SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第二十一話 『闖入者』 喜代田章子 東京/夢魅の館 -29:04:06

 その日、占い師の喜代田章子は、店内のテーブルに肘をつき、ぼーっとテレビを見ていた。時刻は夜七時前。閉店時間はまだだが、店内に客はいない。と言うより、章子の店は完全予約制で、今日の予約は一件も入っていなかった。こういう日は予約が入るのを待ちながら、店のホームページを更新したり、顧客名簿を整理したり、特に懇意にしている客に連絡して世間話をしつつ様子を聞いたりするのだが、その日はどうもそんな気分ではなかった。今日は何もせず、このまま閉店までぼーっとしてよう。

 

 近所の主婦から政界の重鎮まで幅広く顧客を抱える章子だが、最近は今日のような予約の無い日が増えてきているようにも思う。こういう日は予約以外のお客さんも受け入れた方が良いだろうか? しかし、繁華街から離れた雑居ビルの五階にあるようなお店に、飛び入りの客がじゃんじゃん来るとは思えない。予約が無い日はこちらから出向いてみるか。もちろん、道端に机を置いて通りすがりの人を占うような時代ではない。繁華街には、ビルのワンフロアに占い店ばかりが集まった『占いの館』というのがあり、章子にも何度か出店してみないかという誘いが来ている。それを利用するのもありだろう。

 

 などと考えていたら、テレビの時報が七時を告げ、番組はニュースになった。章子はクイズ番組に変えようとしてリモコンを取ったが、その手が止まる。ニュースでは、アパートで女性が殺害され、犯人が指名手配されたことを報じていた。普通ならば別段気にするほどのニュースではない。しかし、それが自分に馴染みの深い地区で起こったもので、さらに、被害者及び指名手配犯のどちらもよく知る人物だったから、章子はリモコンを落として驚いた。

 

 ニュースでは、年配のキャスターが淡々とした口調で原稿を読み上げた後、事件現場の映像へと切り替わった。そこは、章子がよく知るアパートの前。若い女性レポーターが少々早口で事件の詳細を伝える。事件があったのは東京都新宿区にあるアパートの一室。そこで、女性の遺体が見つかった。遺体は頭部を鈍器のようなもので何度も殴られており、顔の判別もできないほどだった。警察は、遺体をこの部屋に住む飲食店勤務の多河柳子と断定。また、この部屋で同棲している無職の男・阿部倉司を容疑者と断定し、行方を捜している、とのことだった。画面に映し出された被害者と容疑者の写真は、まぎれもなく章子がよく知る二人だった。

 

 多川柳子は章子の親友だ。近所にある飲食店で働いており、そこに通ううちに仲良くなったのだ。最近、章子は柳子から相談を受けていた。今の生活をこのまま続けていて良いのか判らない、という。柳子にはアパートで同棲している阿部倉司というヒモ男がおり、彼との生活のことを言っているのだと思った章子は、即刻別れるようアドバイスをしたのだ。その矢先の出来事。もしかしたら、柳子が阿部に別れ話を切り出した結果、このような悲劇が起こったのかもしれない。

 

 カランコロン、とベルが鳴り、ドアが開いた。客か? 今日は予約は入っていないし、たとえ入っていたとしても、とても仕事をする気にはなれない。断ろうとしたら。

 

「騒ぐな! 静かにしろ! 大きな声を出したら、ぶっ殺すぞ!」

 

 黒のデニムジャケットにリーゼントの男が、両手で持ったナイフを前に突き出して叫んだ。今、テレビで指名手配されたと言っていた柳子の同棲相手・阿部倉司だった。

 

「あんた、柳子の――」

 

 と、章子が言いかけたら。

 

「騒ぐなっつてんだろ! ぶっ殺されてぇのか! 静かにしろ!」

 

 声を上げる阿部。かなり興奮している。これは、ヘタなことをするとどんな行動に出るか判らない。

 

「判った。静かにするから、落ち着いて」

 

 章子は両手を前に出して阿部を落ち着かせようとするが。

 

「喋るんじゃねぇ! その口切り刻むぞ! 俺はやるといったらやる男だぞ!」

 

 阿部は話を聞かず、さらにナイフを突き出す。

 

「判った判った。喋んないから、とにかく落ち着いて」

 

「うるせぇ! 俺は柳子をやっちゃいねぇ! いや! 柳子は生きてんだ! 俺はあいつが出かけるのを見たんだ!!」

 

「え……? それってどういう……」

 

「うるせぇつってんだろうが! これ以上騒ぐなら、ホントにぶっ殺すぞ!」

 

「騒がないってば。何があったの? 話を聞くから、とにかく落ち着いて」

 

「うるせぇンだよ! 誰も信用できねぇ! 警察は話を聞こうともしねぇ! とにかく騒ぐな! もしちょっとでも騒いだら、ホントのホントにぶっ殺して――」

 

 章子は拳を握りしめると、思いっきり振りかぶり、がつん! と、阿部の頭をグーで殴った。騒いでいるのはお前だ。まったく……ひと気の無い雑居ビルとはいえ、ドアは開けっ放し。誰かに聞かれなかっただろうな。章子はドアから頭を出して外の様子を窺う。幸い廊下には誰もいなかった。章子はドアに下げている札をくるっと回して『OPEN』から『CLOSE』に変えると、ドアを閉めて鍵をかけた。

 

 

 

 

 

 

「――んで、柳子が死んでないって、どういうこと?」

 

 テーブルを挟んで座った二人。章子は阿部から取り上げたナイフをいじりながら訊いた。ちなみにナイフは先端を押すと引っ込むタイプのおもちゃである。

 

 阿部は、章子が淹れたお茶をずずっとすすると、さっきとは一転、落ち着いた口調で話し始めた。それによると、今日の夕方、バイト先から帰宅した阿部は、アパートの前で柳子とすれ違ったそうだ。声をかけたが無視されたのでそのまま部屋に入ったら、そこに顔が潰れた死体があったのだという。

 

「それを警察に説明しても、信じてくれねーんだよ」

 

「まあ、そんな与太話を信じろって言われてもねぇ」

 

 通報したのは、そのときたまたま部屋の前を通りかかった隣の部屋の主婦だった。恐らく阿部を犯人と決め付け、あることないこと言ったのだろう。まあ、阿部と柳子は常日頃から言い争いが絶えなかったというし、血まみれの死体の前にこんなガラの悪い男が立っていたら、誰でもこいつが犯人だと思うだろう。

 

「なんだよ。オメーも俺の言うことを信じねーのかよ。柳子は顔の判別ができないくらい殴られてたんだぞ? 顔が潰れてたり首が無い死体は入れ替わりを疑えっていうのがセオリーだろ」

 

「……あんた、ヤンキーのくせに変なこと知ってるのね」

 

「それはカンケーねーだろ。ヤンキーだって推理小説くらい読む」

 

「まあ、本とかドラマとかじゃそうだけどさ。でも、警察も、柳子の部屋で女が死んでたから柳子だ、って、安易に決めた訳じゃないと思うわよ? テレビとかで大々的に発表したからには、指紋とか、DNA鑑定とか、そういうので断定したんだと思うけど」

 

「そんなのはアテにならん。とにかくオレは柳子が出かけるのを見た。なら、死んでいたのは柳子じゃない。そう考えるのが自然だ」

 

「あんたの言うことの方がよっぽどアテにならんわ」

 

 大きくため息をついた後、章子は「まあいいわ。とりあえず、手、出して」と言った。

 

「手? そんなもんどうすんだよ? まさか、占いでもしようってのか?」

 

「そうよ? あたしは占い師。大事なことは、全て占いで決めるの」

 

「ケッ。そんなのがアテになるかよ」

 

 と言いつつ、右手を差し出す阿部。章子は阿部の手を取り、手相を見るフリをして過去視をした。阿部の過去が見える。それによると、確かに彼の言う通りだった。

 

「……まあ、ウソはついてないみたいね」

 

「信用してもらえてありがたいが、手相でそんなの判るのかよ」

 

「判るわよ。あたしの占いは一〇〇パーセント当たるの」章子は阿部の手を離すと、腕を組み、うーんと唸った。「……でも、警察は信用しないでしょうね。はて、どうしたものか」

 

「どうすればいい?」身を乗り出す阿部。

 

 章子は片手を開いて阿部に向けた。「相談料は五千円ね」

 

「…………」

 

「…………」

 

「金取るのかよ」

 

「当然でしょ。ここは占いのお店だもん」

 

「ちっ、しゃーねーな」阿部はジャケットの内ポケットに手を入れた。

 

「払うんだ」

 

「まあ、どうしていいか判らず途方に暮れてたところだからな。五千円で何かアドバイスしてくれるなら安いもんだ」

 

 阿部が内ポケットから財布を取り出したとき、ごとり、と、重い音を立て、床に何か落ちた。それは、血まみれのネイルハンマーだった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ケータイを取り出す章子。「もしもし、警察ですか」

 

「違う違う。これはオレんじゃねーよ。部屋に落ちてたんだ。犯人が持ち込んだものだと思うんだが」

 

 章子はケータイを閉じた。「なんでそんなもの持ってくるのよ。警察に捕まったら、ますます立場が悪くなるでしょうが」

 

「実は、オレにもよくわからん。とにかく死体のそばにそれが落ちていたのを見て、持って行かなきゃと思ったんだ。まあ、人は危機的状況に陥ると、倉庫にある酒瓶を持って行ったり、通りすがりの用水路の水門を開けたり、そういう意味不明なことを無性にやりたくなるものだろ? んで、そういうワケわからん行動は、どこかで誰かの役に立つっていうのが、偉大なる先人様の知恵だ」

 

「あんたの言ってることの方がよくわからん」

 

 と、言いつつも、実際、阿部がネイルハンマーを持ってきたのは幸いだった。これを過去視すれば、何か判るかもしれない。章子はネイルハンマーを過去視してみた。

 

「……夜見島……?」

 

 読み取れたのはそれだけだった。パソコンを起動し、インターネットで夜見島を検索する。東京から少し離れた四開地方の中迂半島沖にある小さな島だった。

 

「その島に、何かあるのか?」横からパソコンの画面をのぞいていた阿部が訊いた。

 

「そうね。何があるのかまでは判らないけど、ここに行けば、手掛かりが見つかると思うわ」

 

 阿部は、そうか、と言って立ち上がった。「じゃあ、オレ、ちょっくらその島に行ってくるわ」

 

 まるで近所のスーパーのタイムセールにでも行くような調子の阿部に、章子はあきれてため息をついた。「あんたねぇ。状況判ってるの?」

 

「判ってるさ。オレは指名手配され、警察に追われる身。だからと言って、ただ隠れてるわけにはいかないだろ。まあ、あんまり人目につかないよう、気を付けて行くさ」

 

「そうじゃなくて――」章子は少しためらったが、黙っていても阿部のためにもならないので、言うことにした。「あなたの言うことは信じるわ。あなたは誰も殺していないし、部屋から柳子が出てくるのを見た」

 

「そうだけど、なんだよ、改まって」

 

「でも、あなたの部屋で誰かが死んでいたのは、間違いない事実なの」

 

「……そうだな」

 

「じゃあ、誰がその人を殺したの?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙する二人。阿部とて、その可能性を考えていなかったわけではないだろう。

 

 阿部は、帰宅する直前、柳子が部屋から出て行くのを見ている。

 

 そして部屋に戻ると、何者かの死体があった。

 

 状況から考えると、当然、柳子も死体を見ていることになる。

 

 だが、柳子は何も言わず、その場を立ち去ったのだ。

 

 この状況から、自然と、ひとつの答えが導き出される。

 

 阿部は、ふん、と、鼻を鳴らした。「柳子が犯人だって言うのか? バカバカしい。柳子に人殺しなんて、できるわけないだろ」

 

「そりゃあ、あたしもそう思うけどさ」

 

「死んでいたのが誰なのかは判らないし、部屋で何があったのかもわからん。オレが言えるのは、柳子は犯人じゃないってことだけだ。ただ、柳子が何か厄介なことに巻き込まれているのは確かだ。なら、オレは全力で柳子を探す。あいつの力になってやれるのは、オレだけだ」

 

「…………」

 

 じっと、阿部の目を見る章子。さっきまでのどこか緊張感のない雰囲気は、もう無かった。真剣に、柳子のことを思っている目。

 

「……ふーん」

 

「なんだよ?」

 

「あんた、ヤンキーのくせに、男らしいこと言うのね」

 

「アホか。ヤンキーだから男らしいんだろ」

 

「……そうね」

 

 章子は小さく笑う。これまでこの男にはあまり良い印象を持っていなかった(と言うよりは柳子のヒモでクズ男だと思っていた)のだが、その考えは少々改めなければいけないかもしれない。見た目だけで人を判断するようでは、占い師として失格だ。これは、大いに反省しなければ。

 

 章子は、ぱん、と手を叩いた。「よし。じゃあ、この夜見島に行ってみるわよ」

 

「行ってみるって、お前も一緒に来てくれるのか?」

 

「ええ。親友が事件に巻き込まれてるのなら、ほっとけないでしょ」

 

「助かるぜ」

 

 章子は指を三本立て阿部に向けた。「出張費は三万円ね」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……しゃーねーな」と、財布を取り出す阿部。

 

「払うんだ」

 

「さっきパチンコで大勝ちしたからな。逃亡資金にはしばらく困らん」

 

 逃亡者がパチンコなんかするなよ、と思いつつ、阿部から三万五千円を受け取った章子。こうして、二人は、夜見島へ向かうことになったのである。

 

 

 

 

 

 

 ――それにしても。

 

 

 

 夜見島へと向かう道中で、章子は考える。

 

 ネイルハンマーを過去視して、『夜見島』というワードしか読み取れないのは、いったいどういうことだろう?

 

 過去視は、物体に残った残留思念を読み取るものだと、章子は考えている。その残留思念には強弱があり、強い思念ほどはっきりと読み取ることができ、弱い思念は読み取ることができない。

 

 だから、ネイルハンマーを過去視して、『夜見島』というワードしか読み取れなかったということは、それ以外の思念が弱いということである。

 

 そんなことがあるだろうか?

 

 このネイルハンマーは、人を一人殺すのに使われたものだ。

 

 通常、殺人を行う者には強い殺意がある。そして、憎しみや恨みといった、殺意に至るまでの感情もある。

 

 それらの感情は、殺害を実行する際に最も強くなる。当然、使用された凶器に、その時の感情は強く刻み込まれるはずだ。

 

 また、被害者の感情も同じだ。被害者にも、殺される直前の恐怖、殴られている時の痛み、死を迎える直前の悲しみ、殺人者への恨み、など、多くの感情がある。それらも、使用された凶器に強く刻み込まれるはずだ。

 

 まして、今回の事件は、被害者の顔が判別できないほどであったという。小さなネイルハンマーでそこまで行うには、何度も殴りつけなければいけない。何度も、何度も、数えきれないほど。

 

 なのに。

 

 このネイルハンマーには、その時の思念は、何ひとつ残っていない。

 

 殺人者の殺意も、憎しみも、悲しみも。

 

 被害者の恐怖も、痛みも、悲しみも、恨みも。

 

 何ひとつ、このハンマーには残っていないのだ。

 

 それはつまり。

 

 殺した側も、殺された側も、何の感情も無かった、ということになる。

 

 殺人者は、殺意も憎しみも恨みも無く、ただハンマーで殴り続けたことになる。

 

 被害者は、恐怖も悲しみも恨みも無く、ただハンマーで殴られ続けたことになる。

 

 この殺人には、人の感情が一切動いていないことになる。

 

 そんなことがあるだろうか?

 

 人を殺して、そして殺されて、何の感情も無いなんてことが、あるだろうか?

 

 それは、本当に人なのか。

 

 何の感情もなく人を殺し、何の感情もなく人に殺される。

 

 そんな存在が、はたして人と言えるのか。

 

 

 

 あるいは。

 

 

 

 まったく別の考え方をすることもできる。

 

 何の感情もなく人を殺し、何の感情も無く人に殺された、と、考えるよりも。

 

 殺人者は強い殺意を持って人を殺し、被害者は強い恐怖とともに死んだが、その感情が、ハンマーに残らなかったと考えることもできる。

 

 つまり。

 

 ハンマーに残った残留思念が、誰かの手によって意図的に消去されていたとしたら。

 

 可能性としては、その方が高いように思う。このネイルハンマーには、夜見島というワード以外何も残っていない。そう。殺人の時の記憶だけでなく、それ以前の記憶も残っていないのだ。ハンマーはかなり使い古されたものであり、凶器となる前は誰かが普通に使っていたと思われる。それらの記憶さえ一切残っていないのは、明らかにおかしい。たとえ新品であったとしても、販売店に陳列されていた頃の記憶、販売店まで輸送されるときの記憶、工場で梱包されるときの記憶、工場で生産されているときの記憶、さらにそれよりも前、鉄や木などの素材だった頃の記憶も、残るものなのだ。

 

 しかし、このネイルハンマーには、それらの記憶さえ一切残っていない。誰かに記憶を消去されたと考えるのは、人ならざる者が人ならざる者を殺したと考えるよりも、現実味があるように思う。

 

 ただ。

 

 そう考えたとしても、結局のところ、結論は同じになる。

 

 物に残った残留思念を消去する――そんなことができる存在が、はたして人と言えるのか。

 

 物の残留思念を消去するのは、人の記憶を消すのと同じだ。他人が意図的にできることではない。

 

 そんなことができる存在が、はたして人と言えるのだろうか。

 

 

 

 要するに。

 

 

 

 仮に、この殺人事件が、何の感情もなく行われたものだとしても。

 

 仮に、このハンマーに残る記憶が、意図的に消去されたものだとしても。

 

 どちらにしても、そこには、人ならざる者の力がはたらいていることになるのだ。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 そもそも、物に残った記憶を読み取るという力を持った自分自身も、はたして人と言えるのだろうか。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 まあ、ここでごちゃごちゃ考えても判らん。とにかくその夜見島とやらに行ってみるしかないだろう。章子はそう思った。

 

 

 

 つまり。

 

 

 

 章子は、これ以上考えるのが面倒になったのである。

 

 

 

 

 

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