Muv-Luv Alternative The Phantom Cemeter(改稿版) 作:オルタネイティヴ第Ⅵ計画
Episode8.過酷な訓練とXM3
2001年10月25日(木)10:23
「ほら走れ!走り続けろ!一瞬でも足を止めてみろ!貴様らはBETAの糞ったれ共の餌になるんだ!」
武の怒号が訓練校のグラウンドに隈なく響き渡る。
昨日に続き、彼は第207衛士訓練小隊の訓練をしていた。
昨日のメニューは以下の通りだった。
午前から昼間にかけて、完全装備でグラウンドを100周。
遅い昼食と休憩を込みで30分。
午後は再度完全装備で作戦演習。
夕刻から晩にかけて、今度は図面による作戦演習だった。
彼女たちは相当驚いただろう。
日中ほぼ完全装備で動かされた後に座学だったのだから。
身体が疲労困憊の中、脳ミソを使えというのは中々酷だ。
しかし軍人である以上、その責務は全うしなければならない。
これは彼女たち207Bに対する、武からのある種の試金石だったのだ。
失敗すれば除隊申請書に日付を入れられてしまう……という恐怖が根底にあったのが逆に良かったのだろう。
極限状態に極限状態が重なった結果、彼女たちの集中力は辛うじて保たれた。
結果、彼女たちは武の第一の試験を突破することができたのだ。
何故このような試験を彼女たちに課したのか。
それは武の最後の迷いを断ち切るためだった。
今更このような試験を課さなくとも、ある1つの問題さえクリアされれば彼女たちは実戦に耐えうる立派な衛士となる。
だが愛する彼女たちを戦場へ……いや、通常の戦場よりかは遥に過酷な戦場、つまりは死地へと追いやることに躊躇いが僅かながらにあったのだ。
武にとっての最愛は、純夏と
そんな彼女たちに死ねと俺は言えるのか……と武は迷った。
いや言わなければならない……彼はそう覚悟を決めた。
だがそれでも……と思った理由は、オリジナルハイヴでの彼女たちの自分に対する気遣いだ。
彼女たちは最後の最期まで武への気遣いをして死んでいった。
その気持ちがあまりに嬉しくて、またあまりに不愉快で……今思い返せばそんな心持ちだ。
故に迷いが生じてしまった。
そこで思いついたのが、もし自分が課した試験を突破できなければ彼女たちをせめて後方に下げよう。
そう思ったのだ。
覚悟を決めたはずなのに、このような迷いを抱いてしまう自分に、武は心底腹がたった。
そして彼女たちの覚悟を知っているはずなのに、試すような真似をしてしまうことに嫌気がさした。
しかしそれでもやらずにはいられなかった。
何ともまぁガキ臭い英雄だろうか……。
彼女たちが試験を突破した以上、武は彼女たちを徹底的に鍛えると決めた。
一切の妥協なく、2ヶ月とない期間で一流の状態まで育て上げると。
そして本日のメニューは――早朝からの無限ランニングであった。
早朝から既に3時間。
武が訓練を見る間の訓練は、通常の訓練ではなく特殊訓練になるということは既に彼女たちにはまりもを通して伝えられている。
故に今日は、異例の朝6時訓練開始となっていた。
間もなく4時間が経とうとしていた。
武はその間、彼女たちと共にグランドを走り続けていた。
時々ペースが遅くなっている者の横に並び、罵声を浴びせて、ペースを上げることを強要する。
その者のペースが回復すれば、今度は別の者に。
やる相手がいなくなると今度は全員に。
武の罵声は留まるところを知らなかった。
武は彼女たちと共に走っているが、まりもは彼女たちが何周走ったかを計測するため、スタート地点に突っ立ち、数を計測していた。
「餌になるってことはどういうことだぁ?それはな、お前らがBETAの下等生物共以下ってことだ!分かったか!?」
「「「はい、教官殿!」」」
「違う!貴様らはまだ俺のことを教官とは呼べん!少佐殿だ!」
「「「はい、少佐殿!」」」
「声が小さいッ!」
「「「はい!少佐殿ッ!」」」
まりもは武の訓練の様子を見ていた。
(やり方がひと昔前の私のようだ……)
それがまりもの素直な感想だった。
まりもが現在のA-01部隊員たちの訓練をしていた頃……と言ってもその殆どは戦死しており、最早まりもの鬼教官時代を知るのはみちるたちぐらいだが……。
まぁいずれにせよ、みちるたちをまりもが訓練していた頃は、今の武と同様の手法を取っていた。
鬼教官という単語でも優しすぎるぐらいに、当時のまりもはかなり尖っていた。
それはまりものとある心境から出たものであり、正直訓練兵のためというよりかは、自身の精神的なものが故に起因していたのだが、それはここでは語るまい。
兎に角、武はひと昔前のまりもと同様の鬼教官として、彼女たち207Bに接していた。
まりものストップウォッチは、既に4時間02分を指し示していた。
恐らく武の腕時計も同様だろう。
(少佐の体力は化け物か……私ですらこの時間走り続けるのは中々難しいのに、少佐は未だケロッとしておられる。彼女たちはもう既に限界だというのに……でもそろそろやめないと、脱水症状が危険だ……)
まりもは終わる気配のないランニングに、そろそろ介入すべきか迷っていた。
丁度その時だった。
来訪者が訓練校のグラウンドに現れた。
まりもは珍しい来訪者に、目を見開いて驚きの表情を見せる。
「ピアティフ中尉……」
「神宮司軍曹、いつもご苦労様です」
イリーナはまりもに対し腰を折って挨拶をした。
「私にそのような態度はお止めください、中尉。今は一介の教官なんですから」
「これは失礼致しました、軍曹」
実はこの2人、過去にひょんなことから意気投合したことがあり、単なる顔見知り以上のものがあった。
詳細は別の機会に話すとして、イリーナがまりもに親しく接しているのはそういったわけがあったのだ。
イリーナの冗談にまりもは苦笑しつつ、位が下の者として接する。
「……ところでどのようなご用件でこちらに?」
「香月博士の命で、白銀少佐を呼びに来たんですが――これはまた……」
イリーナは、今グラウンドで何が起きているかを理解した。
その顔には同情に近い何かが浮かんでいた。
「分かりますか?」
「ええ。随分としごかれてるみたいですね」
「はい……ですが、そろそろ止めないと彼女たちが危険です」
まりもの言うことは最もだった。
特に壬姫が1番危険域に達しており、今にでも倒れそうな勢いだった。
恐らくこの小隊で1番体力があるであろう冥夜や慧ですらも、足がガクガクになるほどの域に達しており、全員が限界をとうに超えていることは眼に見えて明らかだった。
まりもの言葉にピアティフが笑った。
「ということは、私の登場タイミングはまさに完璧……ということになりますね」
ふとしたイリーナの発言に、まりもが疑問符を浮かべる。
「……それはまたどういう意味ですか?」
「訓練の途中であっても白銀少佐をお呼びするよう、香月博士から仰せつかっておりますので」
「なるほど……」
まりもが納得した表情を示す。
イリーナは一歩前に出る。
「白銀少佐!」
イリーナは滅多に出さない大声で、武のことを呼んだ。
名を呼ばれたことに気づいた武は走るのを止め、彼女の元へとやってくる。
「ピアティフ中尉……ということは副司令が?」
「はい、至急シミュレータルームにお越しください」
「分かりました」
実は武もそろそろ訓練を一度切り上げ、休憩を挟むつもりでいた。
無論、水分補給程度の小休憩であり、その後また過酷な訓練を課すつもりではあったが。
そのタイミングでの夕呼からの呼び出し。
タイミングとしてはまさに僥倖だろう。
あくまで彼女たちにとっては……という意味合いに限るのだが。
武は訓練の終了を告げる意味合いを含めて、小隊メンバーを呼び寄せる。
「小隊集合!」
武の合図で、小隊メンバーが皆彼の前に整列した。
見るからに皆ヘトヘトであり、壬姫は真っ直ぐ立つことすらままならなかった。
そんな小隊メンバーに武は労いの言葉をかける。
「皆、ご苦労だった」
意外な一言に全員の目が見開かれると同時に、皆不思議そうな表情をした。
「俺のしごきによく耐えた……俺はこの後用事があるので、後の訓練は神宮司軍曹に一任することになるが……その前に褒美をやろう」
小隊メンバーのみならず、それを聞いていたイリーナやまりもの頭にも、当然のように疑問符が浮かんだ。
そしてそれは、ろくなものではないことなのだろうという予測が簡単につく。
何故なら、武の顔が不敵に笑っていたからだ。
「貴様ら全員と俺で、格闘戦といこうじゃないか……時間は無制限。勝敗は、そうだな……どちらかが膝を付いたらにしようか。腑抜けた貴様らお嬢様には丁度いい。ほら、いつでもいいぞ。かかってこい」
明らかな、いや分かりやすいほどの簡単な挑発だった。
だが無限ランニングの後の疲労も相まってか、小隊全員の理性が飛んだ。
相手が上官だとか規律がどうとかいうことを、皆綺麗に忘れてしまった。
ただ、昨日からやたらと気に食わないことばかりを言うこの男を沈める。
意識はそのことだけに集中されていた。
真っ先に飛び出したのは慧だった。
ヘトヘトの身体から、今振り絞れる精一杯の力が湧き出てくる。
当の本人も、その力が一体どこから出てきたのかは分からなかった。
「……潰すッ!」
熟練者ですら見切れるかどうかのギリギリの右ストレートを、慧は的確に武相手に繰り出した。
他の小隊メンバーはおろか、まりもですらこのストレートは決まった……と思った。
そこから投げ技へと移る彼女の姿を誰もが想像した。
しかしその想像は容易く壊されてしまう。
まるで流れるような動作で、ストレート避けるために右へと移動した武は、そのまま彩峰の胴体に拳を叩き込んだ。
「グッ!?」
慧から苦悶の声が漏れ、そのまま彼女は膝をついた。
普段ならこの程度で膝をつくことはない彼女だが、今回ばかりはわけが違った。
無限ランニングによる疲労と、ただ単純な拳の叩き込み。
しかし単純故に洗練されたそれが、彩峰にとっては痛恨の一撃となった。
後は簡単だった。
小隊での徒手格闘ではトップに君臨する慧の撃沈。
それに動揺し、なし崩し的に残りの4人は武に一斉に攻撃を仕掛けるも、特に成すすべなく全員が瞬く間に撃沈された。
無論、慧の真っ直ぐな右ストレートも十分凄かったし、それを難なくいなした武も凄い。
だが、それを見ていたまりもやイリーナが何より関心したのは、4人のほぼ四方を塞がれた状態から、全員を一撃で沈めたことだ。
膝をついた全員を一瞥して、武は述べた。
「……貴様らに戦う理由はあるのか?」
唐突な投げかけだった。
「それがなければ強くはなれんぞ。特に貴様らのようなお嬢様にはなおさらな」
武は吐き捨てるよう言い放つと、まりもを見た。
「神宮司軍曹、あとは頼んだ」
「……はい」
武はイリーナを伴ってグラウンドを後にしようとするが、ふと何かを思い出したのか立ち止まり、まりもの元へと引き返す。
「彼女たちのケア、しっかりと頼んだぞ」
武はまりもの肩に手を当て、彼女の耳元でそう呟いた。
耳に息が吹き掛けられるほどの距離で言われたまりもは、一瞬ビクッと驚くが事情を察して返答した。
「ッ!?……承知致しました」
要件を済ませた武はまりもの元を去り、イリーナの元へと戻る。
すると何故かイリーナは笑って武を出迎えた。
「どうした?ピアティフ中尉」
「いえ、少佐は案外お優しいんですね」
意外な一言に武は動揺した。
「べ、別にそんなことはないぞ?」
「ふふっ……」
そんな武をイリーナは優しい目で見つめていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
武がグラウンドを去ると同時に、物陰に隠れていた4つの影も動きを見せた。
特に動いたのは小さめの3つの陰で、武の後を物凄い勢いで追おうとしていた。
それに対し、唯一動かなかった大きめの影が1人の肩を掴んで止めに入る。
「よせ。今は耐えるのだ」
女性の静止の声に、3人の女性が不平を述べる。
「「「ですが真那様!」」」
「私は耐えろと言ったぞ?」
威圧を含んだその声に、3人はひるんだ。
「「「はっ……」」」
月詠真那の答えに、神代巽、巴雪乃、戎美凪の3人は渋々引き下がった。
(あの白銀という男……少なくとも身体的能力は本物に見えた――いくら疲労状態であったとはいえ、冥夜様と同等かそれ以上の能力を持つ彩峰訓練兵を、一瞬で沈めたあの拳と瞬発力。それに4時間にも及ぶランニングに付き合った体力。少なくとも贔屓だけで香月博士の副官になったわけではないようだ……)
真那は、突然この横浜基地に現れた武のことを考察した。
(認めたくはないが……白銀の訓練方針は理解出来る。教官を憎ませ連帯感を、協力関係を嫌でも作らせる、か……今冥夜様たちに足りないものもそれだ。アメとムチ、とも取れるな。アメが神宮司軍曹で、ムチが白銀か)
武の冥夜たち207Bに対する教育方針は、まさに真那の予測した通りであった。
確かにまりもも教官として一定の怖さは持っていた。
しかしそれは心理的な面のみのものであった。
一方の武の怖さというのは、心理的な部分のみならず肉体的な部分も含まれていた。
加えていくらまりもが怖いと言っても、その怖さは既にこの2日武に比べれば相当軽いということを、207Bの面々に実感させていた。
たった2日で、武は彼女たちの恐怖の対象となったのである。
だがそれこそ武の狙いであった。
武はその都合上、あまり冥夜たちにかまけているわけにもいかなかった。
それ故に短期間で彼女たちを育てる必要があった。
武はまず自分を憎ませ、嫌でも互いが協力関係を築かないと生き残れないという状況を、作り出す気でいたのである。
そこに本来の目的があることに、真那も既に気づいていた。
だからこそ彼女は悩んでいた。
「行くぞ……」
「「「はっ……」」」
真那は3人に声をかけた。
(しかし考えれば考えるほど分からぬ……あの白銀という男、一体何者なのだ)
真那は3人を引き連れて歩きながら考える。
(――聞けば、先日、斯衛の黒の制服で基地を訪れたという。だが黒の斯衛に白銀武という男は存在しないのは既に分かっている。保安情報部が調査するという話だったが、恐らく良好な調査結果は得られまい……私の方でも少々調べてみるか……鎧衣の力を借りるのは些か不満だが、この際仕方あるまいな)
真那は連絡を取るべく、訓練校のグラウンドを後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから武は直ぐに強化装備に着替え、シミュレータルームに向かった。
「白銀、来たわね」
「お疲れ様です、先生。思ったより早く終わりましたね」
武の労いとその一言に、夕呼は心外だと言わんばかりの表情をした。
「だからせかしたのはどこの誰よ……取り敢えず八咫烏から取り出した、つまりはコピーしたXM3をそのまま8号機にインプットしたわ。ただ元の規格が第5世代戦術機用だったから、第3世代用の規格にシステムを合わせるのに少し苦労したけどね」
「分かりました。取り敢えず馴らしてみます」
「ええ、私もモニターさせてもらうから」
「了解です」
武は8号機シミュレータに乗り込んだ。
武は馴らしとしてまず通常の戦術機動を行い、自らの腕が鈍っていないことと久方ぶりの本気の戦術機動の感覚を取り戻した。
そして夕呼にお願いしてハイヴ攻略戦、つまるところヴォールク・データのシミュレーションを行った。
これが圧巻だった。
最初の慣らしの時点……というよりかは先日の基地襲撃事件の時点で、武の戦術機動が常人離れしていることは既に掴んでいた。
そしてそれがこのXM3という産物の代物であるという説明を受ければ、当然納得はするし、A-01部隊もこの機動の模倣は可能だろうと思っていた。
だが違った。
慣らしというだけあって、本当に様々な戦術機動を武はやってみせた。
その機動に対し、衛士でない夕呼ですらも興味が生まれ、都度どのような思惑でその戦術機動を取るのか質問してみたところ、実にたくさんの収穫があった。
彼女にしてみればそれだけで十分満足できる内容だったのだが……そこで一度納得してしまったのが逆によくなかったのだろう。
最後にすべての確認……集大成として、ヴォールク・データでのハイヴ攻略戦をやると武は言った。
ところがこれが想像していたものより上……いや遥か彼方以上の、それこそ嫌な例えだが、地球とバーナード星系ぐらいの距離を感じるほどの結果だった。
1841秒。
それが結果だった。
僅か30分ほどの時間でハイヴを攻略した。
それも単機で。
それから全部で3時間ほどかけて、八咫烏から取り出されたXM3に問題がないことを確認した武は、取り敢えずシミュレーションを終了した。
「あんた……本当に人間?」
シミュレータから出てきた武を出迎えた、夕呼の第一声の言葉がそれだった。
かなりの驚きと若干の呆れ、それに少しだけの恐れを混ぜた表情といったところか。
隣にいる霞も無表情で一見平然としているように見えるが、実際は夕呼と同様かそれに近いものだろう。
というかあれは驚きを通り越して完全に引いている。
長年の武の勘がそう告げていた。
「夕呼先生の性格は知ってますけど、その言い方は本当にやめてください。結構傷つきますよ?」
「あら、褒めてるのよ?――にしてもヴォールク・データを、最高難易度で完璧に攻略とはね……しかも単機で」
あのA-01部隊ですらヴォールク・データを使用したシミュレーションで、最下層にすら到達したことはない。
色々な制限をかけて……つまりは難易度を下げた状態ですら中層が限界だった。
それも中層の入り口に差し掛かったという程度だったのだ。
あの歴戦のA-01部隊ですらそうなのに、この男は単機で最高難易度のヴォールク・データを攻略してしまった。
無論、この男の異常な戦術機動とXM3があってのことだろうが、正直XM3すらなくともこの男なら攻略していまいそうで怖かった。
末恐ろしいというのを通り越している――それが夕呼の正直な感想だった。
「実際のハイヴ攻略戦は……こんな生温いものではありませんけどね。そもそものBETAの数が桁違いですから」
武は目を閉じて、はるか遠くの出来事を思い出すように言った。
生温い――この言葉は夕呼にとっても、霞にとっても驚きの言葉だった。
特に武を無意識のうちにリーディングしてしまっていた霞は、武の中の暗いイメージと併せて衝撃を受けていた。
ハイヴ攻略の成功例は、1999年8月5日~9日に日本帝国旧横浜地域で実施された、明星作戦によって攻略された横浜ハイヴ(H22:甲22号目標)のみである。
他に敢えて例を挙げるとすれば、BETAの地球初降下の翌年、1974年7月6日にカナダ領サスカチュワン州アサバスカに落着した、BETAの着陸ユニットだが……これはハイヴと定義される以前の状態であり、故に除外してよいだろう。
ハイヴにはその大きさを表す人類側の指標として、フェイズというものがあり、現在フェイズ1~9までが存在する。人類が今までに攻略できたハイヴは、このフェイズで表記すると横浜がフェイズ2にあたる。
屈指の対BETA兵器である戦術機が出来て20数年。
ハイヴ攻略のセオリーが確立されてから10年余り。
これだけの時が経ってもなお、人類は未だハイヴのその全容を掴んでいない。
つまり何が言いたいかと言うと、生きてハイヴ内の惨状を正確に報告出来た事例は数少ないということだ。
ヴォールク・データという、ハイヴ内部の貴重なデータは存在するが、これはあくまで構造データであり、BETAの出現数は記録されてはいなかった。
ということは、ハイヴ内のBETAの出現率は、あくまで人類の憶測の域を出ないものとなる。
武が生温い――と評したのはここにある。
人類の希望的憶測という観点から、シミュレータでのBETA出現率は、実際の3分の1程度である。
これは楽観的に見積もってもだ。
実際のハイヴ攻略戦というのは、このシミュレータのような簡単なものではない。
これは武の実体験である。
また
これもヴォールク・データを武に生温いと言わしめる要因の1つだろう。
だが、今回の目的はあくまでXM3の確認に過ぎない。
正直、この程度で褒められても武は全然嬉しくない。
まぁ兎に角、目的は達成したので、夕呼に報告をする。
「取り敢えず問題はなさそうです。ただ機体のフィードバックに、コンマ0.3程のズレがあるのと、跳躍噴射のキャンセルが時々おぼつかない感じがしますね」
「直しておくわ。それ以外は特にない感じ?」
「はい。基礎データは自分の記録がありますから、あとは応用データの収集ぐらいですかね……これはA-01の教導をやりながら収集すれば問題はないと思います」
概ね問題なさそうで武は内心安堵していた。
ここで一からまたXM3を作るとなると手間がかかっていけないし、これからの計画にも支障が出てしまう。
「そ。じゃぁ白銀、後はこっちで残りのシミュレータへのインプットもやっておくわ」
「お願いします」
よく勘違いされがちだが、XM3はXM3というOSだけを既存機にインストールすればよい……というものではない。
XM3は、オルタネイティヴ4の研究過程で生み出された高性能演算装置と組み合わせて、初めてその性能を十全に発揮する。
理由は単純だ。
従来の戦術機に搭載された演算装置では、XM3が要求する処理量を、戦闘機動中に必要な速度で処理しきれないのである。
XM3を特徴付ける機能として、キャンセルとコンボがある。
キャンセルとは、機体が現在実行している自動制御や一連の動作に対して衛士から新たな操作が入力された際、それまでの処理を中断、あるいは変更し、新たな命令を優先して実行する機能である。
そしてコンボとは、複数の操作を先行入力し、それらを連続した一連の動作として処理する機能だ。
従来の戦術機では、衛士が一つの操作を入力すると、機体側のコンピュータがその入力を受諾し、姿勢制御、各部アクチュエータの制御、機体の安定化などを行い、一つの動作として完成させる。
その最中に衛士が別の操作を入力しても、機体側には既に実行している動作を途中から組み替えるだけの処理能力がなく、ある程度その動作が完了するまで新たな操作を反映できない。
XM3はここに手を加えた。
衛士からの入力を常時監視しながら、現在実行中の機体制御とは別に、次に実行すべき操作を判別する。
そして必要であれば現在の動作を打ち切り、新たな操作へ移行する。
さらに複数の入力が連続して行われた場合には、それらを先行して解析し、現在の動作から次の動作へ可能な限り切れ目なく接続する。
つまりXM3では、現在の機体制御、衛士からの新規入力の監視、入力された命令の解析、次に行う機動の準備、姿勢制御や各部の補正などといった複数の処理を、極めて短い時間の中で同時進行させなければならない。
ここで重要になるのが、
並行処理とは、一つの演算装置が複数の処理を細かく切り替えながら実行する方式だ。
仮に処理Aと処理Bが存在するとしよう。
一つの演算装置しかない場合でも、Aを処理する。
途中でBに切り替える、そして再びAへ戻る。
この動作を極めて高速に繰り返すことで、人間から見ればAとBがほぼ同時に進んでいるように見せることができる。
これが並行処理である。
対して並列処理では、複数の演算装置を用いて、一方で処理Aを実行しながら、もう一方で処理Bを実行する。
このように複数の処理を文字通り同時に進めることができる。
通常の用途であれば、並行処理でも問題になることは少ない。
だが戦術機の場合は事情が違う。
時速数百キロで三次元機動を行う十数メートル級の機体を制御しながら、衛士の入力を監視し、その意図を判別し、機体各部の姿勢を補正し、さらに次の機動まで準備しなければならない。
しかも、その判断の遅れは100分の1秒、場合によっては1000分の1秒単位で衛士の生死を左右する。
従来型の戦術機用演算装置でも、これらを順番に処理すること自体は不可能ではない。
問題なのは、必要な時間内に終わらないことだ。
複数の処理が集中すれば演算待ちが発生し、衛士が操作してから機体が反応するまでの遅延が増大する。
XM3でキャンセルや先行入力を多用すれば、その負荷はさらに大きくなる。
これでは、たとえXM3そのものを既存機へ導入できたとしても、その性能をまともに発揮することはできない。
そこでXM3には、複数の処理を並列して実行できる新型の高性能演算装置が用意された。
現在の機体制御を行いながら、別の演算系で衛士の入力を監視する。
さらに別の処理系で次の機動を計算する。
そうすることで、従来ならば順番待ちになっていた処理を同時に進め、衛士の操作をほぼ即座に機体へ反映できるようにしたのである。
もっとも、戦術機に搭載されるコンピュータというものは、単純に性能が高ければよいというものではない。
むしろ兵器である以上、純粋な演算性能以上に信頼性が重視される。
戦術機は極寒地から砂漠、湿地、降雨下、粉塵の舞う戦場まで、あらゆる環境での運用を要求される。
加えて戦闘機動による激しい振動や衝撃、電源状態の変動、機体内部の温度変化にも耐えなければならない。
当然ながら、性能は高いがどのような不具合が発生するか分からない最新型……よりも、性能では劣るが長期間使用され、特性も故障率も把握されている旧型、の方が兵器用としては扱いやすい。
そのため戦術機の演算装置には、民生用コンピュータのように常に最新鋭のものが採用されているわけではない。
従来型OSであれば、それでも十分だった。
衛士の入力を受け取り、あらかじめ用意された機動制御を実行するだけならば、実績のある既存の演算装置でも必要な性能を満たすことができたからだ。
だがXM3は違う。
衛士の入力を常時監視し、現在の動作と並行して次の命令を解析し、必要ならば実行中の制御へ割り込み、さらに複数の動作を連続して接続する。
従来とは比較にならないほど大きな演算余力が要求される。
その要求を満たすために採用されたのが、オルタネイティヴ4の研究によって生み出された高性能な並列演算装置だった。
つまりXM3とは、単なる新型OSではない。
新しい操縦思想を実現するソフトウェアと、それを現実の戦術機上で処理可能にする新型演算装置。
その二つが揃って、初めて成立するシステムなのである。
では前述の信頼性の話はどうなるのか、ということだが……それは夕呼が、あたしが作ったのだから信頼性に問題があるわけがない……の一言で済んでしまっている。
「シミュレータ全機のOSの書き換えと、CPUとか電装系の載せ替え……本当に面倒くさいわね――」
夕呼のボヤキを、武は敢えてスルーする。
「それが済み次第、自分はA-01の教導に入ります」
「そうして頂戴――あぁ、それとA-01の教導の舞台の準備、それも並行してやってるわ。当たり前だけど期限には間に合わせるから。そうよね?社」
夕呼が霞の方を向いて言った。
それに対し抑揚のない声だが、霞は力強く頷く。
「……はい」
一方の武はというと、まさかこの件に霞が絡んでいるとは思わず、少し目を見開く。
そして彼女の方を向いて言う。
「へぇ?霞が準備してくれてるのか?ありがとな」
武は霞の頭を優しく撫でた。
霞は突然のことに目を一瞬見開くが、やがてややくすぐったそうにしながらも、心地よさそうに撫でられていた。
「……ちょっと、あたしと扱いが違いすぎない?」
彼女の言うように、明らかな扱いの違いに夕呼が少し不満を言った。
「……先生、そんな趣味があったんですか?」
その言葉を聞いた武はちょっと引き気味にそう返した。
そしてそのやり取りの間で霞への撫でをやめてしまった。
霞は明らかに不満そうにしているが、それに武も夕呼も気づかない。
一方、夕呼はそんな武に対し眉をピクつかせながら言った。
「へぇ、あんた随分といい度胸ねぇ?」
「なんでもないです、すみませんでした――」
武はあっさりと敗北を認めた。
そして明らかに話題を逸らそうとした。
「と、取り敢えずは準備は順調ってことで了解です。先生、新潟の件も並行して動いて貰えますと助かります」
「全部あんたの計画通りに進めるから安心なさい。無論、前言ったと思うけど、細かな修正点はあるからそこは上手く汲み取りなさいな」
「承知です」
武と夕呼の戦略はまだ始まったばかりである――。
皆様、どうも珍しく間隔が短く投稿しました。
本当は特別編のIFストーリーでも投稿しようかと思ったのですが、何分面倒くさい性格でして私。
下記のように新たな章の投稿前に出すなら納得できるのですが、そうでないと気分が悪くてですね(笑)
【第1章】
第1話:〇〇
第2話:〇〇
第3話:〇〇
IF話:〇〇
【第2章】
第4話:〇〇
第5話:〇〇
第6話:〇〇
IF話:〇〇
なので当分お預けです……ただ流石にこの作品も気が付けば6年目ということで、さすがに新話とご挨拶だけしたくて投稿致しました。
じゃぁXでもご挨拶をしろよ、という話ですが、あちらは殆ど使わない上に文字数制限がね?
あと、私も古のニコ動、そして2ch民だったのでSNSにはなんか馴染めないんですよねぇ(笑)
さて、本題です。
【ご挨拶】
初投稿から、早いもので6年の月日が流れました。
私が『マブラヴ』という作品に出会ったのは、もう10年以上も前のことになります。
月日の流れとは実に早いものでございまして、気が付けば私もアラサーと呼ばれる年齢に差しかかってしまいました。
この年齢を若いと思われるか、あるいは歳を取ったと思われるかは皆様それぞれでしょうが、私もなんだかんだと、人生の長い時間を『マブラヴ』と共に歩んでまいりました。
思えば、『マブラヴ』を知って以来、純夏の脳髄の前に佇む社霞の画像を、今日に至るまでずっとスマートフォンやPCの壁紙にしております。
我ながら、随分と長い付き合いになったものです。
さて、本作も多くの方々に支えられ、今日まで歩みを進めることができました。
5年間で44話という、決して早いとは言えない更新ペースではございましたが、その間にも温かいご感想をお寄せくださった皆様、ほんの一瞬でも本作に目を通してくださった皆様、いつも丁寧に誤字をご報告くださる皆様、そして何より、長きにわたって本作を読み続けてくださっている皆様。
本当に、数え切れないほど多くの方々のおかげで、ここまで筆を執り続けることができました。
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
私にとって『マブラヴ』とは、もはや単なる娯楽作品ではございません。
それは生活の一部であり、時には人生の教科書でもありました。
なかでも夕呼先生の数々の言葉は、今なお私の心に深く刻まれております。
本作において、私が必要以上に夕呼先生を持ち上げてしまうのも、そうした事情があるからなのでしょう。
もっとも、私自身、夕呼先生こそ『マブラヴ』という物語における、もう一人の主人公であると考えておりますので、多少の贔屓についてはご容赦いただきたく存じます。
少々話が逸れてしまいました。
ともあれ、それほどまでに私の人生と深く結びついた作品から生まれた本作もまた、今では私自身の一部と言っても過言ではありません。
ならば、もっと頻繁に投稿しろ。
そうお叱りを受けても、まったく返す言葉がございません。
しかし、大切に思う作品だからこそ、一つひとつの展開に向き合い、自分自身が納得できるものを書き上げたいのです。
もっとも、その思いが強すぎるあまり、一時期は執筆そのものを重荷に感じてしまうこともございました。
けれども、最近になって、ようやく一つのことに気が付きました。
納得のいく作品を書きたいという思いは、今も変わりません。
ですが、それ以上に大切なのは、何よりも私自身が楽しんで筆を執ることなのだと。
そもそも、好きで始めた創作なのです。
書くことが苦痛になってしまっては、本末転倒というものでしょう。
そうした心境の変化もあり、今後は文章の体裁や描写、あるいは物語の見せ方など、これまで皆様に親しんでいただいたものから、少しずつ変化していくこともあるかと存じます。
無論、変えることそれ自体を目的とするつもりはございません。
ただ、自分なりに試行錯誤を重ねながら、より納得のいく物語を紡いでいきたいと考えております。
それが皆様にとっても、より楽しんでいただける作品へとつながるのであれば、作者としてこれ以上の喜びはございません。
そして、最後に一つだけ。
本作を完結させるという決意に、いささかの揺らぎもございません。
その決意を申し上げるにあたり、私が敬愛してやまない夕呼先生の言葉をお借りしたく存じます。
強い意志を持って事に当たること。
望むものを勝ち取るために、全力を尽くすこと。
この言葉を胸に刻み、いつの日か本作を完結という形で皆様にお届けできるよう、これからも筆を執り続けてまいります。
その歩みは、相変わらず遅々としたものになるかもしれません。
それでも、最後の一行を書き終えるその日まで、決して筆を折らぬことを、ここにお誓い申し上げます。
改めまして、皆様。
これまで本作をご愛読くださり、誠にありがとうございます。
そして、これからも本作にお付き合いいただけましたら、望外の幸せにございます。
引き続き、本作をどうぞよろしくお願い申し上げます。
作者:オルタネイティヴ第Ⅵ計画より