SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第五十四話 『覚醒』 喜代田章子 蒼ノ久集落/三上家玄関 17:41:33

 玄関の上り框(あがりかまち)で、加奈江は一人、立ち尽くしていた。外から戸を激しくたたく音がする。すりガラスの越しに何人もの人影が見えた。「ここを開けろ!」「いるのは判ってるぞ!」「開けないとぶち破るぞ!」と、かなり息巻いていた。また網元の太田が怒鳴り込んできたのだろうか。それにしては時間が遅いし、来るときは太田一人か多くても二、三人だ。いつもとは様子が違う。太田がこの家に来る理由は加奈江だが、対応は家の主である隆平が行い、加奈江は奥の部屋で彼らが帰るのを待っている。今もそうした方がいいだろう。一階の自分が寝泊まりしている部屋へ戻るか、二階へ行って脩のそばにいるか。加奈江がその場を離れようとして。

 

 ……え?

 

 足元に、三上隆平が倒れていることに気がついた。

 

 寝間着姿だった。玄関側に頭を向け、仰向けで倒れている。土間と上り框にまたがる状態だ。さらに、隆平の胸の辺りは血に染まり、流れ落ちて土間にまで広がっていた。かっと見開いた眼には、何も映っていないように思えた。虚空を見つめているかのような暗い瞳。その表情は、驚いているようにも見えるし、恨んでいるようにも見えるし、悲しんでいるようにも見える。

 

 三上隆平は、刃物で胸を刺されて死んでいた。

 

 そして。

 

 そこで、加奈江はようやく、自分の右手に血まみれの包丁が握られていることに気がついた。

 

 どこかぼんやりとしていた意識が、急に鮮明になった。状況を把握した加奈江は短い悲鳴を上げる。身体が震える。血まみれの包丁と、血まみれで倒れている隆平。これは、あたしがやったのだろうか? あたしが、脩の父を殺した……。覚えは無い。無いが、意識が鮮明になると、隆平の胸に包丁を突き立てた時の感触が右手に残っていることに気がついた。刺されたときの、隆平の呻き声も耳に残っていた。そして、加奈江をその恐ろしい行為へと書き立てた、胸の奥底から聞こえる()の声も。

 

《使命を果たせ》

 

 地上の様子を探るため、地の底から放たれた加奈江。その使命を放棄しようとした加奈江に、母は怒っていた。

 

 玄関の引き戸が蹴破られた。ガラスが割れる音と木が裂ける音。ふたつが入り混じった大きな音と共に、数人の男たちが家の中に入って来る。男たちは、血まみれで倒れている隆平の姿を見て、小さくうめき声をあげた。土間に広がる血が足元まで迫り、一斉に後退りする。男たちはしばらく倒れた隆平に釘付けになっていたが、一人が、包丁を持って立ち尽くす加奈江に気がついた。

 

「化物が! ついに正体を現したな!」

 

 一人が叫ぶと、他の男たちも加奈江に気がついた。初めて見る惨たらしい死体に脅えていた男たちが殺気立つ。目に、憎しみが宿っていく。

 

《殺せ!》

 

 加奈江の胸の内から、また母の声がした。

 

 その声に応じるかのように、加奈江の身体が勝手に動いた。男たちに向かって、包丁を横薙ぎに払う。後退りする男たちに、さらに切りかかろうとする。

 

「――ダメ!!」

 

 加奈江は叫んだ。なおも切りつけようとする右手を左手で押さえ、強い意思で母の声に逆らう。加奈江は奥の部屋へと走った。しばらく呆然と立ち尽くしていた男たちだったが、我に返り追って来た。部屋へ駆け込んだ加奈江は、奥の窓を開け、外に出ようと窓枠に足を掛けた。そこで止まる。窓のそばには鏡台が置いてある。そこに、自分の姿が映っていた。まだ若い……まだ成人していない頃の、若い自分の姿。

 

 ――違う! これはあたしじゃない! あたしは……あたしは!!

 

 思わず、包丁の柄で鏡を叩き割った。

 

 男たちが部屋に駆け込んできた。加奈江は窓から外へ飛び降りると、庭を走り、門から外へ逃げ出した。

 

 

 

 そこで、映像は途絶えた。

 

 

 

 過去視を終えた章子は、小さくため息をついた。加奈江は脩の父親を殺した。まあ、驚きはしない。概ね予想していた通りだ。

 

「……聞こえる?」

 

 章子は、胸の奥に潜む誰かさん――加奈江に話しかける。

 

 ――――。

 

 加奈江は応えなかったが、間違いなく声は届いているだろう。章子はそのまま話す。「なんで、脩のお父さんを殺したの?」

 

 加奈江はしばらく無言だったが、やがて、答えた。

 

 ――あたしは、お母さんが地上の様子を探るために放った鳩。お母さんの意志に逆らうのは、容易ではないの。

 

「そっか……それで、脩を護ろうとしたのね」

 

 異形の生物の意志とは言え、加奈江は脩の父親を殺してしまった。到底償えない罪だ。だから、せめてもの罪滅ぼしに、脩を護ろうとしているのだろう。

 

 家から逃げ出した加奈江は、脩と合流し、蒼ノ久から夜見島港へ逃げた。そして、己の命と引き換えに、脩を島から脱出させたのだ。

 

 だが、二十九年の時が流れ、失われた過去を追い求める三上脩は、島へ戻って来た。そして、地の底で異形の生物に取り込まれた。

 

 ――お願い。脩を助けて。あの子はまた、一人ぼっちで怖がってる。

 

 加奈江が、これまで何度も章子に訴えてきたことを、もう一度繰り返した。

 

 三上脩が異形の生物に取り込まれて以降、加奈江は章子に助けを求めている。脩を助けて、と。章子はそれを、ずっと無視し続けていた。

 

「あたしにとって、三上脩は赤の他人。危険を冒してまで助けるような義理は無いわ。あなたも、勝手にあたしの中に住みついているだけの他人。言うことを聞く理由は無いでしょ」

 

 ――――。

 

「……と、思ってたんだけど」

 

 章子は大きく息を吐き、続けた。「ありがとう、()()()()を助けてくれて」

 

 ――え?

 

 戸惑う加奈江に、章子はさらに言葉を継ぐ。

 

「あなたがいなかったら、あの日、お母さんは助からなかった。当然、あたしも生まれなかった。あなたは、あたしと、あたしのお母さんの、命の恩人よ」

 

 章子の母親は、妊娠中に事故に遭った。旅行中、海辺の町で遊覧船に乗り、誤って海へ転落したのだ。どうにか救出されたが、母が言うには、溺れて海の底へ沈みかけたとき、肌が真っ白な美しい少女が海中を泳ぎながらやってきて、胎内に入たそうだ。母は、その少女のおかげで助かったと、今でも信じている。

 

 物心ついた頃から、章子は何度もこの話を聞かされていた。章子は母親を過去視し、この話が真実であることを確認している。

 

 無事に救出されたものの、事故のショックからか母親は緊急出産することになり、章子は予定よりも早く生まれることになった。

 

 すべて、二十九年前の八月三日の出来事だ。

 

 二十九年前の夜、加奈江は、夜見島の灯台で脩と共に赤い津波に飲み込まれた。どうにか脩を助けることはできたが、加奈江は力尽き、海へ沈む。その後、海中を漂っていた加奈江が、偶然同じ海へ転落した章子の母を見つけ、その胎内に宿った。

 

「長年の疑問が解けたわ。あたしの一連の特殊能力は、鳩の力なのね」

 

 ――ごめんなさい。あなたを巻き込んでしまって。

 

「なに言ってんの。謝ることなんてないわよ。この能力のおかげで天職に就くことができたし、それなりに儲かってるし。それが闇の住人の力だろうと何だろうと、あたしには関係ないわ。あたしはあたしだもん」

 

 あはは、と笑うと、章子は、強い決意と共に、続けた。

 

「あなたには、大きな……本当に大きな恩があった。あなたは、あたしの大切な人を救ってくれた。その恩は、絶対に返さないとね。脩を……あなたの大切な人を、一緒に助けましょう」

 

「――ありがとう」

 

 その瞬間。

 

 章子の意識は、胸の内の、深い、とても深い所へ落ち。

 

 代わりに、加奈江が目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 覚醒した加奈江は、空を見上げた。もうすぐ陽が暮れる。世界は、また闇に包まれる。それに合わせ、()は侵略を始めるだろう。光によって奪われた地上世界を奪還するために。

 

 四鳴山の頂上に建つ鉄塔に視線を移した。鉄塔の先端は、空に吸い込まれるように消えている。その向こう側に、本当の夜見島が、わずかに見えている。

 

 もうすぐ母は、あの鉄塔に来るはずだ。

 

 

 

 

 

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