天界にて母神としての地位を確立していたレイアは、『完璧な育児』を為すために様々な技術を修得していた。
例えば、極東の武術の『摺り足』。赤子を抱きかかえたまま移動する際に、子に余計な振動を与えない歩法術として重宝する。
例えば、学問知識。子を健全かつ正しく育てるためには、まず与えるべき知識を親が獲得していなければならないだろう。
そして、調理技術。健康を維持するための栄養学を下地に、離乳食からコース料理まで古今東西の料理をマスターしている。
「レイア様、ステーキ一つ注文入りましたー!」
「はーい。それと、クリームシチューがちょうど出来たから持って行ってね」
【レイア・ファミリア】結成後、彼女は派閥の懐を潤すべく、類まれな調理の腕を活かし飲食店で働いていた。基本的には調理スタッフだが、
厨房に入れば超一流の料理人。ホールに出れば話題の看板娘。
ウェイトレスの声に答える女神は、雇われてからの日の浅さに反し、即戦力として鉄腕を振るっている。
どこかから噂を聞きつけた、娯楽好きの神が店に押し掛けることもあるが、その迷惑を差し引いて尚、彼女は店の利益に大きく寄与していた。
「うーん、そろそろ
「あー、もうそんな時間ですかぁ。うぅ、夕飯時をレイア様無しで凌がなくちゃならないなんて……も少しだけ残業していきません?」
「無、理。ダンジョンで頑張った子供たちに『おかえりなさい』って言ってあげたいんだもの」
「お母さんしてますねぇ」
仕事先の営業は夜間にまで続くが、朝から働いていたレイアは夕刻には抜ける。愛しい眷属を迎え、一緒に夕飯を摂りたいがためだ。
彼女の勤務時間は、早朝から夕刻まで。『朝食と夕食は必ず眷属と共に食べる』という信条のために、断固として勤務時間は曲げないし、曲げさせない。
極大戦力のリタイアを惜しむ声を聞き流し、手早く着替えを済ませて店を出る。
仕事帰りの大人たちの疲れた声。遊び疲れ、家へと向かう子供たちの夕飯を楽しみとする歓声。これからが稼ぎ時だ、と気合を入れる酒場の主人らの呼び掛け。
通りに溢れる喧騒が、等しくレイアの耳目を楽しませる。成人も幼子も、神からすれば等しく愛しい子供たちだ。彼らの日常の一片を感じ取るだけで、レイアの心には幸福の風が吹く。
「今日はどの道を使って帰ろうかしら」
アルバイト先から宿までの帰路は複数ある。最短ルートは大通りだが、敢えて細道に入ってみるのも新鮮味があって面白い。『知る人ぞ知る名店』を発見できた際の喜悦は一入だ。
レイアの退勤時間は、フィアナの帰宅時刻を見越し、更に若干の余裕を持たせている。最短最速のルートを辿らずとも、万全の構えで彼女を迎えることは可能だ。
無駄にして非効率な回り道。些細だが、女神の日々の娯楽の一つでもある。
前を見て、右を見て、左を見る。更には一応後方も確認し、進行方向を気分で決定してから歩き出す。
ただ『何となく』その方角に行けば、『良いこと』と出くわすように思えたのだ。
所謂、神の勘というものだ。勘で選んだ宿に泊まるうちに初めての眷属を得られたように、根拠が無くとも、意外と馬鹿にならない。
右へふらふら、左へふらふら。風に飛ばされる綿毛のように歩いていく。
規則性はなく、しかし迷いもない。
引き寄せられるようであり、導かれるようでもあった。
「あなた――!?」
理屈と道理を捻じ曲げて。その果てに出会いがあるのならば――人はそれを、『運命』と呼ぶのかもしれない。
場所は『ダイダロス通り』。千年も昔に奇人と称された男が造り上げ、
衣装は黒いローブが一枚のみ。しかも、それさえボロボロにすり切れており、『ローブ』と呼べるかは怪しいところだ。
衣装が最底辺であるならば、その着用者の状態も健全とは言い難い。ローブの端から露出した、少女の体には夥しい数の傷や汚れが目立つ。
レイアが咄嗟に駆け寄り呼び掛け、肩を揺さぶるも、反応はない。少女は倒れたまま、呼吸も荒く、瞼を下ろしたままだ。
「助けないと!」
スラム街で一人倒れているボロボロの少女だ。どこからどう考えても
同じ訳ありでも、リリルカ・アーデを引き取ったときとは訳が違う。事前の調査も根回しも、何一つ行っていないのだ。派閥の地盤すら出来上がっていない【レイア・ファミリア】が抱え込んだとして、扱い切れない可能性は多分にある。
脳裏に乱舞する、懸念のすべてをレイアは放り捨てる。
危険が隠れているのだとしても、それは子供を見捨てて良い理由にはならない。賢く生きるために、子供を見捨てることは出来ない。