを事務所としている様だ。
まだあのマンションの様な、何人の侵入さえ許さないという様な徹底したいセキュリティは配備されていない。
「機会は今かしら…」
今までは全く見れなかった僅かな隙、それが見えた瞬間だった。
4年もの間追いかけ続けた花園が手の届く所にある。それが私を狂わせた。
「まさか、こんなことになっていたなんて…」
単眼鏡を覗き、見えたのはベットに横になっている、あのふたりの裸体。
想像と妄想が掻き立てられ、ドクドクと脈打ち鼻血が垂れてくる。
この光景を目に焼き付けようと瞬きさえ忘れてしまう。ペンと紙を持ってくるべきだったわ。
しかし、それだけ集中して見ていたから一瞬の変化を発見出来た。
遠山かなこの姿が消えた。そう認識した時には遅かった。
「なにやら血の匂いがしたので来て見たが、怪我でもしたか?」
バスタオルを巻いただけという、痴女スタイルで現れた遠山かなこ。
「違うわ。」
そう言う前に、遠山かなこは私をヒョイと持ち上げる。世に言うお姫様抱っこというやつね。
「首を叩くと治ると聞いていたが、以前弟たちにやったら大変なことになった。私よりもみすずに診せた方がよかろう。」
どう大変なことになったのか聞いてみたかったが、そんな質問をする前に世界が光の線になった。
「ねぇ、跪いて許しを請うてみるのはどうかしら?夾竹桃さん。」
目覚めたばかりの私の耳へと響く、冷たく情けも容赦もない、恐ろしい程背筋が凍る様な感情の籠っていない声。
「ごめんなさい、冗談よ。…貴女に聞くことなんてない、知りたいことは全て知っているし、会話する気もないわ。でも、最後の情けよ。その格好が死に装束では嫌でしょう?着替え位はさせてあげる。」
私の知っていることは、全て彼女も知っている。彼女の情報網を考えれば、当然のことだ。そして、彼女の言葉通り、死に装束には相応しくない下着姿。鼻血が付いた衣服は脱がされたらしい。
「みすずの友人だったのだな。血が付いていたので洗っておいたぞ。なに、女同士、恥ずかしがることもあるまい。」
この殺伐とした空気が分からないのか、はははと豪快に笑う遠山かなこ。室内に干された私の服が見える。それにしても、貴女が服を着てないのは何故なのかしら?…一瞬の隙を見せる余裕もない状況だというのに、何故私の妄想を駆り立てるのよ…
「友人じゃないわ。私にとって友人と呼べるのはかなこだけよ。…さて、本当なら、今すぐにでもかなこに殴らせたいところだけど、この期に及んで下らない妄想する余裕があるのは、呆れを通り越して感心してしまいそうだわ。」
遠山かなこにぶっきらぼうにそう言った後、鼻血を流す私を見て皮肉を込めてそう言った。
「下らない妄想…それは違うわ。女と女が絡み合う美しき友情、それが下らないということは有り得ないわ。」
すくっと立ち上がり、そう言い放つ。鼻血が出てなければ、最高に決まっていた場面だっただろう。
「それは貴女の価値観でしょう?私とかなこには関係ないわ。」
冷めた瞳、これ以上口を開くことさえ許さないという目だ。
「貴女の言う友情とやらは、私たちには無いのよ。分かったら大人しく消えてくれないかしら?」
額に突き付けられた小型の拳銃。威力が低いとはいえ、当たれば、この距離からなら致命傷となるだろう。
躱そうと思えば躱せる。躱すどころか、その銃を奪い、逆に彼女を殺すことさえ出来る。それ程に彼女と私の力量差があるのは分かる。狐崎みすずは、卓越した頭脳と、悪魔の様な性格で優秀な後方担当の武偵であるが、こと戦闘に関しては素人以下だ。
しかし、そう出来ないのは、そんな彼女と私の戦力差を容易く覆す規格外の化物の存在。彼女の出方が分からない以上、下手に動けば死に直結する。
無言の緊張感、数秒も経っていない筈だが、体感だと、数分が過ぎた様に感じる。そんな状況で、件の怪物は、顎に手を当て、何か考えているようだった。
「みすず…私とお前の間には、友情は存在しないのか?」
緊張を破る言葉はそれだった。
狐崎に生まれた一瞬の隙を突き、銃を奪う。
「違うわ。この変態が言う邪な友情はないというだけよ。かなこは私にとって、唯一の…友達だわ。」
銃を奪われたことへの動揺など一切なく、遠山かなこへと向き合う狐崎。
「邪な友情…?みすずの言う事が偶に分からぬ。友情に邪も正もないだろう?」
首を傾げる遠山かなこ。そんな隙を見て、逃げ出そうと動いてみるが、思い立ったと同時に左の手首を掴まれている。
魔王からは逃げられない。レベル1で初期装備のまま、最初に出会ったモンスターが魔王だったRPGの主人公の様な絶望感だわ。
「かなこには知らなくていい世界があるの。私と貴女は、その世界に踏み込む必要も無いのよ。」
そう言う狐崎から、恐怖と焦り、そして、哀しみが薄っすらと感じ取れた。
4年にも満たない、しかも、ただ同じ大学の同級生というだけの、私が一方的に観察していただけという薄っぺらい関係だというのにそれが分かるのだ。遠山かなこにそれが分からない訳が無い。
「何故そんな顔をするのだ?別に言いたいことがあるのなら、遠慮は不要だ。私とみすずは、そんなにも簡単に崩れる関係では無いだろう?」
ああ、そういうことだったのね。彼女の瞳とその声で、何故狐崎が彼女との関係を現状維持努めていたのかが分かった。
彼女の瞳と声は純真で穢れを知らない。己に向けられた、邪な視線の意図や意味を理解出来ていないのだ。
彼女にとって、そういうものは異性から向けられるものであり、同性に対して、そういった警戒や知識が欠落している。
穢れ無き硝子細工、作られたと同時にケージに仕舞われ、一切の汚れをつけることなく、産まれたままの姿を保つ美しくも脆いその有様に私は惹きつけられたのね。
そう結論付け、あらゆる毒を分泌出来る左手の爪を遠山かなこが掴んでいる手に立てた。
「もう動ける様になってるなんて、思ってた以上にタフなのね。」
東京武偵高にある留置所。間宮あかりに敗北し、捕らえられた私の前に現れたのは、司法取引の為に指名した弁護士だった。
その声を聞いた時、まさか本当に本人が現れるとは思っていなかったので、少し驚きを表に出してしまった。
「あの時、一縷の望みを賭けて爪を立てたのが間違いだったわ。…なんで毒が効かないのよ。」
思い出したくも無いあの拳。イ・ウーという超人や怪物が集まる無法者集団でも、あんな規格外の化物は存在しない。
「毒程度でどうこう出来るなら、とっくに死んでるわよ。見積が甘かったわね、今回同様。」
格下相手に敗北を喫した私への皮肉だろう。
「そうね、目先の欲に抗えなかった。敗因は私にあるわ。今回は己の知的好奇心、前回は生存欲求、どっちも私の落ち度だわ。」
その皮肉は素直に受け止める。なんせ、最も知りたかったあの日の結末を、それで知ることが出来なくなったのだから。
「しかし、司法取引為の第一要求が紙とペンって…相変わらずね。」
私の置かれた留置場の片隅に置かれた、間宮あかりたちとの一戦で湧き上がってきた創作意欲を作品へと昇華させた原稿をチラリと腋目に見て、そう言う。
「湧き上がる創作意欲を抑えることは出来ないのよ。好奇心と同様にね。」
間宮あかり、彼女を取り巻く友情も魅力的だった。しかし、私の好奇心と創作意欲は、あの日のことと、その後日談を知りたくて、今現在の創作活動は、その欲求不満なところへの捌け口でしかなかった。
「そう…私には関係ないことだわ。今回私が呼ばれたのは、貴女の司法取引と、その手続きだけだもの。それ以外にすることはないわ。」
以前と変わらない、感情の無い瞳で私を見る。
「残念だわ。でも、安心もしたわ。仕事はしてくれるのね。今回はそれだけで十分だわ。」
彼女の実力は知っている。彼女が味方になった今、この自由を阻害された空間から出ることは容易となるのだから。
「そうね、明日の朝には自由の身よ。最も、私の指示に全て従うことが条件だけど。」
こうなると予見していたかのように、分厚い書類の束を見せてくる。
「何か誤りがあったら言いなさい。なければそのまま提出するわ。それが終われば自由の身よ。」
記された情報は私に関すること、そして、イ・ウーに関すること。全て寸分の誤りもなく調べつくされている。
「何か指摘してあげたいけれど、何もないわ。」
粗探しをしても、非の打ちようが無い。成程、『教授』が彼女たちに関わるなというわけね。狐崎の頭脳と情報収集能力、そして、遠山かなこの圧倒的な力、二つが組み合わされば、イ・ウーでさえ赤子の手をひねるよりも容易に壊滅出来る。敵に回すこと自体が間違いね。
「なら用件は終わりよ。依頼料とは別に、謝礼も振り込んでおきなさい。口座番号は後日知らせるわ。」
そう言うと、面会室を後にする。
その去りゆく背中に、問いかけたくなった。
貴女ともっと早く、そう、遠山かなこよりも早く出会えていたら、私たちは友達になれたのかしら?私と貴女、そこに遠山かなこを含めた3人で、一緒に生きていく世界は、有り得たのかしら?
彼女たちの関係に、己の妄想を照らし合わせていた。それは今も変わらない。だけど、最近思うのよ。本当は、貴女の間に入ることこそが、私の望みではなかったのかと…
24歳という年齢になって、再びセーラー服を身に着けるとは思ってもみなかったが、なんやかんやで充実している。東京武偵高には、創作意欲を掻き立てるものが多くていいわ。
でも、それでもなお満たされないのは、あの日の結末を知らないままだからだろう。
しかし、満たされないからこそ、創作意欲は枯れないのだろう。私の追い求める物語は、永遠に未完のままかもしれない。それでもいいと思えてきたのは、一種の境地に達したということだろうか。
いつも通り、武偵高のセーラー服を纏い、街を歩く。
何か良い題材はないかと、観察しながら人混みを抜けていく。
「いい歳こいて、高校生のコスプレかしら?貴女、私と同い年だったわよね?」
冷淡で、感情を逆なですることしか考えていないという様な声に視線を向ける。
恋焦がれたふたりの姿がそこにはあった。