ブライトウィン号の最上階にある操舵室の隅で、一樹守は片ひざを立てて座っていた。何をするでもなく、何かを待っているわけでもなく、ただ室内を眺める。しいて言えば考え事をしているのだが、それは今ここで考える必要もないことだ。こんなところで時間を無駄にしている場合ではない。
着物女の四足闇人を倒し、隠れている闇霊も倒した一樹。全て、この船から脱出するためにやったことだ。早く脱出しないと新たな闇霊がやってくる可能性もあるのだが、どうしても動く気になれない。どうも、何か行動を起こすたびに、事態が悪い方向へ進んでいるように思うのだ。
蒼ノ久集落で木船郁子と別れた後、一樹は、四鳴山の頂上にある鉄塔へ向かおうとしていた。その途中、偶然この森の中でブライトウィン号を発見したのだ。生存者がいないか確認するため中に入ったが。船内にいたのは闇人共だけだった。着物女の四足闇人に執拗に追われ、倒すために船内全ての闇霊を倒す羽目になった。その結果、大幅に時間を浪費してしまった。船内を探索しなければ、今ごろ鉄塔を登り、運が良ければ先端部に到達できていたかもしれない。もうすぐ夕方の五時、日没まであと二時間ほどだ。夜になれば闇人共の脅威は格段に増すだろう。そうなると、鉄塔へ向かうことすら簡単なではない。船の探索は、事態を悪くしただけだった。
冥府から生還し、遊園地から脱出しようとした時もそうだった。冥府の門を封じるために園内の石碑を破壊したが、それが、かえって門を大きく開く結果となった。あれも、一樹の行動が事態を悪くしたのだ。思えば最初からそうだ。島で出会った素性も判らぬ少女を助けようとした結果、あの闇人共を解き放ってしまったのだ。常に行動が裏目に出る。いっそ、このまま何もしない方が良いのではないか……そんな気さえしていた。
突如銃声が鳴り、一樹はそばに置いていた鉄パイプを取って構えた。出入口を見る。全身に黒い布を巻きつけた芋虫状の化物・闇霊が、キィキィと奇声をあげて消滅するところだった。船内の闇霊はすべて倒したと思ったが、まだ残っていたのか。
「――油断してると、あっという間にあいつらの仲間入りだぜ」
キザったらしいセリフと共に入って来たのは、小銃を持った迷彩服の若い男だった。見覚えがある。昨夜、赤い津波が島を飲み込む直前に、森の中で出会った自衛官の男だ。
一樹は鉄パイプを下ろし、「あんた、無事だったのか」と言った後、小さく首を傾けた。男は一人だった。森で会った時は、もう一人、大柄の男がいたはずだ。
「相方はどうしたんだ? あんたの上官の」
一樹がそう言うと、男は不愉快そうに顔を歪めた。
「あんなヤツ、相方でも上官でもない。この非常時に女のケツを追い回してたから、ぶっ殺してやったよ」
もちろん冗談だろう。そう思い、「そうか、清々したよ。アイツは、俺も気に入らなかったんだ」と、男の話に付き合う。
男は表情を変えずに続ける。「そっちこそ、あの岸田百合って娘はどうした?」
「なぜ名前を知ってる?」
「夜中にこの船で会ったんだ。結局いなくなったけどな。そういや、あんたに見捨てられたって、泣いてたぞ? なにがあったんだ?」
フフ、と、一樹は自嘲気味に笑った。「言いたくないな。まあ、あの娘に関わって酷い目に遭ったとだけ言っておくよ。それより、黄色いパーカーの女を見なかったか? 夏なのに長袖で、口の悪いヤツだ」
「……いや、見てない」
「そうか。無事だといいが」
一樹は再び腰を下ろした。男は一樹から目を離すと、無言で操舵室内を歩く。操縦桿や計器類、窓の近くにあるシグナリングライトなどを見て回った後、また一樹を見た。
「何があったのか知らないけど、その、口の悪い女を探さなくていいのかよ? もうすぐ陽が暮れる。そうなったら、あのニヤケ顔の化物が、好き放題に暴れ出すぞ」
「そんなことは判ってるさ。でもな、どうにもやる気が起きないんだよ。この島では、何か行動を起こすたびに、事態が悪い方向に進んでいる気がするんだ」
男はまた顔を歪めた。「……あんた、アイツと同じことを言うんだな」
「うん?」
「いや、なんでもない」男は首を振ると、一樹を真っ直ぐに見た。「俺は、あきらめて全てを投げ出すなんて御免だ。カッコつけて語る暇があるんだったら、最後まであがいてみた方がいいぞ。映画とかじゃ、そういうヤツが、最後まで生き残るだろ?」
「実際の戦場じゃ、臆病者の方が生き残るって聞いたけどな」
「つべこべ言わずに、立てよ」
男は一樹のそばに立ち、腕をとった。無理矢理立たせられる。
「……強引なヤツだ」
「悪いな。一応自衛官だから、生存者を見つけてほっとくわけにはいかないんだよ。さあ、行くぞ」
男に連れられ、一樹は操舵室を出た。まあ、仕方がない。行動を起こすたびに事態が悪い方向へ進むとしても、何もせずにずっとここにいるわけにもいかない。
男は永井と名乗った。一樹は永井の後をついて階段を下りる。そのまま一階へ下りて乗降口から脱出するのかと思ったら、永井は二階の客室の方へ向かい始めた。
「どこに行くんだ? 出口はそっちじゃないぞ?」
一樹が止めると、永井は振り返った。「いや、ちょっと調べたいことがあるんだ」
「調べたいこと?」
「少し前に、この船の生存者に会った。その子のことを調べたいんだ」
「生存者?」
「ああ。中学生の女の子だ」
「中学生……?」
一樹はあごに手を当て考える。今の話し方からすると恐らく永井は知らないのだろうが、このブライトウィン号は十九年前に突如消息を絶った船だ。その生存者が現在中学生ということは、通常あり得ない。その少女が嘘をついているのでなければ、一樹が考えた通り、この船は十九年の時を超えてここに現れたということになる。
「……その子の名は?」一樹は訊いた。
永井は一瞬、そんなこと訊いてどうするんだと言いたげな顔をしたが、すぐに言った。「矢倉市子だ」
「矢倉市子……亀石野中学二年で、テニス部員の?」
「……知ってるのか?」
「……ああ」
一樹は頷くと、永井にこの船について話した、この船はブライトウィン号という名で、十九年前の八月二日、夜見島の近くを航行中、突如消息を絶ったこと。当時海上保安部や警察などが全力で捜索したが船体は見つからず、乗員乗客四十四名が現在も行方不明だということ。事件の内容からオカルトマニアの間では有名な話で、そのテの雑誌の編集者であり、近々夜見島の特集を組む予定だった一樹は、事件について当時の新聞や雑誌を取り寄せ徹底的に調べたこと。その新聞記事の行方不明者のリストの中に、矢倉市子という名が写真付きで載っていたこと。その矢倉市子が中学生のまま生存していたのなら、この船は十九年の時を超えてここに現れた可能性が高いこと。
話を聞いた永井は疑うような表情をしていたが、口に出して否定はしなかった。常識的に考えればあり得ない話だが、死体がよみがえり襲ってくるような状況では、常識など捨てざるを得ないだろう。まあ、今の話をどう受け止めるかは永井の自由だ。それよりも。
「他に生存者はいななかったのか? その市子って子は、なんと言ってた?」一樹はさらに訊いた。
「船の中で何があったのかはよく覚えていないらしい。ただ、すごく恐ろしいことがあって、みんな死んだ、というようなことは言っていたな。かなり混乱している様子だったから、どこまで本当なのかは判らないが」
乗客乗員がみんな死んだのなら、今ごろ化物となって行動しているはずだ。しかし、一樹がこれまでに見た屍人・闇人は島民と自衛官ばかりで、中学生やフェリーの乗務員など見たことがない。残りの四十三名の乗員乗客はどうなったのだろう? いったい、この船で何があったのか。調べてみる価値があるように思えた。
一樹は永井と共に二階の客室を調べる。二階は二等客室で、一部屋に二段ベッドがふたつずつ設置された四人部屋が並んでいる。一部屋一部屋調べていくと、三つ目の部屋のベッドの枕元で、朱色の石があしらわれたブレスレットを見つけた。内側に、イニシャルと思われるI・Yの文字が刻まれてある。永井によると、矢倉市子の持ち物だという。友人とお揃いで買い揃えたもので、もうひとつを市子が持っていたそうだ。
二階の客室ではそれ以上の収穫は無かった。二人は一階の客室を調べるため、エントランスの階段から下りる。
――うん?
階段の踊り場で、一樹はハートの形に折られ紙を見つけた。折り紙かと思ったが、表に『My Dear Nakajima-Kun』と書かれてあるのを見て、手紙であることに気がついた。昔、便箋を複雑に折り込み、ハートやセーラー服などの形にして相手に渡す行為が、小中学生の間で流行したことがある。一樹が小学生の頃もクラスの女子がやっていた。恐らく、船に乗っていた生徒が作ったものだろう。宛名に書かれたナカジマという名には心当たりがあった。
手紙を拾う一樹。他人の手紙を読むのは気が引けるが、手掛かりになることが書いてあるかもしれない。一樹は胸の内で持ち主に詫びると、手紙を開いた。
その手紙は、テニス部の女子マネージャーが部員である中島に宛てたものだった。大会で好成績を収めたことを喜ぶ文面に始まり、『カッコよかった』『素敵だった』『好きになって良かった』などという言葉が頻繁に登場することから、二人が交際していたことが伺える。前半は、微笑ましくはあっても一樹の興味を引くような内容ではなかった。
しかし、後半を読み、一樹は息を飲んだ。
《……ずっと一緒にいたいけど、もしかしたら、もう一緒にいられないかもしれない。
すごく不安なことがあるの。
市子にも言えないこと。
中島君に言うのが怖い……。
でも、言わなきゃいけないから。
階段のところで待ってます。絶対に来てください。
市子とは、矢倉市子のことだろう。この手紙を書いた少女は、矢倉市子と友人だったのだ。差出人の名はNoriko――ノリコ。その名前にも心当たりがあった。だがそれは、市子や中島ら行方不明者ではない。
ブライトウィン号には、乗員乗客合わせて四十五名が乗り込んでおり、うち四十四名が行方不明となっている。
つまり――一名の生存者がいる。
その生存者は、十九年前の八月四日夕方、夜見島沖を漂流していたところを、捜索中の海上保安部に発見された。当時は大々的に報道されたようで、一樹が取り寄せた多くの新聞や週刊誌の記事でその名を目にした。その生存者の名が、木船
だが、一樹が息を飲んだのは、それが理由ではない。生存者の名前と、その手紙の内容に、何かが引っ掛かったのだ。なんだ? 考える。
――木船倫子……木船?
一樹の頭の中で、
三逗港で出会い、冥府で異形の化物に囚われそうになった一樹を救い、遊園地で共に石碑を破壊した女――
木船という名字は、かなり珍しいように思う。ひょっとして、この手紙の倫子と郁子は、血縁者なのだろうか?
そう言えば。
三逗港で船を探した際、一樹は、港でアルバイトをしていた郁子に取材を申し込んだ。聞けたのは雑談程度の話だったが、その際、郁子は春に高校を卒業したばかりだと言っていたのだ。ならば、彼女は恐らく十九歳。ブライトウィン号が失踪した年に生まれたことになる。そして、手紙に書いてある、
――――。
考えを振り払う一樹。名字が一緒だからといって血縁者であると考えるのは早計だろう。確かに木船という名字は珍しいが、地域によってはありふれているのかもしれない。一樹自身の名字も全国的に見ればかなり珍しいが、地元には数十世帯住んでいる。確たる証拠もない話を繋ぎ合わせて想像を膨らませても、それは仮説にすらならないただの妄想だ。一樹はこの問題を一旦保留することにし、永井を追って一階の客室へ向かった。
一階は雑魚寝部屋の三等客室だ。そこも一部屋一部屋調べていくと、乗客の持ち物と思われるビデオカメラを発見した。小型のテープに録画する8ミリビデオカメラだ。テープはカメラの中に入っており、ラベルには『1986・8・1 Memory of Keiichi&Tomoko』と書かれてあった。船が三逗港へ向けて出港した日だ。このビデオが十九年前の八月一日に撮影されたのなら、当時の船内の様子が判るかもしれない。カメラはモニター付きで、その場で再生することもできる。一樹はテープをカメラに戻すと、電源を入れ、再生ボタンを押した。
甲板でおどける若い女性の姿が映っていた。画質が悪いためはっきりとした年齢は判らないが、恐らく二十代か三十代。少なくとも中学生ではない。女性は撮影者の男性と天気や海の様子などたわいもない話をしていたが、やがて。
《船、いつ動くんだろうねー》
と、少し不安そうな顔で言った。船が停泊しているのだろうか?
女の言葉に、撮影者の男は《何かあったのかな?》と答える。《そういや、中学生が、『死体が見つかった』とか騒いでたな》
《えー? なにそれ、こわーい》
《子供がバカなこと言って騒いでるだけだと思ってたけど、もしかして、ホントだったりして》
《そう言えば、あっちの方が、なんか騒がしいね》
《行ってみようぜ》
映像は激しくブレながら、右舷甲板へと移動する。救命ボートを下ろすボートダビットのそばに人だかりができていた。その多くが学生服やセーラー服を着た中学生だ。それらを、数人の船員が制している。
《近寄らないで、離れて!》
《ちょっと! 子供たちをなんとかしろ!》
《引率の教師はどこだ! 連れて来い!》
《下がって! 下がってください!》
船員たちはみな苛立ち、怒声を上げていた。かなり緊迫した事態であることが伺える。本当に死体を引き上げたのだろうか?
《ねー、ケイちゃんいこうよー》
撮影者の腕が引っ張られたのか、カメラが大きく振られる。
《ちょっと待って。あれ、人だろ……?》
カメラが人だかりに戻った。その隙間から、人が倒れているのがわずかに見える。カメラはそこへ近づく。びしょ濡れの白い着物と、胸のあたりまで伸びた長い黒髪が確認できた。女性のようだ。
《――離れろって言ってるだろ!》
ひときわ大きな声を上げ、船員が中学生の男子を強く押した。それで、人だかりが大きく割れ、倒れていた女の顔が映った。
「――――!!」
その顔を見て、一樹は目を剥いた。
《ちょっとそこ! カメラやめてください!》
船員がこちらに向かって来て、カメラのレンズを手で遮った。
映像は、そこで途絶えた。
「……おい、いまの女は……」
一緒に見ていた永井も、そのことに気付いたようだ。一樹は、無言で頷いた。
一瞬だけ映った、倒れていた女。船員の様子から、航行中水死体を発見し、引き上げたのだろう。問題は、その女の顔だ。見覚えがあったのだ。一樹にも、そして、永井にも。
だが、それは本当に一瞬の映像で、その上画質が悪い。見間違いということも考えられる。一樹はテープを巻き戻し、女の顔が映ったところで静止した。今度は、じっくりと確認する。そして、見間違いではないと確信した。
倒れている女の顔は、岸田百合と同じだった。
どういうことだ……一樹は思考を巡らせる。この船に、岸田百合と同じ顔をした女の水死体が引き上げられた。恐らく映っているのは
一樹は永井に説明し、地下の機関制御室へ向かった。
機関制御室のモニターは、一樹が四足の闇人と戦ったときのまま映っていた。その近くに、録画用の機器がある。録画は停まっていたが、中にテープは入っていた。一樹と永井は顔を見合わせて頷くと、再生ボタンを押した。
モニターに映像が浮かび上がる。映像は、船内各所に設置されたカメラの映像が五秒毎に切り替わるタイプだ。二階客室の通路、エントランスの全景、地下へ下りる階段、と、次々と切り替わる。映っていない場所は当然死角となるため、防犯カメラとしては致命的な欠陥であるが、十九年前ならばよくある話だ。
映像は、八月二日の深夜二時のものだ。乗客は眠りにつき、船員も、夜勤の者以外は仮眠を取っている時間帯である。映像にはほとんど人影が無い。まれに機関室や操舵室に出入りする船員が映るだけだ。
だが、そのまま少し見ていると、エントランス横の地下へとおりる階段に、セーラー服の少女が座っているのが映った。誰だ? と考え、すぐに思い当った。さっき拾ったハート形に折られた手紙の内容『階段のところで待っています』。いま映っている少女が木船倫子だろうか?
映像は切り替わり、今度は二階客室の通路が映った。その部屋のひとつから男子生徒が出てきた。周囲の様子を伺いながら、エントランスの方へ歩く。映像が切り替わり、エントランスを映し出した。そこにも、その男子生徒が映っている。さっきの女子生徒が待つ階段へ向かっているようだ。ならば、この男子学生が中島一郎か。映像が階段に切り替わると、思った通り男子生徒が現れ、女子生徒の隣に座った。中島一郎と木船倫子とみて間違いないだろう。
映像が切り替わる。通路を映し、エントランスを映し、階段を映す。中島と倫子が話をしている以外、特に変わった様子は無い。防犯用のカメラだから音声は録音されておらず、二人が何を話しているのかは判らない。
一樹と永井は、しばらく変化の無い映像を見る。
――と、映像が通路からエントランスに切り替わる寸前、通路の奥に、白くぼんやりした塊が見えた。一瞬であったため、何かまでは判らなかった。
映像はエントランスから階段へ切り替わる。階段では、変わらず中島と倫子が何かを話している。
再び通路の映像に切り替わった。
そこに、白い着物で、胸まで伸びた黒髪の女が映っていた。
前かがみの格好で、ゆっくりと歩いている。長い髪に隠れて顔は確認できないが、その姿は、8ミリカメラの映像に映っていた死体と同じだ。
ゴクリ、と、永井が喉を鳴らす音が聞こえた。一樹の額を冷たい汗が流れる。あれは、船が引き上げた水死体の女だろうか? 死体がよみがえり歩き出すことには慣れていたつもりだったが、それとはまた別種の恐ろしさを抱く。
映像がエントランスに切り替わり、階段に切り替わる。中島と倫子はまだ話している。通路に切り替わった。女の姿は無い。エントランスに切り替わる。女の姿が映った。ゆっくり、ゆっくりと、左右に体を揺らしながら、歩く。階段に切り替わる。二人はまだ話している。通路に切り替わる。誰もいない。エントランスに切り替わる。誰もいない。階段に切り替わった。中島と倫子が立ち上がった。話が終わったのだろうか? 階段を上がろうとしたところで、通路に切り替わった。誰もいない。エントランスに切り替わる。誰もいない。そして、階段に切り替わる――誰もいなかった。一巡し、さらにもう一巡するが、どこにも、誰の姿も映らない。中島と倫子、そして、あの女は、いったいどこへ行ったのか? 映像は死角が多い。映らないように移動することは不可能ではないだろうが、映像が切り替わるタイミングはモニターを見ないと判らないはずだ。偶然映らなかっただけなのだろうか?
一樹が考えを巡らせていると、映像は、通路、エントランスへと切り替わり。
そして、画面に張り付く女の顔を映し出した。
どくん、と、心臓が大きく血液を送り出した。背中を冷たいものが走る。永井が、低いうめき声をあげた。
映像は、すぐに通路に切り替わった。今のはなんだったのか? 考える間もなく、エントランスに切り替わり、そして、再び女の顔が映し出される。目を剥き、唇の端をわずかに上げて薄く笑い、ゆっくり顔を傾ける。まるでこちらを覗き込んでいるかのようだ。見られている――そう感じた。考えを振り払う。向こうからこちらが見えるはずはないし、そもそもこれは過去の映像だ。そう考えても、カメラの向こうから強烈な視線を感じてしまう。
映像が通路に切り替わり、エントランスに切り替わる。
そして、白い着物の女が、ハンマーのようなものを振り上げている姿が映った。
思わず、頭をかばう一樹。
女がハンマーを振り下ろした瞬間、映像が切り替わった。再び通路、そして、エントランス。
だが、次に切り替わって映し出されたのは、ノイズだけだった。
通路になり、エントランスになったところで、その映像もノイズとなる。
そして、最後の通路の映像もノイズに変わり。
そこで、全ての映像が途絶えた。
肺が新鮮な空気を求めていた。気付かないうちに息を止めていたようだ。大きく息を吸い込み、そして吐き出した。永井も同じように深く息をついた。
映像に映っていた白い着物の女はなんだったのだろう? 客室で見つけたビデオテープに映っていた水死体だろうか? 死体がよみがえって動き回ることは、夜見島の近くならば充分あり得るだろう。そもそもあの女が鳩ならば、死んでいたかどうかも判らない。
結局、監視カメラの映像からも、船内で何が起こったのかは判らなかった。ただ、あの白い着物の女が関係しているのは間違いない。
……そう言えば。
一樹は永井を見た。「なあ、あんたが見つけた矢倉市子って子は、どうなったんだ?」
「あん? なんだよ、急に」
「いいから教えてくれ。その子に、何か変わったところはなかったか?」
永井は大きくため息をついた。「変わったところだらけだよ。おかしなことばかり言っていた」
「具体的に説明してくれ。なんと言ってたんだ」
「自分は船から落ちて死んだ。今いる自分は自分ではない。この海には姿を盗む化物がいる、とか」
「姿を盗む化物?」
「ああ。それで、その子、突然おかしくなったみたいに笑い始めて、機関銃ぶっ放して闇人どもを片っ端からやっつけて回ったんだ。それだけじゃない。闇人共に何度も銃で撃たれたが、死ななかった。すぐに傷が治ってしまうんだ。俺は姿を盗む化物なんて話は信じちゃいないが、あれが何だったのかは判らない」
姿を盗む化物――それが夜見島に伝わる伝承のひとつだとしたら、それは海に潜む穢れ・屍人共の仲間かもしれない。
「それで、その子はどうなった?」一樹はさらに訊く。
「山の上に大きな鉄塔が建っているだろう? あそこに向かって走って行った。お母さんに会いたいとか、一人にしないでとか、訳の判らないことを言っていた」
それを聞いて、一樹の中で話が繋がった。
島の伝承によると、屍霊や闇霊どもは、この世界に人間が現れるよりもずっと以前に地上を支配していた者だ。その頃世界は闇に包まれていたが、光の洪水が起こったことで地の底へ逃げ、逃げ遅れた者は海の底へ逃げた。それが、闇人と屍人。闇人は地上世界の奪還を、屍人は自分を見捨てた者たちの元へ還ることを望んでいるという。
恐らく永井が出会った矢倉市子は、本物の矢倉市子ではない。屍人の勢力が矢倉市子の姿を模してつくり出し、地上へ放った使い――いわば、屍人側の鳩なのだ。
一樹は顔を上げた。「行こう」
「行くって、どこへ」永井は首を傾ける。
「鉄塔だ。その子を放っておくと、大変なことになる」
「大変なことって、なんだ」
「詳しくは後で話す。とにかく急ごう」
機関制御室を出る一樹。永井は後からついてくる。
「なんか、急にやる気になったな」永井は戸惑いがちに言った。
「そっちが焚き付けたんだろ?」一樹は振り返ることなく答える。
二人は乗降口から船を脱出すると、鉄塔を目指して走った。