SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第八十一話 『狂笑』 一樹守 四鳴山/離島線4号基鉄塔 22:27:08

 木船郁子と再会し、それまでの誤解を解いた一樹守は、二人で鉄塔の上層に到達していた。無数のビルや集落と大樹が融合した鉄塔は、先細りしている上層となるとさらに混沌としている。民家や工場のようなビルの他に、プレハブ小屋や鉄塔建設時のクレーンなどもあり、それら全ての建造物に、獲物を捕らえた蛇のごとく大樹の枝や蔦が絡みついている。一見通り抜けられそうなビルの出入口が樹の幹で塞がれていたり、逆に、寸断された通路が枝を伝って通れたりと、その複雑さはさらに増していた。

 

 一方で、闇人の数は明らかに減っていた。ヤツらはまだここまで到達できていないのだろう。先端部まではあと少しだ。このまま順調に進めば、自分たちが最初に到達できるはずだ。そうすれば、可能性はひとつに収束する。すなわち、『一樹の死亡』や『郁子の死亡』、あるいは、『闇人共の地上侵攻』や『闇人と屍人の抗争』などの複数存在している世界が消え、『一樹と郁子が現世へ帰還』という世界が確立するのだ。

 

「……要するに、鉄塔を登れば元の世界に帰れるってことでしょ? なんでわざわざそんな難しい言い方をするかな」

 

 郁子が呆れた目で一樹を見ていた。どうやら無意識のうちに言葉を発していたらしい。一樹は軽く咳払いをした後、「こういうのは、解を出すだけでなく、そこに行き着くまでの過程も大事なんだよ」と前置きして、さらに続けた。「いいかい? 俺と君はこの鉄塔で再会できたが、その『箱』が開く前には、再会できない世界も存在していたんだ。この偽りの夜見島を観測する者は、箱を開ける前に中身が見えていて――」

 

 一樹の説明を、郁子は「はいはい」と面倒くさそうに受け流した。「悪いけど、あたし、理系の人とは死ぬほど相性悪いんだよね。理屈っぽいこと言ってないで、さっさと行くよ」

 

 熱弁する一樹を残し、郁子は先へ進む。一樹は不満げな表情で後を追った。

 

 鉄塔内部の通路を進むと、金網製の柵に囲まれたプレハブ小屋へ行きついた。鉄塔建設時に従業員が使っていた休憩室のようだ。進むためには敷地内に入らなければならない。先を歩く郁子はフェンス製の扉から中へ入る。小屋のそばを歩き、角を曲がったところで、何かに気づき足を止めた。一樹も角を曲がり、それを見て息を飲んだ。

 

 小屋の入口前に、人型の闇人が三体倒れていたのだ。この層にはまだ闇人が到達していないと考えたのは間違いだったようだ。しかし、その闇人がすでに倒されている。これが何を意味するのか、一樹はとっさに理解できないでいた。

 

 倒れた闇人は、皆、迷彩柄の服を着ている。自衛隊員の闇人だ。そのうちの一体は、右肩から左わき腹にかけて大きく斬り裂かれていた。鋭利な刃物によるものと思われるが、その傷はかなり深く、ナイフ程度の大きさでは無理だろう。刀身が一メートル以上刃物だが、鉈や剣でもない。それらは刀身に重量があるため、斬ると同時に肉を潰してしまう。そのため、傷口は目を背けたくなるような悲惨なものになるのだ。対して、その闇人の傷は鮮やかだった。熟練の料理人が使い込まれた包丁で魚をさばいたかのような、きれいな斬り口なのだ。刀身の重量に頼らず、刃そのものの斬力で斬り裂く武器。思い浮かんだのは日本刀だった。それも、名のある刀匠が鍛え上げた刀か、剣豪と呼ばれるほどの使い手か、あるいはその両方かだ。

 

 別の一体は、胸に無数の銃弾を受けた跡があった。機関銃によるものと思われるが、驚くべきは、銃弾の痕が闇人の身体以外どこにも見当たらないということだ。機関銃は連射力が高い反面、反動により弾道がぶれやすく、地面や壁など、目標以外の場所にも弾痕が残るのが普通だ。それが無いということは、機関銃の反動を抑えることができるほどの筋力を持っていることになる。はたしてそれは、人間なのだろうか。

 

 この二体の闇人は、怯え、あるいは驚愕・苦悶といった複数の感情が入り混じった恐ろしい表情をしていた。しかし、最後の一体は、その表情を読み取ることができなかった。なぜなら、首が無かったからだ。そこに倒れているのは肩から下だけで、頭部は、周辺のどこにも見当たらない。その斬り傷は、最初の闇人同様に鮮やかだった。同じく日本刀によるものだろう。人の手による斬首は高い技量が必要だ。世界中で斬首刑が行われていた時代、多くの死刑執行人が斬首に失敗し、罪人に無用な苦痛を与えてしまったという話は数多い。なのに、この闇人の首を斬り落とした何者かは、恐らく片手で刀を持っていたはずだ。もう片方の手には、機関銃を持っていたはずだから。

 

 この闇人たちは何者かと戦い、そして倒されたのだ。闇人以外にも、すでにこの鉄塔上層へたどり着いた者がいる。そして、その者は、戦闘訓練を受けた自衛隊員の闇人三体を、いとも簡単に倒してしまったのだ。もちろん、()()()()()()というのは想像でしかない。そもそもこの闇人共をたった一人で倒したという根拠は何も無いのだが、それでも、倒された闇人の様子から、一人に対し複数で襲い掛かってきた闇人共を、鬼神のごとき強さで返り討ちにした――そんな姿を思い浮かべてしまう。

 

 一樹たちが闇人の死体に釘付けになっていると、金属をこすり合わせたような耳障りな声が響いた。闇人の悲鳴だ。プレハブ小屋の角をさらに曲がった先からだった。一樹と郁子は顔を見合わせ、同時に頷き、そちらへ向かって走った。

 

 ツインテールにセーラー服姿の少女が、巨体闇人と対峙していた。一樹たちの方に背を向けているため少女の顔は見えないが、小柄な体格から中学生と思われた。

 

「大変……助けないと」

 

 駆け寄ろうとする郁子の肩を、一樹は強く掴んで止めた。

 

「いった……なにすんのよ」

 

 不平を言う郁子には目を向けず、一樹は少女の背中を凝視したまま言う。「近づくな……あれは……危険だ……」

 

 自分でも思っていた以上に鬼気迫る声だった。ただならぬ様子を察した郁子は、「え……?」と、困惑した声を上げた。

 

 巨体闇人と対峙する幼い少女――誰がどう見ても救助しなければならない状況だが、それを躊躇せずにはいられない。

 

 少女の足下には、すでに人型の闇人が一体倒れていた。先ほどの悲鳴は、その闇人のものだろう。身体に銃弾を浴び、喉を斬り裂かれていた。誰がやったのかは明白だ。少女は左手に機関銃を、右手に日本刀を持っていたのだ。ならば、先ほどの三体の闇人を倒したのもこの少女であろう。少女と巨体闇人には三倍近い身長差がある。ネズミと虎が対峙したような光景だが、追い詰められているのはネズミではなく虎の方なのだ。少女は闇人の死体を踏みつけ、巨体闇人の方へ一歩近づいた。巨体闇人はぎりぎりと歯を軋ませ、一歩退()がった。少女を恐れている。狩る者と狩られる者の構図が、完全に逆転している。

 

 ふと、一樹は頭上に気配を感じ、上を見た。プレハブ小屋の屋根の上に四足闇人の姿があった。獲物を前にした狼のような低い姿勢で、少女の背中を睨んでいる。少女は気付いていないのか、正面の巨体闇人を見据えたままだ。四足闇人が跳んだ。前足の鋭い爪を振り上げ、少女の背後から襲いかかる。だが、その爪が少女の背中を引き裂こうとした瞬間、少女は身を低くして後ろへ跳んだ。屋根から跳んできた四足闇人の腹の下に入り込む形になった。機関銃を向け、引き金を引いた。銃弾は四足闇人の無防備な腹に全弾命中する。四足闇人は短い悲鳴をあげ、顔面から土の地面に激突して倒れた。少女はすぐに立ち上がり、倒れた四足闇人の身体を乗り越えて走る。巨体闇人が拳を振り上げた。鉄球のごときその拳を、向かってくる少女に向けて振り下ろす。少女が跳んだ。巨体闇人の拳は地面に叩きつけられる。少女は闇人の巨大な拳の上に着地すると、そこから腕、そして肩に駆け上がり、独楽(こま)のように回転して刀を振るった。刃の一閃が、巨体闇人の頸椎を斬り裂いた。巨体闇人は白目をむき、地響きと共に倒れた。少女は、静かに着地する。

 

 郁子は、ただ茫然とその光景を見つめていた。幼い少女がたった一人で闇人共を蹴散らしたのだから、無理もない。

 

 少女は倒れた巨体闇人の姿をしばらく見つめていたが、やがて顔を上げ、一樹たちに目を向けた。

 

 ツインテールの女子中学生――その顔に、一樹は見覚えがあった。それは夜見島へ向かう前。島で起こった過去の事件について調べていた一樹は、ブライトウィン号消失事件の行方不明者リストに、その少女の写真を見たのだ。亀石野中学二年・矢倉市子。恐らく彼女は海に落ちて死んだ。()()は、今でも海の底で眠っているだろう。目の前にいる矢倉市子は、本物ではない。夜見島近辺の海には姿を盗む化物が潜んでいて、死んだ者の姿を模して現れるという。一樹の推理が正しければ、それは屍人を束ねる者が放った、いわば、屍人側の()――。

 

《……お前も、寂しかったのか?》

 

 ()()()()()()声がした。

 

 初め、一樹はそれを市子の声とは思わなかった。その声はあまりにも低く、複数の声が重なり合ってひとつになったような不気味な声だったからだ。呆然としていた郁子も、その異様な声を聞いて我に返り、ゴルフクラブを構える。

 

《我も待っていた……暗い……海の底で》

 

 ゆっくりと、こちらへ近づいて来る。笑っていた。狂人が浮かべるその笑みに、一樹の背筋を冷たいものが走った。市子が機関銃を向けても、その狂笑に射すくめられ、まるで全身が凍りついたかのように動かない。

 

《もうすぐ、我らはひとつになれる……》

 

 矢倉市子は――いや、()()()()()姿()()()()()()は、引き金に指を掛けた。

 

《――――っ!!》

 

 不意にその動きが止まった。全身が硬直したかのように、小刻みに震える。狂笑が消え、驚愕と困惑が入り混じった顔になる。

 

「撃って!」

 

 郁子が叫んだ。右の拳を握り、その手首を左手で握り、暴れ出そうとする力を押さえつけている。感応を使ったのだ。我に返った一樹は拳銃を向けて発砲する。弾倉の半分ほどを撃ちこみ、そのいくつかが胸や腹に命中した。だが、その傷が瞬時にふさがりはじめる。わずか数秒で、身体の傷だけでなく服に空いた穴まで消えていた。一樹は残りの弾も全て撃ちこんだ。いくつかが命中し、そのうち一発は市子の額を撃ち抜いたが、その傷さえもすぐに消えた。

 

「……もう……ダメ……」

 

 郁子の身体が見えない力に弾き飛ばされた。同時に、感応から解放された市子が動いた。

 

《分裂体風情が小賢しい術を!!》

 

 市子は銃口を郁子に向ける。感応で力を使い果たした郁子は、その場に倒れ込んだまま動けない。

 

「危ない!」

 

 一樹は郁子の方へ跳び、郁子をかばって通路に伏せた。機関銃から銃弾が放たれると同時に、一樹の背中と右腕に鋭い痛みが走った。バーナーであぶった鉄の塊を身体の中にねじ込まれたかのような痛みだ。幸い意識は飛ばなかったので、致命傷にはなっていないだろう。

 

「逃げ……るぞ……」

 

 一樹は立ち上がろうとしたが、背中に受けた銃弾のせいで思うように動けなかった。郁子も同様に動けない。

 

《失せろ!》

 

 市子が、さらに引き金を引こうとした時。

 

「――だめぇ!!」

 

 突然、少女の声がした。それはまだ幼さの残る声で、市子から発せられたように思えた。それまでの複数の声が入り混じった不気味な声とは明らかに違う、その見た目通りの女子中学生の声。

 

 同時に、市子は再び全身が硬直して動かなくなっていた。見えない力で押さえつけられているような姿。感応で動きを止めている時と同じだが、郁子はまだ能力を使えるような状態ではない。ならば、市子の動きを止めている力はなんだ?

 

《……邪魔を……するな!》

 

 また、市子の声が不気味なものに戻った。全身を縛る鎖を引きちぎろうとするかのようにもがく。機関銃が乱射され、弾があらぬ方向へ飛んでいった。やがて銃弾は尽き、空回りの音を奏でる。

 

「今のうちに逃げよう」

 

 一樹は痛みをこらえつつ立ち上がり、郁子と共にその場を離れた。正体不明の力に縛られた市子は、その場にとどまり、追いかけて来ない。二人はプレハブ小屋の敷地から出ると、通路をくだり、古い家屋を見つけて玄関から中に入った。すぐさま幻視で様子を探る。市子は、まだ一人でもがき続けていた。

 

「お母さん……会いたいよ……」

 

《還る……母の元へ……》

 

「ノリコ……ノリコのお腹に……」

 

《下種ごときが我の道を阻むでない!!》

 

 市子は少女の声と化物の声を交互に発していた。あの少女の声は、矢倉市子本人のものだろうか? 市子本人と市子の姿を模した者が彼女の中で戦っている――そんな姿に見えた。

 

 一樹は、以前岸田百合から聞いた話を思い出した。屍霊や闇霊が憑りつく死体――ヤツらが『殻』と呼ぶものには生前の記憶が残っており、時おりそれに惑わされる者がいるという。市子も同じなのかもしれない。なんにしても助かった。しばらく市子はまともに動けそうにない。傷が癒えるまでここに隠れておこう。一樹は時折幻視で市子の様子を見ながら、傷の回復を待った。

 

 と、家の奥から。

 

「……無い……お父様の……無い……無い!」

 

 何かを探すような女の声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。この声はまさか? 一樹は、まだ回復しきっていない身体を引きずるようにして玄関からあがり、廊下の先のふすまをそっと開けた。そこは、二十畳はあろうかという大きな和室で、まるで空巣でも入ったかのように、着物や帯、壺、日本人形、刀の鞘、『太田家家訓』と書かれた大きな額縁など、様々なものが乱雑に散らばっていた。その部屋の奥で、箪笥(たんす)抽斗(ひきだし)や書棚などをひっくり返しながら、何かを探す着物姿の四足闇人がいた。

 

「……またあいつか」

 

 ため息と共につぶやく一樹。もはや恐怖や怒りといった感情は沸かず、ただ呆れるばかりだ。見覚えがあるどころか二度と見たくないその着物姿。一樹をしつこく付け狙うあの闇人の女だ。

 

「……知ってる人なの?」一樹と一緒に部屋を覗いていた郁子が小声で訊く。

 

「元は知らないヤツだ。でも、どういうわけか俺のことをしつこく追って来るんだよ」

 

 郁子は、「ふうん」と、どこか軽蔑するような目を一樹に向けた。「良かったね、女の娘にモテモテで」

 

「冗談言ってる場合じゃない。倒してもすぐに復活するし、ホントに厄介なヤツなんだ」

 

 どうするべきか……一樹は考える。着物姿の四足闇人は、今のところ一樹たちには気がついていない。鉄塔の先端部はもうすぐそこだ。無駄な時間を費やしている暇はない。関わらないのが良いのは言うまでもないが、こんな鉄塔の上層まで追って来るほどの執念深さだ。このまま放置していると、またいつ邪魔をされるか判らない。

 

 一樹は――。

 

 

 

 

 

 

「――これ以上あいつに付きまとわれると面倒だ。ここで始末する」

 

 一樹は、中層で警官闇人から奪った滅爻樹を取り出した。闇人共を滅することができる神器である。これが最後の一本だが、この先あいつ以上に厄介な闇人がいるとは思えない。今が使い時だろう。

 

 問題は、どうやってこれを刺すかだ。背後から忍び寄って刺すのが一番だが、部屋は広く、四足闇人は室内のいたるところを探っており、近づく前に気付かれる可能性が高い。一樹がおとりになり郁子が刺すという手もあるが、二人とも回復しきっておらず充分に動けない。無論、そんな状態では郁子の感応にも頼れない。なにか良い策は無いだろうか?

 

「あの闇人、なんでそんなにあなたをつけ回すの?」郁子が訊いた。

 

「判らない。髪飾りがどうとか言っていたが……」

 

「髪飾り? 心当たりはないの?」

 

 そう言われ、一樹は記憶を探る。あの着物姿の女に初めて会ったのは、今日の深夜――島が赤い津波に襲われ、偽りの夜見島へ取り込まれた直後だ。あのとき、女は確かに花をかたどった髪飾りをしていた。その後、一樹は岸田百合と共に瓜生ヶ森にある夜見島金鉱採掘所跡へ逃げ込み、地下の坑道へおりた。そこで、坑道の天井を伝うダクトの中に、ヤミピカリャーと思われる獣の視点を発見した。一樹はダクト内に真球の石を転がし入れ、ヤミピカリャーを撃退したのだが……。

 

「――――!」

 

 思わず声を上げそうになり、慌てて両手で口をふさぐ。幸い中の闇人には気付かれなかった。

 

 一樹はポケットを探る。思い出したのだ。あのとき、ヤミピカリャーはダクト内にある花細工の工芸品見つめていた。あれは、着物女が身に着けていた髪飾りだった。一樹はヤミピカリャーを撃退した後、地面に落ちていた髪飾りを拾ったが、その直後百合に急かされてしまったため、無意識のうちにポケットに入れてしまったのかもしれない。思った通り、ポケットの中には花の髪飾りが入っていた。

 

 郁子が、また軽蔑するような視線を向けていた。「……あんたって、ホント、マヌケだよね」

 

「自分でもそう思うよ。だが、これで問題は解決だ」

 

 一樹はふすまを開けた。気配に気づいた四足闇人が振り返った。姿勢を低くし、忌々しげな顔で身構える。

 

「ほら、探し物はこれだろ?」

 

 一樹は、四足闇人のそばに髪飾りを放り投げた。

 

 四足闇人ははっとした表情になり、「髪飾り……お父様の!」と、餌を投げ与えられた犬のように、髪飾りに飛びついた。

 

 その隙に一樹は走り、四足闇人の背中に滅爻樹を刺した。甲高い悲鳴を上げ、四足闇人の身体は青い炎に包まれる。枝から生え出した根が全身に絡みつき、炎はより一層燃え上がった。

 

「都会って……どんなところなのかな……」

 

 やがて着物姿の四足闇人の身体は消滅し、枝は一本の樹と化した。

 

 ふう、と、一樹は大きく息を吐いた。なんとか倒すことができたが、郁子の言う通り、我ながら間抜けな行為だった。あのとき髪飾りを拾わなければ、こいつに苦しめられることはなかっただろう。そう考えると、髪飾りを拾うという行動も、観測者の意思だったのかもしれない。髪飾りを『拾わない』世界と『拾う』世界のふたつが存在し、観測者は『拾う』世界を選んだ。だから、より事態は悪化したのだ。

 

 ――待てよ?

 

 不意に、一樹の脳裏を恐ろしい考えがよぎる。あのとき『髪飾りを拾う』のが観測者の選んだ世界なら、今の『着物姿の闇人を倒す』のも、やはり、観測者が選んだ世界なのではないか、と。

 

《……母よ……もうすぐ……もうすぐだ!!》

 

 外で、複数の声が重なり合ったあの声が聞こえた。

 

 一樹は、「しまった!」と声を上げた。着物姿の四足闇人に気を取られ、市子のことをすっかり忘れていた。幻視で気配を探ると、市子は先端部へと続く長い階段を駆け上がっていた。先を越された! 傷はまだ癒えていないが、こうしてはいられない。すぐに家を飛び出し、後を追う。

 

 だが、不意に郁子が立ち止まった。

 

「なにをしている? 急げ!」

 

 一樹が急かしても、郁子は立ち止まったままだ。寒さに凍えるように自らの両腕を抱き、小さく震えている。

 

「……あいつが……来る!」

 

 怯えた声を上げた。特殊な能力を持たない一樹も、その禍々しい気配を感じた。足元から、凄まじい早さで上昇してくる。地の底の冥府で遭遇したあの恐ろしい化物――闇人共を束ねる異形の生物だ!

 

 上昇してきた異形の生物は、一樹たちの前で速度を落とす。物理的に宙を舞うことなどあり得ないその巨躯をくねらせ、美しい岸田百合の顔を醜く歪ませて、一樹たちを射すくめた。

 

 だが、すぐにその視線を上へ向けた。貴様らなどに用は無い――そう言わんばかりに、一樹たちには手を出さず、また上昇して行った。

 

 さらには、下層から、銃や刃物を持った人型の闇人が、四足闇人が、巨体闇人が、あるいは闇霊が――(おびただ)しい数の化物が、群れをなして登って来た。到底太刀打ちできる数ではないが、闇人共は一樹たちには見向きもせず、まっすぐに先端部へ向かっていく。

 

 その、先端部では。

 

《……待ちかねた……待ちかねたぞ! 母よ!!》

 

 狂笑を浮かべた矢倉市子が、一樹と郁子、闇人共、そして、異形の生物さえも、眼下に見下ろしていた。ついに、鉄塔の先端部に到達したのだ。

 

「――あの劣化種を引きずり下ろせ!」

 

 異形の生物に続き、無数の闇人達も先端部の市子へ向かっていく。

 

「俺たちも行こう! もしかしたら、まだチャンスはあるかもしれない」

 

 一樹と郁子も、闇人共にまぎれ、先端部を目指して走った。

 

 そのとき。

 

 遠くで、大きな爆発音がした。

 

 それは、一樹よりもはるか下、地上の方だった。何か爆発があったのかもしれない。

 

 音と同時に、足元がぐらりと揺れた。

 

 揺れは徐々に大きくなる。足場だけでなく、鉄塔全体が揺れている。立っていられなくなり、手すりにしがみつく。闇人の悲鳴が聞こえた。揺れに耐えられなかったのだろう、数体が塊となり、宙に放り出されていた。がこん、と、何かが外れる音がした。通路が崩れ、その上にいた闇人共も落下していった。金属と金属とが擦れる耳障りな音が鳴り響いた。上層にあったクレーンがゆっくりと傾き、周囲の闇人を巻き込んで落ちていった。べきべきと木や土壁が割れる音がする。一樹が身を隠していた大きな家屋が端から崩れ落ち、最後に残った玄関が宙を転がって落ちていった。

 

 鉄塔が、崩壊している――。

 

 手すりにしがみつき、揺れに耐えながら下を見る。先ほどの爆発によるものだろう。炎が巨大な柱となり、鉄塔の中層まで達していた。崩れ落ちた足場を、クレーンを、家屋を、闇人を、次々と飲み込んでいく。

 

 揺れはさらに大きくなる。郁子の悲鳴が聞こえた。足場が崩れ落ち、手すりに両手でしがみついていた。手を伸ばそうとしたが、一樹の足下も崩れ落ちた。片手だけで手すりにしがみつく。その手すりががくんとうなだれ、そして、折れた。奇妙な浮遊感と共に、空が遠ざかる。

 

 鉄塔が崩壊する。全てが落下する。(まぬが)れることができるとしたら、宙を舞う異形の生物だけだろう。

 

 ――いや。

 

 落下のさなか、一樹は、矢倉市子が天へと上昇するのを見た。それは、空を飛んだというよりは、()()()()()()()()()()()()()。あれこそが、鉄塔の先端部に到達して得た力なのだろうか。

 

 一樹たちは地上へと落下する。いや、そこは、正確に言えば地上ではない。冥府に潜む異形の生物が創り出した偽りの世界。地上へ落下したのは恐らく市子の方で、自分たちは、地上とは反対側――地下世界へと()()()いるのだ。地上への帰還は叶わなかった。自分たちも。そして、闇人達も。

 

 一樹は堕ちてゆく。郁子と、有象無象の闇人と共に。

 

 多くの者が鉄塔に群がり、崩壊して地下世界へ引き戻されるさまは、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』のようだ――一樹は、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 数刻の後――。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔の先端部に到達し、崩壊を免れた矢倉市子は、現世と虚無の世界の狭間という本来は存在しえない世界に飲み込まれていた。そこで、追って来た母と激しい戦闘を繰り広げている。鉄塔が崩壊し、地上世界奪還の野望は打ち砕かれた。母は怒りに満ちた顔で次々と子を産み落とす。子は闇霊となり、群れを成して市子に襲い来る。いかに雑兵とはいえ、あまりにも数が多い。機関銃の弾は尽き、刀の斬れ味も鈍い。市子自身も疲弊している。闇霊に喰いちぎられた傷が治らない。この現世と虚無の世界の狭間には、市子を作り上げた主の力が及ばないのだ。

 

 空中からその姿を見ていた母は、勝利を確信したかのような笑みを浮かべた。空に向かって甲高い声で鳴く。それに呼応するかのように、市子の正面から、あるいは背後から、左右から、巨大な赤い津波が押し寄せる。市子の背丈の十倍はあろうかという高さの津波だ。疲弊した市子に、かわす術など無い。

 

 赤い津波は、母が産み落とした闇霊ごと市子を飲み込み、その身体を引き裂いた。

 

 

 

 

 

 

 自衛隊員の永井頼人は、潮降浜の廃校で、かつての上官・三沢岳明と戦っていた。絶望的な戦いだった。巨体闇人というだけで手ごわい相手なのに、戦闘技術という点において、三沢は永井を大きく上回っているのだ。それでも、隙を突いて背後から狙撃し、どうにか倒すことはできた。だが、直後に新たな闇霊が憑りつき、よみがえってしまったのだ。校舎内にはまだ無数の闇霊が潜んでいる。運よくもう一度倒せたとしても、またすぐによみがえるだろう。こんな状況で倒せるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔破壊の犯人・阿部倉司は、三上脩の愛犬ツカサとともに、森の中を逃げ回っていた。怒り狂った闇人共が大勢追いかけてくるのだ。阿部としては、わざとやったんじゃないからそんなに怒らなくてもいいじゃねぇかと思うのだが、とてもじゃないが許してもらえそうもない。ニヤケ顔で激怒する闇人の姿は違う意味で怖い。とにかく逃げるしかない。ごめんなさい、もう二度と煙草のポイ捨てはしません――阿部は、そう心に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔崩壊に巻き込まれた木船郁子は、無数の瓦礫の中、一樹守の()()を抱きしめて泣いていた。二百メートル近い高さから瓦礫と共に落下したにもかかわらず、郁子は一時的に意識を失っただけで、気付いたときには傷ひとつ負っていなかった。その理由は考えたくもないし、もはやどうでもよいことだ。元の世界への帰還は叶わず、大切な人を失ってしまった。一樹を抱きしめる。直接肌が触れても、彼の心の声は聞こえない。そこに魂は存在せず、一樹はひとつの『殻』と化してしまったのだ。もう二度と、間の抜けた行動で郁子を呆れさせることも、理屈っぽいこと言って困惑させることもない。ようやく心を許せる人と出会えたのに――郁子は一樹を抱きしめ、ただ泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 

 

 劣化種が生み出した分裂体の娘を始末した異形の生物は、虚しい気持ちを抱え、現実と虚無の世界の狭間を離れた。鉄塔が崩壊し、地上への侵攻は不可能になった。これ以上力を維持することは難しい。間もなく、写し世の世界も崩壊するだろう。地上世界の奪還は断念するしかない、今回は。

 

 そう。あくまでも、此度の侵攻が失敗しただけだ。けっして野望が潰えたわけではない。今回の侵攻の何がいけなかったのかを考え、策を練り直し、再び力を溜め、また機会を待てばよい。そして、次こそは野望を果たすのだ。

 

 異形の生物は、再び冥府へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 昭和八十年八月四日、深夜〇時。

 

 

 

 闇の住人は再び眠りについた。次に目覚めるのは、二十九年後か、三三三年後か、一三〇〇年後か、あるいは、地上世界に人類に代わる新たな支配者が現れた時か。

 

 それは、誰にも判らない。

 

 

 

 

 

 

 いや――。

 

 

 

 ()の目覚めは、そう遠い日ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 三上脩の救出に失敗した加奈江は、崩壊する写し世の世界から脱出し、現実世界の夜見島に降り立っていた。母の気配は遠い地の底へと消えた。鉄塔が崩壊したことで、母は地上世界への侵攻を断念したのだ。脩の気配も地下深くに消えた。加奈江一人では手の届かない世界だ。それ以上、写し世の夜見島で加奈江できることはなにも無い。そのまま留まっていては崩壊に巻き込まれるだけだ。脩を残し、一人で脱出するしかなかった。

 

 もちろん。

 

 加奈江は、脩の救出を諦めたわけではない。

 

 母が眠りについたのならば、起こせばいい。

 

 そのためには。

 

 

 

 ――七つの門と、七つの鍵を解放せよ。

 

 

 

 加奈江の胸に、長く封印していた使命がよみがえる。

 

 オリーブの葉となる人間を連れ、冥府への門を開く。その結果、再び母は地上へと侵攻するかもしれない。それでもかまわない。脩を救うことができるなら。

 

 ――待っててね、脩。お姉ちゃんが、必ず助けてあげるから。

 

 加奈江は、強い決意と共に、島を後にする。

 

 

 

 

 

 こうして。

 

 また、一羽の鳩が、島から飛び立った。

 

 

 

 

 

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