虚像と偶像 作:ブラックコーヒー
少しばかり、昔のことを思い出してみる。あの人と初めて出会った時のことを。
大きな夕日が西へ沈む黄昏時、西日によって赤く染まった商店街の外れ。今どき見ることのないシルクハットに燕尾服。印象的な柔和な笑顔を浮かべながら彼は優しく微笑んだ。
――私が誰かって?
――私はエンターテイナーだよ。うーん、エンターテイナーって言っても分からないかな?
まだ下の毛も生えそろっていない俺のたどたどしい質問の数々に彼は一つ一つ丁寧に答えてくれた。
――何が出来るのって?
彼と何の会話をしたのか今ではその殆どを思い出すことが出来ない。しかし、あの質問の答えだけは明確に思い出せる。
『エンターテイナーって何ができるの?』
そんな馬鹿な質問をした俺に、彼は
――――キミを笑顔にできる。
夕日によって赤く染まった彼の柔和なその時の笑顔を俺は、一生忘れないだろう。
ある春の黄昏時、近所の寂れた商店街の一角にて、俺は、彼と出会ったのだった。もう、十年近く前の話だ。この出会いがよかったのか悪かったのか今では分からない。分からないが一つだけ確かなことは、あの人との出会いは俺の人生を大きく変えた。これだけは間違いようのない事実だ。
大学からの帰り道、いつものようにポケットに入っているトランプとスーパーボールを右手と左手のそれぞれで触りながらボンヤリと歩いていた時だった。
急に後ろから服を引っ張られた。思わず立ち止まり、後ろを見る。
「やっほー、お兄さん」
そこには凄い美人がいた。透明感のある陶器のような白い肌に、大きな藍緑色の瞳。円香よりも少しだけ長い髪は、毛先が黄昏時の海を思い浮かばせるような青とも藍とも言えない色をしていた。
彼女とはかれこれもう短くない付き合いだが、その俺の贔屓目を抜きにしても彼女の顔はとても整っていた。恐らく街角でアンケートをしてみると100人中99人が彼女顔に美を見出すだろう。冗談を抜きにしてそう思わせるほどの物が彼女にはあった。
「なんだ、透か」
彼女の名前は浅倉 透。4人いる円香の幼馴染の一人であり、円香よりも少し早くアイドルになった少女だ。
「なんだって……酷いなぁ」
いつも通りゆっくりと、だがハッキリとした声で彼女は言う。その容姿も相まって、彼女はどこか透明感を感じさせる。
――透明感。
そう、浅倉透のことを他人に説明するとすれば、その三文字をもって事足りる。強烈な、見た目とは裏腹に彼女は常に目を話すと何処かに消えてしまいそうであり、言動も行動も彼女の行動原理は誰にも分らない。
カリスマと透明感、その二つの相反する言葉が交じり合った存在が浅倉透という少女だった。
「別に酷くもなんでもないだろ」
「んー、なんだか、私の扱いが雑な気がする」
俺の態度に不満があるのっか、彼女は少しだけ形のいい眉を顰めてそう言った。何気ない動作だが、そんな動作でも彼女が行うと絵になる。それを見る度にやはり美人は得だと思う訳だ。俺も是非とも来世というものがあるのならば、美人に生まれたいものだ。
妹である円香も顔は整っているのに、何故か俺の顔はどう自分で盛ってみても中の下か中の中が精一杯。顔がかっこいいだの、イケメンだの言われたことはこれまでの人生で数回しかない。その数回もきっとお世辞だろう。
「別にそうでもないけどな」
よく知らない相手なら気を使うが、こいつの家は俺の実家の横であり、親同士も仲がいい。昔からしょっちゅう家に遊びに来ていたし、その時に面倒を見ていたこともある。俺からすればこいつは第二の妹のような存在だ。そんな奴に気を俺は持ち合わせていない。
「で、どうしたんだ今日は? 仕事終わりか?」
「ん、そんなところ。レッスン終わり」
「ふーん、そうか」
「あ、そう言えば」
そんなどうでもいい会話をしていた時だった。透が急に何かを思いついたかのように声を出した。その声に一瞬だけ身構える。昔からこいつがこんな声を出すときは禄でもないことを言い出す合図だ。
「そういえば、何か見せてよ」
ほれみろ言わんこっちゃない。
「何かって何だよ」
「うーん、ほらいつもやっているヤツ?」
そういって彼女は小首を傾げた。傾げたいのは俺のほうだ。
「でも、出来んでしょ。お兄さんは魔法使えるんでしょ」
――魔法。
今は昔、まだ幼さの残る円香と透に拙い芸を披露したことを思い出す。
「勿論、俺は魔法使いだ」
そういって少し口端を上げる。
あの時と今では歳もう技術も大きく違う。しかし、根本的な心の持ちようは何も変わっていない。
――俺はエンターテイナー。誰かが望むのなら、魔法使いでも、ピエロでも大道芸人にでも何にでもなる。
にやりと笑ってから右手で弄んでいたスーパーボールを取り出す。
緑色のボールを親指と人差し指つまみ、透に見せる。
「ミドリ」
透がそう呟いたのを確認した瞬間、左手で一瞬ボールと透との視線を遮る。左手と右手が交差する一瞬でスーパーボールをすり替える。
「アカ」
またもや透がそう言った瞬間に同じように左手でボールと透との視界を遮る。今度はボールを右手の袖に落とす。
「消えた」
透の視線が右手に集中しているその隙に左手でポケットに入っている飴玉を取り出し、見えないように握りこむ。
そして、最後にもう一度左手で右手と透の視界を遮る刹那左手に握りこんでいた飴玉を右手に移し変えてやる。
「あ、飴」
きっと彼女の視界ではミドリのボールがアカに変わりそして、最後に飴玉に変化したように見えたはずだ。
「ほら、やるよ」
「いいの?」
「勿論。なぜなら俺は魔法を使えるからな、飴玉くらい簡単に出せる」
握っていった左手の甲をも右手の人差し指で数回叩き、開いて見せる。そこには透の視線が右手の飴に集中した瞬間に仕込んだ飴玉があった。
「うふふ、ありがとう」
そういって彼女は笑い、飴を袋から出して口に入れた。
「んで、なんで所にいるんだ? 買い物か?」
「うーん、いやお兄さんの家に行く途中」
円香には透を含めて三人の幼馴染がいる。勿論俺も全員と顔見知りだ。そんな彼女たちは何故か時々俺の家に来ることがあった。ちなみに全員がアイドルであり、同じユニットでもある。
まぁ俺とすれば見られて困るものも特にないし、全員妹のような存在だ。来るなら勝手にしろというスタンスなのだが、結構好き勝手にやっているこいつ等を見てると俺の家を一体なんだと思っているのか疑問に感じることがある。きっと、体のいいたまり場と勘違いしているに違いない。
「お前たちは俺の家を何だと思ってんだ……」
「うーん……秘密基地みたいなぁ?」
「はぁ」
予想通りの回答に思わずため息がもれてしまった。
「あ、そういえばお土産もあるよ。はいこれ、今川焼。お母さんから」
頭を抱えたくなっている俺をよそ目に透は手に持っていたビニールを俺に差し出してきた。
「あ、悪い、ありがとう。おばさんにもお礼言っておいてくれ」
「分かった」
「とりあえず、俺の家に来るなら向かうか」
目的地が同じならここで立ち話をするだけ無駄だと透と共に俺の家へと足を進めることにする。
「あ、そういえば今日は誰がくるんだ?」
横を歩く透に聞いてみる。円香の幼馴染三人の中は一人をのぞき基本的に自由人だ。特に透に限って言えば勝手に円香から俺の部屋の合鍵を借りて部屋に居座っていることもある。
「んー、樋口が後からくるだけ、かな」
「なんだよ、小糸ちゃん来ないのか……」
彼女からの返事にあからさまに肩を落とす。
――福丸 小糸。
円香の幼馴染のうちの一人。小柄な体格に、同顔が特徴的な彼女は制服を着てなければとても高校生には見えない少女だ。
「お兄さんって明らかに小糸ちゃんのこと好きだよね」
「まぁな。実際可愛いし」
円香はともかくして、透ともう一人は俺に対して遠慮のえの字もないような人間だ。俺がいなくても勝手に部屋にあがっているし、好き勝手部屋のものを使う。まぁべつに気を遣う間柄ではないと言えばないのだが、親しき中にも礼儀ありという言葉彼女たちの辞書にはないようだ。
その点、小糸ちゃんは礼儀がしっかりしている。さすが優等生だ。俺に対しても敬語だし、何より気を使ってくれる。
その可愛らしい容姿に、常識ある態度。可愛がるの仕方がない。
「お兄さんって……ロリコン?」
「違うわ!?」
とんでもないことを言いだす透に突っ込みを入れる。
俺が好きな女性のタイプは包容力のある年上のお姉さんだ。少なくとも年下は全員恋愛対象外である。
「ふーん……そっか」
含みのある視線を向ける透を無視して話を変える。
「そういえばお前この間も俺の家に忘れ物していっただろ。タオルおきっぱなしだったぞ」
しっかりしているように見える透だが、その実中身は実際には正反対だ。俺の家に来てはしょっちゅう物を忘れて帰る。ハンカチ、タオルから始まり、酷い時だと財布や携帯すらも忘れて帰る。タオルやハンカチならまだ分からんことはないが、携帯や財布なんて家にたどり着く前に気づきそうなものだが、彼女はそのまま次の日まで気づかないこともある。
「あー、いつの間にかないと思ってたけど、お兄さんの家だったかぁ」
「いつものボックスにおいてあるから持って帰れよ」
忘れ物があまりに多いため我が家には彼女を忘れ物を保管するボックスがいつの間にか出来てしまった。その名も人呼んで浅倉ボックス。
「あー、うん。ありがとう」
「今日は何もおいて帰るなよ」
無駄だと思いつつも、透に一言注意する。
「あー、うん、分かった」
そんな俺に小言を透は分かったのか分かっていないのか、よく分からない気の抜けた返事を返すのだった。
今日も今日とて世界は平和である。