Muv-Luv Alternative The Phantom Cemeter 作:オルタネイティヴ第Ⅵ計画
Episode9:戦う理由
2004年12月24日(金)
「やられたわ!!」
机の上にあった書類を、掴んで投げてしまうくらいには荒れていた。
そんな夕呼を社霞は少し離れたところで黙って見つめていた。
人類最大の反攻作戦である桜花作戦により人類は、オリジナルハイヴ(H1:甲1号目標)のあ号標的の破壊に成功した。
この報せは人類全体に即座に行き渡り、世界中が歓喜に包まれた。
人々は思う。
ここから人類の反撃が始まるのだと。
人類はまだ追い詰められてはいなかったのだと。
しかし桜花作戦のために失った人類側の戦力は膨大で、BETAはその中枢を破壊されたとはいえ、全体的な物量に大した変化はなかった。
故に人類は、1年がかりで失った戦力の立て直しを計った。
そして満を持して、オルタネイティヴⅣ総司令部改めオルタネイティヴⅥ総司令部は、ユーラシア大陸反攻作戦である、西号作戦を発動した。その一環として、朝鮮半島に存在する鉄源ハイヴ(H20:甲20号目標)の制圧を実施したのだが、ここで事態が急変する――。
夕呼は感情的に叫ぶ。
「まさかあ号標的の身代わりに、複数の
霞は悲痛に駆られる夕呼を、ただを見ていることしか出来なかった。
リーディングはもうしようとは思わない。
したところで夕呼の悲しい思いしか伝わってこないからだ。
「――BETAが戦術を覚えた以上、もう凄乃皇も使えない……00ユニットに対する対策すら立てられている可能性すらある。そもそも00ユニットは鑑以外存在しない」
今度夕呼は、まるで力尽きたように椅子にドサッと崩れ落ちるように座ったかと思うと、顎に手を当てて、何やらブツブツと独り言を言い始めた。
独り言を呟く光景は以前からよく目にしたが、今回のような光景は初めてだ。
ある意味で興味本位というのもあっただろうか。
霞は、一時的にやめていた夕呼へのリーディングをしてしまった。
途端に霞の頭の中に、夕呼の負の感情が大量に流れ込んできた。
思わず霞は膝をついて、口元を手で押さえ込んでしまう。
その正体は吐き気。
10年近く霞は夕呼の元にいるが、彼女がここまでの感情を持ったのは始めてだったし、ここまでの負のスパイラルを増幅させていたことは今までになかった。
「――ん?あぁ……社、あたしの感情を読んだのね」
霞が気持ち悪そうにしているのに気付き、夕呼は声を掛けた。
「辞めておきなさい。気分が悪いだけよ……今のあたしを見たらきっとアイツにも笑われるわね――――アイツって誰だっけ」
「……白銀さんです」
「白銀?そんな奴いたっけ?」
思い出せない様子の夕呼に、霞はコクコクと必死に頷いて見せる。
それを見た夕呼はよほど重要な人物だったのかと思うが、不思議と思い出すことが出来ない。
「まぁいいわ……社、もう人類は終わりよ」
「……まだです。白銀さんなら何とかしてくれます……!」
「だから白銀って誰よ……まったく、とんだクリスマスね――厳密にはクリスマスイブか。馬鹿がするよくある間違いね……あぁ、あたしもか」
夕呼はそう呟くと重い腰を上げるようにのっそりと立ち上がり、フラフラしながら歩いて部屋から出ていった。
「……ッ!」
霞は自身の胸元のギュッと握りしめる。
そして意を決したように、夕呼の後に続いて部屋から出ていった。
「……白銀さん!」
夕呼の後に続いて部屋から出た霞は、その足でとある場所へと向かう。
その小さい身体を最大限酷使して、夕呼の執務室と同じB19フロアにある実験室に向かった。
息を切らしながら霞が辿り着いたのは、かつて武が元の世界に数式を取りに行くために使った装置のある部屋だった。
武以外に使用可能な者がいないこともあり、用が済んでからは長いこと放置されていたせいで埃まみれになっている。
だが幸いまだ動くはずだ。
霞はとある目的のために装置を起動し、情報の入力を始めた――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
2001年10月26日(金)21:57
気分というものは不思議なもので、普段やらないようなことでも、時にして唐突にやりたくなるものである。
自己鍛錬というのは軍人にとっては必要不可欠だし、武もそれなりにはする方ではある。
武は主観時間で数年ぶりとなる自己鍛錬をやりに、訓練校のグラウンドへと来ていた。
(……久しぶりだなぁ)
武はふと郷愁の念に駆られる。
207Bの訓練の時もこのグラウンドに来ていたが、その時はそんな意識は現れなかったし、特に意識もしなかった。
しかし今は違う。
じっくりと訓練校全体を見回すことが出来る。
だがずっと物思いに耽るわけにもいかない。
気持ちを切り替えて準備運動を始める。
すると背後から人の気配を感じ、武はその方向を向く。気配の正体は冥夜であった。
(そう言えば、冥夜は毎日の自己鍛錬が日課だったっけか……昔のこと過ぎて忘れてたなぁ。しかしどうも
武がそう思っている間に冥夜は距離を詰め、声をかけてきた。
「……白銀少佐」
やがて月明かりの元で、お互いの表情がハッキリと読み取れる距離まで近づいた冥夜が、武に敬礼をする
その額からは汗が滲み出ており、つい今し方まで鍛錬をしていたことを物語っていた。
だがその表情は芳しくない。
何かに悩んでいるのか、或いは武に出会ってしまったことが原因か、はたまたその両方であるのか。
真相は冥夜にしか分からない。
「御剣か――貴様も鍛錬か?」
武は意識して訓練と同じ苗字読みをする。
何故、武が冥夜たちを苗字読みするのか。
それは彼の決意の表れであった。
それに一度でも名前呼びをしてしまったら、そこで何かが崩れそうなそんな気がしたというのもあった。
故に武は表立っては名前を呼ばない。
今は呼んではいけないと思い込んでいた。
武の問いに、冥夜は少々緊張気味に答える。
「はっ。日課としております故」
「そうか」
それだけ武は話すと、冥夜から顔を背け黙々と準備運動を続けた。
正直なところ、武はもっと冥夜と話をしたかったし、以前の様に冥夜と呼び捨てにしたい気持ちもあった。
(でも今はまだ名を呼べない。呼んではいけない……冥夜たちが真に強くなって、仲間という意識を隊内で共有し始めた時にしよう……)
そう、心に誓っていた。
そんな武を他所に、暫く様子を伺っていた冥夜だったが、やがて意を決したように口を開いた。
「――あの少佐!……一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
先日の訓練の厳しさや、普段の武の態度から正直断られると思っていた冥夜は、思わぬ肯定の返事に若干驚きの表情を見せる。
しかし背を向けたままの武が、自身の次の言葉を待ってくれているのだと把握すると、兼ねてよりの質問をぶつけた。
「あの……少佐は先日、戦う理由を見つけろとおっしゃいましたが……」
「ああ、言ったな」
「少佐の戦う理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
武は驚き目を見開く。
(まさか冥夜がこの質問をぶつけてくるとは……いや仮に質問してくるなら冥夜しかいない、か――背を向けててよかったな……)
武は自身の驚きの表情を、冥夜に見られずに済み心底安堵した。
今日武が鍛錬をしたくなったのも、もしかしたらこれを予期した神のいたずらか何かだったのかもしれない。
武は振り向き、敢えて平凡な理由を答える。
「――人類の勝利だ」
その言葉を聞いた冥夜は少し残念そうな、落胆したようなそんな表情をしていた。当たり前に過ぎる武の解答。
それを察した武は鋭く切り込む。
「ふっ、納得いかなそうだな御剣」
「い、いえ!決してそのようなことは……」
例えどう思っていようと、武は冥夜からしてみれば上官にあたる。
逆に冥夜からしてみれば、自分たちに明らか年齢が近いこの男が、かなりどころか超有能だということは、既に少佐という地位を得ていることから想像に容易い。
最初は夕呼に取り入ったのかと、僅かながらでも邪推した冥夜だったが、その考えはここ数日の間に、武に課せられた訓練と今日の格闘戦で既に破棄していた。
であるからこそ、武がどのような理由で戦っているのか、冥夜は純粋に興味があった。
(昨日、少佐は戦う理由について仰った。その時は意味を理解しかねたが……今なら多少は分かる気がする。私の戦う理由、というより護りたいものは……この星、この国の民、日本という国だ)
冥夜はそう思った。
だが、いざ張本人にその理由を問うと、帰ってきた返答は在り来たりのもの。
冥夜は何故か少々落胆したのだった。
しかしその気持ちは、それを見抜かれたという驚きと武の次の言葉で、瞬く間に消え去ってしまった。
「本当はな御剣……俺は取り戻すために戦っているんだ」
「取り戻すため……ですか?」
武の声は、冥夜の知る彼からは想像できないほどの優しいものだった。
(取り戻す――少佐は一体何を取り戻すというのだろうか……)
冥夜は疑問と共にその答えに心底興味が湧いた。
思わず取り戻す、という部分を聞き返す。
「自分が壊してしまったもの。失われて……或いは失ってしまったもの。そういうものを取り戻すために、俺は戦っている」
武は2度のループで沢山の事を学び、手に入れ、そして失ってしまった。
その事実は、武の心からは決して離れることのない重荷となっていた。
単なる後悔ではない。
懺悔でもない。
武はそれが無駄なことであると知っていた。
「無論、一度壊れてしまったもの、失われてしまったものが、決してもう二度と戻らないということも分かってはいる。だからこそ、俺は歩みを止める訳にはいかないんだ。歩みを止めたら、俺は……」
「少佐?」
武は夜空を見上げて言った。
「運が良い、という表現はよくないかもしれないが、だが俺はもう一度……それらを手にする、守るチャンスを与えられた――それらを成せて初めて俺は、沢山の先任方や上官、素晴らしい仲間たちの恩に報いる事が出来る。それが済めば後は……どうなってもいい」
冥夜は、遠いところを心の目で見つめる武に心底驚いた。
(この白銀武少佐という御仁は……並々ならぬ思いを、覚悟を秘めておられる。私たちとは歳も近いはずなのに……既に死を覚悟している節すらもある)
冥夜は心の中でそう思い、武への評価を一瞬にして変化させていた。
武の思いとその覚悟は、彼女の心を刺激どころか感服すらさせていた。
そして冥夜は気づいた。
気づいてしまった。
先日から感じていた武に対する違和感に。
(分かった……この御方は私たちを見てはいない。私たちのその後ろ、遠くを見ていらっしゃるのだ。少佐は私たちの目指すべき所を、さり気なく見据えていたのか……)
それに気付いた冥夜は、感心と同時に少し悲しくなった。
冥夜がそう思考していたのもあるだろう。
暫く冥夜と武の、双方の間に沈黙が流れる。
武は天を見上げるのを止め、冥夜を見る。
彼女が何やら思いつめた表情で下を向いているのを見て、重苦しい雰囲気になったと勘違いし、武は話題を切り替えた。
「少し重くなってしまったな――そうだ御剣。貴様、兵士の心理に関する話を知っているか?」
「兵士の心理、ですか?」
そう、これはかつて武が甲21号作戦前に伊隅にされた話だった。
「70年代に米軍が学術調査した話なんだが……最前線の兵士が何のために戦うのか――という調査項目があってな。そこで面白い結果が出たんだ。最も多かった理由は何だったか分かるか?」
武の質問に冥夜は一瞬黙り込んだが、深く考えても仕方ないと思ったのか。
或いは自分の目的がそうであるからなのか。
前のこの世界で武が伊隅に答えたのと同じ答えを、冥夜は提示した。
「この星……地球や国のため、でしょうか」
「ふふ、ハズレだ」
「ッ!?」
冥夜の答えに武は軽く笑った。
武の優しい笑みに冥夜は一瞬ドキッとした。
「それは送り出す側と、戦場に行く前の兵士が多く答える理由らしい。答えはもう少し身近なものだな」
そんな冥夜に気付かず、武は話を続けたので冥夜もそれに流され、驚きの表情は一瞬で影を潜めた。
「では、残してきた家族や大切な人たちのためでしょうか」
「それもハズレだ。送り出す側は往々にしてそれを本音だと思いたがるらしいぞ」
冥夜は分からず眉間に皺を寄せた。
武はもう打ち止めかと思い、答えを教えることにした。
「答えはな、仲間のため――だそうだ」
武の言葉にまたも冥夜は意外そうな表情をした。
それを見た武は僅かに笑いながら、冥夜へ言葉を発した。
「意外だったか?不思議なことにな……相手が人間だろうとBETAであろうとこの結果に変わりはなかったらしい。同じ戦火をくぐり抜け、苦楽を共にした仲間を死なせたくはない――だからこそ必死に戦うことが出来るんだそうだ」
これは武からの冥夜たち207Bに向けた、遠回しのメッセージだった。
一方で、同じ戦火をくぐり抜け、苦楽を共にした仲間の死なせたくない。
この言葉は冥夜の心に刺さるものがあった。
言い換えれば訓練もある意味で戦いだ。
冥夜はたまや千鶴、美琴に彩峰と言った仲間たちと、訓練という戦いの苦楽を共にしていた。
(確かに……207Aは皆仲間らしい仲間のように見えた……)
と冥夜は今更ながらに気づく。
そこで彼女は思う。
(私たちはどうなのだろうか……)
己の出自に拘り、深い入りをしないという暗黙の了解に従う。
このような状態で本当に仲間と呼べるのだろうか。
冥夜は何とも言えない気持ちになり、心が乱れ始める。
「少佐も……仲間のために戦っておられるのですか?しかし先ほどは……」
「結局のところはそういうことだ。無論、オル……人類の勝利や取り戻すためという目的や理由に変化はない。だが、ハイヴ突入戦などの極限状態になった時、それらの理由だけで戦い抜くのは厳しい。大義に生きる事が悪いとは言わんし、それも立派な理由にはなる。だが目の前の仲間を助けられないようでは、戦場に出ても意味はないし迷惑なだけなんだよ……何よりそういったものにしか縋った戦いしかできない奴が一番危険なんだ」
冥夜は直観的に感じた。それは自分のことかもしれない、と。
「俺はそういった意味では、お前たちが一番危険だと思っている。1人1人が明確な理由を持たず、独善的な理由だけで行動しているからな」
武は再び天を見上げて淡々と述べた。
「――貴様らのような奴が、多くの戦友を殺す」
「……」
「――貴様らのような奴が、罪を恐れて戦友を遠ざける」
「ッ……!」
「――貴様らのような奴が、死に場所を求めて部下を巻き込むことが多い。だからこそ多くの命を奪う前に、貴様たちは除隊すべきなんだ」
冥夜は黙った。黙るしかできなかった。
「……まぁ今の貴様には分からんかもしれん。だがこれだけはハッキリと言おう。下らん身の上を気にし、互いの心のうちを開けないようでは、幾ら鍛錬しても意味はない。例え
「ッ!?」
強調されたその一言に冥夜は狼狽した。
だが少佐という地位にあれば、自分の身の上を知っていてもおかしくはないことに冥夜は気づく。
まりもによって、武が夕呼の元へ頻繁に出入していることぐらいの情報は、冥夜たちにももたらされていた。
先日のピアティフによる呼び出しが、何よりの証拠だ。
更に冥夜は武が夕呼直属の副官である、という情報も他の隊員たちに先駆けて入手していた。
であれば知っていても不思議ではない、という事実に行き着いた冥夜は、何とか爆上がりした鼓動を鎮めることに成功した。
「強くなれ御剣冥夜訓練生。人類を想う前に仲間を想わなければ、貴様の言う日本人の魂や志を守るなど、夢のまた夢だ」
武は冥夜に対しまるで教師であるかのように、言い聞かせるように優しく語る。
「目的があれば人は努力出来る……それは普段の貴様を見ていればよく分かる。だがな、人とは何故人たるのだ?それはな、心があるからなんだよ冥夜」
「ッ!?」
最後に名前をサラッと言われたことで、一度落ちついた冥夜の心は再び荒れ始めた。
しかし肝心の本人は、名前で呼んでしまった事に気づいていない。
「長くなったが……そうだな、ここら辺で終わりにしよう。既に夜も更けた。俺はこのまま走るが……御剣、貴様はどうする?」
武は冥夜の表情から今の気持ちを察し、敢えてこれからどうするかという質問をぶつける。
冥夜の雰囲気はすっかりしおらしくなり、ただ拳を握りしめる。
「……私はこれで失礼します」
「そうか……明日も訓練だ。ゆっくり休め」
冥夜はグラウンドを後にし、武は独り黙々と鍛錬を始めた――。