SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第三十九話 『脱出』 木船郁子 冥府 8:59:07

 地の底から一樹守を救出した木船郁子は、地上へと続く階段を登っていた。すでに三時間近く登り続けているが、まだ出口は見えない。目に映るのは、岩の壁と鉄の階段、そして、どこまでも広がる闇。登っても登っても変わらない光景に、まるで無限階段に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。疲労はとうにピークを越えている。足を上げようとしても思うように動かず、肺に新鮮な空気を取り込もうとしても、呼吸さえうまくできない。

 

 一樹の方は、郁子よりもさらに辛そうだ。ずっと、右の脇腹を押さえた格好で階段を登っている。地の底で異形の生物に囚われそうになった一樹。彼を救う際、郁子は特殊能力を使って彼の身体を弾き飛ばした。その時の衝撃でろっ骨を折ってしまったのかもしれない。

 

 だが、立ち止まるわけにはいかない。

 

 彼女たちの少し下に、異形の生物が産み落とした巨大な芋虫のような化物が、群れを成して迫っていた。戦ってどうにかなる数ではないし、戦う体力も残っていない。逃げるしかないのだ。二人は気力だけで階段を登る。もはや這っているのと変わらない程度の速さでしかないが、それでも追いつかれることはなかった。芋虫状の身体をした化物どもは、階段を登るのに適した形態ではない。奴らも這うようにして階段を登っているため、郁子たちと変わらない速さなのだ。なんとか追いつかれることはなく、かといって引き離すこともできず、微妙な距離を保ったままの状態が、ずっと続いていた。 無論、少しでも速度を落とせば、たちまち追いつかれてしまうだろう。

 

 一樹が低いうめき声をあげた。負傷した脇腹を押さえ、苦しそうに表情を歪める。それでも進もうとするが、足がもつれ転びかける。幸い踏みとどまったが、一歩間違えれば手すりなど無いこの階段では、地の底へ真っ逆さまだ。

 

「大丈夫!?」

 

 郁子は手を出しかけたが、すぐに引っ込めた。代わりに。

 

「ほら! しっかり!」

 

 励ましの言葉を掛ける。一樹はなんとか階段を登ろうとするが、再び足はもつれ、また転びかける。芋虫の化物は、すぐそこまで迫っていた。

 

「……俺に構わず……君だけでも……逃げるんだ……」

 

 弱々しい声の一樹を、郁子は「バカじゃないの!?」と一蹴した。「こんなところでカッコつけたって、誰も見てないわよ! それに、あなたがそれを言ったから、こんなことになってるんでしょうが!」

 

 地の底で異形の生物と対峙した際、郁子と一樹の他に、ヤンキー姿の男と無数のアクセサリーを身に付けた派手な女がいた。郁子や一樹と違い体力は有り余っている様子で、手を貸してもらえばこの逃走もかなり楽になったはずだ。しかし、化物から逃げる際、一樹は今と同じ言葉を彼らにも言ったのだ。二人はその言葉をあっさりと受け入れ、一樹たちを置いてさっさと逃げてしまった。

 

「つべこべ言わずに、早く立って!」

 

 郁子は一樹の腕を持ち、無理矢理立たせた。こんなときでも肌と肌が直接触れないように注意しながら。

 

 鉛のように重い身体を引きずり、二人はさらに階段を登る。登って、登って、登り続け、そして、ようやく前方にわずかな光が見えた。地上への出口だ。助かった! と思ったのだが。

 

 その光を遮るように、蠢く闇が何体も降りて来た。

 

「……ウソでしょ」

 

 海から来る穢れ・屍霊だ。地下から迫る芋虫状の化物にも劣らぬ数で、群れを成して下りてくる。完全に挟まれた。逃げ場はない。

 

 獲物に追いついたふたつの化物は、一斉に跳びかかる。

 

 郁子は、一樹に覆いかぶさって階段に伏せた。

 

 思いもよらないことが起こった。

 

 蠢く闇と芋虫状の化物は、二人の頭上、あるいはそばを素通りし、互いに争い始めたのだ。

 

 蠢く闇が体当たりをすると、芋虫状の化物は人間のように並んだ歯で噛みつく。どちらも、郁子たちには見向きもしない。

 

 一樹が、争う化物どもを怪訝そうな表情で見つめる。「仲間じゃないのか……?」

 

「そう……みたいね」

 

 頷く郁子。とにかく今がチャンスだ。二人は争っている屍霊と芋虫の化物の横をすり抜け、地上を目指した。

 

 

 

 

 

 

 異形の生物から逃れ、どうにか地の底から舞い戻った二人。目を焦がすほどの眩しい光が迎えてくれることを期待していたが、遊園地は薄闇に包まれていた。時刻は朝の九時を過ぎている。すでに日は昇っているはずだが、空は依然厚い雲に覆われており、深夜よりやや明るくなった程度だ。

 

 近くの茂みがガサガサと揺れ、隠れていた屍霊が襲い掛かって来た。とっさにライトを向け、なんとか迎撃する。屍霊は光に弱く、懐中電灯程度の光でも消滅する。陽が昇れば動きをかなり制限できると思ったが、この薄暗さでは期待できない。

 

 背後で獣の唸り声がした。屍霊の群れを殲滅した芋虫状の化物が迫っている。二人は急いでその場を離れようとした。

 

 だが、隣のコーヒーカップがある丘へ続く陸橋の上には、小銃を持った自衛官の屍人が警戒していた。幸いこちらに背を向けていたため見つからなかったが、遊園地から脱出するためにはこの陸橋を渡る必要がある。郁子は武器を持っていない。一樹は大きな鋸を持っていたが、負傷した身体であの階段を登るには邪魔でしかなく、途中で捨ててしまった。素手で挑むのはあまりにも無謀だ。

 

 再び獣の唸り声がした。芋虫状の化物が数体、地上に現れたのだ。

 

 しかし、化物が地上に姿を晒した途端、身体からしゅうしゅうと音を立て煙が立ち上りはじめた。悶え苦しむ化物。まるで、全身に火を点けられたかのようである。やがて化物は、甲高い悲鳴と共に消滅した。

 

「屍霊よりも、さらに光に弱いのか……?」

 

 一樹がつぶやいた。今の化物の死にざまは、強い光にさらされた屍霊と同じだ。遊園地は薄暗いが、逆に言えばわずかながら光があるとも言える。屍霊は影響を受けていなかったが、あの芋虫状の化物は消滅した。ならば、一樹の言う通り、芋虫状の化物は屍霊よりも光に弱いのだろう。

 

「……そうかもしれない」郁子は記憶を探り、この島に伝わる古い伝承を思い出した。「光に追われし(いにしえ)の者……。屍霊が海から来る穢れなら、あいつらは地の底に潜む穢れ。ヤツらはずっと地の底にいたのよ。海の底よりも、もっと暗い、光なんて存在しない、地の底に」

 

 一樹が首を傾けた。「君、あいつらのことを知ってるの?」

 

「ええ。闇霊(やみれい)って呼ばれてるわ。この島じゃ有名な伝承よ。でも、その説明は後。まずは、あの屍人をなんとかしなきゃ」

 

 郁子は幻視を使い園内の気配を探った。陸橋の屍人の他に、正門と裏門の前にも小銃を持った屍人が一体ずつ、さらに――これは、コーヒーカップのある丘とは反対側だが――花壇のある広場にも、拳銃を持った警官姿の屍人が警戒をしていた。他にも、陸橋のすぐ下の時計塔や噴水がある広場には、ナイフのようなものを持った屍人がいる。

 

 郁子同様、幻視で周囲を調べた一樹が、手のひらに拳を打ちつけた「くそ……これじゃあ、脱出なんて無理だ」

 

 幻視をやめる郁子。一樹の言う通りだ。銃を持っているヤツが多すぎる。これでは、どこかで武器を調達したとしても分が悪すぎる。鈍器や刃物などではとてもじゃないが太刀打ちできないし、首尾よく銃を手に入れたとしても、郁子には銃に関する知識も技術も無い。見よう見まねで使うのはあまりにも危険だ。負傷した一樹に頼ることもできない。

 

 もちろん。

 

 郁子には、()()がある。地の底で一樹の身体を弾き飛ばし、異形の生物の動きを制御した能力が。

 

 それを使えば、脱出は不可能ではない。

 

 だが。

 

 

 

 ――なんかあの娘、気味悪いよね。

 

 

 

 かつてのクラスメイトの声が、胸の奥からよみがえった。

 

 能力を使えば、一樹もまた、同じように思うのだろうか。そう考えると、ためらわずにはいられない。

 

 びくん、と身体が震え、一瞬、観覧車のそばに立つ郁子と一樹に向けて銃を構える視点が見えた。見つかった!

 

「伏せろ!」

 

 一樹が腕を引っ張った。とっさにその場にしゃがむ。ほぼ同時に銃声が響いたが、幸い当たらなかった。二人はしゃがんだまま移動し、奥にあるベンチの陰に隠れた。再び幻視をし、屍人の視点を探る。屍人はベンチに付近に照準を合わせていたが、今いる位置からは郁子たちを狙うことはできない。屍人は銃口を向けたまま、丘の方へ移動し始めた。このままでは狙撃されるのも時間の問題だ。ためらっている場合ではなかった。

 

 郁子は、屍人を幻視したまま、胸の前で右の拳を握った。

 

 そして、幻視をしている屍人の、さらに奥深くを探る。

 

 郁子はそれを『感応』と呼んでいた。幻視が他者の視覚と聴覚に共鳴・同調するのに対し、感応はさらに奥深く、心、あるいは精神そのものに共鳴・同調する。これにより、嗅覚や触覚など五感の全てに同調できるのはもちろん、脳や神経細胞にも影響を及ぼすことができるのだ。

 

 つまり。

 

 ――止まって!

 

 屍人の精神と共鳴した郁子は、指示を飛ばす。

 

 すると、屍人は郁子が命じた通り、その場に立ち止まった。

 

 ――正門前にいる屍人を撃って。

 

 さらに指示を出す郁子。屍人はベンチに向けていた銃口を、南の正門方向へ向ける。スコープを覗き、正門前に立つ屍人へ照準を合わせると、引き金を引いた。銃弾は頭に命中し、正門前の屍人はその場に倒れた。

 

 ――橋の下の屍人も撃って。

 

 さらに指示を出す。橋の下の噴水広場にはナイフを持った屍人がいる。屍人は、指示に従いナイフ屍人も狙撃する。

 

 ――そのまま裏門前まで移動して、そこの屍人も倒して。

 

 屍人は指示に従い、郁子たちがいる丘とは反対側、コーヒーカップのある丘まで移動すると、北側の階段から下り、裏門前まで移動した。裏門前の屍人は、陸橋を警戒していた屍人が移動して来たのを不審に思ったのか、わずかに首を傾けた。だが、やはり屍人同士。攻撃はおろか警戒さえしていない。陸橋を警戒していた屍人は銃を構えると、引き金を引いた。

 

 限界だった。感応を解く郁子。階段を登った時の何倍もの疲労が郁子の身体を蝕む。耐えられず、郁子はその場にへたり込んだ。

 

「大丈夫か!?」

 

 手を貸そうとする一樹を、郁子は手のひらを向けて止めた。「大丈夫……ちょっと……疲れただけだから……」

 

 肩で大きく息をし、呼吸を整える郁子。感応を使った後は大きく体力を消耗する。詳しい理屈は郁子にも判らないのだが、それは身体ではなく、心が疲弊しているようにも思う。

 

「今のは、君がやったのか……?」

 

 一樹の声には、得体の知れない能力に対する(おそ)れのようなものが含まれていた。それが郁子の心をさらに疲弊させるが、今はそれどころではない。

 

「……説明は後……それより……あいつが戻ってくる前に……早く……」

 

 背後でまた唸り声がした。振り返ると、どこから調達したのか、全身に黒い布を巻きつけた闇霊が迫っていた。あれで光に耐えようというのか。郁子はとっさにライトを向け、唯一肌がむき出しの顔の部分に光を当てた。闇霊は大きくのけ反って悲鳴を上げ、煙を上げて消滅した。しかし、その後ろからも、同じように黒い布を巻きつけた闇霊が何体も迫っている。

 

「……行くわよ!」

 

 郁子は気力を振り絞って立ち上がると、陸橋を渡った。一樹が後に続く。コーヒーカップのある丘に移動し、南側の階段を使って噴水広場に下りた。この先に屍人はいない。裏門へ追いやった屍人も、戻るにはまだ時間がかかる。これで脱出できる……そう思ったのだが。

 

 広場に下り立った瞬間、周囲の薄闇にまぎれていた屍霊が、大量に姿を現した。ライトで照らして反撃するが、あまりにも数が多すぎる。

 

「ダメだわ! 戻って!」

 

 振り返り、コーヒーカップのある丘へ戻ろうとする。どこかに身を隠しやり過ごそうとしたのだが、階段の上からは大量の闇霊が下りてきた。逃げ場はない。屍霊と闇霊が争っている隙を突いて強引に突破するような体力も、もう残っていない。

 

 ――助けて!!

 

 追い詰められた郁子には、もう、祈るよりほかに手段が無かった。胸の奥で叫ぶ。

 

 その叫びが、天に届いたのだろうか、空を覆っていた雲が、一瞬途切れた。

 

 そして、そこから眩しい光が注ぐ。

 

 それは、雲の隙間からのぞいたほんの一瞬の晴れ間だったが、その光が、二人の周囲の屍霊を焼く。同様に、黒い布を巻きつけた闇霊をも焼く。屍霊と闇霊の群れは、白い煙を上げながら消滅してゆく。

 

 陽の光は園内全てに注ぎ、屍霊と闇霊を焼き尽くしていった。

 

「……やった」

 

 助かったことを知った郁子は、力が抜け、その場に座り込む。一樹もそばに座り込んだ。お互い顔を見合わせ、そして、どちらともなく笑い合った。まさに危機一髪だった。

 

 だが、休んではいられない。雲がまた太陽を隠せば、奴らは再び動き始めるだろう。その前に――。

 

 

 

 

 

 

 二人は正門を抜け、遊園地から脱出した。

 

 

 

 

 

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