潮降浜沖の、暗い海の底――時の流れから取り残されたかのごとく、動くものひとつない、深い海の底で。
母が、来る。
永遠とも思える長き時間を、この海の底で過ごした。全ては、この時のために。
其の者は、海の底を離れ、地上を目指す。
浮上するにつれ、海の底までは届かなかった光が、少しずつ、増していく。闇に隠されていた其の者の姿が、少しずつ、あらわになっていく。その姿は異形であった。本来の姿ではない。其の者は、元々は姿を持たなかった。いや、本来は姿を持っていたが、長き時を暗い海の底で過ごし、姿を失ってしまったのか……其の者自身にも、もう判らない。ともかく、本来姿を持たぬ其の者が今の姿を成したのは、母の行動を真似たからだ。其の者の母もまた、本来は姿を持たぬ者であった。だが母は、現実と虚無の世界の狭間から流れ着いた人間の形を模し、姿を成した。其の者も母の行動を真似、海の底に沈む
其の者は、地上世界に残された者であった。
世界が闇に包まれていた古の時代、其の者は、母と同じ存在だった。常に母のそばにいて、母と共に行動し、母と
だが。
世界が光で溢れると、母は其の者を残し、地の底へ潜ってしまった。そこは、母と同じ存在であるはずの其の者でもたどりつけない世界だった。
地上に残された其の者は、光の届かぬ場所を求め、海の底へ潜った。だが、母が潜った地の底と違い、海の底は時折わずかながら地上の光が届く。わずかな光でも、其の者は身を焼かれる。其の者は母を恨んだ。なぜ、母は我を残して地の底へ潜ったのか。我は母と同じ存在ではなかったのか。いや、そう思っていたのは我だけだったのかもしれない。我が母と同じ存在ならば、母の潜った地の底へたどり着けたはずだ。たどり着けなかったということは、我は母よりも劣った存在であったのだろうか。だから、母から見捨てられたのだろうか。ならば、我の力を示せば、母は我を迎えてくれるだろうか。また母に会えるだろうか。
母を憎み、同時に母を想い続けた。母に認められたかった。母に会いたかった。
だから、母の行動を真似た。
母は地上世界への帰還を目論んでいた。力を蓄え、地上の様子を探り、光への耐性を得る術を探っていた。いずれ、この地上に戻って来るはずだ。
其の者は母の行動を真似、いくつもの
母ができることは我もできる、その姿を見せたかった。我は劣った存在ではない、それを証明したかった。そうすれば、母は我を認め、迎えてくれる――そう信じていた。
其の者は浮上し続ける。光が強くなる。問題は無い。永遠とも思える長き間わずかな光を浴び続けてきた其の者の身体は、もはや光の影響を受けぬほど強くなっていた。
やがて海面が見えた。写し世と
地上に残された其の者は、歓びの声を上げた。
その声は、濁ったサイレンの音となり、海の中から写し世の夜見島に響き渡った。