SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第二話 『怪異』 一樹守 夜見島沖/翔星丸 -7:00:07

 四開(しかい)地方・中迂(なかう)半島の沖合約三十キロの海域に、総面積約四キロ平方メートル、海岸線長約十六キロメートルの小さな島がある。上空から見ると飛び立つ鳩を思わせる形をしたその島は、正式名称を『夜見島』という。夜を見る島――美しい響きだ。この名から、満天に光る星々、あるいは、煌々と輝く月を思い浮かべる人も多いだろう。

 

 だが、島外の者は、その美しい呼び名を使わない。『()み島』『黄泉(よみ)島』などと呼ぶ。どちらも『夜見島』のような美しい響きは無く、どこか不吉なものを感じさせる呼び名だ。あるいは、そのような遠回しな言い方ではなく、はっきりとその不吉さを言い表すために、『呪われた島』と呼ぶ者もいた。

 

 なぜ、島外の人間からはそのような名で呼ばれるようになったのか。理由は明白だ。昔から、夜見島及びその近海では、奇妙な事件・事故が多いのだ。航行する船が座礁、転覆、遭難することは決して珍しくない。さらには、常識では考えられないような事件も多発していた。

 

 例えば。

 

 昭和五十一年八月二日深夜、水深三百メートルの地点にある電力供給用の海底ケーブルが何者かによって切断された『海底ケーブル切断事件』。

 

 昭和六十一年八月三日、付近を航行中の旅客船・ブライトウィン号が忽然と姿を消した『ブライトウィン号消失事件』。

 

 極めつきは、海底ケーブル切断事件と同時に起こった『夜見島島民消失事件』である。昭和五十一年八月三日。ケーブル切断の調査をするため島へ上陸した電力会社の職員が、島民の姿が見えないため警察に通報。駆け付けた警察は島全域を捜索するも、誰一人として発見することはできず、全島民が失踪扱いとなった。このとき失踪した島民は、二十九年経った昭和八十年八月二日現在も、全員消息不明のままである。

 

 このような出来事が多発しているため、四開地方の人間は夜見島を露骨に忌み嫌う。港を発着する船は島近くの航行を避け、時間をかけてでも大きく迂回する航路を取るものがほとんどだった。現在夜見島への上陸は条例により禁止されている。もっとも、今は誰も住んでいないこの不吉な島へわざわざ上陸しようという住民など皆無なのだが。

 

 ただし。

 

 夜見島の奇妙な噂話を聞きつけて、興味本位で島へ渡ろうとする部外者は、後を絶たなかった。

 

 

 

 

 

 

 夜見島へと向かう小さな釣り船の船室で、一樹(いつき)(まもる)は何とも言えない気まずい空気に困り果てていた。一〇平米にも満たないであろう狭い船室に、四人の男女と一匹の大型犬が乗り合わせている。皆、一樹とはほんの数時間前に港で会ったばかりだ。お互い自己紹介でもすれば会話のとっかかりが掴めるかもしれない。しかし、ここにいる者は皆、本来なら上陸が禁止される島へ向かっている人間だ。各々なんらかの事情を抱えているのは明白であり、あれこれと詮索されたくないだろう。だから、誰も会話をしようとしない。すでに三十分以上、この気まずい沈黙が続いている。

 

 一樹の隣に座るのは、スーツ姿の三十歳前後の男だった。白い杖を持ち、室内でもサングラスをかけていることから、視覚障害者であると思われる。大型犬を連れているのはこの男だ。一樹は犬には詳しくないが、警察犬でよく見る犬種だった。男のすぐそばにおとなしく伏せており、初めての場所、初めての人ばかりであるにもかかわらず、ここまで一度も吠えたり、あるいは興奮してじゃれ付いたりすることも無かった。盲導犬としての訓練を受けているのかもしれない。

 

 一樹の正面には二十代と思われる二人組の男女が座っている。男の方は、リーゼントの髪型、黒のデニムジャケットにズボン、二列に穴が空いた幅広のベルトにはチェーンを付け、首には十字架のネックレスを下げている。いかにもヤンキーと言った格好の男だ。その隣に座る女は、クリーム色のつば広帽子を目深にかぶり、まん丸のサングラス、地味な紺色のジャケットを羽織っている。だが、ジャケットの下は対照的にピンクと白の派手な柄のキャミソール、首には赤青黄色など様々な色の小さな石を繋ぎ合わせたネックレスをふたつと、シルバーとゴールドのチェーンネックレスもふたつして、両腕にもじゃらじゃらとたくさんのブレスレットを付けている。派手にしたいのか地味にしたいのか、よく判らない格好だ。この二人は知り合いらしく、時折会話をしているのだが、あからさまに声を潜め、こちらからの視線を遮るように常に顔を手で覆っている。顔を見られたくないのかもしれないが、それらの不審な行動がかえって目立っていた。

 

 沈黙に耐えかねた一樹は、「あの――」と、隣のスーツの男に声をかけた。「船、乗せていただき、ありがとうございました」

 

 男は一樹の方を見ることも無く、「構いませんよ。たまたま目的地が同じだっただけです」と、そっけない口調で答えた。それで、会話は途絶えてしまう。

 

 何を話したものかと考える一樹。ひとつだけ訊いてみたいことがあるのだが、はたしてそれを口にして良いものか判らない。一樹は、港でこの男と会った時から、どこかで見た覚えがあったのだ。少し前にそれを思い出した。作家の三上脩だ。二〇〇二年、文芸誌に初掲載された作品が話題になり、翌年、同作品で第四四四回塵芥(ちりあくた)賞を受賞。今年刊行された長編小説『人魚の涙』がベストセラーとなった人気作家だ。本好きはもちろん、最近はテレビや雑誌などに多数出演しているため、普段本を読まないような人にも知られている有名人である。そんな彼が、なぜ上陸を禁じられている島へ向かっているのだろう。

 

 しばらく悩んだ一樹だったが、結局訊くのはやめた。恐らくそのような詮索はされたくないだろう。一樹自身も島へ向かっている理由はあまり話したくないし、船に乗せてもらった恩もある。

 

 一樹は三上に話しかけるのをやめ、正面の二人を見た。相変わらず手で顔を隠しており、話しかけるような雰囲気ではない。

 

 一樹は小さくため息をつくと、そのまま黙って船の揺れに身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 一樹守は、超科学編集社という雑誌社に勤める二十歳の編集員だ。担当はミステリー科学雑誌『アトランティス』。「現実と非現実の境を飛び越える! 謎解明マガジン」をキャッチコピーとし、心霊現象、UFO、UMA、超能力、都市伝説など、あらゆるオカルトを扱う雑誌だ。先月末に発売された最新号では、『宇宙は無限に分裂・増殖しているとする多世界解釈』や、『恐竜よりも太古の時代に存在した人類』、『レコード業界を席巻した大ヒット曲には人類滅亡のキーワードが秘められていた』、などの特集記事を組んだ。どれも見るからに怪しげな内容で、一般人からは見向きもされないが、そのテのマニアへの人気は高い。創刊は昭和五十一年六月。来年三十周年を迎える老舗雑誌である。一樹も子供の頃から愛読しており、それがきっかけで専門学校生時代にアルバイトとして勤務することになった。そして、その時の働きぶりが評価され、専門学校卒業と同時に正社員として採用されたのである。とは言えまだ見習いの身であり、主な業務はバイト時代とあまり変わらない編集のアシスタントだった。

 

 一樹が夜見島へ向かっているのは、この『アトランティス』に関係する仕事だった。先日の会議で、夜見島で起こったさまざまな怪事件を特集することが決まったのである。残念ながらその担当は一樹ではなくベテランの編集者が行うことになった。一樹はアシスタントとして、まず現地の簡単な事前調査を任されたのである。主な目的は、島への上陸手段の確保だった。現在夜見島への上陸は条例により禁止されており、当然、定期船などは出ていない。もし島へ上陸できなければ企画自体中止になりかねないので、重要な仕事とも言えた。

 

 中迂半島の三逗(さんず)港へとやってきた一樹はさっそく調査を始めたが、思っていたよりも難航した。港の者は皆、夜見島の名を聞いただけで露骨に顔をしかめ、口を閉ざす。定期船は出ていないので島へ渡るには船をチャーターするしかないのだが、どこに頼んでもけんもほろろに追い返された。それでも粘り強く調査を進めた一樹は、『翔星丸(しょうせいまる)』という釣り船の船長と交渉することができた。船長は「百万払うなら連れて行ってやってもいい」と言う。冗談とも本気ともつかないが、他の人は話すらまともに聞こうとしなかった為、この男に頼るしかなかった。しかし、釣り船のチャーターは一万円前後が相場であり、いくらなんでも高すぎる。編集長がそのような費用を認めるとは思えない。困り果てていたところで偶然出会ったのが、大型犬を連れたサングラスの男――三上脩だった。彼も一樹と同じく夜見島へ向かう手段を探しているという。一樹が翔星丸の話をすると、三上は船長と交渉し、島へ向かうことを了承させたのだ。どのように交渉したのかは判らないが、もしかしたら本当に百万円払ったのかもしれない。

 

 翔星丸は準備ができ次第すぐに出港するという。一樹は考えた。編集長が百万円もの費用を出すとは思えない。この機を逃すと、二度と島へは渡れないかもしれない。今回の夜見島の記事を担当する先輩編集者を呼ぶ時間はない。ならば、今ここで自分が取材するしかないだろう。幸い、カメラやボイスレコーダーなど最低限取材に必要な物は持っている。自分の能力をアピールするチャンスにもなる。そう思った一樹は、三上に同行をお願いした。無茶なお願いだとは思ったのだが、三上は意外にもあっさりと承諾した。目が見えないためちょうど同行者を探していたようだった。一樹としては、それくらいで船に乗せてもらえるならありがたい話だった。

 

 一樹と三上は早速夜見島へ向かおうとしたのだが、出港直前、怪しげな格好の男女二人組がやってきて、自分たちも乗せてくれと頼んできた。二人は乗せろ乗せないで船長と押し問答になったが、時間を惜しんだ三上が認めたため、同乗することになった。

 

 こうして、奇妙なメンバーが小さな釣り船に乗り合わせることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 会話を諦めた一樹は、船の揺れに身を任せながらぼんやりと正面の窓を眺めていた。窓の向こう側を人影が移動する。この船には、いま部屋にいる四人と船を操縦している船長以外にもう一人乗っている。港で働く女性で、船長からは木船(きふね)と呼ばれていた。歳は一樹と同じくらい。港で働く女性にしては随分若いので印象に残っている。

 

 女は船の後部甲板へ移動する。後部側のドアには丸窓があり、そこから黄色いパーカーの背中が見えた。何か作業を始めたようだった。

 

 視線を戻し、これからのことを考える一樹。今回の特集記事のメインは、やはり昭和五十一年の八月二日深夜に発生した島民消失事件だろう。一晩で島民全員が失踪し、いまだ誰一人見つかっていないなど、常識では考えられないことだった。また、海底ケーブル切断や旅客船失踪事件も実に興味深い。それら大きな事件の他にも、ヤミピカリャーという未確認生物の目撃談や、葬儀で死者に木の枝を刺すという島独自の奇妙な風習など、小さなネタも数多い。これらをどう紹介するか――調査をすれば真相が判るかもしれないが、雑誌『アトランティス』において、不可思議な現象・事件を科学的に解明するような記事はあまり好まれない。むしろ逆、なんでもないありふれた現象・事件をいかに不可思議なものに仕上げるかがカギだった。この辺りが編集者としての腕の見せ所だろう。正社員になって半年。一樹にとっては見習いの身から昇格するチャンスかもしれない。

 

 遠くで、サイレンが鳴っていた。

 

 事故が起こったか、あるいは、何かの警告だろうか? 一瞬そう思ったが、そうとも限らないかと思い直した。海辺の集落では、潮の干満時、あるいは、朝昼夕に、サイレンを鳴らす所もある。近年は警報と区別するため危機感の無い明るい音楽へ変える地域が多いが、地方ではまだ古くからのサイレンを鳴らしている所もあると聞く。だから、一樹はあまり気にしないでいたのだが。

 

 不意に、それまで三上のそばでおとなしく伏せていた犬が顔をあげた。窓を見つめ、歯をむき出しにし、低い唸り声をあげる。

 

 ――なんだ? 

 

 一樹が窓を見ると、外を、大きな影が横切った。

 

 同時に、船が大きく揺れる。危うく倒れそうになったが、なんとか椅子にしがみつく。

 

 今の影は誰だ? 一樹は後部甲板を見た。木船という女はまだそこで作業をしている。残る乗員の船長は、当然船の操縦をしている。他に乗員・乗客はいないはずだ。海鳥でも飛んだのだろうか? それにしてはかなり大きな影だったように思う。

 

 サイレンは鳴り続けている。心なしか、さっきより大きくなっているように思う。

 

 また、船が大きく揺れた。先ほどまでは比較的穏やかに航行していたのだが、海が荒れて来たのだろうか。そう思った瞬間、さらに大きく揺れはじめた。とても座っていられないほどの揺れだ。隣の三上が、正面に座る二人組の方へ投げ出された。幸い女の方が三上を支えたため、大事には至らなかった。揺れは治まらない。ますます激しくなり、今にも転覆しそうだった。

 

「これ、大丈夫なのかよ!?」

 

 リーゼントの男が声を上げる。船はまるで遊園地にある絶叫マシンのように激しく揺れる。無論、絶叫マシンと違い安全バーやベルトといった物は無い。

 

 サイレンは鳴り続けている。音はさらに大きくなり、船のすぐそばで鳴っているかのようだ。それはどこか調子の外れた音だった。壊れたスピーカーから流れているような、あるいは、擦り切れたカセットテープで再生しているかのような、濁った音。

 

 外で女の悲鳴が聞こえた。後部甲板を見る一樹。さっきの女の姿が無い。海へ落ちたのだろうか? なんとか椅子から立ち上がり、ドアを開けて外へ出た。

 

 ――何だこれは!?

 

 その光景に、一樹は息を飲んだ。

 

 先ほどまで晴れ渡っていた空が、一転して黒雲に覆われている。陽の光さえ届かないような厚い雲が、空一面を覆っているのだ。それだけでもあり得ないことだが、さらにあり得ないのが海だ。大きく波うつ海が、真っ赤に染まっていた。あまりにも深い赤――まるで血のような色である。

 

「おい! これ、どうなってんだよ!?」

 

 後を追うように出てきたリーゼントの男も驚いて声を上げた。どうなっているのかなど、一樹に判るはずもない。

 

 サイレンが鳴り響く。

 

 それは耳の奥を引き裂かんばかりの大きさになっていた。あまりの大きさに、頭が割れるかのような痛みに襲われる。相変わらず濁った音をしており、それがさらに不快な気持ちにさせる。

 

 甲板の柵に両手でしがみつく女の姿を見て、一樹は我に返った。投げ出されたものの、海に落ちずにはすんだようだ。すぐに駆け寄ろうとするが、あまりにも揺れが激しく、まともに立つこともできない。リーゼントの男も同様だ。自分が海に投げ出されないよう、柵にしがみつくので精いっぱいである。それでも、一樹はなんとか女の元へ進む。

 

「掴まれ!」

 

 手を伸ばした。

 

 女は一樹の手を取ろうと右手を伸ばすが、揺れが激しいせいか、なかなか掴めない。

 

「――――」

 

 女の左手が柵から離れた。女は海へ落ち、あっという間に赤い波に飲み込まれた。

 

「おい! 大丈夫か! どこだ!?」

 

 海に向かって声を上げるが、返事は無く、姿も見えない。助けられなかった――一樹は悔やみ、膝をつく。

 

 その時、船の揺れが治まった。

 

 海が穏やかになったのか、と、一瞬思ったが。

 

「……おいおい……マジかよ……」

 

 リーゼントの男が震えた声で言った。

 

 一樹が顔を上げると、後方から、大きな波が迫っていた。見上げるような高さだ。一樹の背丈の何倍もある、巨大な壁のような赤い波。

 

 濁ったサイレンは、鳴り続ける。

 

 天地がひっくり返り、同時に、全身を引き裂くような激しい痛み。

 

 

 

 

 

 

 一樹たちは、船ごと波に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

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