Muv-Luv Alternative The Phantom Cemeter(改稿版) 作:オルタネイティヴ第Ⅵ計画
Episode10:特別模擬戦闘演習
2001年10月27日(土)09:33
艶やかな青い長髪をポニーテールにまとめた美しい女性、速瀬水月の身体は、今、小刻みに震えていた。
網膜投影に映し出された光景に、彼女の口元は自然と吊り上がっていった。
視界に広がるのは、見慣れた演習場でも市街地でもなく、横浜基地の第1滑走路だった。
広大な演習場には圧倒的な開放感があり……市街地には崩れたビルの残骸や、意図的に配置された障害物があって、どこか狭苦しさを感じさせる。
しかし、ここはそのどちらでもない、まっすぐに延びる滑走路上だ。
左右を遮る建物はなく、かといって演習場のように自由な機動を許す広さでもない。
周囲に味方の機影が並ぶその景色は、水月にとって、ひどく見覚えのあるものだった。
だが、その既視感は恐怖ではなく、奇妙な高揚感となって水月を満たしていた。
手袋の内側で指先が震えるたび、先日の屈辱が鮮明に蘇る。
眼前の仮想風景には風も匂いもないはずなのに、あのとき跳躍ユニットを断たれた瞬間の落下感だけは、身体が覚えていた。
戦術機のレーダーには、水月の搭乗機を含め、10機の友軍反応が点在していた。
紛れもなく、伊隅ヴァルキリーズの機体だった。
(状況はあの時と同じ……)
そう、この配置は、横浜基地襲撃事件で彼女たちが置かれた状況とほとんど同じだった。
戦術機の数も、その装備も、当時に合わせている。
違うのは、相手が所属不明機ではなく、自分たちと同じ不知火を基にした機体だという点だ。
しかし、水月にとって機体の外見など、もはや大きな問題ではなかった。
相手の衛士が何者なのかは気になったが、それ以上に、同じ状況で二度も負けるわけにはいかないという思いが胸を占めていた。
『こちらヴァルキリー01より各機へ。これより特別模擬戦闘演習を開始する』
みちるの声が、通信回線を通して水月の耳に届く。
『状況は見ての通りだ。基地襲撃事件を再現した演習となる。ただし、敵機役は不知火
『Extra……ですか?』
『あぁ。どうやらあの機体は副司令お手製の特別機らしい。あれを捕獲、又は撃墜してみせろ……とのことだ』
一同の胸に疑問が浮かぶ。
いくら基地襲撃を再現した模擬戦闘演習とはいえ、戦力比は10対1だ。
常識的に考えれば、不知火Extra側に勝ち目はないように見えた。
だが、油断は禁物だった。
前回の敗北は、その油断から始まったのだから。
幸い……というべきか、あるいは神のいたずらか、あのとき命を奪われることはなかった。
それでも、衛士としての誇りは深く傷つけられた。
あの日、水月は死を覚悟した。
それなのに生きて帰れた事実が、彼女を救うどころか、悔しさを長く引きずらせていた。
そもそも、この演習は今朝になって夕呼から唐突に通達されたものだった。
水月たちにしてみれば、あの副司令が何の意図もなくこのような演習を設定するはずはない……そう考えるのは当然だった。
『ヴァルキリーマムから各機へ。状況を説明します』
先程から管制室で待機していた
その声は落ち着いており、伊隅ヴァルキリーズ側の管制を務める者としての冷静さを保っていた。
『演習場所は横浜基地第1滑走路。戦力比はA-01部隊対不知火Extraの10対1。勝利条件は敵勢力の無力化。シミュレータでの演習ですので、火器の使用に制限はありませんが、誘導弾はなるべく使用しないこと』
水月は思う。
(――ますますもってあの事件と同じ状況じゃない……)
しかし、訓練である以上、敗北条件も存在する。
遥はその条件を告げる。
『敗北条件は友軍施設の50%以上の破壊、又は友軍の全機撃破となります』
つまり、不知火Extra側が勝利するには、友軍施設に50%以上の損害を与えるか、ヴァルキリーズ全機を撃破しなければならない。
数で劣る相手の衛士にとって、どちらも厳しい条件だろう。
それでも、その条件に異議を唱える者は、伊隅ヴァルキリーズの中に一人もいなかった。
状況が状況なのだ。
これはつまり、もう一度あの所属不明機と戦ってみせろ……という、夕呼からヴァルキリーズへの挑戦でもあった。
(不知火Extra……副司令のお手製ということは、その性能は相当なもののはず。あの不明機程のスピードは出せないにしても、何かしらの特別なチューンがされていると見るべきね……)
水月の警戒は、決して的外れではなかった。
まず、実機による演習は行えなかった。
理由は単純で、武が先日の襲撃で与えた損害を、まだ補填できていなかったからだ。
現在、ヴァルキリーズの機体は整備班総出で修復されており、彼女たちはここ数日、シミュレータによる訓練を続けていた。
目的はただ一つ、あの所属不明機に再び遭遇しても、今度こそ対応できるようになることだった。
また、シミュレータ上であっても、八咫烏そのものを再現することはできなかった。
あの機体には未解析の機構が多く、通常のシミュレーション装置では、挙動を正確に再現できなかったのだ。
まぁ兎も角、そうした事情から用意された仮想機体……不知火Extraは、シミュレーション上の評価で、通常の不知火より即応性が60%向上した特別仕様だった。
その理由の一つが、XM3の搭載である。
さらに、八咫烏に蓄積された武の機体フィードバックデータを反映させ、可能な限り操縦への追従性を高めていた。
そして、搭乗する衛士は勿論、白銀武その人であり、この条件での演習を望んだのも武自身だった。
全ては武の思惑によるものであり、そこには彼なりの明確な理由があったが、今はまだ語るまい。
そんなことなど知らない水月は、ふと己の過去を思い返していた。
初陣の日と、先日の基地襲撃……二度の敗北が、奇妙なほど似て感じられたのだ。
初めての戦闘は、それは酷いものだった。
最大の原因は、慢心である。
かつての彼女は、自分の力を過信していた。
訓練には、兵士に自信をつけさせる役割もある。
水月の場合、その自信が人一倍強かった。
加えて、配属されたA-01部隊の練度を目の当たりにし、これなら負けるはずがないと思い込んでいた。
たとえどんな戦いであろうとも、必ず生還できる。
鳴海孝之の分まで戦い抜く……そう信じて疑わなかった。
孝之は、水月と遥の幼馴染であり、二人がともに想いを寄せた青年だった。
三人は同期でもあった。
三人は衛士を志し、神宮司まりもが教官を務める横浜基地の訓練校に入校した。
だが、遥は総合戦闘技術評価演習中の事故で重傷を負い、任官が遅れてしまった。
結果として、孝之は水月と遥に先んじてA-01部隊へ配属された。
そして直後に行われた明星作戦、つまり横浜ハイヴ(H22:甲22号目標)攻略作戦で命を落としてしまった。
その死が二人に与えた衝撃は、計り知れなかった。
水月はもう二度と大切なものを失うまいと決意し、その思いを強さへと変えようとした。
その決意は間違っていなかった。
ただ、失うことへの恐怖を認めないまま強さを求めたことが、彼女の視野を狭めてしまったのだ。
なお、遥は前述の事故で両脚の切断を余儀なくされるほどの重傷を負っていた。
その後、疑似生体移植による再生手術で身体機能はある程度回復したものの、神経結合が不完全だったために戦術機適性検査を通過できず、
さて、話を戻そう。
水月の初陣は、本人の期待とは正反対の結果に終わった。
自分は生き残れるという思いに、確かな根拠はなかったのだ。
根拠のない自信……それ故に、その思いは容易く打ち砕かれ、同期も上官も死んでいった。
自分を生かすために、彼らが命を落としたこともあった。
前述の通り、兵士の訓練は、自信を植え付けるためにも行われる。
自分はあの過酷な訓練をやり遂げたのだ……そう胸を張れるようにするためだ。
だが、水月の場合は少し特殊だった。
彼女は、もともとの運動能力が非常に高かった。
それ故に、過酷な訓練さえ難なく乗り越えてしまい、遥の事故や孝之の死も相まって、その自信をどこか歪んだ形で膨らませてしまった。
その根底には、強くあらねばならないという焦りと、己の力への慢心が同居していたのだろう。
そんな水月の心は、一度、無惨に折れた。
そして、彼女を立ち直らせたのもまた仲間であり、新たな上官となった伊隅みちるだった。
だからこそ、水月は今の自分を許せなかった。
先日の横浜基地襲撃で、彼女は再び慢心を犯したのだ。
所属不明機の性能が並外れていることは、先にスクランブルした撃震部隊との交戦を見て理解していた。
それでも水月は、みちると同じく、搭乗衛士の腕前まではそれほど高くないと判断した。
圧倒的な速度と機体性能に頼り切った戦い方に見えたからだ。
こちらは、日本帝国が誇る第3世代戦術機・不知火。
少なくとも、機動戦で一方的に後れを取るはずがないと思っていた。
しかし、結果は無様だった。
水月は真っ先に墜とされ、一瞬、本気で死を覚悟した。
だが、所属不明機が突き付けたのは死ではなく、跳躍ユニットの破壊による行動不能という現実だった。
もう一度言おう、無様だった。
結局、前衛が崩壊したヴァルキリーズは、わずか10分も持たずに全機が戦闘不能に追い込まれた。
水月はあの敗北以来、必死に……いや、血まなこになってシミュレータでの訓練を続けていた。
あの所属不明機の機動を、何度も模倣しようと試みた。
しかし、何かが根本的に違う。
いや、そもそも現行の不知火では再現不可能だったのだ。
それに気付いたとき、水月の胸に湧き上がったのは、悔しさと、置いていかれるような焦燥だった。
手の届かない相手を見上げるばかりでは、守りたい者の背中さえ守れない。
その思いが、彼女を今日の演習へと駆り立てていた。
(私を救ってくれた仲間や、上官たちの死を無駄にはさせられない。A-01の名を汚してしまったのは私たちだ……あの時私たちは生かされた……屈辱とは思わない。でも、それでも……ッ!?)
そして今日、水月は、もう一度あの敗北と向き合う機会を与えられた。
(確かに相手の機体や衛士は違うかもしれない。でも、こんな状況でも……もう一度戦って見せろと副司令はおっしゃった。ならば、今度は……勝つ!そして何より……)
水月は昂る感情を抑えようとしながら、低く呟く。
「――もう油断はしないわ」
その声を通信機が拾い、ヴァルキリーズ全体に共有された。
返事はなかったが、誰もが同じ思いを胸に秘めていた――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『白銀、向こうはやる気満々よ。無様な戦いだけは見せないで頂戴』
管制室にいる夕呼から、武に通信が入る。
『分かってますよ、夕呼先生。にしてもこの機体、本当に大丈夫なんですか?』
不知火Extra。
前述したように、通常の不知火にXM3と武の機体フィードバックを反映させ、関節強度と跳躍ユニット出力をそれぞれ約30%引き上げた、シミュレータ上だけの特別機である。
もっとも、これはあくまで仮想データ上の数値であり、同じ仕様の実機が存在するわけではない。
現実の機体なら、関節や機体構造にかかる負荷も無視できないだろう。
しかし、シミュレータ上だからこそ、その制約をある程度緩めた機体を作ることができた。
完璧には無理でも、操縦感覚だけは極力八咫烏に近づける。
それが、この不知火Extraを作った理由だった。
ちなみに、いずれは八咫烏そのものもシミュレータ上で再現するつもりではいる。
そのため、八咫烏は今、90番格納庫で整備を受ける傍ら、夕呼お抱えの整備班によって徹底的に調べられている最中だった。
『極力八咫烏に近づけたつもり。でも根本が違うからこれが限界ね』
『でしょうね。でも確かに使用感は八咫烏に近いものがあります。流石夕呼先生ですね』
武に褒められた夕呼は、わずかに目を逸らし、どこか照れくさそうな表情を浮かべた。
その横顔を、霞がじっと見つめていた。
ちなみに、武側の管制を務めるのは霞だった。
『演習開始まで、後1分30秒です……』
武は最終チェックを行い、表示された各部の数値に異常がないことを確認する。
データ上では正常の文字が並んでいる。
それでも武は、自分の操縦に機体がどこまで応えられるのかを、まだ測りかねていた。
(夕呼先生に頼んでこの状況を再現してもらったけど、A-01側が果たしてどこまでこの演習の意味を理解しているのか……いや、伊隅大尉たちのことだ。ちゃんと理解してくれているとは思う。問題は……速瀬中尉と涼宮の方か……)
基地襲撃事件の後、水月と茜は、狂ったようにシミュレータで訓練を重ねていたという。
完膚なきまでの敗北と、これまでの努力を嘲笑うかのような所属不明機の機動が、二人から心の余裕を奪っていた。
訓練を重ねるほど、自分たちの操縦技術だけではあの動きに届かないことが突き付けられ、二人はますます追い詰められていった。
(基地襲撃が二人の心の引き金を引いてしまったのか――やはりこの世界はどこかおかしい……A-01がこの時点で10機しかいないというのもそうだし、207Bに美琴がいたというのもどこか変だ……この世界は――もしかして俺の知ってる確率時空の世界とはまた違うのかもしれない。だとしたら最悪、俺の知っている未来の歴史は役に立たない可能性もある。それは覚悟の上だけど、そうなるとまた色々と手を打たないと……)
武が思考を巡らせている間にも、演習開始の時刻は迫っていた。
『……カウント始めます……10……5、4、3、2、1、演習開始です』
武側は霞の合図で、ヴァルキリーズ側は遥の合図で、武対ヴァルキリーズの模擬戦闘演習が始まった。
最初に動いたのは、A-01側だった。
初動を譲るつもりだった武にとって、開始と同時に全機が接近してきたのは少々意外だった。
武とヴァルキリーズの距離は、およそ1000メートル。
全力で跳躍噴射すれば瞬く間に詰められる距離だが、ヴァルキリーズはむやみに加速せず、隊形を整えてから接近してきた。
(
武はヴァルキリーズの取った戦術に感心する。
しかし、十分に想定できる対応でもあった。
武は、敢えて楔参型の正面へ飛び込むように突貫した。
すると、ヴァルキリーズの突撃前衛が射撃を開始し、後方からは誘導弾が放たれる。
武は巧みな戦術機動とXM3の即応性を最大限に生かし、左右への鋭い機動で突撃砲の銃弾を回避した。
そして、計ったかのような絶妙なタイミングで飛来した誘導弾も、前後左右への小刻みな機動を重ねてかわす。
(流石はA-01だ。タイミングもバッチリだな)
武は、A-01の練度に素直に感心していた。
一方、A-01側では……。
『何よ!アイツもアクロバティックな動きしちゃって!』
常識外れの回避機動の連続に、水月が驚きの声を上げた。
第二弾、第三弾と、ヴァルキリーズは移動しながら突撃砲と誘導弾を放つが、それらも次々と回避されてしまう。
連続する回避機動のため、武も思うようには距離を詰められなかったが、射程に収めると、対抗するように突撃砲を放った。
『そんな回避機動の最中に撃ったところで、まともに狙えるはずが……ッ!?』
茜は、自分が放った言葉をすぐに後悔した。
回避機動の最中だというのに、武の不知火Extraは、ヴァルキリーズの機体へ正確に突撃砲を浴びせてきたのだ。
しかも、その弾道にはほとんど無駄がなかった。
たちまちヴァルキリーズの隊形が乱れ始める。
弾着警報が連続して鳴り、ヴァルキリーズは射線を維持するためのわずかな間合いさえ乱された。
(くッ!?やはりこの前の不明機と同じだ……戦術機動だけじゃない、射撃精度、近接格闘戦の能力も超一流か!)
みちるや水月は、ある疑念を確信へと変えつつあった。
いや、ヴァルキリーズの全員が、同じことを感じ取っていた。
この不知火Extraを操る衛士は、先日の所属不明機の衛士と同一人物ではないか……と。
戦術機は操縦者の思考制御が介在する兵器であり、わずかな重心移動や反応の癖にも衛士の個性が表れる。
八咫烏と対峙したのは一度だけだったが、その特徴的な機動は、全員の記憶に焼き付いていた。
一拍遅れて動く癖、迷いなく重心を移す癖、相手の射線へ入る寸前にだけ生まれる不自然な静止。
そのどれもが、先日の屈辱を鮮やかに呼び起こした。
(あの不明機の衛士が何故ここに?どうやってこの訓練に参加したというのか……もしかしたら、あの襲撃事件自体が副司令の茶番だったのかもしれない)
みちるの胸にも疑念は浮かんだ。
しかし、今はその真相を考えている場合ではなかった。
汚名を雪ぐ機会が、目の前にある。
それだけで、今は十分だった。
『隊形を乱すな!作戦通り、奴を正面に突っ込ませればそれでいい!』
みちるは通信を通して、部下たちへ鋭く指示を飛ばした。
彼女たちの作戦は、まず楔参型で不知火Extraと距離を詰め、敢えて正面突破を誘うものだった。
その瞬間に隊形を
AH戦闘としては定石に近い方法だが、もし不知火Extraがあの所属不明機と同じ機動を取るならば、無理な追撃は再び各個撃破を招きかねなかった。
奇策で隊形を乱すより、互いを援護できる布陣で戦う方が確実だと、みちるは判断した。
これはヴァルキリーズ全体で検討し、決定した作戦だった。
なぜ、相手が先日の衛士と同じだと確信する前から、そのような作戦を立てられたのか。
もしもう一度、あの状況に置かれたら、次はどう対処するべきか。
彼女たちは事件以来、幾度もデブリーフィングを重ねていたのだ。
最初に楔参型を取ったのも、側面へ回り込まれた場合に備えるため……各機が互いを援護できる配置を選んだからだった。
定石は、それを守るだけで勝利を保証するものではない。
武がやや物足りなさを感じたのは、彼女たちの作戦が悪いからではなく、自分がその意図を読めてしまったからだった。
優れた判断であることと、相手を驚かせる判断であることは、必ずしも同じではない。
(しかしまだあまい)
だが、武はそれすらも読んでいた。
相手が、よく知るみちるだった……ということもある。
そもそも、一機の圧倒的な機動力を封じるなら、この包囲戦術が有効であると武自身も予測していた。
自分が指揮官だったとしても、同じ状況なら似た手を選ぶだろう……だからこそ、相手の次の動きが読めたのだ。
二度のループと長い戦場経験を通じて、武は戦術機動だけでなく、指揮や戦術にも磨きをかけていた。
武は跳躍ユニットを噴射し、一気に距離を詰めた。
『来るぞ!』
ヴァルキリーズの楔参型の正面へ突っ込む。
そう見せかけた。
正面へ突入する寸前、武は急制動をかけ、横方向へ跳躍噴射を行う。
そして、ヴァルキリーズの側面へ向けて突撃砲を放った。
(フェイント!?でもそうくるのね!その方がやりやすくて助かるわ!)
正面突破を狙われるより、予測しやすい側面攻撃へ切り替えた武を見て、水月たちは、一瞬だけ相手を読み切ったと思い込んだ。
しかし、それこそが再び生まれかけた油断だった。
武は両腕の突撃砲を放棄すると、背部兵装担架に装備していた長刀を両手に取り、二刀流のまま側面へ突っ込んだ。
(馬鹿なッ!?)
みちるは息を呑んだ。
楔参型は、前述のように攻守の均衡に優れた隊形だ。
正面を押さえつつ、各機が側面を援護することもできる。
だからこそ、包囲を警戒すべき側面へ、正面から強引に踏み込んでくるとは考えていなかった。
その予測が、目の前で覆された。
実は楔参型にも、側面から接近され、陣形の内側へ食い込まれるという弱点があった。
ある程度距離があれば、互いの射界を生かして側面を防御できる。
しかし、至近距離で敵味方の機体が入り乱れれば、味方への誤射を避けるために火力を集中しにくくなる。
遠距離では武を囲んでいた射界が、近距離では味方の機体によってふさがれてしまう。
武は敢えて、その弱点を突く近接格闘戦へ持ち込んだ。
水平噴射跳躍で、武は一気にヴァルキリーズとの間合いを詰める。
そして、その勢いのまま長刀を振り下ろした。
狙いは先日の基地襲撃と同様に、跳躍ユニットの付け根だった。
だが……今度の相手はその一撃をかわした。
「さすがにこれでは無理か!」
戦闘で高揚した武は、一人、コックピットの中でそう呟いた。
ヴァルキリーズは瞬時に散開し、至近距離での混戦を避けた。
みちるが、続く指示を飛ばす。
『作戦は変更しない!予定通り、鶴翼参型に移行!』
意表を突かれたヴァルキリーズだったが、みちるは当初の作戦を維持することを選んだ。
そこには、明確な狙いがあった。
鶴翼参型は、敵を包囲して複数方向から攻撃するための攻勢的な隊形である。
みちるたちは、あくまで攻勢を崩さないという意思を、武へ見せつけようとしていた。
武がこのまま攻め込めば、散開した機体が再び連携し、包囲できる。
一方で武が引くなら、包囲の薄い方向へ進路を絞り込ませることもできる。
そこへ火力を集中させればよい。
いずれにせよ、武の得意とする近接格闘戦を、部隊の連携で封じようという作戦だった。
『『『了解!』』』
ヴァルキリーズは速やかに鶴翼参型へ移行した。
隊形は、ほぼ完成した。
あとは相手の出方次第だ。
引くか……その場合は退路を読まれ、集中砲火を浴びせられる。
強攻するか……つまり、どこか一点へ食い込んで包囲を破ろうとするか。
その場合、ヴァルキリーズは隊形を保って後退し、間合いを維持しながら相手の隙を探る。
武はどちらを選ぶのか。
みちるたちには、十分に勝機があるように見えた。
戦況を見守る夕呼たちにも、その意図は伝わっていた。
武が選んだのは……強攻だった。
『全機下がれ!』
みちるの合図を受け、ヴァルキリーズは隊形ごと後退し、武との距離を保とうとした。
だが、その直後、彼女たちは予想外の光景を目にすることになる。
白銀機は跳躍ユニットを噴射し、通常ならば後戻りできないほどの速度で突進していた。
あの速度では、急激な旋回などできるはずがない。
武が得意とする急制動からの方向転換も、限界を超えているはずだった。
ヴァルキリーズはそう判断し、鶴翼参型を維持したまま後退した。
その時だった。
そのとき、武は右手の長刀を滑走路の舗装面へ突き立て、一瞬だけ機体の姿勢を崩す勢いで、それを支点に右へ旋回した。
実機なら刀身も機体関節も無傷では済まない、乱暴極まりない機動だった。
だが、仮想空間の不知火Extraには、そこまで無理を利かせるだけの余裕があった。
『『『ッ!?』』』
予測を裏切る機動に、ヴァルキリーズの全員が息を呑む。
武は支点にした長刀を投棄すると、その反動を利用するように、鶴翼参型左翼の端へ一気に襲い掛かった。
標的となった機体は、咄嗟に後退しようとした。
『馬鹿ッ!?陣形を乱すな!』
みちるが叫ぶが、すでに間に合わなかった。
武は急制動と跳躍噴射で敵機の背後へ回り込み、残る長刀を勢いよく振り下ろした。
その標的は、宗像機だった。
長刀は宗像機の跳躍ユニットを正確に両断した。
一瞬、宗像機の機影が大きく傾き、管制画面の識別表示が赤へ変わった。
シミュレータなのだから、機体の損傷や衛士の生死にまで手心を加える必要はないはずだが、武は敢えて跳躍ユニットのみを狙った。
何しろ、これはあの基地襲撃事件の再現でもある。
ならば、相手にもう一度、あのとき何を奪われたのかを思い出させてやろうという、武なりの意図もあった。
『ヴァルキリー03。跳躍ユニットに致命的損傷。機能停止します』
宗像美冴の機体が、真っ先に戦闘不能となった。
武は続けて、左翼の二番目に位置する機体を狙う。
しかし、そこへ援護射撃が割り込んだ。
左翼三番目の機体が、二番目の機体を守ろうと、武の進路へ割って入ったのだ。
武は瞬時に目標を切り替え、その機体と近接格闘戦に持ち込んだ。
装備からして
「悪い判断ではない!が、ここでは悪手だ!」
そう評しながらも、武は容赦なく長刀を振り下ろした。
『ヴァルキリー06。大破と認定。機能停止します』
武が斬り伏せたのは、柏木だった。
遥の無機質な機能停止通告が続き、残されたヴァルキリーズの耳へ届く。
これでヴァルキリーズは、戦闘の序盤で
『宗像、柏木!畜生ッ!』
左翼を崩された鶴翼参型は、もはや整った隊形を保てなくなっていた。
『ッ!?各機、距離を取れ!速度に惑わされるな!』
みちるの指示には、崩れた隊形を立て直す時間を稼ぐという狙いがあったが、その時間さえ今は足りなかった。
『大尉!自分が時間を稼ぎます!』
水月は仲間が二機倒される間に92式多目的追加装甲を長刀へ持ち替え、不知火Extraへ突貫した。
『分かった!あまり無茶はするな、十秒稼げればそれでいい!』
『了解!』
速瀬機が白銀機へ、長刀を振り下ろす。
武は、それを正面から受け止めた。
鍔迫り合いとなり、速瀬機の主機出力が上昇する。
かみ合う刀身の表面で金属皮膜とカーボン・ナノ構造体が圧壊し、火花とともに放電が走った。
武もそれに対抗するように、主機出力を上げる。
二機の出力は拮抗し、互いの機体が低く軋みを上げた。
水月は歯を食いしばり、動かない敵機を画面越しに睨み据えた。
今度こそ、この相手を離すまい――その執念が、彼女を正面からの力比べへと引き留めていた。
『ヴァルキリー02!避けろ!』
そんな水月の耳に、みちるの声が響いた。
速瀬機は咄嗟に後方へ噴射跳躍し、その場を離れる。
そこへ入れ替わるように36mm砲弾と誘導弾が飛び込み、武の不知火Extraへ撃ち込まれた。
着弾の衝撃で土煙が噴き上がり、機体の周囲を一瞬で覆い隠した。
しかし、先日の経験を思えば、これで終わったと考える者はいなかった。
水月は、息を詰めたまま長刀を構え直した。
そのときだった。
土煙を引き裂くように、不知火Extraが姿を現した。
跳躍噴射によって、一気に飛び出してきたのだ。
『くッ!?』
水月は、目の前に現れた白銀機へ咄嗟に長刀を振り下ろそうとする。
しかし、武は彼女に構わず、その後方へと躍り出た。
(糞ッ!狙いはまた私かッ!?)
そう、水月の機体をかわした武の本当の狙いは、指揮官のみちるだった。
みちるは向かってくる白銀機へ突撃砲を放つが、弾道は左右への鋭い機動でことごとくかわされる。
祷子や茜もみちるを守ろうと誘導弾や突撃砲を放つが、武は射線を読み切るように、それらを回避して迫った。
『このッ!?調子に乗るな!』
茜はみちるを守ろうと突撃砲を手放し、65式近接戦闘短刀へ持ち替えて、武へ突貫した。
『涼宮ッ!早まるな!』
みちるの制止も届かず、茜は武へ短刀を振り下ろす。
だが、武はその一撃を軽くいなし、下から長刀を振り上げた。
『ヴァルキリー05。跳躍ユニットに致命的損傷。大破と認定。機能停止します』
茜を墜とした武は、本来の目標であるみちるへと向かう。
本来なら、みちるは後方へ下がるべき局面だった。
しかし、それはできなかった。
すでに隊形は崩れている。
前衛の機体は眼前になく、みちるが退けば、後衛の祷子が武の攻撃に直接晒されてしまう。
だからこそ、みちるは退けなかった。
水月はすでに武を追っていたが、追いつくには距離がありすぎた。
みちるは、この場で武を迎え撃つしかなかった。
『糞ッ!?』
みちるらしからぬ荒い言葉が、再び口から漏れる。
突撃砲を撃ち続けるも、弾丸は白銀機の装甲をかすめるばかりで、足を止めるには至らなかった。
そして、間合いを詰められたみちるの機体は、武の長刀によって機能を奪われた。
『ヴァルキリー01。大破と認定。機能停止します』
『大尉ッ!このッ!?』
『そこまでよ』
そこへ、突然別回線から通信が割り込んだ。
声の主は、夕呼だった。
『演習は終了。皆、シミュレータから降りて頂戴』
予告もなく告げられた演習の終了に、水月は愕然とした。
当然、納得できるはずもなかった。
彼女の中では、まだ戦闘は終わっていなかった。
仲間を失っても、敗北条件を満たしていない以上、最後まで足掻くつもりだったのだ。
『待ってください!まだ私たちは敗北条件には達していません!』
『残ったあんたたちで何ができるっていうの?まだ条件に達していないのは分かってる。でも、指揮系統は崩れたし、これ以上続けても検証したい内容は変わらない。必要なデータは取れたわ。もう十分よ』
夕呼の言葉に、水月は反論の言葉を失った。
理屈は理解できる。
それでも、仲間を救えなかった無力感が消えたわけではなかった。
『一時間後、ブリーフィングルームに集合して頂戴。強化装備は脱いで構わないわ』
夕呼はそう淡々と告げて通信を打ち切り、模擬戦闘演習は幕を閉じた――。