上官である三沢を残し、岸田百合と二人でブライトウィン号から脱出した永井頼人は、瀬礼洲地区の北にある瓜生ヶ森にいた。道端の岩に百合を座らせ、話を聞く。百合のような少女が、なぜ、上陸が禁止されたこの島に来たのか。彼女の話によると、島北東部の碑足地域にある遊園地に、母親が囚われているという。
「あの遊園地に、お母さんが……?」
百合の話を反芻するように問う永井。その遊園地には永井も立ち寄った。屍人と化した隊員たちが何名かいたが、他に人の気配は無かった。夜見島は、二十九年前に全島民が失踪するという事件があり、それ以来誰も住んでいないと聞いている。そんな島に、母親が囚われている……にわかには信じられない話だった。いったい誰が、何の為に捕らえたのか。不審なことだらけだ。訊いてみても、百合は首を振るだけだ。
ただ。
「お願い、頼人。あたしを信じて。あたしには、あなたしか頼れる人がいないの」
そう懇願されると、不審な点など大した問題ではないと思えてくる。
「あの、一樹って人にも同じ話をしたんだけど、信じてもらえなかった。誰もあたしを信じてくれない。みんなあたしを裏切る。これで頼人にも信じてもらえなかったら、あたし、もうどうしていいか判らない……」
百合は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らしはじめた。
永井の胸に、罪悪感に似た感情が湧きあがってきた。彼女が泣いているのは自分のせいだ、そんな風に思えてくる。彼女の力になりたい。男として、彼女を助けなければ。
永井は、百合の両肩に手を置き、「判った、信じるよ」と、力強く言った。
百合が顔を上げた。「本当? 本当に、信じてくれる?」
「ああ、もちろん。一緒に遊園地に行って、お母さんを助けよう」
「ありがとう、頼人」
百合は、両手を永井の首の後ろに回した。
そして、顔を近づけ。
「……もうひとつ、お願いがあるの」
耳元でささやく。
「なに?」
「お母さんを助けたら……あたしと、ひとつになってほしいの」
「え? それって、どういう意味?」
「ひとつになるのよ。あたしと、頼人が、ひとつに……」
「…………」
永井は百合の目を見た。魂を吸い取られてしまいそうな、妖しげな美しさを秘めた瞳だ。思わず視線を下げると、今度は雨に濡れて潤んだ唇が見えた。わずかに開き、「頼人……」と、吐息のような声で呼ばれた。永井は、貪りつきたい衝動を抑えるのに必死だった。
不意に。
百合の、美しい顔が強張った。
その、強張った百合の顔に、小銃の銃口が突きつけられた。
「――――!!」
永井はとっさに銃口を跳ね上げ、振り返った。
そこに、三沢が立っていた。
「あんた! 何やってんだよ!!」
上官であることも忘れ、感情のままに叫ぶ永井。市民に銃口を突きつけるなど異常だ。頭がおかしいとしか思えない。
「いやあぁ!!」
百合は、悲鳴を上げて走り去った。
「あ! 百合ちゃん! 待って!!」
追いかけようとする永井の腕を、三沢が掴んだ。強引に引き寄せられる。
「任務を放棄し、こんなところで女と乳繰り合うとは……貴様は、自衛官の使命を心得ていないのか?」
訓練で多くの部下を震え上がらせてきた三沢。彼の指導に妥協はなく、誰であろうと容赦はなかった。多くの部下、後輩、そして同僚からも恐れられていた。彼の一声で、腰を抜かしてしまう者もいるほどだ。そんな訓練の時とは比べ物にならないほどの恐ろしい声で言う。
だが、今の永井は、上官に対する恐怖よりも、怒りの方が
永井は三沢の手を振り払った。「何が自衛官の使命だ! あんたなんかに、そんなことを言われる筋合いはない!」
「なんだと? 貴様、それが上官に対する態度か?」顔を歪める三沢。感情の表現が乏しい分、能面に睨まれているような得体の知れない恐ろしさがあるが、もはや永井には関係ない。
「上官? あんたなんかを上官だなんて思えるかよ! なんであんたなんだよ! なんであんたが生き残って、沖田さんが死ななきゃならないんだ!!」
言ってもどうにもならないことであり、言ってはならないことだとも判っていたが、もう止められなかった。大した熱意も無く自衛隊に入った永井を指導し、自衛官の使命を教えてくれた沖田。もっと沖田の下で学びたかった。この不可解な状況下を沖田に導いてほしかった。沖田と一緒なら、この危機的状況を乗り越えられただろう。だが、沖田はもういない。いるのは、何を考えているのか判らない、頭がおかしいとしか思えない三沢だけだ。
「クソ! もうやってられっか! 任務なんかクソ喰らえ!!」
永井は吐き捨てるように言うと、逃げた百合を追い、走った。