虚像と偶像   作:ブラックコーヒー

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第四話

――…………。

 

人々が生み出す雑踏を聞きながら、首から下げている小瓶を握りそして、そっと目を閉じる。

 

真っ暗な暗闇な中、聞こえるのは大勢の人の談笑と動き回る足音。雑音を聞きながら、大きく息を吸い込み、吐き出す。そして、それを三回繰り返した。

 

――…………。

 

いつものように浮かんでくる様々な雑念を消すために、頭の中のノイズを一つ、また一つ消していく。普段なら雑念だらけでいい。煩悩だらけでいい。堕落だって大歓迎だ。

 

しかし、この時ばかりはそうはいかない。普段の堕落した俺を、煩悩まみれの俺を消し去らなければいけない。なにせ、これから俺は神の御前に立つのだ。持つべきなのは俗世を憂う心ではなく、美しいものをただ美しいと思える純粋さのみ。

 

――…………。

 

また一つ、息を吸い、吐き出す。ゆっくりと、ゆっくりと。また一つ、そして一つ。ノイズを消していく。

 

――…………。

 

そして、全ての準備が終わった時だった。合図が出た。

 

――さぁ、行こう。

 

待機していた目の前の扉を開ける。真っ白の扉は何の抵抗もなく俺を歓迎した。

 

扉の向こうは荘厳な世界だった。天井から吊るれた数々のシャンデリアに、赤いカーペット。純白のテーブルクロスを敷いた丸テーブルが均等な感覚に置かれ数々の料理が並べてあった。

 

部屋の中にいた人々は、煌びやか衣装に身を包み、料理と酒に舌鼓を打つ。まるで絵本の立食パーティーのような光景がそこにはあった。ゆっくりとステージへと足を進める。談笑をしている人々はまるでこちらに気づかない。

 

壇上に上がるとそこには一人の恰幅の良い男性がいた。今回のクライアント、とある大企業の社長、それが彼の肩書。

 

彼がホテルのスタッフからマイクを受けており、何かを指示する。すると、いきなり部屋中のシャンデリアの明かりが一斉に消え、そしてスポットライトが彼を照らした。

 

雑音が刹那に消える。

 

「あー、皆様。この度はわが社の創業記念パーティーに来てくださり、ありがとうございます。改めて御礼申し上げます。さて、料理やお酒はある程度楽しめましたでしょうか? 皆様のお口に合えば幸いです。まだまだパーティーは続きますが、ここで一つ催し物を……。皆様が楽しめましたら幸いです」

 

彼が言い終わると、彼を照らしていたスポットライトが消えた。

 

そして、刹那、スポットライトが今度は俺を照らす。

 

――…………。

 

最後に一つ息をして、静寂を裂くように口を開く。

 

「この度はこのような場所に呼んでいただき、誠にありがとうございます」

 

――ゆっくりと、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。

 

「私は『白鴉』と申します。ご存じの方はまたお会いできて光栄です。お初にお目にかかる方は名前だけでも覚えていって下されば幸いです。拙い芸ではありますが、皆様に楽しんでいただければ何よりの馳走です」

 

シルクハットを取り、深く一礼。

 

顔を上げ、シルクハットを右斜め前の地面に上を向けておく。単純な動作が指先一つに集中する。いつものルーティンだ。

 

――…………。

 

ここはもう既に神の御前。一瞬たりとも気を抜けない。

 

音楽が始まる。手始めに音楽に合わせて腕を振り、そして挨拶代わりに鳩を出す。

 

『芸をするときは神の眼前にいると思え』

 

――ゆえに俺は芸をするときに神をみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

缶ビールを開けて中身を一気に半分ほど飲み干す。冷えた炭酸が喉を通り、食道を抜け胃に落ちていく。まさにこの世の中で至高の時間だ。

 

――くぅうううう。やっぱビールだよな、ビール!

 

「やっぱ最高に美味いなー。ビールは!」

 

有史以来人間がいくつ物を発明して来たのか俺は知らない。その数は那由他にもあの大蔵経にもインドのラーマ―ヤナともその量を競うかも知れない。そんな数多くの発明、発見の中でもビールの発見は5本の指にはいると確信している。あれほど完成された飲みものは他にはない。

 

ビールと日本酒とラム酒とウイスキーは人類の発明したもので十本の指に入ると信望して、信仰している。古代ギリシアの芸術は端粛を理想としたそうだ。芸術の理想が端粛なら、飲み物の理想はビールだろう。

 

今は昔、中世の欧州では錬金術という学問が流行ったそうだ。錬金術とは文字通り、金を作り出すという学問だ。結果の方はすでご存知の通り失敗に終わっている。まぁ、鉄くずから黄金を作り出すことは無理だったのだが、この世には黄金に負けずの価値があるビールという飲み物がある。

 

ビールの色は黄金であり、金もまた黄金色である。黄金もビールも人を狂わせる。

 

こう考えてみれば黄金もビールも変わりない物に感じる。程よく求めるなら人生を豊かにするが、求めすぎると身を滅ぼす。お互いに身を滅ぼすのならまだ気持ちのよくなれるビールの方がいいのではないだろうかと俺は思う訳だ。しかも金は食えないから腹は膨れんが、ビールを飲むと腹が膨れる。その点においても黄金よりビールの方が優れていると言えるだろう。

 

かのルイスキャロルが書いた不思議の国のアリスでは、主人公のアリスが瓶に入った液体を飲み、『少し飲んで、その味がサクランボ入りのパイとプリンとパイナップルと七面鳥の焼き肉とタッフィーとトーストを混ぜた様な味。素晴らしい味。』と称しているが、まさしくアリスが飲んだ液体が俺にとってはそのままビールになるという訳だ。きっとアリスもそのまま成長したらビールが世界で一番美味い飲み物だと分かってくれるはずだ。はい、そこただのアル中とか言わない。そんなことは俺が一番分かっている。

 

「はぁ……まったく」

 

ビールを飲み至極上機嫌の俺にため息と、絶対零度に似た冷たい視線が突き刺さる。いつもの席、何時もの座布団に陣取る我が妹の円香だ。

 

「なんだ? 円香もビール欲しいのか……? 他の誰かならともかく、可愛い妹の頼みとあれば断れないな。冷蔵庫の一番上にストックがあるから好きに飲め」

 

「何馬鹿なこといってるの。私はただ飽きれているの」

 

はぁ……、とまた深くため息をついてた後、

 

「まったく、今何時だと思っているの?」

 

そう頭を抱えながら言った後、円香はベランダへと続くガラス窓を見る。

 

俺もついでに窓を見てみれば、そこは澄み渡った青空が見えた。本日は青いキャンパスを遮る障害物は少ないようで、雲は申し訳ない程度に隅のほうにまばらに見えるだけだ。本日は晴天なり。

 

「何時って? そりゃ、14時だけど……」

 

円香の問になんにもないようにそう返答する。

 

そしてまたビールを一飲み。

 

――あぁ、やっぱりビールは美味い。

 

「……ちょっとだらしなすぎ。土曜日の昼から酒を飲むって何か思わない?」

 

そういわれて少しばかり考える。

 

今日は土曜日。仕事も大学もない休日。そして今は昼下がり、空を文句なしの快晴。そして、俺はそんな中自室で缶ビールを飲んでいる。

 

――……。

 

「最高だな」

 

出た結論はそれだった。休みの日に昼間から飲むビールは、ただえさえ美味いビールの中でもトップ3に入るくらい美味い。普段では味わえない背徳感も合わさって最高と言ってもいいだろう。それくらいには美味い。

 

そんな天上天下の飲みものが片手にあるのだ。

 

これを最高とは言わずして何という?

 

それ以上の言葉を俺は知らない。知っていたら是非とも教えていただきたいものだ。

 

「はぁ……全く何時からそんなダメ人間になったのやら」

 

またしても深いため息を吐かれてしまった。ため息を吐くと不幸になる。その言葉が本当だったら、彼女はこの数分でどれだけ不幸になったのやら、口を開けば可愛くないことをいう彼女だが、黙っていれば身内の贔屓目を抜きにしても美少女だ。何せ、アイドルをやっているくらいだし、それは正しいだろう。そんな美少女を不幸にするやつにはそれ相応の罰がそのうち当たるだろうな。まぁ、俺なんだけど。

 

「ずっと前からこんなんだけど、俺」

 

「はぁ……そう言えばそうだった。兄さんとは兄妹だってことバレないように注意しないと」

 

「それに関しては問題ないだろ。未だに中学の同級生や、教師でさえ首を捻っているのに」

 

言うまでもないかもしれないが、俺はこのような自由奔放な問題児だが、その実円香は学校では大人しく手のかからない模範生に近い。そして、俺よりも遥かに顔がいい。中学からの同級生はしばらくは俺と円香が兄妹だってことを信じてくれなかった。それくらいには似ていない兄妹が俺たちだった。

 

「…………そうだったわね」

 

円香はそういうと立ちあがり台所の方へと足を進めた。どうやら、コーヒーでも煎れにいくらしい。数分後、マイカップを片手に円香が帰ってきた。

 

「そういえばこの間透が言ってたけど、レッスン大変だとか……」

 

「別に……」

 

円香はそっけなくそう言うと本棚にあったファッション誌を取り出し読み始める。その態度で察することが出来た。何せ俺は円香が生まれてからずっと兄をやっているんだ。少しの行動や表情の変化で彼女のことはある程度わかる。

 

「そうか、そうか……」

 

「何?」

 

俺の微笑みに彼女は不吉な物を見たかのような視線を投げる。我が妹ながら鋭い視線だ。

 

「いや、何もないよ」

 

「なら黙っておいて」

 

ファッション誌に再び目を通す円香はどうやらこれ以上俺と話す気はないようだ。

 

だから俺も本棚から適当にさての充てになるような本を適当に取り出して言う。

 

「アイドル頑張れよ」

 

適当に取り出した本の表紙には『トリストラム・シャンディ』の文字。

 

――おっとこれはラッキーだな。

 

これ以上に暇つぶしに読める本はない。適当なページを開き読み進める。

 

「……………」

 

この日ついに俺の最後の言葉に対する返答はなかった。

 

しかし、これでいいのである。返事はなくとも俺は彼女が行動によってそれを証明する少女だと知っている。

 

こうして、ある晴れた昼下がりは過ぎていった。

 

彼女たちの活躍はもう少し先になりそうである。

 

 

 

 

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