鉄塔の中層に到達した木船郁子はさらに上層階を目指す。集落と一体化し路地裏のようになった区画を通り、金鉱用の重機をメンテナンスするビル跡を抜け、さらに進む。途中、襲い来る闇人には感応の能力を使って戦った。操ってその場から遠ざけ、あるいは背を向けさせて後ろから殴打し、数が多ければ銃を持った者を操って同士討ちさせる。郁子の持つ武器は遊園地で拾ったゴルフクラブくらいだから、必然的に感応に頼ることが多くなる。感応は気力を消耗する。鉄塔を登り続け、体力も失った状態で感応を乱用し続けた郁子は、もはや歩くのもやっとという状態だった。それでも立ち止まるわけにはいかない。陽が落ちて以降、鉄塔にはどんどん闇人が集まっている。その数は増える一方だ。時間が経てば経つほど、鉄塔を登るのは困難になるだろう。とにかく早く登らなければいけない。
びくんと身体が震え、頭上の通路から郁子に向けて小銃を構える視点が見えた。狙撃手に見つかった。すぐに感応を使用し、相手の心に入り込もうとする。だがその瞬間、暗闇でランプが燃料を使い果たしたかのように目の前が真っ暗になった。足に力が入らなくなり、がくんと膝が折れる。危うく落下するところだったが、なんとか通路の手すりにしがみついて耐えた。直後に銃声が響く。不幸中の幸いか、体勢を崩したことで弾道から外れ、銃弾をかわすことができた。もちろん、狙撃手は狙いを定め直し、二発目を撃ってくるだろう。能力を使いすぎた郁子には、もはや身を隠す力もない。これで終わり……? 諦めかけた時、聞こえたのは銃声ではなく闇人の悲鳴だった。残ったわずかな力で顔をあげると、闇人は大きくのけ反った後、体勢を崩して地上へと落下していった。
そこには、鉈を持った一樹守の姿があった。
「一樹……くん……」
安堵したことで気力が途切れ、郁子は崩れ落ちるように座った。
「大丈夫か!?」
一樹が上層から駆けおりて来て、郁子のそばで心配そうに見つめる。
「大丈夫……少し休めば……平気……」乱れた呼吸を整えながら、なんとかそう答えた。
「そうか」と、一樹は頷く。「けど、さすがにここは危険だ。移動しよう。立てるか?」
そして、手を差し伸べてきた。
郁子は、しばらくその手を見つめていたが、やがて視線を落とした。
「……一人で大丈夫よ」
差し出された手を遮り、立ち上がろうとする。手を借りるわけにはいかない。一人で島を脱出すると決めたのだから。
だが、足に力が入らず、倒れそうになった。
「危ない」
そこを、一樹が二の腕を持って支えてくれた。
郁子はとっさに振りほどこうとしたが、もはやその力さえ残っていなかった。
「無理するな」
一樹は郁子の腕を肩に回し、郁子を支え、歩きはじめた。仕方なく、そのまま肩を借りる。幸いパーカー越しに触れているので、心の声が聞こえてくることはなかった。
それに。
――温かい。
そんなことを思う。
雨に打たれ通しとはいえ真夏だ。そのうえ郁子が着ているパーカーは耐水性が高いもので、身体は冷えていない。
それでも温かいと思ってしまうのは、心が凍えていたからだろうか。一樹がそばにいてくれることで、心が安らぐ気がする。
郁子は一樹に身体を預けたまま歩いた。
「……すまなかった」
不意に、一樹が詫びの言葉を口にした。
「え?」
なんのことか判らず、郁子は聞き返す。
「あの時、君から手を離したのは、君のことを恐れたからじゃない」
一樹が続けて言った言葉で、郁子は理解した。
蒼ノ久集落での一樹との別れ際、郁子の腕をつかんだ一樹に対し、郁子は、触れた人の心が読める能力のことを話した。それを聞いた一樹は手を離し、怯えるような、あるいは話を疑うような、そんな微妙な眼差しを向けていた。
その目が、かつてのクラスメイトと重なった。
能力のせいで孤立した郁子のことを、クラスメイトは、いつもあの目で見ていた。
一樹も、かつてのクラスメイトのように郁子から離れていくような気がした。それが怖かった。だから一樹の元を去った。どうせ離れていくのならば、初めからそばにいない方が良い――そう思って。
でも。
「……あなたは、悪くないよ」
つぶやくように言う。
本当は、郁子にも判っていたのだ。悪いのは、一樹ではないということに。
心の内をさらけ出すつもりで、郁子は言葉を継ぐ。「悪いのはあたし……みんな、あたしのせいなんだよ」
一樹の元を去ったのも、高校卒業後に地元を離れたのも、自分で決めたことだ。もう二度と傷つきたくないから。
一樹守を、クラスのみんなを――それだけではない。郁子を育ててくれた祖父母を、母と双子の姉妹を――多くの人との関わりを。
全てを拒絶したのは、自分の方なのだ。
それを、郁子は最初から判っていたのだ。
一樹は、ふと、遠い目をした。
「……俺は、もう後悔したくない」
視線の先は空が広がっているだけだ。何も無い。
それでも、一樹はその目で何かを見つめているようだった。あるいは、
しばらく遠いところを見つめていた一樹だったが、その目を郁子に向けた。決意が宿っていた。
「君の力になりたいんだ。一緒に、島から脱出しよう」
まっすぐに郁子を見つめ、そう告げた。
「――――」
郁子は、彼の言葉を胸に刻みつけるように、目を閉じた。
誰とも関わらず、一人で生きていきたい。誰かに冷たい目で見られるのは、もういやだ。
それでも。
心の奥底では、人との関わりを求めている。人の温もりを求めている。
傷つきたくないが、誰かのそばにいたい。
矛盾しているのは判っている。それでも、どうしようもない。それはもう、認めるしかない。
郁子は一度大きく頷き、目を開け、一樹を見つめる。
そして。
「……なにそれ? 気持ち悪い」
吹き出しながら、そう言った。
一樹は目を丸くし、「いや、別に変な意味じゃ……」と、うろたえる。
郁子はさらに笑って、「最初に会ったときから思ってたけど、あんたって、ホント、バカだよね」と続けると、パーカーのポケットから一樹のデジタルカメラを取り出した。「はい。また落ちてたよ? あんた、カメラ落とし過ぎじゃない? そんなんで雑誌の編集者なんて務まるの?」
「返す言葉もないな」一樹は苦笑いでカメラを受け取った。「ありがとう、わざわざ届けてくれて」
「そ。あんたのために、
カメラを入手するため、四足闇人のいる下層へおりた。無用な危険を犯したが、それでも取りに行かずにはいられなかった。一樹の元を去ったのは自分だ。それでも、心は彼とのつながりを求めていた。矛盾しているが、どうしようもない。
二人は闇人共に見つかりにくいビルの陰に身を隠し、腰を下ろした。この島では謎の力で傷が癒えたり体力が回復するのが早い。少し休めば、また歩けるようになるだろう。
同時に、郁子は気力も回復していることに気がついていた。これは島の力ではなく、一樹のそばにいるからかもしれない――そんな風に考えた郁子は、なんだか無性におかしくなり、また笑った。そんな郁子見て、一樹も同じように笑う。
二人はしばらく、その場で笑い合っていた。