SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第五十話 『逃亡』 加奈江 夜見島港/旧道 -1:50:46

 蒼ノ久集落の資材運搬用ロープウェイを使い、幼い三上脩を逃がした加奈江は、追っ手を逃れ、夜見島港へ続く坂道を駆け下りていた。いざというときの武器にしようと持っていた火掻き棒はもう捨てた。加奈江の細腕では屈強な漁師たちと戦って勝てるとは思えないし、走るのには邪魔でしかない。今は、一刻も早く脩を迎えに行かなければ。きっと、一人で心細い思いをしているだろう。

 

 雨が降り続く砂利道を裸足で走る加奈江。その前に、赤い着物を着た女が立ち塞がった。太田家の一人娘・ともえだ。

 

「見つけたわよ化物女! もう逃がさないから!」

 

 鬼のような形相で加奈江を睨み、両手を広げて行く手を阻む。

 

「どいてください。脩を……脩を迎えに行かなきゃ」

 

「化物のクセに何を!」

 

 無理矢理通ろうとする加奈江に、ともえが掴みかかってきた。加奈江は押しのけようとするが、ともえが強い力で腕を掴み、離さない。加奈江の白い肌に、ともえの爪が食い込む。

 

「痛い……離して……離して!」

 

 加奈江は強い力でともえを突き飛ばした。バランスを崩したともえは、雨でぬかるんだ地面に尻餅をついた。

 

「よくもやったわね!」

 

 さらに鬼相を浮かべ、立ち上がろうとするともえ。加奈江は構わず走る。ともえは追いかけてきたが、ぬかるんだ地面に着物と草履では思うように走れないだろう。

 

「誰か! 誰か来て! 化物女が逃げたわ! 港の方よ! 誰か――」

 

 わめき散らすようなともえの声は次第に遠くなり、やがて聞こえなくなった。加奈江はそのまま走り続け、夜見島港のビル群を見下ろす場所までやってきた。夜見島港の北東部だ。このまま下り坂をまっすぐ行くと波止場がある。その途中、左手側に横道があり、その先がロープウェイの発着場だ。脩は無事に着いただろうか。

 

 加奈江は目を閉じ、意識を周囲へ巡らせた。すぐに、いくつかの気配が見つかった。そのほとんどが、刃物などで武装し、殺気立った漁師たちだった。ここもすでに手が回っている。早く脩を見つけなくては。幸い、()()()()()()()()()使()()()()()()()()()。こちらの方が早く見つけられるはずだ。さらに周囲を探る。ロープウェイの発着場に、脩の気配を感じた。ゴンドラを動かすモーターの後ろに隠れている。小さな膝を抱え、「お姉ちゃん……怖いよう……早く来てよう……」と、震えている。ロープウェイに乗せたときは「大丈夫!」と言っていたが、脩はまだ四歳。こんな夜中に暗い山の中で一人。怖くないわけがない。すぐに迎えに行かなくては。

 

 加奈江はさらに坂を下る。少し進むと道が枝分かれしていた。そこを曲がれば、ロープウェイはすぐそこだ。

 

 だが、その道の途中に、鉄パイプを持った漁師がいた。幸いロープウェイの方へ向かう様子はなく、その場で見張っているだけのようだが、これでは通れない。何か陽動するものはないだろうか? 加奈江は周囲を見回す。枝分かれしている道のそばに街灯がある。かなり古いもので、柱に取り付けられたボックス内のブレーカーで点灯消灯するタイプだ。

 

 加奈江は、手のひらをひさしにして街灯の光の下へ入ると、ボックスを開け、ブレーカーを落とした。

 

「……なんだ?」

 

 横道の方から漁師の声が聞こえた。見つかる前に身を隠す加奈江。幻視で様子を伺う。漁師は街灯の下までやってきて、「故障か?」と、持っているライトを上に向けた。その隙に、加奈江はしゃがみ歩きで静かに背後を通り抜けた。漁師から充分距離を取ったところで走る。すぐに小さな広場へたどり着き、ロープウェイの機器を囲った雨よけの中に駆け込んだ。

 

「脩! 無事!?」

 

 加奈江の声に、脩は満面の笑みでモーターの裏から出てきて、「お姉ちゃん!」と加奈江の胸に飛び込んだ。

 

 加奈江は脩を抱きしめたあと、頭を撫でた。「良かった……よく頑張ったね、脩。ごめんね、怖い思いをさせて」

 

「ううん! ボク、全然怖くなかったよ!」

 

 元気よく答える脩に、加奈江は、フフフと笑った。さっき膝を抱えて「怖いよう」と言っていたのは、見なかったことにしておこう。

 

 加奈江は脩の両肩に手を置いた。「脩、よく聞いて。ここにも、怖いおじさんたちが来てるの。たぶん、島のどこに逃げても追いかけてくると思う。だから、船に乗って、島から逃げないといけない。港に行けば船があると思うから、もうちょっと、がんばれる?」

 

 怖いおじさん、と聞いて、脩は少しだけ泣きそうな顔になったが、すぐに頷き、「うん! ボク、お姉ちゃんと一緒なら平気だよ!」と言って拳を握った。

 

「そう、偉いわ、脩」

 

 もう一度脩の頭を撫でる加奈江。胸の内で、嘘をついたことを詫びた。

 

 漁師たちが追っているのは、島民にとって海から来た穢れである加奈江だ。幼い脩にまで手を出すはずがない。むしろ、漁師たちは子供を保護しようとしているはずだ。脩は怖がるだろうが、漁師たちは脩を悪いようにはしないだろう。実際、網元である太田常雄は、四年前、余所者の子である脩にも、神木の枝を授けてくれたのだから。

 

 だが、それでも。

 

 一刻も早く、この島を離れなければならない。

 

 ずっと、地の底から母が呼びかけている。《帰還せよ》と。

 

 恐らく母は、間もなく何らかの行動を起こすだろう。それが何かまでは加奈江にも判らないが、このまま島にいては危険だ。母が行動を起こす前に島から離れなければならない。島民にも危険を知らせたいところだが、彼らは穢れである加奈江の言うことに耳を貸さないだろう。ならばせめて、脩だけでも。

 

 加奈江は脩を連れ、広場を離れた。街灯がある三叉路まで戻る。街灯の明かりは再び点けられていたが、漁師の姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 加奈江は角を曲がり、坂を下った。少し進むと道の左側に夜見島金鉱株式会社のビルがあり、そのまま真っ直ぐ行けば波止場だ。

 

 だが、ビルの前で人影を見つけ、加奈江は立ち止まった。片目に眼帯代わりの黒い布を巻きつけ、右手に草刈り用の鎌を持った年配の男だった。夜見島の漁師たちを束ねる網元・太田常雄だ。

 

「見つけたぞ、穢れめ」

 

 憎しみの宿った目で加奈江を睨んだ太田は、「ここだ! ここにいるぞ!」と、漁師たちを呼んだ。

 

「脩! こっちよ!」

 

 加奈江は脩を連れ、金鉱会社の敷地へ逃げ込んだ。

 

「待て!」

 

 追いかけてくる太田。加奈江は道と敷地の境にある鉄格子の扉を閉めると、内側の閂を掛けた。鍵は掛けられないので、格子の隙間から手を入れれば開けられるだろうが、時間稼ぎにはなる。その隙に、脩と一緒にビルの外階段を上がり、二階の部屋に入った。部屋は事務作業をするための場所のようだ。中央に事務机がいくつか並んでいる。加奈江たちが入って来た出入口の反対側にもドアがあり、そこから連絡橋を渡って隣のビルへ行けるようだ。

 

 だが、加奈江はドアを開けただけで外へは出ず、脩の手を引いて事務机の後ろに隠れた。

 

「逃がさんぞ穢れ!」

 

 部屋に入ってくる太田。開いている反対側のドアを見て、そちらへ走って行く。太田は外へ出て、連絡橋を渡ろうとした。その隙に、加奈江は入って来たドアから出ていこうとしたのだが。

 

「あ、おやっさん! あの女はどこです!?」

 

 隣のビルから若い漁師の声がした。連絡橋の上で太田と漁師が数人鉢合わせになったようだ。

 

「こっちへ逃げたはずだ。お前らこそ、あの女を見なかったか?」

 

 太田の問いに漁師たちは顔を見合わせ、「見ていません」と答える。

 

「くそ、どこへ消えた。そう遠くへ行っていないはずだ! 探せ!」

 

 太田が命じると、漁師たちは隣のビルへ戻り、捜索を始めた。

 

「穢れめ……絶対に逃がさんぞ……」

 

 太田が部屋に戻って来た。加奈江と脩は、事務机の後ろで息を殺し隠れ続ける。だが、部屋を探されたらすぐに見つかってしまう。イチかバチか、走って逃げるべきだろうか……。

 

 しかし、捜索は漁師たちに任せたからだろうか、太田は部屋を素通りし、元来た出入口から出ていった。

 

 ふう、と、大きく安堵の息をつく加奈江と脩。なんとか見つからなかったが、漁師たちは隣のビルを捜索している。すぐにこちらにもやって来るだろう。加奈江は脩を連れ、太田の後を追うかたちでドアから外に出た。太田が振り返っても見つからないよう距離を取り、警戒しつつ進む。太田は外階段から一階に下りると、敷地の外に出た。太田が去るのを待ち、加奈江たちも出ようとしたのだが、太田は鉄格子製の扉を閉めると、南京錠を取り出し、扉に取り付けた。

 

「これでここからは逃げられまい。穢れめ、絶対に見つけ出してやる」

 

 太田は満足げに南京錠を見つめた後、坂を上がり、ロープウェイがある広場の方へ歩いて行った。

 

 太田の姿が見えなくなったのを確認し、扉の前まで移動する加奈江。鉄格子を持ち、揺すってみた。扉はかなり古く、蝶番はさび付いているが、非力な加奈江が揺すった程度ではビクともしない。到底壊すことなど不可能だ。

 

「困ったわね……これじゃあ、出られない」

 

 残る出口は二階の連絡橋を渡って隣のビルへ移動することだが、そちらは多くの漁師が加奈江たちを探している。隠れながら通過するのは極めて難しいだろう。

 

「お姉ちゃん、あれ」

 

 脩が扉の外を指さす。ぬかるんだ地面に鍵が落ちていた。さっきまでは無かったはずだから、太田が鍵をかけたあと落としていったのかもしれない。加奈江は格子の隙間から手を伸ばしてみたが、あと少しというところで届かなかった。鉄格子の下にも少し隙間があるが、そこからも届かない。何か棒のようなものでもないかと周囲を探すが何も見つからない。ビルの中には何かあるかもしれないが、漁師たちがこちらのビルに来るのも時間の問題だ。戻るのは危険だろう。早く何とかしなければ。

 

「ボク、やってみる」

 

 そう言うと、脩は地面に這いつくばった。身体を横に滑らせ、格子扉の下のわずかな隙間から外へ出ようとする。地面は舗装されていない。雨によってぬかるんだ地面は沼のような状態だ。全身泥まみれになりながらもなんとか外に出た脩は、鍵を拾い、たどたどしい手つきで南京錠の鍵穴に挿し込み、捻って扉を開けた。

 

「すごいわ、脩。本当に、すごい」

 

 加奈江は脩を抱きしめた。こんなに泥まみれになって加奈江を助けようと頑張った脩に、涙が出そうになる。

 

 ビルの二階で人が動く気配がした。隣のビルから漁師たちが移って来たのだろう。脩の成長は喜ばしい限りだが、感慨に浸っている場合ではない。

 

「お姉ちゃん、脩がいると心強いわ。さあ、もう少しよ」

 

 脩を連れ、坂を下る加奈江。ほとんどの漁師はビル内を捜索しているようで、途中誰にも会わなかった。

 

 堤防のある広い道に出て、さらに進む。しばらくすると門が見えてきた。門をくぐって石段を下りれば波止場があるのだが。

 

「……ダメだわ。ここも見張られてる」

 

 石段の上から波止場を見ると、数人の人影が見えた。加奈江たちがここから逃げると踏み、見張っていたのだろう。ここから見える限り船も無い。

 

「脩、ここはダメみたい。こっちよ」

 

 波止場を離れる加奈江。あと船があるとすれば、ここから少し南に行った所にある灯台だ。そこへ向かうしかない。

 

 加奈江は、脩と共に灯台へと向かった。

 

 

 

 

 

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