SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第三十七話 『鳩の帰還』 岸田百合 冥府 6:00:00

 八月三日、早朝六時。

 

 島に、サイレンが、鳴り響く――。

 

 

 

 

 

 

「――さあ、守。ひとつになりましょう。これからあたしたちは、ずっといっしょにいられるの。守と、あたしと、お母さんと、いつまでも、いつまでも、いっしょに――」

 

 七つの門と七つの鍵を解放し、岸田百合と共に冥府に下りた一樹守は、赤い海から現れた首のない異形の生物と対峙していた。一樹をここまで導いた百合は、その異形の生物と融合し、ひとつの存在となっている。異形の生物の首の上には、いま、百合の顔があった。深海魚を思わせる醜い巨体に百合の顔。一樹は、不思議とその姿を美しいと思った。それは、この世界には存在しないものだった。実体をもたない神が、我々人間の前に現れるために具現化した姿なのだ。恐らく、多くの人間があの姿を醜いと言い、嫌悪あるいは恐怖するだろう。だが、卑小な人間に、神の美しさが理解できるはずがない。あの美しさが理解できるのは、神の領域に踏み込んだ者だけなのだ。今、自分はその領域にいる。

 

「来て、守。ここに来て」

 

 百合の頭部が言い、両手を広げた。神が俺を迎え入れようとしている。あの美しいものとひとつになれる。それはまさに、天にも昇る心地だった。俺は、楽園へと誘われるのだ。

 

 一樹は、一歩、さらに一歩と、神へと近づいてゆく。赤い海に足を踏み入れる。

 

 だが、突然。

 

 一樹の身体が弾き飛ばされた。全身に激しい衝撃を受け、後方へ吹き飛ぶ。地面に叩きつけられた一樹は、痛みで我に返った。

 

 目の前にいるのは、美しい神――ではなく、醜い異形の生物。

 

「――――っ!?」

 

 化物の頭部にある百合の顔が歪んだ。歯を食いしばり、全身が小刻みに震えている。それは、何か見えない力で身体を縛られているような姿だった。いま一樹を弾き飛ばしたのも、この力なのだろうか?

 

「――逃げて! 早く!!」

 

 地下に少女の声が響き渡り、一樹は振り返った。

 

 赤い海の波打ち際に、見覚えのある少女が立っていた。黄色いパーカーに赤い帽子……この島へ来る際に乗った釣り船でアルバイトをしていた少女だ。船が赤い高波に襲われ、反動で海へ投げ出された少女。名前は確か、木船と言っただろうか。

 

 少女は、目の前で右拳を握り、その手首を左手で握り、歯を食いしばって何かに耐えていた。

 

 異形の生物が、歪んだ表情のまま少女を睨んだ。

 

《貴様は『因子』を持つ者か……なぜ我の邪魔をする!?》

 

 それは、百合の声だが、百合の声ではなかった。なぜそんな風に思ったのかは判らない。百合と同じ声だが、百合よりもはるかに重く、あるいは高く、胸に響く、あるいは耳に刺さる、そんな、不可解な声だった。

 

「早く……これ以上は……抑えられない……」

 

 少女の右手が少しずつ上へあがっている。少女は手首を握った左手で、右手を引き戻そうとする。意志に反して勝手に動き出そうとする右手を押さえているように見えた。異形の生物を見ると、わずかに身体が上昇していた。身体を縛る見えない力に抗おうとしているかのようだ。少女の右手の動きと異形の生物の動きがリンクしている。少女が、何か特殊な力で異形の生物を押さえているのだろうか? それがどんな力なのか、一樹には想像もつかなかったが。

 

 異形の生物が大きく飛んだ。同時に、少女の身体も大きく後方に跳ね飛ばされた。

 

 見えない力から解放された異形の生物は、網から解き放たれた魚のように一樹たちの頭上を泳いだ。もちろん、そこに水など存在しない。それでも、長い尾びれと扇状の手を動かし、宙を泳ぐ。

 

 そして、少女と一樹の頭上で制止すると、憎々しげな顔で二人を見下ろした。

 

「逃げて!」

 

 少女の声が、地下に響いた。

 

 

 

 

 

 

「――逃げて!」

 

 一樹守を追って冥府へと下り立った少女・木船郁子(いくこ)は、倒れている一樹に向かって叫んだ。一樹は立ち上がろうとするが、膝から崩れ落ち、また倒れた。先ほど化物から一樹を護るため、郁子は()()を使って彼を弾き飛ばした。とっさのことだったので手加減はできなかったから、それで怪我をしたのかもしれない。本当に、ギリギリのことだったのだ。到着があと一分遅れていたら間に合わなかっただろう。

 

 郁子は立ち上がり、一樹に手を貸そうとした。だが、差し出しかけた手を思わず引っ込める。()()()()()()()()()()()()。郁子は肌と肌が触れないようにパーカーのフードを深くかぶると。

 

「ほら! 早く立って!」

 

 一樹に肩を貸し、なんとか起き上がらせた。階段へ向かう。だが、郁子自身も、先ほど異形の生物を押さえるために能力を使い、かなり疲労していた。足がもつれて倒れる二人。衝撃で、一樹が掛けている眼鏡が滑り落ち、少し離れたところへ転がった。一樹が手を伸ばすが、拾っていては追いつかれる。一樹を引っ張り、立ち上がって逃げようとする。背後から異形の生物が迫る。逃げられない! そう思った時。

 

「……おいおい、なんだよありゃ?」

 

 地下に、新たにいくつかの気配が生じ、異形の生物の注意は、そちらへ向いた。

 

 

 

 

 

 

「……おいおい、なんだよありゃ?」

 

 夜見島遊園の封印を解き、三上脩と二人で地下へと下り立った阿部倉司は、宙を舞う異形の生物の姿に両目を大きく開いて驚いた。タツノオトシゴとクラゲとウマを掛け合わせたような巨体もさることながら、その顔が、現在行方不明となっている彼の同棲相手にそっくりだったのだ。

 

「柳子……じゃ……ねぇよな……?」

 

 何らかの事件に巻き込まれ、阿部の前から去った同棲相手の柳子。彼女の手掛かりを求めてここまでやって来たのだが、この島で起こったことは阿部の理解できないことばかりだ。赤い津波に、よみがえる死体に、見たこともない生物の骨。そして、いま目の前にいる、柳子と同じ顔をした化物。訳が判らないが、あれが柳子でないことだけは判った。顔は柳子だが、まったく別の存在だ。根拠など無いが、阿部はそう確信した。それは、彼が持つ野生の勘とでも言うべきものだった。

 

「……お姉ちゃん? お姉ちゃんだよね?」

 

 阿部の後ろにいた三上が、誘われるように歩き出す。

 

「おい……先生……?」

 

 阿部は止めようと肩に手をかけたが、三上はそれを振り払い、赤い海の方へ向かって歩く。その目が――見えないはずの彼の目が、まっすぐに化物の顔に向けられていた。その顔を見て「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」と繰り返しつぶやく。三上は、子供の頃この島で一緒に暮らした『姉』の痕跡を追って島に来たと言っていた。その姉が、あの異形の生物と同じ顔をしているということだろうか? だがそれは、同時に柳子と同じ顔であることも意味していた。柳子と、三上の姉と、化物。同じ顔が三つ。一体、これはどういうことだ。阿部には、なにがなんだかさっぱり判らなかった。

 

「お姉ちゃん……見えるよ……お姉ちゃん」

 

 三上は、異形の生物へ近づいてゆく。

 

 

 

 

 

 

 阿部倉司と共に冥府へと下り立った三上脩は、そこに広がる光景に息を飲んだ。赤い海がどこまでも広がり、天から樹の根がぶら下がり、海の中に枯れた大樹が生えている。

 

 だが、三上が驚いたのは、それらの光景に対してではない。その光景を、他人の視界を通してではなく、自分自身の目で見ているということだった。

 

 目が、見える。

 

 四歳の時に光を失い、ほとんど見えなかった目が、今、はっきりと見えるのだ。

 

 そして。

 

「脩……来て……あたしを見て……脩……」

 

 赤い海の上には、ずっと探し求めていた姉がいて、両手を広げて三上を待っている。

 

「見える……見えるよ……お姉ちゃん……」

 

 姉の元へ向かう三上。ずっと会いたかった……ずっと探していた、ずっと寂しかった。ようやく、お姉ちゃんと一緒になれる。

 

「そうよ、脩。あたしたちはひとつになるの。ずっと、ずうぅっと、一緒よ」

 

 三上は姉の胸に飛び込んだ。姉が優しく抱きしめてくれた。脩は、姉の胸に顔をうずめ、子供のように泣いた。ようやく会えた。もう二度と離れない。離れたくない。

 

 だが。

 

「――脩! ダメ! 見ちゃダメ!!」

 

 背後で姉が叫ぶ声がして、脩は顔を上げ、振り返る。

 

 そこには、もう一人、姉がいた。

 

「……お姉ちゃん?」

 

 阿部の後ろ、階段を下りて、姉が駆け寄って来たのだ。

 

 はっとして、自分を抱きしめている者を見ると。

 

 それは、姉ではなく、姉の顔をした異形の生物で。

 

 その腹――ぽっかりと穴が空き、中から生えたいくつもの蠢く触手に捕らえられ、三上は半身を取り込まれていた。

 

 

 

 

 

 

「――脩! ダメ! 見ちゃダメ!!」

 

 化物の腹に取り込まれる三上脩に向かって叫びながら、喜代田章子は奇妙な感覚に襲われていた。その声は、自分の声であって、自分の声ではない。いや、声だけでなく、いま見ている光景もそうだ。自分の目で直接見ているようで、実は間接的に見ている。なに言ってるのか判らないだろうが章子にも判らない。それはまるで、映画館で一人映画を観ているような、あるいは、家の外で起こっている出来事を窓越しに見ているような、そんな不思議な感覚だった。

 

 さらには。

 

「待ってて脩! いまお姉ちゃんが助けるから!」

 

 口が勝手にしゃべり、足が勝手に駆け出す。訳が判らなかったが、とにかく脩を助けなければという思いでいっぱいだった。

 

「おい、よせ! もうムリだ!」

 

 脩の元へ走ろうとした章子の手を、阿部が掴んだ。我に返る章子。三上はもう首まで化け物に飲み込まれていた。阿部の言う通り、もう助けられるような状態ではない。近づけば自分も取り込まれてしまうかもしれない。なのに、身体は勝手に動こうとする。章子は気がついた。これはあれだ。新能力『夜見島ガイド』によって目覚めたあたしの内なる何者かが、表に出てきているのだ。で、代わりにあたしが内側にいる。おい、勝手に入れ替わるなコラ。これはあたしの身体だ。あたしは三上脩なんてテレビで見たくらいでよく知らないし、何の恩も無い行きずりの男を危険を冒してまで助けるほど甘くもない――というのはもちろん冗談で、助けたいけどあの状況じゃとても助けられない。ここで無理をしてあたしまで取り込まれたんじゃただの犬死だ。大丈夫。チャンスはまだある。ここは一時撤退するのが賢明だ。だからあたしの身体を返せ。ふんぬ! と気合を入れると、一歩引いた場所から見ているような奇妙な感覚は消え、操作権が自分の元に戻って来た。よし、まだあたしはあたしだぞ。

 

 三上を見ると、もはや全身が完全に取り込まれていた。化物の腹の穴がふさがってゆく。完全に穴がふさがると、その周りに生えていた蠢く触手や胴体を覆っていた鱗が抜け落ちていった。それは地面へ落ちると、一体一体が巨大な蛆虫のような姿になって動きはじめた。巨大蛆虫モドキは鎌首をもたげる蛇のようにして立ち上がる。その頭部に目や鼻は無いがなぜか口だけがあり、人間のような歯がずらりと並んでいた。章子たちに向けてニヤリと笑う。それが数十匹――いや、化物の身体からはまだ触手や鱗が抜け落ちているから、その数はどんどん増える――群れを成して章子たちに迫る。キモい、キモすぎる。

 

「よし! 逃げるわよ、リーゼント!」

 

 章子は阿部の手を引き、階段へ向かって一目散に走った。

 

 

 

 

 

 

 同時刻――。

 

 

 

 

 

 

 自衛官の永井頼人は、瓜生ヶ森の林道に立ち、耳を押さえ、鳴り響くサイレンの音に耐えていた。三沢の元を去った永井は逃げた百合を探したが、いまだ見つけられていない。島の北東部にある遊園地に母が囚われていると言っていたから、そこに向かったのかもしれない。自分もそこへ行くべきなのだろうが、行き方が判らなかった。永井は島の地図を持っていない。コンパスは持っているが、針はフラフラするばかりでまったく機能していなかった。この先どうしていいのか判らない。彼を導いてくれる人はいないのだ。だが、三沢の元へ戻るという選択肢だけは無かった。なんとか、自分一人で道を切り開くしかない。

 

 

 

 

 

 

 亀石中学テニス部の矢倉市子は、貝追崎の浜辺で座り込んで泣いていた。彼女の前には、胸から大量の血を流す藤田茂が横たわっていた。到底助かるような傷ではない。何もできない市子は、ただ泣き続けるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 警察官の藤田茂は、彼のそばで泣き崩れる市子に、遠く離れて暮らす娘の面影を重ねていた。やはり、この島から脱出し、無事帰ることはかなわなかった。また家族三人で暮らすというささやかな夢は叶わなかった。何がいけなかったのか、いまの藤田には判らない。すまんなぁ、朝子。藤田は薄れゆく意識の中で、もう一度娘に詫びた。

 

 

 

 

 

 

 自衛官の三沢岳明は、夜見島金鉱社宅ハ棟の屋上で、迫りくる屍人と屍霊を相手に一人で戦っていた。小銃を撃ち、あるいは銃のグリップで殴り、拳銃を撃ち、ナイフで斬り裂く。弾が無くなれば相手の武器を奪い、また戦う。倒してもまたよみがえる敵を、また倒す。三沢は戦い続ける。戦っている間は悪夢を忘れられる。恐怖から解放されるのだ。だから、戦い続けるしかない。

 

 

 

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 

 

 三上脩を取り込み、地の底より解放された百合の『母』は、産み落とした大量の『子』を見おろし、満足げに微笑んだ。

 

《よくやった、『鳩』よ。そなたなら、我が宿願を果たしてくれると思うたぞ》

 

 母は、融合した百合に話しかけた。

 

「ありがとう、お母さん」百合は笑顔で答える。

 

《我は何度も鳩を飛ばしたが、戻って来たのはそなただけだ。まったく……どいつもこいつも役立たずの不完全品であったわ。そう言えば、先ほどの『人間』共の中にも、因子を持つ者が何人かおったな。『分裂体』のぶんざいで我に刃向うとは。今度我に姿を見せたら、八つ裂きにしてくれよう》

 

「…………」

 

《それにしても、人間とはなんと醜き生き物じゃ。あのような醜きものを()にせねば生きられぬなど、我が子らが哀れでならぬ》

 

 母は忌々しげに言った。彼女たちは地上の光に対する耐性が無い。そのため、地上で活動するためには殻を被らなければならなかった。母は何度も鳩を飛ばし、地上の様子を探った。その結果、地上で最も繁殖している人間という生物が最も殻に適していると判断したのだ。だが、彼女たちから見た人間の外見は、目を背けたくなるほどの醜き姿だった。

 

「その人間のことで、お母さんに報せておくことがあるの」

 

《なんだ》

 

「人間は、危険かもしれない。殻となった人間には、活動してた頃の記憶が残ってる。殻に入った者は、その記憶の影響を受ける者もいるわ」

 

 鳩として地上に放たれた二年の間、百合は人間の世界で暮らしながら、人間という生物を観察し続けた。人間にはそれぞれ意志があり、それぞれが目的を持って生きている。そして、その人間が死に、殻となったそれに屍霊が憑りつくと、屍人は、殻に残っている人間の記憶に従って行動することが多いのだ。もっとも、大半はさほど影響がない範囲だ。ちょっとした動作や口癖、扱う道具の好みが変わるといった程度であり、ほとんどの者は屍人としての意志を優先し行動する。しかし、まれに屍人の行動から大きく逸脱する者もいる。あの着物女の屍人がそうだ。執拗に百合をつけ狙い、追って来た着物女。屍人が特定の人間に恨みを抱くなどあり得ない。あれは屍人の行動ではなく、完全に人間の頃の記憶で行動していたのだ。屍霊が、殻の記憶に惑わされたのだ。ああいった例はまだ数少ないが、今後増えていく可能性もある。

 

 だが、母は百合の話を鼻で笑った。《それは、あの『劣化種』共の話であろう。我が子らに、そのような殻の記憶に惑わされるものなどおらぬ》

 

「だといいんだけど……」百合は心配げにつぶやいた。

 

 母が言う劣化種とは、屍霊や屍人のことである。もともと奴らは彼女たちと同じ存在なのだが、太古に(たもと)を分かち、今は異なる存在となっている。母は、奴らのことを自分たちよりも劣った存在と考え、劣化種と呼んでいた。

 

《まあ、もし殻の記憶に惑わされるような者が我が子の中におるようならば、そやつは劣化種と同等の不完全品ということだ。容赦なく排除せよ》

 

「……はい」

 

 母は空中を泳ぎ、一度ぐるりと旋回すると。

 

《さあ、我が子たちよ! 時は来た! 光によって奪われた我らが故郷を取り戻すのだ!》

 

 産み落とした子たちに檄を飛ばした。

 

 子たちは、うねうねと蠢きながら、階段を上って地上を目指す。

 

 

 

 

 

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