もしも第五次聖杯戦争がクラスカード形式で行われていたら 作:ふりかけ
確実に殺したはずだった。
故に、標的は確実に殺す。たとえ、巻き込まれたも同然の一般人が相手だったとしても──だ。
緊張と興奮によって激しく拍動する心臓を、紅い穂先で刺し貫いた感覚は、今もこの掌のなかに鮮明に刻み込まれている。
リノリウムの床に倒れた少年の身体からごぽりと粘度を持った血液がこぼれ、四肢に込められていた力という力が抜け落ちていく光景もしっかりと捉えた。
打ち損じなど、奇跡でも起きない限り、あり得ないはずだった。
しかし、
彼は生きていた。
どういう訳か生き延びて、こうしてまた命を奪いに来たバゼットに、全身全霊で抗わんとしている。
ならば、と思う。仕留め損ねたのならば、もう一度殺すだけだ。今度は奇跡など起きないように、全身を徹底的に破壊し尽くして、ヒトとしての原型を留めぬ死体にしてでも。
奇跡の秘匿。
たとえ協会の飼い犬風情だろうと、魔術師として在るならば、為すべきことを為すまでである。己の不覚など、あとでいくらでも悔やめる。
槍を振るい、あるいは薙ぎ、あるいは突き──やがてバゼットは、少年を土蔵のなかに追い詰めた。
校舎の時とは違って身構えていたせいで少しだけ手間取らされたが、これでなにもかも終わりだ。
土蔵のなかで尻餅をついた少年に、バゼットは躊躇なく槍を振りかぶる。そのとき初めて、一度も合わなかった視線が合った。
こちらをまっすぐ睨みつける瞳の奥には、いまだに生きることを諦めていない、強い渇望の炎が貪欲に揺らいでいた。良い目をしているなと掛け値なしにそう思う。
だからこそ、せめて最後まで目を逸らさないと決める。それがいまのバゼットに尽くせる最大の礼儀だった。
「───では。その心臓、ふたたび貰い受けます」
視線を離さず、ひと言呟く。
そして、稲妻の如く光る切っ先が淡々と放たれた。
狙うはやはり脈打つ心臓。回避不能、決死必殺の一撃。バゼットは今度こそ、逃がれようのない少年の死を見る。
その直後だった。
「な、に───!?」
なにもかもを、かき消すように。
満ち溢れた黄金の輝きが、視界に映るすべてを飲み込んだ。
※※※※※
ヤバいヤバいヤバい───!
遠坂凛は深山町の空を駆け抜けていた。
半開きになった唇から零れる吐息は荒く、肌から浮き出る汗の量は雨を超えてもはや滝だ。ぴったりと肌にくっついたシャツが鬱陶しい。毎朝たっぷりと時間をかけて整えているツーサイドアップは、台風に見舞われてしまったような有り様になり果て、普段から張り付けている余裕の仮面はとっくの昔に見るも無残に砕け落ちた。
しかし、それでも凛は足を止めることなく虚空を走り続けている。
今日、自分という愚か者は過ちを三つも犯した。
一つ目は、夜の校舎になんて誰もいないと勝手に思い込んでしまったこと。
二つ目は、校庭で派手に戦り合ったことにより目撃者を出してしまったこと。
そして、三つ目は───
「ああ、もおっ! こんな時までうっかりしなくても良いじゃないわたし───!」
奇跡の秘匿──それは、魔術師として生きる者なら、誰もが必ず心得ている暗黙にして絶対のルールだ。
だから凛にあの魔術師を責める気はまったくしないし、むしろ当然だとすら思っている。わざわざ助けた自分の方こそ、本来なら責められて然るべきだろう。魔術師として在るならば。
だが、どうしても見捨てられなかった。
いますぐ助けろと、頭の中の自分が叫んだ。
それを抑えつけるのは簡単だったが、従う以外の道などありはしなかった。
そうして凛は、ン十年モノの魔力が溜め込まれた遠坂家秘蔵のペンダントを手放し、その代わりに吹けば飛ぶような関わりしかない男の命を拾った。惜しいことをしたとは思ったが、後悔はなかった。
そこで終わっていれば、決して小さくはない代償はあれども、おおむね丸く済んだはずなのだが──
「この、バカっ! 魔術師が目撃者の死体を確認しに戻るのは、セオリー中のセオリーでしょうが!!」
痛切な叫びが夜のしじまを打ち破る。
踏み込みと同時に体重操作と重力調整の詠唱を実行。魔力を帯びて淡い輝きを放つ少女の蹴り足が、屋根の瓦を粉々に叩き割る。無数の破片が宙を舞い、そして凛の身体は天高くへと投げ出された。
眼下に広がった深山町は、すっかり夜の闇に包み込まれていた。今夜は雲が立ち込めているうえに、この高さだ。目撃者などあり得ないだろうが──万が一、という言葉が何のために作られたのか、凛は今夜でよく思い知らされている。
最悪の場合に陥っても、いけすかないあの兄弟子が何とかしてくれるとは思うが、あまりアレに借りは作りたくない。
わずかな滞空時間をあまさず利用し、深山町の馴染んだ町並みを一瞬で見渡す。影の帳に隠されてしまった町は輪郭すらもあやふやになっている。
だが、
「見えたあっ!!」
紙に垂らされた一滴の墨汁のような、圧倒的な存在感。
視力強化を使わずとも、それがいる場所が何処なのか。今から何をしでかそうとしているのか、すぐにわかった。
間に合うか──いや、違う。
たとえ運命を捻じ曲げてでも、間に合わせてみせる。
凛は固い決意とともに、風にはためく赤色に外套のポケットから一枚のカードを抜き出した。
タロットカードのような姿形をしているそこに描かれているのは、弓を引き絞った女の素っ気ない絵と、
少女の体内に張り巡らされた魔術回路が一瞬で励起し、膨大な魔力が回り始めた。四肢に込められていく力。頭は水で洗い流されたようにクリアだ。これまで感じていた疲労はなく、戦いに対する強い高揚感が全身を包み込んでいる。
やれる。
「───夢幻、」
舌で乾いた唇を湿らせて、戦いを告げる一節を謳おうとした瞬間。
突如生じた黄金の光が、凛が目指す場所に立ち込める夜闇の霞を深々と切り裂いた。
月の光のように冴え冴えとしたそれは、瞬き二つで消え去った。しかし凛の目にはまだ、その輝きは鮮明に映し出されて離れないでいる。
「───うそ」
やがて、呟いた。
光が晴れた場所にある気配が、
もう、一つ───
※※※※※
今日はまったく最悪な一日だと、衛宮士郎は心の底から思った。
校庭で繰り広げられていた異常な存在の闘争。
それを目撃してしまったばかりに、心臓を貫かれて死んでしまった自分。
そのまま死体になり果てるはずが、誰かに助けられて生き返った自分。
これだけでもう頭がパンクする寸前だというのに、自分という大馬鹿者は、ふたたび殺されようとしていた──しかも、一度心臓を刺してきた相手に。不運も行き過ぎるといっそ笑えるのだと初めて知った。
二度も同じ人間に殺されるなんてバカげてるし、そんな風に簡単に人を殺そうとするのはもっとバカげている。
だが、それよりも更にバカなのは、このまま大人しく殺されようとしている自分だった。
まだ死ねない。まだ生きなければならない。助けられたのならば、その義務に応える必要があるのだから。
それに自分には、まだやらなければならないことがある。何を代えても、成し遂げなければならないことがある。
負けられない。こんな、何の意味もなく人を殺せる奴にだけは。絶対に──
しかし穂先はそんな士郎の思いなど無視して、どこまでも無機質に迫り来ていた。原始の恐怖に締め付けられた心臓が、耳障りな悲鳴をあげる。
それを、握り潰す。
「──負けて、たまるか」
身体の裡から湧き上がる衝動に任せて、士郎は力の限り叫ぶ。
「お前みたいな奴には、絶対に───!」
そして、黄金の風が吹く。
狭い土蔵のなかを、どこからか湧き上がった輝きが隙間なく満たした。
「まさか、あなたが七人目の───!」
女があげた驚愕の声は、いまの士郎には聞こえない。それどころではない光景が、すぐそばにあったからだ。
襲いくる槍を遮るように、なす術もない士郎を守るように、目の前に少女が立っていた。
吹き起こる風のなかから現れた小さな体軀を包むのは、威容ある鉄の鎧。真砂のように滑らかな頭髪は、ぶ厚い雲の隙間から差し込むわずかな月の光を逃さず取り込み、金色に淡く煌めいている。
こちらには背中を向けているために、その顔や表情を窺うことはできない。しかし士郎は、少女の美しさにひたすら見惚れていた。先ほどまで感じていた死への恐怖と闘争心などすっかり忘れて、少女の清廉たる有り様に心を奪われていた。
不意に、少女が振り向いた。
何の言葉を発さないまま、翡翠を嵌め込んだ瞳を、静かに士郎へと向けている。
おそらくは、一瞬。一秒にすら満たない時間の切れ端のなかに置き去られた光景。
けれど、その姿ならば。
たとえ地獄に落ちようとも、衛宮士郎は鮮明に思い返せるはずだった。
「───」
焦がれるように、導かれるように。
士郎は少女に手を伸ばし──
そして、魔術師の手のなかに、
最後のクラスカードが握られた。