SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第十九話 『喪失』 矢倉市子 ブライトウィン/貨物室 1:20:19

 矢倉(やぐら)市子(いちこ)が目を覚ましたのは、寝慣れた柔らかい布団の中ではなく、冷たく硬いコンクリートの上だった。普段とはあまりにも異なる目覚め。ここはどこだろう。身体を起こし、周囲を見回す。床だけでなく、壁、天井、柱、どれもコンクリートや鉄骨がむき出しの無機質な部屋だった。壁にはところどころにペンキで『火気厳禁・NO SMOKING』と書かれ、柱には注意・警戒を示す黄色と黒のストライプ模様が描かれている。かなり広い部屋で、茶色の貨物用コンテナが三つ置かれていた。倉庫のような場所だ。

 

 なぜ、このような場所にいるのだろう? 記憶を探ろうとして、突然、頭が割れるかのような痛みに襲われた。うずくまり、目を閉じて耐える。すると、目を閉じているにもかかわらず映像が見えた。薄暗い階段を下りる映像だった。獣のような低い唸り声をあげ、手には小型の斧を持っている。だが、その映像はすぐに消え、テレビの砂嵐のようなノイズが見えたかと思うと、今度は両サイドに二段ベッドがふたつ並んだ狭い部屋の映像が見えた。これも獣のような息遣いをし、手には包丁を持っている。またすぐにノイズがあり、今度は船の甲板のような映像が見えた。今度は穏やかな呼吸で、細く白い手には何も持っていなかった。さらに何度か別の映像に切り替わった後、頭痛は嘘のように治まった。目を開けると、さっきと同じ無機質な倉庫。いま見えたものはなんだろう? まるで、テレビのチャンネルをでたらめに()()()()()かのようだった。薄暗い階段下りる映像と、二段ベッドがふたつ並んだ部屋と、船の甲板……。船……。それで思い出した。そうだ。中学テニス部の県大会に出場するため、部員と顧問の教師でフェリーに乗り、会場へと向かったのだ。大会では、男子シングルでベスト4、女子ダブルスでベスト8進出、さらには、団体で準優勝を果たすなど、好成績を収めた。そして、意気揚々と帰りのフェリーに乗り――。

 

 …………。

 

 それ以上は思い出せなかった。ただ、船内でなにか大きな事件が起こったような気がする。それで意識を失ったのだろうか? 他の部員や先生はどうしたのだろう?

 

「ノリコ! 中島(なかじま)君!」

 

 呼んでみたが、声は無機質なコンクリートに響くだけだった。倉庫内に人の気配はない。

 

 ただ、その名を読んだ瞬間、なぜだろう、胸にぽっかりと大きな穴が開いたような感覚があった、何か、大切なものを失った、あるいは喪ったような気持ちだ。まさか、ノリコや中島君の身に、何かあったのだろうか?

 

 と、びくんと身体が震え、一瞬だけ階段を下りる映像が見えた。同時に、心臓の鼓動が激しくなる。なんだろう? さっき目を閉じた時に見えた幻覚といい、急に動機が激しくなることといい、何かの病気なのだろうか? そんなことを考えていると、何か機械が稼働する音が聞こえた。音の方を見る。市子がいる場所とは反対側にエレベーターが見えた。フロアの表示はB3となっており、移動を示すランプがB1から下へおりていた。誰かがエレベーターに乗っている。ノリコか、中島君か、あるいは他の部員や先生があたしを探してくれているのだろうか? そう思ったが、エレベーターが下りてくるにつれ、まるで警告を促すかのように鼓動は激しくなる。このままでは危ない、そう思った市子は、コンテナの陰に身を隠した。そっと顔を出し、様子を窺う。チン、と到着の音がして、ドアが開いた。

 

「――――!?」

 

 思わず息を飲む。声を上げなかったのは幸いだった。

 

 エレベーターから降りてきたのは、漁師のような格好をした男だった。獣のような低い唸り声をあげ、手には小型の斧を持っている。その顔は生気が無く、まるで死人のようだった。死人が歩いている……それは、映画などで見た動く死体・ゾンビにそっくりだ。

 

 ――なに!? なんなのアレ!? 意味わかんない! 気持ち悪い!!

 

 市子は叫びそうになる口を両手で覆い、コンテナの陰で震えた。

 

 

 

 

 

 

 矢倉市子は、中迂半島から少し離れた地域にある県立亀石野(かめいしの)中学に通う少女だ。前髪を眉の上でバッサリ切りそろえたオンざ眉毛と、肩まで伸びたツインテールの髪型がトレードマーク。勉強の成績は、国語と英語が少し得意で数学が少し苦手な傾向にあるがごく平均的。対して運動神経はよく、体育の成績は優秀だった。テニス部の所属で、先日の七月三十一日に行われた県大会に出場。出場するだけでも奇跡と言われた大会で予想外の快進撃を続け、見事、準優勝を果たした。

 

 大会を終え、準優勝のトロフィーと共に凱旋することとなった市子たちテニス部員は、八月一日午後、会場近くの港から、大型客船・ブライトウィン号へ乗船した。船内で一泊し、翌二日の昼には中迂半島の三逗港に到着、夕方には亀石野中学に戻れるはずだったのだが。

 

 翌朝、ブライトウィン号が中迂半島沖約三十キロの海域、つまり、夜見島の近くを航行中に、怪異は起こったのである。

 

 

 

 

 

 

 ゾンビはエレベーターを降りると、その場で周囲を見回した。さっきの市子の声を聞いて、探しているのかもしれない。コンテナの陰に隠れているだけでは見つかってしまう。お願い! こっちに来ないで! 手を組み、目を閉じ、祈る。すると、また目を閉じているにもかかわらず映像が見えた。獣のような息遣いで、薄暗い倉庫のような場所を見回す映像。壁も床も天井もコンクリートや鉄骨がむき出して、壁に書かれた火気厳禁という文字や、柱の警戒色、三つのコンテナ。いま市子がいる場所のように思えた。その映像が、くるっと後ろを向いた。ドアが開いたエレベーターが見える。映像はエレベーターの中に入る。どす黒い手がボタンを押し、扉が閉まった。

 

 ――あれ? これって……?

 

 目を開け、そっと顔を出し、様子を窺う。ゾンビの姿は無く、エレベーターの階数を示すランプはB3からB2へと変わった。どうやらゾンビは倉庫の奥まで来ることはなく、そのまま引き返したようだ。やがて、心臓の激しい鼓動も治まった。ほっと、安堵の息をつく市子。

 

 しかし、さっきから目を閉じたら見える映像はなんだろう? 倉庫内を見回した後、エレベーターに乗り込む映像……もしかしたら、あのゾンビが見ていたものが見えたのかもしれない。恐る恐る目を閉じ、意識を集中する。エレベーターの扉が開く映像が見えた。今度は倉庫ではなく廊下だった。階数の表記はB1となっている。さっきのゾンビが地下一階へ戻ったのだろう。やはり、他人の視界が見えているようだ。訳が判らなかったが、今はそれよりも、あのゾンビの方が問題だ。あれはなんだったのだろう? 突然のことで驚いて隠れたが、落ち着いて考えると、部員の誰かがマスクやメイクなどで変装して、市子を驚かそうとしているような気もする。そう思う反面、この船は危険だ、という思いが胸の奥に残っている。そもそもなぜこんな場所で意識を失っていたのだろう? 意識を失う前、ゾンビなどよりもっと恐ろしい出来事があったような気がするのだ。一刻も早く逃げた方がいい。他に出口は無いだろうか? 倉庫内を見回す。残念ながら、出口はさっきゾンビが使っていたエレベーターしかない。しかし、奥の壁に亀裂が入っているのが見えた。決して大きくはないが、市子の体格なら通れるかもしれない。近づき、確認する。向こう側から雨が降る音が聞こえてきた。どうやら外へ通じているようだ。そうなると脱出は困難と言わざるを得ない。ここは大型フェリーの中、つまり海の上なのだ。

 

 ――あれ? そう言えば、この船、揺れてないな。

 

 そのことに気付いた市子。昨日の夕方船に乗り、食堂でバイキング形式の食事をとり、客室へ戻るまでの間、海が荒れていたのか、船の揺れはかなり酷かった。部員の中には船酔いをし、寝込んだ子もいる。しかし、いま船は全く揺れていない。もしかしたら港に停まっているのかも。なら、海に飛び込んで少し泳げば陸だ。あるいは、運が良ければすぐそこに波止場があるかもしれない。とにかく外の様子を見て見よう。市子は亀裂から外を見た。

 

 ――え?

 

 あまりに予想外の光景に目を疑う。そこに広がっていたのは海ではなく、草と樹、そして岩と土だった。フェリーは、海どころか川や池さえない森の中に停まっているのだ。

 

 しばらくその光景を呆然と見つめる。何が起こっているのか、まったく判らない。さっきから理解できないことばかりだ。目が閉じると見える他人の視界と、ゾンビのような化け物と、森の中にある大型フェリー……もはや市子の思考は追いつかない。だから、考えるのはやめにした。外が海ではなく陸ならばその方が脱出しやすい。地面までは二メートルにも満たない高さだから、飛び降りても大きな怪我はしないだろう。壁の亀裂も市子ならば充分に通れる大きさだ。そこを潜って外に出ようとして、足を止めた。

 

 ノリコや中島君、そして、他の部員や先生はどうしたのだろうか?

 

 ノリコはテニス部のマネージャーで、市子の一番の親友だ。中島は男子のエースで、市子が密かに想いを寄せている人でもある。みんな、無事なのだろうか? 先に脱出していれば良いが、もしまだ船の中に残っているのだとしたら……。そう言えば、さっき激しい頭痛で目を閉じた時、いくつもの映像が見えた。あれが、市子が考えている通り他人の視界を覗き見ていたのだとして、その中に一人、ゾンビではない女の子の視点があった。船の甲板だ。ゾンビではない女の子がまだ船内に残っている。それがもしノリコや他の部員だったら、このまま一人で逃げるわけにはいかない。だが、自分などになにができるだろう。一度逃げて助けを求めた方が良いようにも思う。どうするべきか……。迷っていると、また心臓の鼓動が早くなり始めた。まさか? エレベーターを見ると、ランプの表示がB1からB2へと変わった。またあのゾンビが下りてきたのかもしれない。コンテナの陰に隠れる。エレベーターが到着する音がして、ドアが開き、思った通りゾンビが降りてきた。そしてまたその場で周囲を見回すと、すぐにエレベーターに乗り、上がって行った。さっきと全く同じ行動だ。単純な動作を繰り返しているのだろうか? 市子が見た映画のゾンビもそうだった。知能は低く、動きも鈍い。市子は運動は得意だ。鈍間なゾンビなんかには捕まらないだろう。よし。市子は意を決し、船内へ戻ることにした。

 

 コンテナに身を隠したまま、視界を覗き見る能力で様子を窺う。エレベーターを降りたゾンビは廊下を進み、その先にある階段を上がった。地下一階から一階、そして二階へ上がる。二階には市子たちが使っていた客室があるが、ゾンビはそちらの方へは行かず、しばらくその場で周囲を見回した後、再び階段を下りはじめた。そのまま地下一階まで下りると、廊下を進み、エレベーターの前のボタンを押した。市子の鼓動が激しくなる。ゾンビは倉庫まで下りてくると、周囲を見回し、また上へと戻って行った。どうやら、この倉庫と二階までを巡回しているようだ。これなら、隙を突いて倉庫から脱出できそうだ。市子は音を立てないよう静かにエレベーターに近づく。そして、ゾンビがB1でエレベーターを降りたのを確認し、ボタンを押した。しばらくして下りてきたエレベーターに乗る。地下二階で降りられれば良かったが、このエレベーターは地下一階と倉庫を行き来するだけのもののようで、残念ながらB2のボタンは無かった。仕方なく、市子はB1へ上がる。能力で確認すると、ゾンビは二階へ着いたところだった。今がチャンスだ。市子は静かに走って階段をあがり、一階へ向かった。すぐそばにドアがあったので、それを開けた。

 

 そこはフェリーの右側の甲板だった。夏の夜にしてはややひんやりとした風が吹き、市子のツインテールの髪を揺らした。その風には潮の香りではなく、木々や土の匂いが含まれている。甲板の柵の向こう側には広がるのはやはり海ではなく森だ。見渡す限り水など無い。いったいどうやって、こんな場所に大きな船を運んだのだろう?

 

 ゾンビが階段を下りてくる音が聞こえたので、すぐに扉を閉め身を隠した。幸いゾンビは市子に気付くことはなく、そのまま地下へ下りて行った。

 

 ほっと息をついたところで、市子は甲板に救命ボートが吊るされていることに気がついた。このフェリーはかなり大きな客船なので、救命ボートも当然備え付けられてある。

 

 いま市子がいるフロアは一階だが、それは船としての階数なので、地面からはかなり高い位置にある。地下三階から上がって来たということは、ビル四階分の高さに匹敵する。各フロアは一般的なビルと比べて多少天井が低いことを考慮しても、地面までは十メートル以上あるだろう。当然、船の乗降口に行ってもタラップが無ければ降りられないし、こんな森の中にタラップがあるとも思えない。だが、あの救命ボートを使えば脱出できるかもしれない。市子は救命ボートを確認する。ボートは、機械式のウインチを使って下ろすタイプだった。しかし、電源系統が故障しているのか、ボタンを押しても動く気配が無かった。もちろん、非常時に電気が使えないことは考えられるので、クランクを使って手動で下すこともできるようだが、肝心のクランクが取り外しできるタイプで、近くを探しても見つからなかった。これでは非常時に使えないのではないだろうか……と言うより今がまさにその非常時なのだが、使えないという時点で欠陥品確定だ。クランクを探すか、倉庫に戻って壁の亀裂から脱出するか、あるいは別の脱出方法を探すかしかない。いずれにしても、まずはノリコたちを探すのが先決だ。

 

 市子が移動しようしたら、鼓動が激しくなった。ゾンビが近づいている。しかし、能力で確認すると、さっきのゾンビはちょうど倉庫へ下りたところだった。じゃあこの警告は……? と思った瞬間、びくんと身体が震え、一瞬、救命ボートのそばに立つツインテールの少女の姿が見えた。目を開けると、さっき市子が出てきた扉を開け、バールを持ったゾンビがこちらを見ていた。まずい。最初のゾンビに気を取られ、他にもゾンビが徘徊していることを忘れていた。

 

 ゾンビはバールを振り上げ、獣の遠吠えのような声を上げると、足を引きずりながらこちらへ向かって来た。市子が見た映画のゾンビよりもはるかに速い。だが、それでも早歩き程度のスピードだった。市子はゾンビとは反対側、船の後部へと走った。扉を開け、甲板から船内へ入る。正面に下り階段があったが、船員専用という看板が立てられてあった。冷静に考えればそんなものを気にしている場合ではないのだが、ゾンビに追われている市子は思わずそれに従い、階段の手前で右へ曲がった。そこは一・二階の客室へ続くエントランスルームだった。奥にカウンターがあったのでその中に隠れる。追って来たゾンビはエントランスルーム内を見回すが、隠れている市子を見つけられず、やがて右舷甲板へと戻って行った。危なかった。船内には他にもゾンビが何体かいるはずだ。注意しなければならない。市子はカウンターに身を隠したまま視界を覗き見る能力を使った。いま市子を追って来たゾンビと、最初のエレベーター付近を徘徊しているゾンビ、そして、パイプやタンク・計器類がたくさんある部屋を徘徊しているゾンビと、客室を徘徊しているゾンビの視点を見つけた。客室はこのエントランスルームのすぐそばだ。迂闊に出ていくと危ないかもしれない。そのまま様子を窺う。ゾンビが徘徊しているのは大勢で雑魚寝をする三等客室だった。三等客室はこの一階だ。ここにいては危ない。幸い鼓動はまだ平常だ。ゾンビは近くにはいない。市子はカウンターから出ると、エントランスルームの階段を上がり、二階へと移動した。

 

 二階は市子たちが使っていた二等客室だ。ゾンビの気配はない。市子は、一度自分たちが泊まっていた部屋に戻ってみた。二等客室は、一階の雑魚寝部屋と違い、一部屋に二段ベッドがふたつずつ設置されている四人部屋だ。入って右側の上の段が市子のベッドで、反対側がノリコのベッドだ。当然ながらノリコの姿は無い。それは、この怪異が起こる前からだった。テニスの大会終了後、船に乗ったノリコは、気分が悪いと言って救護室へ向かった。市子は最初、ただの船酔いだろうとあまり気にしなかったが、ノリコは、食事の時間、そして、夜になっても戻ってこなかった。心配になった市子は、寝る前に手紙を書き、ノリコのベッドの上に置いておいた。

 

 ノリコのベッドを確認する市子。あのとき置いた手紙は、そのままそこに残っていた。手紙は便箋を折り紙の要領で折り、セーラー服の形にしたものだ。開けられた形跡は無い。つまり、あの夜ノリコは戻って来なかったのだ。

 

 不意に。

 

 ――おい、聞いたか? 船が水死体を引き上げたってよ? 見に行こうぜ。

 

 男子部員が騒いでいたのを、思い出した。

 

 そうだ。あれは食事の時だった。船が長い間で停泊していたのだが、その時、船の近くを漂流していた水死体を引き上げた、と、みんなが噂していたのだ。実際に引き上げた死体を見たと言う部員もいた。女の死体だったという。そして、その死体が――。

 

 心臓の鼓動が激しくなった。ゾンビが近づいている。目を閉じて確認すると、エントランスの階段を上がり、こちらへ向かって来ていた。市子は素早く部屋を出ると、ゾンビとは反対側、今度は船の前部へと向かった。エントランス側から来るゾンビには見つからなかったが、客室から外へ出て、階段まで行ったところで思い出した。最初のゾンビは、倉庫と二階を往復している。ここにいても見つかってしまう。幸いゾンビの姿は無かったので、階段を上がり三階へ向うことにした。階段の前には船員専用という看板が立てられてあったが、こうなっては仕方がないので無視した。

 

 三階へ上がった先にはドアがあった。中に入ると、そこは操舵室だった。広い部屋の中央に大きな操縦(かん)が設置され、その周りにたくさんの計器類が並んでいる。正面は全面ガラス張りになっており、外の様子が一望できた。前方には夜の闇に溶けるように森が広がっている。その、はるか向こう側の光景に、市子は息を飲んだ。そこには、山の頂上に大きな鉄塔が建っているのだが、その先端が、雨雲の中にぽっかりと空いた赤い輪の中に、飲み込まれるように消えているのである。鉄塔の周囲の雨雲もその赤い輪に次々と吸い込まれている。それはまるで、空に大きな口を開けたモンスターがいて、この世界を丸ごと飲み込もうとしているかのような光景だった。もし、あれに人が飲み込まれたら、いったいどうなるのだろう? そんなことを考えてしまう。ぶんぶんと首を振り、考えを振り払った。怖いことを考えてはいけない。それよりも、今はあの女の娘を探さなければ。視界を覗き見る能力で見た、ただ一人ゾンビではなかった女の娘の視点を思い出す。あれは恐らく、船の前部甲板だ。なら、ここから見ることができるはずだ。市子はガラスに張りつくようにして外を見た。

 

 

 

 

 

 

 前部甲板には、赤いカーディガンと白いプリーツスカート姿の少女がいた。ここからでは顔はよく見えないが、ノリコや他の部員なら、制服かジャージを着ているはずだ。他の乗客だろうか。彼女以外に人影は見えないが、少女は何かから逃げるように甲板を走っている。甲板にゾンビの姿は無い。……いや、よく見ると、煙のように黒くもやもやとしたものが少女に向かっていた。あれも人を襲うのだろうか? 知らない娘だと思うけど、助けなきゃ。

 

 市子は能力を使いゾンビの様子を探る。幸い階段近くにはいなかったので、すぐに操舵室を出て階段を下り、一階の扉から前部甲板へ出た。

 

 雨が激しく降る甲板に、その少女は立っていた。歳は市子より少し上、恐らく二十歳前後だろう。生まれて一度も陽の光を浴びたことがないような白い肌をしていた。周囲を見回す市子。さっき操舵室から見た黒いもやもやは、どこへ行ったのか、もういなかった。

 

 ゾンビだらけの船内で、ようやく会えたまとも人間。市子は笑顔を浮かべた。赤いカーディガンの少女も、同じように笑う――はずだった。

 

 だが、市子を見た少女は、不快そうに顔を歪めた。

 

「……あなた、何者?」

 

 低く冷たい声で言う。そこには、あからさまな敵意が込められていた。

 

「え……何者って……」まさか敵意を向けられるとは思っていなかった市子は、戸惑いながら答える。「あたしは、亀石野中学テニス部の、矢倉市子だけど……」

 

「何者か? って訊いてるの」さらに低い声になる少女。「あたしたちとは違うよね? 何が目的なの?」

 

 怖い顔で詰め寄る少女。あたしたちと違う? 何が目的? 少女がなにを言っているのか、市子には判らない。だから、正直に言った。

 

「ごめん、あなたが言ってること、よくわかんない――」

 

 その瞬間。

 

 ――あなたが言ってること、よくわかんない。

 

 記憶がよみがえった。

 

 黒いぼろきれをまとった女。この船に乗ってはだめ。食堂のカレーライス。水死体。救護室。化物。先生。襲われるみんな。化物。中島君。化物。黒いぼろきれをまとった女。ノリコ。化物。化物。化物。化物。そして、目の前の少女と、同じ顔。

 

 市子は、怯えた表情で少女を見る。「まさか……生きていたの……?」

 

 少女の顔が、さらに歪んだ。

 

「あなた、危険ね。早めに排除しておいた方がいいかも」

 

 少女が近づいてきて。

 

 そして、両手で、市子の首を掴んだ。

 

 

 

 

 

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