SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第五十七話 『孤影』 矢倉市子 夜見島/潮降浜 8:50:32

 夜見島は、上空から見ると飛び立つ鳩の形をしている。それを強く印象付けているのが、西端にある潮降浜(しおふりはま)と呼ばれる地域だ。丸く小高い丘と鋭角な岬からなるこの一帯が、鳩の頭部とくちばしを連想させるのだ。また、海に面して続く広い荒れ地と丘の上にある廃校が、ちょうど目にあたる場所にある点も大きいだろう。

 

 地形の関係からか、この地域は強い海風が吹き付ける。特に時化の時など、風の影響で海水が堤防を乗り越えて降り注ぐことから、潮降浜との呼び名が付けられたという話だ。

 

 丘の上にある廃校は、かつては島で唯一の学校だった夜見島小中学校だ。金鉱発掘時代には鉱員の子供たちで溢れていたが、金鉱閉鎖後は児童・生徒の減少に歯止めがかからず、昭和四十四年に廃校となった。その後は数年放置されていたのだが、昭和五十一年の七月三十一日、島を訪れた廃墟マニアの男が校舎内に無断で侵入し、教室のカーテンに火を放つという事件が起こった。火は瞬く間に燃え広がり、校舎は全焼。警察に逮捕された男は、「夜になったので教室内で寝ていたら、赤黒い化け物に襲われた。化物を倒すために火を点けた」などと、意味不明の供述をしたという。全焼した校舎は取り壊しが検討されたものの、事件発生から数日後の八月二日深夜、島の全住人が集団失踪するという前代未聞の事件が発生。島は上陸禁止となり、学校はもちろん、島全体がそのまま放置されることとなった。

 

 

 

 

 

 

 夜見島を一人さまよう矢倉市子は、潮降浜から少し北東の丘の上にいた。もはや道とは言えないほど木の枝や下草が生い茂る場所を、おぼつかない足取りで歩く。市子の首回りは血がべっとりとこびりついていた。その血はセーラー服の首元から胸の辺りにも付着しており、それが雨の水を含み、服全体に薄紅色に染み広がっていた。市子自身の血ではない。市子を救助しようとして命を落とした警察官・藤田茂の血だ。彼が要塞跡で死んで以降、市子の意識ははっきりしない。どこをどう歩いてここまで来たのか、全く思い出せなかった。ただフラフラと歩き続け、いつの間にかこの場所に来ていたのだ。獣道同然の場所を、不確かな足取りで歩く市子。ずるり、と、足が草の中に沈んだ。草に覆われて見えなかったが、道の端は急な斜面になっていた。そのまま投げ出され、斜面を転がり落ちる。

 

 不意に。

 

 

 

 ――市子!!

 

 

 

 親友の手が、市子の腕を掴んだ。

 

 それは、木々が生い茂る獣道ではなく――船の上。

 

 高波により大きく船が傾き、市子は船の外に投げ出された。

 

 海に落ちそうになったとき、親友のノリコが、手首をつかんでくれた。

 

 同時に、市子もノリコの手首をつかむ。

 

 だが、つかんだ場所が悪かった。ちょうど、ノリコがいつも着けているブレスレットの上からつかんでしまったのだ。ブレスレットが邪魔をし、うまく握れない。市子を支えるのはノリコの握力だけだ。十四歳の少女であるノリコに、片手だけで市子を引き上げる力があるわけもない。ノリコの手が滑った。市子が握っていたブレスレットがちぎれる。奇妙な浮遊感と共に、ノリコの姿が遠ざかる。

 

 だが、その浮遊感が消える。

 

 同時に、海も、船も、ノリコも、みんな消え。

 

 市子は、斜面のそばにある舗装されていない砂利道に倒れていた。

 

 身を起こす市子。身体中あちこち痛むが、それよりも、いま見えたものの方が気になった。いまのはなんだったのだろう? それは、見えたというよりは、不意に記憶がよみがえったといった方がよいかもしれない。あの船は、市子がテニス部の大会から帰る際に乗った大型フェリーのブライトウィン号だ。ブライトウィン号が何らかの事故に遭い、海に投げ出されたのだろうか? しかし、市子が目覚めたのはブライトウィン号内の倉庫だった。海に投げ出されたのなら、それはあり得ないだろう。

 

 判らない。大会を終え、ブライトウィン号に乗ってからの記憶がほとんど無い。あの夜、船で何があったのだろう。ノリコや中島君たちはどこへ行ってしまったのか。なぜ、市子だけが船に残っていたのか。

 

 市子は立ち上がった。腕や足にいくつもの切り傷や擦り傷を負っていたが、大きな怪我はなかった。周囲を見回す。斜面の反対側には市子の胸ほどの高さの堤防があり、その向こう側に赤い海が広がっていた。

 

「……(かえ)りたい……お母さんのところへ……」

 

 ぽつりとつぶやく市子。お母さんは心配しているだろうか? 警察官の藤田さんは、ここは夜見島だと言っていた。市子が住む中迂半島沖約三十キロにある島だ。決して絶望的な距離ではないのに、まるで一人だけ異なる世界に流れ着いてしまったかのような疎外感がある。母は行方の知れない市子を心配しているはずなのに、まるで見捨てられたかのような悲壮感がある。船に乗ってから二日ほどしか経っていないのに、永遠とも思える長き時間を一人で過ごしていたかのような孤独感がある。

 

 いつの間にか。

 

 市子は、海ではなく、反対側の山の方を見ていた。

 

 島の中央、高い鉄塔が建つ山の、さらにその向こう側。そこに、()がいるような気がする。そこへ()りたいと思う。自分を残し遠い世界へ逃げた母、自分を見捨てた母、永遠とも思える孤独、それでも母の元へ還りたいと願い、母の行動を真似、母に認められたいと願う自分。

 

 はっと、我に返る市子。あたしは今、何を考えていたのだろう? あたしの家があるのは海の向こうの本土、中迂半島にある亀石野という地域だ。当然、お母さんもそこに住んでいる。お母さんは怒ると怖いけれど一緒に仲良く暮らしている。決して市子を見捨てたりなんてしない。

 

 なのに。

 

 この胸の内から湧き上がる思いは、いったいなんなのだ。それはまるで、自分の中に自分じゃない別の存在がいるような感覚だった。

 

「ちがうちがうちがうちがう! これはあたしじゃない! あたしじゃない!」

 

 首をぐるぐると振り、考えを否定する。

 

 心臓の鼓動が激しくなった。屍人がいる合図だ。危険な状態だが、パニックに陥りかけていた市子は冷静さを取り戻した。近くに古い軽トラックが停められていたので、その陰に身を隠し、周囲の様子を伺った。

 

 砂利道は海に沿って続いており、その先に広場が見えた。一面枯草に覆われた荒れ地で、朽ち果てた小屋や漁船、ボロボロの木箱やコンテナなどが放置されていた。中には、高さが三メートル以上ありそうな石油タンクまである。幻視で様子を探ると、アイロンを持って徘徊する女性の屍人を発見した。砂利道の手前まで来たが、広場から出ることはなく、しばらくそこに立ち止まった後、元の場所へ戻って行った。

 

 幻視をやめる市子。ひとまず危機は去ったが、どこか安全な場所へ避難した方がいい。とりあえず荒れ地の方には屍人がいるので、反対側へ行こうとした。

 

 だが、びくんと身体が震え、軽トラックの陰に隠れる自分の姿が見えた。いつの間にか、背後に迷彩柄の服を着た屍人が立っていた。右手に拳銃を持っている。とっさに荒れ地の方へ駆けだす市子。ぱん、と銃声が響いたが、幸い弾は当たらなかった。そのまま走り続ける。屍人は鈍間だから少し離れればもう弾が当たる可能性は低いだろうし、走れば追いつかれることもないだろう。荒れ地を横切って走る市子。しばらくすると、海と反対側にある丘の上に、フェンスに囲まれた大きな建物が見えた。どうやら学校があるようだ。あそこなら、隠れる場所が多いだろう。市子はそちらへ向かおうとした。だが、背後で車のエンジン音がして振り返る。軽トラックが猛スピードで迫っていた。運転席にはさっきの迷彩服の屍人が見えた。屍人が車を運転している! とっさに横に跳び、ギリギリでかわしたものの、まさか鈍間な屍人が車を運転するとは思わなかった。軽トラックは大きくUターンして再び市子に迫る。早く逃げなければ。市子は学校へ向かって走り出したが、びくんと身体が震え、女の屍人がアイロンを振り上げて向かって来る視点が見えた。軽トラックと女の屍人が同時に迫る。大ピンチだ、と思ったら、女屍人は勢い余って軽トラックの前に飛び出す格好になり、そのまま撥ね飛ばされた。軽トラックも女屍人をはねたことで車体が大きくブレ、広場のコンテナに突っ込んで停まった。その隙に、市子は丘の上へ続く坂道を駆け上がった。

 

 坂を上がるにつれ、市子はその違和感に気がついた。学校から、なにやら焦げ臭いにおいが漂って来るのだ。不安を抱きながらも坂を上がり、しばらくすると、『夜見島小中学校』と銘板が掲げられた校門が見えた。門扉は閉ざされていたが、一メートルほどの高さなので乗り越えることができるだろう。だが、ためらってしまう。校門の向こうには二階建ての校舎があるのだが、焦げ臭いにおいはそこから漂てくる。火事があったのだろう、校舎は全焼状態だった。それも、ほんの数日前に起こったかのような様子だ。昼前とはいえ、雨が降り続く夜見島は薄暗い。薄闇の中に建つ全焼した校舎は、オバケでも出そうな不気味さがある。

 

 しかし、丘の下から車のエンジン音が聞こえ、ためらっている場合ではないと思い直した。軽トラックがまた迫っている。市子はトラックが来る前に校門を乗り越え、学校内に入った。

 

 校庭には、滑り台やブランコ・鉄棒などの遊具や、朝礼台や花壇、意図は不明だが海亀の銅像も立っていた。残念ながら、何体かの屍人の姿も見える。まだこちらには気付いていないので、見つからないように校庭の隅を通り、校舎の方へ移動する。

 

 またエンジン音が聞こえ、校舎の裏から軽トラックが走り出してきた。裏に車両用の出入口があったようだ。幸い市子は校庭の隅にいたため見つからなかったが、軽トラックはそのまま校庭内をぐるぐると走り始めた。徘徊していた屍人が次々と撥ねられる。その隙に、市子は校舎の裏に回った。

 

 校舎裏には車両用の出入口があったが、その先の道は丘の下の荒れ地に通じているようだ。もうひとつ、フェンス製扉の通用口もあり、その先の道は荒れ地とは反対側の方向にのびている。しかし、扉は南京錠で閉ざされているため通れそうにない。他に、奥の階段を上がったところに焼却炉が見えた。車のエンジン音が迫って来たので、市子は慌てて階段を登った。

 

 焼却炉があるのは小さな広場だった。さらに奥に道が続いており、その先にもうひとつ運動場があるようだ。だが、その前には大きな銃を持った屍人が立っていた。遠く離れているので見つかることはなかったが、このままでは通れない。何かで相手の注意を引いて、その隙に通るしかないだろう。とりあえず焼却炉を調べてみる。中にはプリントなどのゴミが詰め込まれていた。まだ燃やされていない。これは使えそうだ。ポケットを探る市子。少し前に要塞跡の地下二階で拾ったライターを取り出した。ライターでゴミに火を点ければ、屍人が様子を見に来るかもしれない。市子はライターでゴミに火を点けると、階段を数段下りた場所に身をひそめ、幻視で様子を探る。狙い通り、運動場前の屍人は焼却炉から煙が上がっていることに気がつき、移動し始めた。しばらくして焼却炉の前にやってきた屍人は、じっと、燃えるごみを見つめる。こうなった屍人はちょっとやそっとでは周囲の気配に気づかない。市子は静かに屍人の背後を通り抜け、運動場へと向かった。

 

 校舎裏の運動場は校庭の半分ほどの広さだ。小運動場と言ったところだろう。残念ながら体育道具をしまっておくための倉庫があるだけで、他に出入口はない。

 

 心臓の鼓動が早くなった。さっきの屍人が戻って来る。一旦倉庫に隠れよう。市子は倉庫のドアに手をかけたが、鍵がかかっているため開かなかった。裏に回り込む。窓があるが、そこも鍵が掛けられていた。しかし、窓の下にテニスラケットが立てかけられてあったので、いけないこととは思いつつ、ラケットで窓ガラスを割ると、鍵を開けて中に入った。

 

 倉庫の中は、ソフトボールやサッカーボール、ハードルやライン引き、綱引きの綱や玉入れのかごなど、たくさんの物が所狭しと詰め込まれていた。もっとも、物が多い方が隠れるには都合が良い。市子は外からは見えない位置に腰を下ろすと、大きく息を吐いた。ここにいれば、しばらくは安全だろう。

 

 息を整えた市子は、幻視で周囲の様子を探った。大きな銃を持った屍人は小運動場前に戻ったが、やはり焼却炉が気になるのか、しばらくするとまた様子を見に行き、そしてまた元の場所に戻るという行動を繰り返している。軽トラックに乗った屍人は相変わらず校庭を走り回り、何度もよみがえる屍人を何度も撥ね飛ばしている。

 

 幻視をやめる市子。当分は大丈夫そうだが、ここもずっと安全である保証はない。どうにかして別の場所に移動した方がいいかもしれない。何か手はないだろうか? 市子は倉庫内を探した。体育や運動会用の道具の他に、車などを持ち上げるためのフロアジャッキと工具類、釘やハンマーなども置いてあった。

 

 市子は――。

 

 

 

 

 

 

 それらには手をつけず、倉庫の隅に座り込んだ。とりあえずここは安全なんだから、今すぐ何かをする必要はない。それに、待っていればあいつらはどこかに行くかもしれない。とにかく、今は少しでも休みたい。

 

 市子は膝を抱えると、顔をうずめ、そのまま動かずじっとしていた。

 

 

 

 

 

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