高くそびえ立つビル群が人を見下すようになって幾数年、
子供の頃は早く大人になりたいと願ったものだが、今となっては仕事に追われる毎日を送っている。上京する時、確かに持っていた情熱は霧散し、夢は現実の前に打ち砕かれた。今時は珍しくもない草臥れた背中、蓄積した疲労は取れず、肩や腰に重くのし掛かる。それでも人は歩みを止めず、進み続ける。
ふとした瞬間、足を止めたくなることがある。そんな時に私は思うのだ。
――あゝ、なにか美味いものが食べたいな。
と、そんなことを思ってしまうのだ。
現代社会。この利便性を追求した世の中では、独り身の食生活は偏食になりがちだ。
通常の勤務時間は八時間、休憩時間は一時間。通勤で更に一時間。残業することも考えると自炊する時間なんて勿体なくて取っていられなかった。かといって毎日を外食で済ませるには懐事情が寂しい都合がある。生き甲斐にもできない仕事に精神を擦り減らし、昼飯時には新規開拓をする気力も湧かず、手頃な店で安価な定食を毎日のように頼み続ける都合もある。故に夕食くらいは、と思いもするが、同僚と酒を飲み交わす気力もない。
もっと手頃に摂れるものが良いのだ。それでいてがっつりと、さりとて美味いものが食べたい。
看板に光が灯る表通り、もしくは居酒屋通り、ガハハと笑う喧騒を耳に入れながら何処か手頃なところはないものか、とゆらりふらりと彷徨い歩いた。学生時代、あれだけ洒落乙な都会に憧れを抱いていたというのに、今となっては唐突に故郷が恋しくなって仕方なくなる時がある。幼馴染のあいつは、今も元気だろうか。疎遠になって久しく、今やほとんど連絡を取り合っていなかった。
腹が減った。酒はいらぬ、私は飯が食いたいのだ。
確固たる意思と欲望を持ち、私は飲みニケーション蔓延る飲み屋街に背を向ける。
薄暗い通り道。絢爛な表通りと違って、此処は少し静か過ぎた。人混みを嫌う癖に、いざ周りに誰も居ないとなれば不安になる。戻ろうか? いや、今日はきっと巡り合わせが悪いのだ。美味いものが食べたい、しかしスマホで検索してまで食べたい訳ではない。というよりも手軽に美味いものが食べたかった。「よし、美味しいものを食べよう!」と気合を入れるのは私が求めるものではない。なんとなしに歩き回って、なんとなしに入った店で、なんとなしに頼んだものが美味しかった。という、そんなご都合主義な展開が良かった。気軽に手軽で、手頃に美味いものが食べたい。
美味いものを食べる為に気合を入れる事すら、今の私には億劫だった。
だから、きっと今日はそういう日ではなかったのだろう。と巡り合わせの悪さに溜息を零す。
踵を返す。その時、薄暗い通りの奥の方で店の明かりが灯っているのが見えた。もう心身共に疲れ切っていたが、まあ、あれだけ見て帰るかな。と重石付きの足を引き摺るように歩いた。
辿り着けば、そこはお好み焼き屋だった。
覗き見るに店内にいる客は疎らであり、雰囲気も悪くなさそうだ。誰かが騒ぎ立てる訳でもなく、しかし静か過ぎるという訳でもない。内装は昔からあるお好み焼き屋といったものであり、年季を感じられても不潔さは感じられなかった。
今日は此処にするか。と扉の取手を握り締める。
カランコロン、と鐘の音が鳴り響いた。じゅう、とお好み焼きを焼く鉄板の音が耳に入る。
「いらっしゃいませ!」と笑顔で出迎えてくれた若い女性に「一名です」と人差し指を一本立てれば「御自由にどうぞ」と彼女は慌ただしく店の奥へと戻っていた。机は五つ、カウンター席が三つ。それほど大きな店ではない。机は畳席が三つで、椅子が一つだった。一番奥の畳席は埋まっていた為、私は一番手前の畳席に腰を下ろす。備え付けのメニューを手に取ると、お好み焼きがずらりと並んでいた。そりゃそうだ、此処はお好み焼き屋だ。ひとつページを捲ると焼きそばの他、チーズベーコン、玉葱ステーキ、セロリのバター醤油炒めといった品目が綴られている。
ひと通り、メニューを流し見た頃合いで若い女性が冷たい水とおしぼりを持ってきた。
「ご注文はお決まりになりましたか!?」
元気な女性というものは良いものだ。彼女の満面な笑顔に私は笑みを返しながら「とりあえず豚玉を」と注文し、他に玉葱ステーキとセロリのバター醤油炒めを追加する。飲み物は烏龍茶、今日の私は烏龍茶の気分なのだ。店員の女性は注文を繰り返し、カウンターの奥にいる店主に「豚に玉葱、セロリ一丁!」と威勢の良い声を張り上げた。
とてとてと早歩きで狭い店内を動き回る店員を眺めながら改めて店内を見渡す。ビールのポスター、禁煙を呼び掛けるポスター。カウンター席の頭上には品目が書かれた白い札が所狭しと垂れ下がっている。店内にテレビは置かれていない、御行儀の良い店だ。私は懐からスマートホンを取り出して、野球速報アプリを開いた。虎のエースが七回一失点で好投を続けているところだった。
程なくして、セロリのバター醤油炒めが届けられる。
もうほとんど調理済みであり、アルミホイルの器に収められている。それを熱しられた鉄板の上に置いた瞬間、底に溜まっていたバター醤油がぐつぐつと煮立った。香ばしい匂いが鼻先を擽る、食欲が刺激される。お腹が空いていたことを自覚する。急く思いを抑え込んで、冷静に割り箸を手に取り、パキッと綺麗に割った。割り箸を親指で挟みながら小さく、お辞儀する。
いただきます。と心の中で唱えてから数本のセロリを箸先で摘んだ。
バター醤油が滴り落ちる。セロリから発せられる熱気を肌に感じ取りながら、火傷しないようにゆっくりと噛み締めた。もきゅっ、もきゅっ、と奥歯で何度も噛み締める。その身に吸い込んだバター醤油の風味、甘くもあり、辛くもあった。セロリの汁が噛み締める度に滲み出て、その風味が口の中にゆっくりと広がる。ぎゅっと濃縮された旨味成分、唾液が溢れ出るのを止められない。
しかし足りぬ、美味いだけでは舌は満たせても腹は満たされぬ。セロリの一本や二本、口に放り込んだ程度で満たされる腹を持ち合わせていないのだ。
むしゃり、むしゃりと頬張り、アルミホイルの器が空になった頃合い。餓える私の前に届けられたのは、玉葱ステーキだった。
違う、我が欲するのはガツンと胃に来るものである。つまり、お好み焼きである。しかしこんがりと焼き目が付いた輪切りの玉葱、セロリと同様、アルミホイルの器に包まれた極太の玉葱は鉄板に熱しられて、じゅうじゅうと美味しそうな音を奏でる。器の底に溜まった醤油の香りに胃を刺激される。いや、違うのだ! ぐっと唾を飲み込んで、箸を玉葱に突き立てる。私はもっと胃に来るものが食べたいのだ! しかし今、目の前にあるのは玉葱。ただ輪切りにした玉葱に醤油を垂らしただけのシンプルな料理。仮に塩胡椒で味付けられていたり、バターをふんだんに使って、醤油に砂糖やおろしたにんにくを混ぜ込んであったとして――それがどうした! 誰かは言った、空腹は最高の調味料だと。この空腹のまま、私はお好み焼きが食べたかった。その最高の状態でお好み焼きを食べたい気持ちを押し殺す。そうだ、私の口は既にお好み焼きの気分である! しかし、しかしだ。目の前にある玉葱ステーキ、玉葱ステーキを食すにも今が最高の状態。私がではない、玉葱ステーキが今、最高の状態を保っているのだ。これを見過ごすこともまた出来ぬ、玉葱ステーキは今、この瞬間、私に食べられたがっているのだ! 今が食べ時なのだ! 故に見過ごすことは出来ぬ! それは食への冒涜に当たる故、なによりも玉葱ステーキを脇に置いたままでは私が気分良くお好み焼きを食べることが出来ぬ!
私は悔いた、己の浅はかさに。私は後悔する、余計なものを頼んでしまった、と。
三度、唾を飲み込んで玉葱ステーキにむしゃぶりついた。
ガツンと、来た!
分厚く輪切りされた玉葱、美味しいとこだけを切り分けた贅沢すぎる一品。もぎゅっと噛み潰した瞬間、玉葱特有の濃密な甘い汁が口の中に染み渡った。
私は、食を知らぬ生涯を送って来たようです。私には玉葱の味というものを、今まで知らなかったのです。自分は関西圏の一般家庭に生まれましたので、玉葱といえば、スーパーのセールで売られているような安物でした。自分は農業の皆様方が、雨の日も、風の日も、休みを取らず、我が子を可愛がるように丁寧に育てあげられて来たことを知らず、ただそれは大量生産の御時世に、機械で全てを制御し、人間の情熱なんて関係ないものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間、今の今まで、そう思っていたのです。量産性に特化する為に味を犠牲にし、風味や味わいを切り捨てることは仕方のないことだと思っていましたが、それはそれとして野菜の一種類の味や風味、歯触りを追求した品種は芸術にも到達すると知り、にわかに興が覚めました。
大凡、野菜に使うべきではない言葉だが、この玉葱は余りにも肉厚が凄すぎた。味が一級品なのは勿論、噛んだ時の重圧が今まで食べて来た玉葱とは違い過ぎている。感動的だった、火照る背中に汗が滲んだ。この膨らんだ玉葱の中には高級料理店の和牛ステーキと見紛うようにギュッと旨味が詰め込まれている。いや、これは玉葱が吸い込んだのか。特別に用意された玉葱ステーキ専用のしょうゆダレから貪欲に旨味を吸い続けて、玉葱に溶け込み混ざり、そして私が噛みちぎった瞬間に弾けた。正に旨味の水袋――畜生、箸が止まらねえぜ!
玉葱ステーキもぺろりと平らげた私は、半ば満足してしまっていた。
もう充分だ。今、私は幸福に満ちている。少し小腹は空いているが、世の中には腹八分目という言葉もある。これ以上は必要ない、今日はもう充分に良い経験をさせて貰った。素晴らしい出会いがあり、感動があった。明日もまた、これで頑張ることができる。
そんな私の前にドンと用意されるお好み焼き、幸せの最盛期にある私にとって、それは最早暴力だった。
畜生、これが幸せ攻めという奴か……過度な幸福は、拷問に匹敵する。
もう私は充分に満足した。この気分の良いままに帰りたい。しかし、まあ、流石はお好み焼き店と云ったところか。確かに美味しそうではあった。しかし、こう見えても私は関西圏の人間だ。それも大阪である。故にお好み焼きを嗜む機会も、それなりにはあった。大阪人にとって、たこ焼き機は調理器具ではない。嗜好品だ。故にどの一般家庭にもホットプレートはあった。ない家庭もあるだろうが、あまりにも小さ過ぎる確率は今一時に限り、切り捨てる。そしてホットプレートがあるということは、年に四度はお好み焼きを焼くということだ。ない家庭もあるだろうが以下省略。故に大阪人は成人するまでに、百回のお好み焼きを食することになる。
セロリのバター醤油炒めや玉葱ステーキのような斬新な感動を得るのは難しいだろう。
既に調理済みのお好み焼きが鉄板で焼かれる小気味良い音が響き渡る。
丁度、小腹も空いているところだ。食べ過ぎに注意しながら故郷の味に興じるとしようか。
お好み焼きを、ヘラを使って切り分ける。そして気楽に口の中へと放り込んだ。
ああ、この味だ。こんな味を私は待っていたのだ。
塗したソースの上に振りかけられた鰹節が鉄板に熱せられて、ゆらゆらと揺れている。
香る青海苔、お好み焼きの種に中華そばを混ぜた懐かしい味がした。高くそびえ立つビル群に見下されて、ひっそりと生きる私達に確かな温もりを与えてくれる。外側の中華そばのカリッとした歯応えが堪らなく愛おしくて、全体的にふんわりと焼き上げられて、中身の少しとろっとした食感が舌を楽しませてくれる。出汁の旨味をしっかりと引き出した、こってりなソースも良い。ネギにキャベツは勿論、じゅわっとした野菜の甘味がお好み焼き全体に浸透しており、それがソースと見事に噛み合っている。美味しかった。お好み焼きの表面に置かれた豚肉もまた良い仕事をしている。古来より豚肉とキャベツの組み合わせは最強の一つだ。豚肉の甘い肉汁が染み渡り、それが良いアクセントとなって、お好み焼きを食べる舌を飽きさせない。程よく混ぜ込まれた紅生姜もまた、食欲を助長する一手に役立てている。飽きない、それだけで一食分にも匹敵する量のお好み焼きは食べ続けても飽きることがない。
火傷しそうな口に烏龍茶を流し込み、そしてまた熱々の好み焼きを頬張った。
焼き上げた時には既に味の化学反応が起きていた、噛み締める時には更なる味の化学反応を誘発する。食感はカリッと、ふわっと、とろっと多種多様、噛み締める度に様々な味が咥内を駆け巡り、千種万様に変化する。お好み焼きは、これひとつで献立に成り得るのだ。お好み焼きひとつで食卓に事足りるのだ。美味い、美味い、美味い。鉄板に熱されたお好み焼きを飲み込む度に肉体の核に火が灯るのを感じ取る。お好み焼きは雑な料理? 違う、お好み焼きは調和の上で成り立っている。この形でしか、お好み焼きはお好み焼き足り得ないのだ。球体だと、それはたこ焼きなのだ。たこがなくても、たこ焼きなのだ。お好み焼きにはならない。気付いた時には、欠片も残っていなかった。
僅かな名残惜しさに適度な満腹感。私は満足げにお腹を撫でてから頭を下げる。
御馳走様でした、と。
会計を済ませた私は「ありがとうございました!」と元気な店員さんの声に見送られて外に出る。
火照った体に夜風が気持ち良かった。ふと空を見上げれば、星々が輝いている。月は満月だった、そんなことも今日は気付けていなかったようだ。帰り道、その道中で飲み屋街を通る。あれだけ煩わしかった喧騒も、今は欠片ほども気にならない。
今日を生きるから明日があり、明日があるから今日を生きる。だから私は今を生きる為に飯を食う、明日に備えて飯を食う。
それが美味い飯であれば、なお良かった。
おなかすいた。
メリーさん掲示板杯と大体、同じ面子で始めたお好み焼き杯です。
以下レギュレーション。
・テーマはお好み焼き。
・登場人物は自由。形式も自由。世界観も自由。
・食事シーンは必須。「自分の好きなお好み焼き」を登場人物に美味しく食べさせること。
・文字数制限は無し。好きなだけ書くと良い。
・短編で1話のみ。後で続けても良いし、続けなくても良い。
・タグに『お好み焼き杯』といれること